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(SS)彩:ゆめのかけら
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鼻歌交じりにステップを踏み、軽快に卵をボウルのフチに当てて、ひびを入れ、そのまま片手で卵殻を割り、白身も黄身もボウルの中に入れる。
中身を失った卵殻は、他のボウルにポイっと投げ入れる。
同じ動きを繰り返し、繰り返し。ボウルの中で白身のプールの体積が増し、その中にどんどん黄身が増えて浮かんでいく。
必要な数を入れたら、今度はボウルの中身をミキサーのタンクに入れて、先輩に声をかける。
「卵、終わりました」
「ありがと。もう時間ね。上がっていいよ」
「はい。お先に失礼します」
頭を下げて、更衣室に入る。この後は紗希との約束があるから、素早く着替えて、バイト先のロールケーキ専門店の裏口から出る。
バイトを終えた自分へのご褒美に、歩きながらイヤフォンをつけて、スマホのサブスクアプリでミスチルの「彩り」を再生する。
歌詞が仕事を終えた時の気持ちを労わってくれるのと、題名に私の名前の彩が入っているので、毎日のように聴いている曲だ。
曲を聴きながら足早に歩き、待ち合わせのファミレスに着いた。
「卵を割るのが上手くなっても、お菓子作りは上手くならないのよねぇ。ずっと卵を割るだけよ。他は雑用ばっかり。さすがに飽きるわ」
愚痴る私に、テーブルの向こうの紗希は笑顔で返す。
「でもさ、学校を卒業したらケーキ屋さんで働くんでしょ。あたし、彩のミルフィーユ、好きだよ」
「どうも。こんな気持ちで仕事することになるなら、紗希みたいに全然関係ないスーパーのレジとかにしとけば良かったわ。下手な夢、見ちゃうくらいならね……」
テーブルに肘をついて頬を片手で支えながら、もう片方の手では、抹茶パフェをスプーンでいじくる。楽しい話がしたいけど、最近、良い事が無いんだよね。
「あたしは大学が経営学部だから、全く関係ないとも言えないけどね。売り上げとか、企業理念とかの話はあるし」
「そうなんだ。あ、ゴメン。私、すごく態度悪かったね」
私は姿勢を正す。
紗希は微笑んだままで、ゆっくりと首を横に振る。
「いいの、いいの。誰だって、うまくいかない時はそんなもんよ」
「紗希は、大人だなぁ。同い年なのに、なんでこんなに違うんだろ」
私は製菓学校の1年生。紗希は私立大学の1年生。まだ入学してから5か月しか経ってないのに。大学に行ってたら、私も今頃は、こんなに大人びていたんだろうか。多分、環境の違いじゃないんだろうな。
幼馴染の紗希とダラダラ話をして、夜、家に帰った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お風呂から出て、肩まで伸びた髪をドライヤーで乾かしてパジャマを着る。キッチンの冷蔵庫からオレンジジュースを取り出していると、珍しくリビングでお父さんがビールを飲んでいた。
「お母さん。明日平日なのに、お父さんがビール飲むの珍しいね。金曜日くらいしか飲まないと思ってた」
「贔屓のチームがすごい勝ち方したみたい。こりゃビールだ、って言いながら冷蔵庫を開けてたわ」
「ふーん……」
立ったままオレンジジュースの入ったコップに口をつけて、私はテレビを観る。野球のルールはよく分からないから、お父さんに聞く。
「何があったの? これ、すごいの?」
「ほら見て。このランナー、キャッチャーの前で飛んだんだ。逆さまになりながら、ギリギリ指でベースをタッチしてる。完全にアウトのタイミングだったのに、とんでもないプレイだよ」
お父さんのこんな笑顔、久しぶりに見た。聞いてもやっぱりよく分からなかったけど、いっつも難しい顔してる人を笑顔にできるほど、すごいことだったんだな。
「……人を笑顔にできる仕事かぁ」
私は自分の部屋に戻って、小学校の頃に授業で描いた「将来の夢」の絵を、画用紙を広げて眺める。
自分のケーキ屋さんから、ケーキを買ったお客さんが笑顔で帰っていくところが描かれている。そうだ、私の夢は、人を笑顔にできるようなケーキを作ること。お客さんを笑顔にできるケーキ屋さんを作ること。
歯を磨いて、ベッドに横になる。
明日は、学校に行って座学だ。その後はバイトに行って、また卵を割りまくるのだ。
タブレットでコールドプレイのアルバムを聴いていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
……彩、起きなさい。
「ん? 誰の声? お母さんじゃない……お爺さんみたいな」
目を開けると、ベッドの横に白髪で、長い白い髭の、青い甚平を着たお爺さんが座っていた。私の実のお爺ちゃんは二人とも存命だけれど、お爺ちゃんたちとも違う。
「物盗りですか?」
……物盗りなら、わざわざ起こさんじゃろ。ワシはお前に大事なことを伝えにきたのじゃ。遥か彼方の宇宙の外側からな。
「大事なこと……。もしかして、私は隕石から地球を守るために犠牲になるんですか?」
……その可能性が全くないとは言い切れんが、そうではない。もう少し普通の話だ。お前はいつも卵の殻を割っているが、実は自分も卵の殻の中にいるということに気づいておらん。そして、その殻は、自分でしか割れん。誰かが割ってくれるのを待っていたら、このまま夢を叶えられずに人生を終えることになる。
「卵の殻……。どうやって割ればいいんですか?」
……それは自分で考えなさい。だが、一つだけヒントをやろう。お前は卵を割る時、まず何をしている? それを、自分にもしてみることじゃ。
そこで目が覚めた。
もちろん、部屋の中にお爺さんの姿はなかった。
座学を終えて、学校を出てバイト先に向かいながら、今朝方見た夢の内容を反芻する。
卵を割る時に、私が最初にすること……。
バイト先のロールケーキ専門店の裏口から入り、更衣室で着替えていると、先輩が休憩のために部屋に入ってきた。
「お疲れ様です」
「お疲れー。今日も忙しいわ。この間、テレビで紹介されてからお客さんが一気に増えたからね。ゴメンね。卵を割るのばっかりやらせちゃって。ホントなら今頃、もっと色んなことをやってもらってるはずだったんだけど」
私は、脱いだ服をぎゅっと掴む。
そうか、自分で殻を割るって、そういうことか。
「あの! 生地作りとかも手伝いたいです。終業後でもいいから、教えてもらえませんか? 給料なら要らないです!」
先輩が、座ったまま腕を組んで考え、私に向いて答える。
「終業後は無理だけど、朝早くなら教えられると思う。朝5時からだけど来られる? それで良いならオーナーに頼んでみるよ。ちなみに給料は、出さないとお店が怒られちゃうから」
「是非、お願いします。私、頑張ります!」
私は頭を深々と下げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「朝は4時起きで、お店に行って、それから学校に行って、またお店に行って……」
「いきなり多忙になったのね。でも、それでロールケーキの作り方、教えてもらえてるならいいじゃない」
バイト先が臨時休業で、久しぶりの何もない休日に、私はいつものファミレスで紗希と会っていた。
メッセージアプリで近況報告はしていたけど、実際に会って、最初に言われたのが「少し痩せたね」という言葉だった。確かに、早寝早起きのせいか、ロールケーキ作りが思ったよりも忙しいせいか、体重は減っていた。
「でもね、毎日がすごく楽しいの。ちょっとずつだけど、発見があって、授業で覚えたことも役に立ったりして。色んなことが、私の夢に向かって集まってきてる感じで、これが充実ってヤツなのかな」
聴いている紗希が、笑顔になる。
「良かった。じゃあ、あたしの夢も一歩前進ね」
「紗希の夢? なんだっけ?」
テーブルの向かい側から、紗希が身を乗り出す。
片手を頰に当てて、言葉を紡ぎ出す。
「彩と一緒に、ケーキ屋さんを経営するって夢」
<彩 ゆめのかけら:終>
中身を失った卵殻は、他のボウルにポイっと投げ入れる。
同じ動きを繰り返し、繰り返し。ボウルの中で白身のプールの体積が増し、その中にどんどん黄身が増えて浮かんでいく。
必要な数を入れたら、今度はボウルの中身をミキサーのタンクに入れて、先輩に声をかける。
「卵、終わりました」
「ありがと。もう時間ね。上がっていいよ」
「はい。お先に失礼します」
頭を下げて、更衣室に入る。この後は紗希との約束があるから、素早く着替えて、バイト先のロールケーキ専門店の裏口から出る。
バイトを終えた自分へのご褒美に、歩きながらイヤフォンをつけて、スマホのサブスクアプリでミスチルの「彩り」を再生する。
歌詞が仕事を終えた時の気持ちを労わってくれるのと、題名に私の名前の彩が入っているので、毎日のように聴いている曲だ。
曲を聴きながら足早に歩き、待ち合わせのファミレスに着いた。
「卵を割るのが上手くなっても、お菓子作りは上手くならないのよねぇ。ずっと卵を割るだけよ。他は雑用ばっかり。さすがに飽きるわ」
愚痴る私に、テーブルの向こうの紗希は笑顔で返す。
「でもさ、学校を卒業したらケーキ屋さんで働くんでしょ。あたし、彩のミルフィーユ、好きだよ」
「どうも。こんな気持ちで仕事することになるなら、紗希みたいに全然関係ないスーパーのレジとかにしとけば良かったわ。下手な夢、見ちゃうくらいならね……」
テーブルに肘をついて頬を片手で支えながら、もう片方の手では、抹茶パフェをスプーンでいじくる。楽しい話がしたいけど、最近、良い事が無いんだよね。
「あたしは大学が経営学部だから、全く関係ないとも言えないけどね。売り上げとか、企業理念とかの話はあるし」
「そうなんだ。あ、ゴメン。私、すごく態度悪かったね」
私は姿勢を正す。
紗希は微笑んだままで、ゆっくりと首を横に振る。
「いいの、いいの。誰だって、うまくいかない時はそんなもんよ」
「紗希は、大人だなぁ。同い年なのに、なんでこんなに違うんだろ」
私は製菓学校の1年生。紗希は私立大学の1年生。まだ入学してから5か月しか経ってないのに。大学に行ってたら、私も今頃は、こんなに大人びていたんだろうか。多分、環境の違いじゃないんだろうな。
幼馴染の紗希とダラダラ話をして、夜、家に帰った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お風呂から出て、肩まで伸びた髪をドライヤーで乾かしてパジャマを着る。キッチンの冷蔵庫からオレンジジュースを取り出していると、珍しくリビングでお父さんがビールを飲んでいた。
「お母さん。明日平日なのに、お父さんがビール飲むの珍しいね。金曜日くらいしか飲まないと思ってた」
「贔屓のチームがすごい勝ち方したみたい。こりゃビールだ、って言いながら冷蔵庫を開けてたわ」
「ふーん……」
立ったままオレンジジュースの入ったコップに口をつけて、私はテレビを観る。野球のルールはよく分からないから、お父さんに聞く。
「何があったの? これ、すごいの?」
「ほら見て。このランナー、キャッチャーの前で飛んだんだ。逆さまになりながら、ギリギリ指でベースをタッチしてる。完全にアウトのタイミングだったのに、とんでもないプレイだよ」
お父さんのこんな笑顔、久しぶりに見た。聞いてもやっぱりよく分からなかったけど、いっつも難しい顔してる人を笑顔にできるほど、すごいことだったんだな。
「……人を笑顔にできる仕事かぁ」
私は自分の部屋に戻って、小学校の頃に授業で描いた「将来の夢」の絵を、画用紙を広げて眺める。
自分のケーキ屋さんから、ケーキを買ったお客さんが笑顔で帰っていくところが描かれている。そうだ、私の夢は、人を笑顔にできるようなケーキを作ること。お客さんを笑顔にできるケーキ屋さんを作ること。
歯を磨いて、ベッドに横になる。
明日は、学校に行って座学だ。その後はバイトに行って、また卵を割りまくるのだ。
タブレットでコールドプレイのアルバムを聴いていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
……彩、起きなさい。
「ん? 誰の声? お母さんじゃない……お爺さんみたいな」
目を開けると、ベッドの横に白髪で、長い白い髭の、青い甚平を着たお爺さんが座っていた。私の実のお爺ちゃんは二人とも存命だけれど、お爺ちゃんたちとも違う。
「物盗りですか?」
……物盗りなら、わざわざ起こさんじゃろ。ワシはお前に大事なことを伝えにきたのじゃ。遥か彼方の宇宙の外側からな。
「大事なこと……。もしかして、私は隕石から地球を守るために犠牲になるんですか?」
……その可能性が全くないとは言い切れんが、そうではない。もう少し普通の話だ。お前はいつも卵の殻を割っているが、実は自分も卵の殻の中にいるということに気づいておらん。そして、その殻は、自分でしか割れん。誰かが割ってくれるのを待っていたら、このまま夢を叶えられずに人生を終えることになる。
「卵の殻……。どうやって割ればいいんですか?」
……それは自分で考えなさい。だが、一つだけヒントをやろう。お前は卵を割る時、まず何をしている? それを、自分にもしてみることじゃ。
そこで目が覚めた。
もちろん、部屋の中にお爺さんの姿はなかった。
座学を終えて、学校を出てバイト先に向かいながら、今朝方見た夢の内容を反芻する。
卵を割る時に、私が最初にすること……。
バイト先のロールケーキ専門店の裏口から入り、更衣室で着替えていると、先輩が休憩のために部屋に入ってきた。
「お疲れ様です」
「お疲れー。今日も忙しいわ。この間、テレビで紹介されてからお客さんが一気に増えたからね。ゴメンね。卵を割るのばっかりやらせちゃって。ホントなら今頃、もっと色んなことをやってもらってるはずだったんだけど」
私は、脱いだ服をぎゅっと掴む。
そうか、自分で殻を割るって、そういうことか。
「あの! 生地作りとかも手伝いたいです。終業後でもいいから、教えてもらえませんか? 給料なら要らないです!」
先輩が、座ったまま腕を組んで考え、私に向いて答える。
「終業後は無理だけど、朝早くなら教えられると思う。朝5時からだけど来られる? それで良いならオーナーに頼んでみるよ。ちなみに給料は、出さないとお店が怒られちゃうから」
「是非、お願いします。私、頑張ります!」
私は頭を深々と下げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「朝は4時起きで、お店に行って、それから学校に行って、またお店に行って……」
「いきなり多忙になったのね。でも、それでロールケーキの作り方、教えてもらえてるならいいじゃない」
バイト先が臨時休業で、久しぶりの何もない休日に、私はいつものファミレスで紗希と会っていた。
メッセージアプリで近況報告はしていたけど、実際に会って、最初に言われたのが「少し痩せたね」という言葉だった。確かに、早寝早起きのせいか、ロールケーキ作りが思ったよりも忙しいせいか、体重は減っていた。
「でもね、毎日がすごく楽しいの。ちょっとずつだけど、発見があって、授業で覚えたことも役に立ったりして。色んなことが、私の夢に向かって集まってきてる感じで、これが充実ってヤツなのかな」
聴いている紗希が、笑顔になる。
「良かった。じゃあ、あたしの夢も一歩前進ね」
「紗希の夢? なんだっけ?」
テーブルの向かい側から、紗希が身を乗り出す。
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