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アフターストーリー
(SS)ほまれ:スターティングオーバー
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小さなライブハウスの中、両開きの扉がスタッフによって開かれ、招待客を含む観客たちがぞろぞろと会場へ入り始める。オールスタンディングゆえ早足で前の方に駆け寄り、詰めていく客、壁際に陣取る客、後ろの方で腕組みして待つ客などそれぞれこだわりの位置について、開演時間を心待ちにしている。
カメラ映像としてディスプレイに映る会場の様子をじぃっと見つめている男、ベース担当のマサトはがっしりした身体つきで彫りの深い顔。いつも眉間に皺を寄せているため、眉と眉の間には一本の深い縦皺が刻まれている。
彼はボーカルの吉田ほまれを見やり、眉間へさらに力を入れて鼻を鳴らし、さして綺麗とは言えない所々ほつれたブラックのシングルソファ上で体を捻り、彼女の方を向いた。
「いつまでソワソワしてんだよ。スマホからあいつが飛び出してくるわけでもねぇし落ち着け。お前がそんなだと、こっちまで浮足立っちまうじゃねぇか」
「だって、今日は早上がりして来てくれるはずなんだもん。会社出たら連絡……あっ、きた!」
隣で膝ドラムを打っていた赤い髪のショウゴがその動きを止め、ほまれのスマホ画面を覗き込む。童顔でクリッとした目を瞬かせる。
「画面が小さくて見えねー。吉田くん、何て?」
「今、会社出たって。あそこからだと地下鉄で1時間はかかるよ。混んでるからタクシーも厳しいだろうし……あー、着いた頃にはライブほとんど終わってるよぉ」
そう言って困り顔で両手を頬に当て、今にも泣き出しそうになっている。その頭の上に大きな手をポンと乗せ、エレキ担当の濱田が歯を見せて笑った。垂れたドレッドヘアーからは精悍な顔つきがチラ見えする。表情は穏やかだ。
「その顔のまんまで歌わすわけにはいかないなぁ。バイクで迎えに行くよ。ほまれ、吉田さんに駅前のモニュメントんトコで待ってろって伝えといてくれ」
いきおい部屋を出て行く彼を、マサトが大声上げて制しようとする。
「おい濱田! もうライブ始まるぞ!」
「最初の方はお前らだけで作ってた頃の曲だろ。さぁ、戻るまでにせいぜいお客さんあっためといてくれよな!」
そう言い放ち、もう一度白い歯を見せて笑うと、元気よく部屋を飛び出して行ってしまった。あたふたしてショウゴは、ほまれの左袖を両手で掴みグイグイ引っ張る。
「お客さんはコンビニ弁当じゃないってのに、なぁ、どうする? なぁ、なぁ」
「ちょっと、借り物の服が伸びちゃうじゃない引っ張らないで。濱田くんはもう行っちゃったんだから、私たちだけで演るしかないよ。いっつも言われてるでしょ時間厳守って」
マサトがベースのストラップを肩に掛けながら、右足の先でショウゴの靴を小突く。
「おらショウゴ行くぞ。ほまれ、お前エレキ久しぶりだろ。できんのか」
「コードは分かってるし、2年前まで毎日のように弾いてたんだから大丈夫……かな? まぁ、リズム隊の2人がプロなんだから大丈夫! よろしくぅ!」
「冗談めかしく言いやがって。どうせ心臓はバクバクのくせに」
「あっ、バレた? テヘッ」
既に小さなライブ会場は満員だ。3人は会場のざわめきに近付いて行く。マサトは自信たっぷり威風堂々と胸を張って歩き、ほまれは彼の後ろから、その栗色に染めた肩まで伸びるストレートヘアーを揺らしながら、早鐘を打つ胸に手を当てて歩く。久しぶりのライブ用メイクとレンタルしたラメ入りのステージ用ドレスでバッチリの戦闘体制だが、その心情は惨憺たるもの。
その後ろに続く赤いゴワゴワ髪のショウゴは普段着みたいなデザイン白Tシャツと黒色のハーフパンツという軽装で、猫背気味に歩いていく。いつもニコニコしている彼も今はちょっぴり不安気な色を見せていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暗闇を裂いて、複数のスポットライトが3人の姿をはっきり浮かび上がらせると、会場内に大きな歓声と絶え間ない拍手の音が反響する。
ステージ中央の、スタンドマイク前に立ったほまれは、眼前に広がる仄暗い世界をキッと見据えながら、ひとつ小さく頷いた。
『本日は、私たちUnsigned Brightの公演にお集まりいただき、ありがとうございます』
もう一度多数の歓声が発される。しかし、聴衆の一部から起きた密めきともつかぬ声がステージまで届く。濱田がメインを務めていた頃のファンたちと思われる。ほまれは口を引き結びしばらく黙って、声と拍手がまばらになるのを待ち、続ける。
『ギターの濱田は少し遅れて来ます。これからいくつかの曲を、3人で演奏します。……心を込めて』
ほまれはマサトへ、続いてショウゴへ視線を投げた。マサトはひと息吐いたあと唾を飲み込み、ショウゴは口端を上げて微笑むと同時にドラムスティックを真上にかかげ、それぞれ大きく頷いた。
ショウゴのスティックが4回打音を立てる。そしてドラムとベースが低音を奏で始めた。
一曲目。アップテンポで、90年代のポップ・ロックに似たナンバー。
ギターがフェードインする。久しぶりのエレキに戸惑いつつ、ほまれはマイクに口を寄せ、歌い始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ロックナンバーを2曲続けた。
2曲目の最後に、ほまれの弦が歪んだ音を立てて震えた。顔色を湿らす彼女にマサトが近寄り、小さな声で囁く。
「チューニングし直せ。おれがつなぐ」
「マサトが?!」
あまりにも意外な言葉に、ほまれが驚き声を上げた。
「なんだよ。解散してからこっち、どんだけ人前で話してると思ってんだ」
「いや、キャラじゃないなぁって。ねぇショウゴ」
「マサトが自分から……。明日は雹が降るぞ夏なのに」
マサトは眉間にきつく皺を寄せ、小さく息を吐き、ほまれからマイクを奪った。拍手が鳴り終わり静まり返った人波を端から端まで見渡して、しゃがれた声で話し始める。
『えー、ベースのマサトです。おれたちは、ボーカルだった濱田の声が出なくなって、それで、ほまれをボーカルにしたけれど、ほまれ自身がバンド活動を諦めたんで解散しました。おれはみんなが知ってるバンドに入って、……まぁ、有名になりました。多分、ここにもおれ目当てのお客さんがいると思います』
観客から黄色い声援と、拍手が飛ぶ。
『でもそれは、おれじゃない。あのバンドのベーシストっていうだけのピエロなんです。弾けなくなったら、また別の奴が代わりに当たり前みたくベースを弾いて、みんなおれのことなんかすぐに忘れちまう……んじゃないかと思ってます』
彼の卑屈な言葉に対して「そんなことないよ」という声が響いた。その声に引き摺られるようにして、パラパラと声援が響く。
『……急に世界が広がって、他のベーシストの演奏をたくさん見たし、聴きました。みんな凄いんだ。おれなんか井の中の蛙だったって知るのに時間はかからなかった。日本一のベーシストになるなんて大それた事を考えてたの、恥ずかしく思うくらいに散々打ちのめされました。それで……』
マサトは、ほまれの様子を確認する。まだチューニングに手こずっているようだ。
「おい、ショウゴもなんか話せ。だんだん惨めになってきた」
「えっ。無理無理ムリ、人前で喋るの苦手なんだよ。知ってるだろ音楽番組でもほとんど喋らないって」
「お前なんでこの仕事を選んだんだ?」
「それは……、音楽が好きだから!」
ニカッと歯を見せ笑うショウゴに、マサトは今日300回目くらいの溜息を吐く。そしてあきらめ顔で、観客へ向き直った。
『……えー、っと……。あの……。おれは、ほまれのことが好きでした。いや、今でも好きです』
どよめきと、声援と、悲鳴が同時発生する。
うねりのように声が広がって、会場の空気が一変してしまった。
「ちょ、ちょっとマサト?! 何言ってんの!」
危うく調整中のギターを落としそうになったほまれが引き攣った顔をマサトへ向けた。ショウゴも困惑顔に変わっている。
「本当のこと言って何が悪い。ホラホラ、さっさとしねぇと、どんどんおれが壊れてくぜ」
「やめてよぉー、どんな急がせ方してんの」
ふくれっ面のほまれに、マサトは微笑んだ。
その時、ショウゴがイヤモニからの音声に反応した。
「濱田が準備してる。あと時間が押してるって。もう一曲、僕らだけで演らないと」
入り口の扉が僅かに開かれ、見知った顔がそろりと入ってきた。マサトはベースのネックを強く握り締めると、もう一言を付け加えた。
『……今日、おれは、好きな人のためにひとつひとつの音、心を込めて弾きます。いつもと違うおれの音を、聴いてください』
彼は腰を曲げ、頭を深く下げる。観客全体から大きな拍手が湧き起こった。
立ち上がったほまれへマイクを返しながら、しっかり目を見て訊ねる。
「いけるか?」
「うん。時間稼いでくれて、ありがと」
「さっきのは……。いや、何でもねぇ」
ほまれは彼に対し微笑み、続いて入り口付近に現れた夫の顔を見つめる。暗闇の向こうでよく見えないが、きっと微笑んでこちらを見てくれている。そんな気がした。
『今からバラードを演奏します。みんなが大事にしてる人、愛してる人を思い浮かべながら、……もしその人が隣にいるなら、手を握って聴いてください。Days』
【Days】 ◇ ◇ ◇
陽射しの当たらない アスファルトの上
ひとひらの雪が舞い 穏やかに降り積もる
差し出すその手には 温もりが残ってた
新しい季節がほら 窓を開けて呼んでいるよ
僕たちはただぬるい風に
吹かれていただけ 寂しさも悲しさも
強い風に吹き飛ばされてゆく
嵐の日々を経て
影踏み震える 雑踏の中で
怯えながら育ててきた ふたりの希望の光
景色に刻まれた 追憶の傷痕
消しゴムで消せなくても今 少しだけど忘れさせて
悲しみはもう響かない
たとえ空が重く 鈍色に包まれてても
陽の光がふたりを照らす日を
いつまでも待ってるよ
君と一緒に歩いた帰り道の公園
泣き出しそうになる
傷ついた羽根をもう一度広げて
夜の闇の向こう飛んで行く
僕たちは ただ ただ
僕たちはただ同じ風に
吹かれていたいだけ 何もかも脱ぎ捨てて
手を繋いで駆け抜けていくよ
アダムとイヴのように
嵐のような日々
◇ ◇ ◇ 【Days】
ほまれが最後の音を響かせた。
観客の拍手が鳴り止むのを待って、ステージに濱田が現れる。
大きな声援が起きる。
「なんか面白いこと言ってたな。マサトお前、また平助さんに怒られるぞ」
「いいんだよ。本音ぶちまけてスッキリだ」
「ほまれ、僕にもマイク」
ほまれは首を傾げながら、ショウゴにマイクを手渡した。
『僕は今日、妹のために演奏します! 千登世ぇ、聴いてるかー?!』
「聴いてるよ! 恥ずかしいからそういうのやめて!」
千登世のものと思われる大声を受けて、笑いが起きる。
ほまれは、ショウゴから取り戻したマイクをスタンドにはめ、目を瞑った。
一転静まり返った人波に向かい、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
『……今から演奏する10曲は、全部この日のために新しく作りました。今の私たちの気持ちとか、伝えたいことがいっぱい詰まってます。一度解散してそれぞれ違う道に進んだからこそ、それぞれ新しい環境で、新しい景色を見て、新しい音にめぐり逢えました。みんなで歌詞を考えました。どんな言葉なら届くだろう、どんな言葉ならみんなの心に響くだろう、この音はどんな気持ちで弾けばいいんだろう。この歌は、物語は、主人公たちはどこへ向かうんだろう……』
頭の中に出来立ての歌詞が溢れ、ほまれの瞳は小さな水滴を生み出す。それは頬を流れ伝い、ステージの床に落ちてはじけた。
『正直、出来立てホヤホヤの未完成な曲ばかりです。コードは練られてないし、アレンジも中途半端。いつの時代のアマチュアバンドだよってイライラしちゃうかも。みんなそれぞれの仕事をしながらで、っていうのは言い訳だね。でも……』
彼女は目に力を入れて、しっかりと眼前の暗闇を見つめる。そこには自分たちの新しい曲を真剣に聴いてくれる人たちがいる。放つ想いをしっかり受け止めてくれる人たちがいる。
『……でも、これから育てていきたい。輝かせていきたい。私たち4人だけじゃなくて、今ここにいるみんな、聴いてくれるみんなと一緒に。辛かったり寂しい時に支えてくれるような、心の隙間を埋めてくれるような、そんな優しい曲にしていきたい。嬉しい事があったときついつい口ずさんでしまうような、幸せいっぱいの曲にしていきたい。なにかに絶望して暗い闇の中を彷徨っているなら、そこに光を射すような、寄り添って歩けるような、そんな心強い曲にしていきたい。そう思っています』
ほまれは両手を大きく広げる。スポットライトを浴びる彼女は、満面の笑顔で言い放つ。
『ただいま! 私たち4人が、Unsigned Brightです!』
<ほまれ スターティングオーバー:終>
カメラ映像としてディスプレイに映る会場の様子をじぃっと見つめている男、ベース担当のマサトはがっしりした身体つきで彫りの深い顔。いつも眉間に皺を寄せているため、眉と眉の間には一本の深い縦皺が刻まれている。
彼はボーカルの吉田ほまれを見やり、眉間へさらに力を入れて鼻を鳴らし、さして綺麗とは言えない所々ほつれたブラックのシングルソファ上で体を捻り、彼女の方を向いた。
「いつまでソワソワしてんだよ。スマホからあいつが飛び出してくるわけでもねぇし落ち着け。お前がそんなだと、こっちまで浮足立っちまうじゃねぇか」
「だって、今日は早上がりして来てくれるはずなんだもん。会社出たら連絡……あっ、きた!」
隣で膝ドラムを打っていた赤い髪のショウゴがその動きを止め、ほまれのスマホ画面を覗き込む。童顔でクリッとした目を瞬かせる。
「画面が小さくて見えねー。吉田くん、何て?」
「今、会社出たって。あそこからだと地下鉄で1時間はかかるよ。混んでるからタクシーも厳しいだろうし……あー、着いた頃にはライブほとんど終わってるよぉ」
そう言って困り顔で両手を頬に当て、今にも泣き出しそうになっている。その頭の上に大きな手をポンと乗せ、エレキ担当の濱田が歯を見せて笑った。垂れたドレッドヘアーからは精悍な顔つきがチラ見えする。表情は穏やかだ。
「その顔のまんまで歌わすわけにはいかないなぁ。バイクで迎えに行くよ。ほまれ、吉田さんに駅前のモニュメントんトコで待ってろって伝えといてくれ」
いきおい部屋を出て行く彼を、マサトが大声上げて制しようとする。
「おい濱田! もうライブ始まるぞ!」
「最初の方はお前らだけで作ってた頃の曲だろ。さぁ、戻るまでにせいぜいお客さんあっためといてくれよな!」
そう言い放ち、もう一度白い歯を見せて笑うと、元気よく部屋を飛び出して行ってしまった。あたふたしてショウゴは、ほまれの左袖を両手で掴みグイグイ引っ張る。
「お客さんはコンビニ弁当じゃないってのに、なぁ、どうする? なぁ、なぁ」
「ちょっと、借り物の服が伸びちゃうじゃない引っ張らないで。濱田くんはもう行っちゃったんだから、私たちだけで演るしかないよ。いっつも言われてるでしょ時間厳守って」
マサトがベースのストラップを肩に掛けながら、右足の先でショウゴの靴を小突く。
「おらショウゴ行くぞ。ほまれ、お前エレキ久しぶりだろ。できんのか」
「コードは分かってるし、2年前まで毎日のように弾いてたんだから大丈夫……かな? まぁ、リズム隊の2人がプロなんだから大丈夫! よろしくぅ!」
「冗談めかしく言いやがって。どうせ心臓はバクバクのくせに」
「あっ、バレた? テヘッ」
既に小さなライブ会場は満員だ。3人は会場のざわめきに近付いて行く。マサトは自信たっぷり威風堂々と胸を張って歩き、ほまれは彼の後ろから、その栗色に染めた肩まで伸びるストレートヘアーを揺らしながら、早鐘を打つ胸に手を当てて歩く。久しぶりのライブ用メイクとレンタルしたラメ入りのステージ用ドレスでバッチリの戦闘体制だが、その心情は惨憺たるもの。
その後ろに続く赤いゴワゴワ髪のショウゴは普段着みたいなデザイン白Tシャツと黒色のハーフパンツという軽装で、猫背気味に歩いていく。いつもニコニコしている彼も今はちょっぴり不安気な色を見せていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暗闇を裂いて、複数のスポットライトが3人の姿をはっきり浮かび上がらせると、会場内に大きな歓声と絶え間ない拍手の音が反響する。
ステージ中央の、スタンドマイク前に立ったほまれは、眼前に広がる仄暗い世界をキッと見据えながら、ひとつ小さく頷いた。
『本日は、私たちUnsigned Brightの公演にお集まりいただき、ありがとうございます』
もう一度多数の歓声が発される。しかし、聴衆の一部から起きた密めきともつかぬ声がステージまで届く。濱田がメインを務めていた頃のファンたちと思われる。ほまれは口を引き結びしばらく黙って、声と拍手がまばらになるのを待ち、続ける。
『ギターの濱田は少し遅れて来ます。これからいくつかの曲を、3人で演奏します。……心を込めて』
ほまれはマサトへ、続いてショウゴへ視線を投げた。マサトはひと息吐いたあと唾を飲み込み、ショウゴは口端を上げて微笑むと同時にドラムスティックを真上にかかげ、それぞれ大きく頷いた。
ショウゴのスティックが4回打音を立てる。そしてドラムとベースが低音を奏で始めた。
一曲目。アップテンポで、90年代のポップ・ロックに似たナンバー。
ギターがフェードインする。久しぶりのエレキに戸惑いつつ、ほまれはマイクに口を寄せ、歌い始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ロックナンバーを2曲続けた。
2曲目の最後に、ほまれの弦が歪んだ音を立てて震えた。顔色を湿らす彼女にマサトが近寄り、小さな声で囁く。
「チューニングし直せ。おれがつなぐ」
「マサトが?!」
あまりにも意外な言葉に、ほまれが驚き声を上げた。
「なんだよ。解散してからこっち、どんだけ人前で話してると思ってんだ」
「いや、キャラじゃないなぁって。ねぇショウゴ」
「マサトが自分から……。明日は雹が降るぞ夏なのに」
マサトは眉間にきつく皺を寄せ、小さく息を吐き、ほまれからマイクを奪った。拍手が鳴り終わり静まり返った人波を端から端まで見渡して、しゃがれた声で話し始める。
『えー、ベースのマサトです。おれたちは、ボーカルだった濱田の声が出なくなって、それで、ほまれをボーカルにしたけれど、ほまれ自身がバンド活動を諦めたんで解散しました。おれはみんなが知ってるバンドに入って、……まぁ、有名になりました。多分、ここにもおれ目当てのお客さんがいると思います』
観客から黄色い声援と、拍手が飛ぶ。
『でもそれは、おれじゃない。あのバンドのベーシストっていうだけのピエロなんです。弾けなくなったら、また別の奴が代わりに当たり前みたくベースを弾いて、みんなおれのことなんかすぐに忘れちまう……んじゃないかと思ってます』
彼の卑屈な言葉に対して「そんなことないよ」という声が響いた。その声に引き摺られるようにして、パラパラと声援が響く。
『……急に世界が広がって、他のベーシストの演奏をたくさん見たし、聴きました。みんな凄いんだ。おれなんか井の中の蛙だったって知るのに時間はかからなかった。日本一のベーシストになるなんて大それた事を考えてたの、恥ずかしく思うくらいに散々打ちのめされました。それで……』
マサトは、ほまれの様子を確認する。まだチューニングに手こずっているようだ。
「おい、ショウゴもなんか話せ。だんだん惨めになってきた」
「えっ。無理無理ムリ、人前で喋るの苦手なんだよ。知ってるだろ音楽番組でもほとんど喋らないって」
「お前なんでこの仕事を選んだんだ?」
「それは……、音楽が好きだから!」
ニカッと歯を見せ笑うショウゴに、マサトは今日300回目くらいの溜息を吐く。そしてあきらめ顔で、観客へ向き直った。
『……えー、っと……。あの……。おれは、ほまれのことが好きでした。いや、今でも好きです』
どよめきと、声援と、悲鳴が同時発生する。
うねりのように声が広がって、会場の空気が一変してしまった。
「ちょ、ちょっとマサト?! 何言ってんの!」
危うく調整中のギターを落としそうになったほまれが引き攣った顔をマサトへ向けた。ショウゴも困惑顔に変わっている。
「本当のこと言って何が悪い。ホラホラ、さっさとしねぇと、どんどんおれが壊れてくぜ」
「やめてよぉー、どんな急がせ方してんの」
ふくれっ面のほまれに、マサトは微笑んだ。
その時、ショウゴがイヤモニからの音声に反応した。
「濱田が準備してる。あと時間が押してるって。もう一曲、僕らだけで演らないと」
入り口の扉が僅かに開かれ、見知った顔がそろりと入ってきた。マサトはベースのネックを強く握り締めると、もう一言を付け加えた。
『……今日、おれは、好きな人のためにひとつひとつの音、心を込めて弾きます。いつもと違うおれの音を、聴いてください』
彼は腰を曲げ、頭を深く下げる。観客全体から大きな拍手が湧き起こった。
立ち上がったほまれへマイクを返しながら、しっかり目を見て訊ねる。
「いけるか?」
「うん。時間稼いでくれて、ありがと」
「さっきのは……。いや、何でもねぇ」
ほまれは彼に対し微笑み、続いて入り口付近に現れた夫の顔を見つめる。暗闇の向こうでよく見えないが、きっと微笑んでこちらを見てくれている。そんな気がした。
『今からバラードを演奏します。みんなが大事にしてる人、愛してる人を思い浮かべながら、……もしその人が隣にいるなら、手を握って聴いてください。Days』
【Days】 ◇ ◇ ◇
陽射しの当たらない アスファルトの上
ひとひらの雪が舞い 穏やかに降り積もる
差し出すその手には 温もりが残ってた
新しい季節がほら 窓を開けて呼んでいるよ
僕たちはただぬるい風に
吹かれていただけ 寂しさも悲しさも
強い風に吹き飛ばされてゆく
嵐の日々を経て
影踏み震える 雑踏の中で
怯えながら育ててきた ふたりの希望の光
景色に刻まれた 追憶の傷痕
消しゴムで消せなくても今 少しだけど忘れさせて
悲しみはもう響かない
たとえ空が重く 鈍色に包まれてても
陽の光がふたりを照らす日を
いつまでも待ってるよ
君と一緒に歩いた帰り道の公園
泣き出しそうになる
傷ついた羽根をもう一度広げて
夜の闇の向こう飛んで行く
僕たちは ただ ただ
僕たちはただ同じ風に
吹かれていたいだけ 何もかも脱ぎ捨てて
手を繋いで駆け抜けていくよ
アダムとイヴのように
嵐のような日々
◇ ◇ ◇ 【Days】
ほまれが最後の音を響かせた。
観客の拍手が鳴り止むのを待って、ステージに濱田が現れる。
大きな声援が起きる。
「なんか面白いこと言ってたな。マサトお前、また平助さんに怒られるぞ」
「いいんだよ。本音ぶちまけてスッキリだ」
「ほまれ、僕にもマイク」
ほまれは首を傾げながら、ショウゴにマイクを手渡した。
『僕は今日、妹のために演奏します! 千登世ぇ、聴いてるかー?!』
「聴いてるよ! 恥ずかしいからそういうのやめて!」
千登世のものと思われる大声を受けて、笑いが起きる。
ほまれは、ショウゴから取り戻したマイクをスタンドにはめ、目を瞑った。
一転静まり返った人波に向かい、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
『……今から演奏する10曲は、全部この日のために新しく作りました。今の私たちの気持ちとか、伝えたいことがいっぱい詰まってます。一度解散してそれぞれ違う道に進んだからこそ、それぞれ新しい環境で、新しい景色を見て、新しい音にめぐり逢えました。みんなで歌詞を考えました。どんな言葉なら届くだろう、どんな言葉ならみんなの心に響くだろう、この音はどんな気持ちで弾けばいいんだろう。この歌は、物語は、主人公たちはどこへ向かうんだろう……』
頭の中に出来立ての歌詞が溢れ、ほまれの瞳は小さな水滴を生み出す。それは頬を流れ伝い、ステージの床に落ちてはじけた。
『正直、出来立てホヤホヤの未完成な曲ばかりです。コードは練られてないし、アレンジも中途半端。いつの時代のアマチュアバンドだよってイライラしちゃうかも。みんなそれぞれの仕事をしながらで、っていうのは言い訳だね。でも……』
彼女は目に力を入れて、しっかりと眼前の暗闇を見つめる。そこには自分たちの新しい曲を真剣に聴いてくれる人たちがいる。放つ想いをしっかり受け止めてくれる人たちがいる。
『……でも、これから育てていきたい。輝かせていきたい。私たち4人だけじゃなくて、今ここにいるみんな、聴いてくれるみんなと一緒に。辛かったり寂しい時に支えてくれるような、心の隙間を埋めてくれるような、そんな優しい曲にしていきたい。嬉しい事があったときついつい口ずさんでしまうような、幸せいっぱいの曲にしていきたい。なにかに絶望して暗い闇の中を彷徨っているなら、そこに光を射すような、寄り添って歩けるような、そんな心強い曲にしていきたい。そう思っています』
ほまれは両手を大きく広げる。スポットライトを浴びる彼女は、満面の笑顔で言い放つ。
『ただいま! 私たち4人が、Unsigned Brightです!』
<ほまれ スターティングオーバー:終>
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