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第7話 そして始まる

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 血を垂れ流しながら苦痛に満ちた表情で、ポニーテールの若い女が一歩一歩ゆっくりと近付いて来る。リキは狼狽うろたえ、ヨシハルとミチオの顔をちらり。アワワと急いで彼女のもとへ駆け寄った。

「大丈夫? んなわけないな。すまないが、俺たちは止血するようなモンを持ってないんだ」
「ハァ……、ハァ……。ィ……いいんです、もう……。私は助かりません。あなたたちは生き残ったんですよね。正常なんですよね。ォ、お伝えしたいことと、お渡ししたいものがあります」

 リキは彼女に肩を貸し、近くにあった黒革の長いベンチへ座らせた。腹から出た血液が、白シャツとベージュの細身パンツを赤く染めている。パンツのすそから血のしずくがひたり、ひたりと床に落ちていく。

「そ、そこのビデオカメラに、さっき録画したデータがはいってます。中の記録用カードをこの人に渡してください。……ィ……生きていれば、ですけど」

 そう言って女はべっとりと血の付いた名刺をリキに渡した。赤く染まっていてもかろうじて読むことは出来て、『カガミ科学研究所 カガミエイジロウ』と記載されている。住所も併記されているが、かなり離れた地域だ。

「データを渡して、どうするってんだ。一体何を録画したんだ」
「私が死んだら、ァ、あなたも観ていいですよ。ちょっと恥ずかしいから」

 女はえずき、手で口を押さえる。指と指の間から鮮血があふれ、垂れていく。

「……じ、じかんがないので、お伝えしますね。世界が終わった原因はひとつじゃないんです。同時に色んな事が起きて、対処が追いつかなくて、それでこんな風になってしまった。日本だけじゃない。世界中がいっぺんに壊れてしまったんです……、ウッ」

 吐血して項垂うなだれた彼女の肩に手を置き、リキはその顔をのぞき込む。

「色んな事って何だ。キミの腹の傷とも関係あるのか」
「グッ……ゥ……。それはあとで動画を再生して観てください。最後にお願いがあります」

 女は血塗ちまみれの顔を上げ、リキ、ミチオ、ヨシハルを順に見廻みまわした。

「……私が死んだら、すぐに頭を潰してください。ゾンビになって彷徨うろつきたくはないので。ァ……何もお礼は出来ませんけど……ね」

 自嘲じちょう気味な笑みを浮かべ、女はリキの頬に手を当てる。ひんやりと冷たく、その手は震えていた。

「私はミドリと言います。どうか……ォ………覚えていてく……ださい。……わたし……が、ィ、生き……て……、ィ…………」

 手のちからがふっと消え、ミドリは目の光を失い倒れた。ベンチに横たわると、彼女のクチから緑色の液体が一気に噴き出す。

 ヨシハルが慌てた様子でミチオの肩にしがみつく。

「キ、キング。ゾンビになりかけてますぜ……」
「分かってる。……分かってるけど、やれねぇよ。だって、さっきまで……、生きてたんだぜ」

 大五郎だいごろうを持つミチオの手が細かく震えている。いや、手だけでなく体中を震わせ、泣きべそをかいていた。

 リキがゆっくりと立ち上がり、振り返り、ミチオに近付く。

「借りるぞ」

 一言ひとこと伝え、大五郎をミチオの震える手から取り上げる。

「リキ、お前……」

 リキは泣いていた。両目から涙をダラダラ流し、それでも何かを決心したような顔。

 そして、リキはミドリのがらへ歩み寄り、大五郎を振り上げた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「このパソコン、まだバッテリーが残ってたよ」

 ミチオが1台のノートパソコンを大事そうにかかえて持って来た。レジカウンターの上にそっと置き、ビデオカメラから抜き取った記録用カードをパソコン側面の挿入口へ挿し込む。

「おい、リキ。再生するぞ」

 ベンチのそばにへたり込んでうつむいていたリキは、うつろな表情を見せた。

「音量を上げてくれ。映像は……俺には無理だ。観れない」
「分かった。じゃあ、いくぞ」

 ミチオとヨシハルはノートパソコンの画面をのぞき込む。ミチオがタッチパッドを力強く押した。

 椅子に座ったミドリの姿が再生ウインドウに現れた。まだ血塗ちまみれではなく血色もい。だがその表情は、何かを訴えかけているようだ。

『私の身体の中には異形いぎょうの生き物がいます。おそらく地球上の生命体ではありません。……コイツは私の身体と、心をおかし始めています』

 ミドリはおもむろに白シャツをまくり上げ、腹を見せた。左の脇腹全体をおおうように紫色の奇妙なコブができており、それはウネウネと動いている。まるで寄生虫だ。

『今からコイツを引きがします。私は外で彷徨うろついているのと同じ、ゾンビになってしまうでしょう。コイツの出す何かが、私を人間でいさせてくれた。でも、もうすぐ私はコイツに乗っ取られる。私は私のままで死にたいんです』

 刃渡りの短いナイフを取り出すと、ミドリは躊躇ためらうことなく脇腹を突き刺した。甲高い悲鳴が再生される。彼女は表情を崩していないから異形の生命体の悲鳴であろう。

『クッ……、ハァ、ハァ……。世界が……崩壊した時、少なくとも5つの事象が発生していたはず。ひとつは電子機器の故障。一つはゾンビウイルスの頒布はんぷ。一つは異常気象。一つは各国の軍の暴走。もう一つは……、宇宙からの侵略です』

 ずるっと音を立てて腹から生命体を取り出し、持ち上げかかげる。

『この異形の生き物が日本のゾンビウイルスを世界中にばら撒いたと考えます。私たちの選択肢はゾンビになるか、コイツらを身体にむかれるかのふたつしかありませんでした。……ゥ……あとは……、ゾンビウイルスに耐性のある人がいるなら……ァ……アアッ!!』

 ミドリの腹から鮮血が噴き出した。慌ててシャツを降ろすが血を止められるはずもなく、シャツも細身パンツも真っ赤に染まっていく。

『ハァ………、カガミ先生……ィ……あなたの研究は間違ってた。こんなもの……すぐにころ、こ、ころしとけば……よかったんだ……』

 生命体を床に投げ捨てると、それは紫色のあわを放出して溶けていった。

『世界が壊れたせき……にん、とってください。コイツらをう、宇宙に……かえして……にど……と……ゥ』

 ガクンとこうべを垂れ、しばらく無音が続く。
 リキが小さな声でミチオにたずねる。

「終わったのか?」
「いや、終わってない。まだあと30秒……動いた」

 ミドリがゆっくりと立ち上がり、フラフラとカメラに歩み寄る。

『あーあ。こんなことなら貯金なんかしないで……ゥ……、もっと遊んどけば良かった!』

 録画を停止しようとする彼女の顔が映る。ミチオは震え声を上げる。

「泣いてる……。わ、笑いながら、泣いてるぞ」

 その言葉に、リキの背中がびくんと動いた。そして、小刻みに揺れる。
 ヨシハルはベンチの上に横たわるかつてミドリだったものを眺めながらつぶやく。

「宇宙からの侵略って、どういうことだろう。ゾンビ以外にも敵がいるってことかな。リキがショッピングセンターで見たヤツみたいな?」

 ノートパソコンを閉じて、ミチオはリキの隣に座る。

「ほら。これはお前が持っておけ。どうするかは任せるよ」

 リキの腕に無理矢理パソコンをねじ込むと、背中をパンパンと叩く。それで我に返ったリキが鼻をすすりながら勢い良く立ち上がった。

「俺、このカガミって奴の所に行くよ。絶対、殴ってやるんだ」

 急ぎ建物を出ようと歩くリキの前に、ミチオが立ちふさがる。

「その名刺の住所まで何キロあると思ってる。新幹線でも2時間かかる所だぞ。どうやって行く気だ」
「歩いてでも行くさ。どうせ時間はアホみたいにあるんだからな」

 ヨシハルは少々嫌な予感がしてきた。この展開は……。

「なら、オイラも行くよ。鍵が挿さったまんまの車だって、どっかにあるだろ」

 やはりこのふたりは馬鹿だ。さっき少し話しただけの人間のためにどうしてこんな……。

「ヨシハルはどうする? ホームセンターに帰るか?」
「……。僕は……」

 ヨシハルは何かを振り払うかの如く頭を左右に振って、大声でやぶれかぶれの宣言をする。

「行くよ! こんなの行くしかないだろうが!!」

 こうして、男3匹の珍道中が始まったのである。
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