上 下
6 / 21

(SS)彩:ゆめのかけら

しおりを挟む
 鼻歌交じりにステップを踏み、軽快に卵をボウルのフチに当てて、ひびを入れ、そのまま片手で卵殻からを割り、白身も黄身もボウルの中に入れる。
 中身を失った卵殻からは、他のボウルにポイっと投げ入れる。

 同じ動きを繰り返し、繰り返し。ボウルの中で白身のプールの体積が増し、その中にどんどん黄身が増えて浮かんでいく。

 必要な数を入れたら、今度はボウルの中身をミキサーのタンクに入れて、先輩に声をかける。

「卵、終わりました」
「ありがと。もう時間ね。上がっていいよ」
「はい。お先に失礼します」

 頭を下げて、更衣室に入る。このあと紗希さきとの約束があるから、素早く着替えて、バイト先のロールケーキ専門店の裏口から出る。

 バイトを終えた自分へのご褒美ほうびに、歩きながらイヤフォンをつけて、スマホのサブスクアプリでミスチルの「彩り」を再生する。
 歌詞が仕事を終えた時の気持ちをいたわってくれるのと、題名に私の名前のあやが入っているので、毎日のように聴いている曲だ。

 曲を聴きながら足早に歩き、待ち合わせのファミレスに着いた。

「卵を割るのが上手くなっても、お菓子作りは上手くならないのよねぇ。ずっと卵を割るだけよ。他は雑用ばっかり。さすがに飽きるわ」

 愚痴ぐちる私に、テーブルの向こうの紗希さきは笑顔で返す。

「でもさ、学校を卒業したらケーキ屋さんで働くんでしょ。あたし、あやのミルフィーユ、好きだよ」
「どうも。こんな気持ちで仕事することになるなら、紗希みたいに全然関係ないスーパーのレジとかにしとけば良かったわ。下手な夢、見ちゃうくらいならね……」

 テーブルに肘をついて頬を片手で支えながら、もう片方の手では、抹茶パフェをスプーンでいじくる。楽しい話がしたいけど、最近、い事が無いんだよね。

「あたしは大学が経営学部だから、全く関係ないとも言えないけどね。売り上げとか、企業理念とかの話はあるし」
「そうなんだ。あ、ゴメン。私、すごく態度悪かったね」

 私は姿勢を正す。
 紗希は微笑んだままで、ゆっくりと首を横に振る。

「いいの、いいの。誰だって、うまくいかない時はそんなもんよ」
「紗希は、大人だなぁ。同い年なのに、なんでこんなに違うんだろ」

 私は製菓学校の1年生。紗希は私立大学の1年生。まだ入学してから5か月しか経ってないのに。大学に行ってたら、私も今頃は、こんなに大人びていたんだろうか。多分、環境の違いじゃないんだろうな。

 幼馴染の紗希とダラダラ話をして、夜、家に帰った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 お風呂から出て、肩まで伸びた髪をドライヤーで乾かしてパジャマを着る。キッチンの冷蔵庫からオレンジジュースを取り出していると、珍しくリビングでお父さんがビールを飲んでいた。

「お母さん。明日平日なのに、お父さんがビール飲むの珍しいね。金曜日くらいしか飲まないと思ってた」
贔屓ひいきのチームがすごい勝ち方したみたい。こりゃビールだ、って言いながら冷蔵庫を開けてたわ」
「ふーん……」

 立ったままオレンジジュースの入ったコップに口をつけて、私はテレビを観る。野球のルールはよく分からないから、お父さんに聞く。

「何があったの? これ、すごいの?」
「ほら見て。このランナー、キャッチャーの前で飛んだんだ。逆さまになりながら、ギリギリ指でベースをタッチしてる。完全にアウトのタイミングだったのに、とんでもないプレイだよ」

 お父さんのこんな笑顔、久しぶりに見た。聞いてもやっぱりよく分からなかったけど、いっつも難しい顔してる人を笑顔にできるほど、すごいことだったんだな。

「……人を笑顔にできる仕事かぁ」

 私は自分の部屋に戻って、小学校の頃に授業でいた「将来の夢」の絵を、画用紙を広げて眺める。
 自分のケーキ屋さんから、ケーキを買ったお客さんが笑顔で帰っていくところがえがかれている。そうだ、私の夢は、人を笑顔にできるようなケーキを作ること。お客さんを笑顔にできるケーキ屋さんを作ること。

 歯を磨いて、ベッドに横になる。
 明日は、学校に行って座学だ。そのあとはバイトに行って、また卵を割りまくるのだ。
 タブレットでコールドプレイのアルバムを聴いていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。

 ……あや、起きなさい。

「ん? 誰の声? お母さんじゃない……おじいさんみたいな」

 目を開けると、ベッドの横に白髪で、長い白いひげの、青い甚平じんべいを着たお爺さんが座っていた。私の実のお爺ちゃんは二人とも存命だけれど、お爺ちゃんたちとも違う。

「物盗りですか?」

 ……物盗りなら、わざわざ起こさんじゃろ。ワシはお前に大事なことを伝えにきたのじゃ。遥か彼方の宇宙の外側からな。

「大事なこと……。もしかして、私は隕石から地球を守るために犠牲になるんですか?」

 ……その可能性が全くないとは言い切れんが、そうではない。もう少し普通の話だ。お前はいつも卵の殻を割っているが、実は自分も卵の殻の中にいるということに気づいておらん。そして、その殻は、自分でしか割れん。誰かが割ってくれるのを待っていたら、このまま夢を叶えられずに人生を終えることになる。

「卵の殻……。どうやって割ればいいんですか?」

 ……それは自分で考えなさい。だが、一つだけヒントをやろう。お前は卵を割る時、まず何をしている? それを、自分にもしてみることじゃ。

 そこで目が覚めた。
 もちろん、部屋の中にお爺さんの姿はなかった。

 座学を終えて、学校を出てバイト先に向かいながら、今朝方けさがた見た夢の内容を反芻はんすうする。

 卵を割る時に、私が最初にすること……。

 バイト先のロールケーキ専門店の裏口から入り、更衣室で着替えていると、先輩が休憩のために部屋に入ってきた。

「お疲れ様です」
「お疲れー。今日も忙しいわ。このあいだ、テレビで紹介されてからお客さんが一気に増えたからね。ゴメンね。卵を割るのばっかりやらせちゃって。ホントなら今頃、もっと色んなことをやってもらってるはずだったんだけど」

 私は、脱いだ服をぎゅっとつかむ。
 そうか、自分で殻を割るって、そういうことか。

「あの! 生地作りとかも手伝いたいです。終業後でもいいから、教えてもらえませんか? 給料なららないです!」

 先輩が、座ったまま腕を組んで考え、私に向いて答える。

「終業後は無理だけど、朝早くなら教えられると思う。朝5時からだけど来られる? それでいならオーナーに頼んでみるよ。ちなみに給料は、出さないとお店が怒られちゃうから」
是非ぜひ、お願いします。私、頑張ります!」

 私は頭を深々と下げた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「朝は4時起きで、お店に行って、それから学校に行って、またお店に行って……」
「いきなり多忙になったのね。でも、それでロールケーキの作り方、教えてもらえてるならいいじゃない」

 バイト先が臨時休業で、久しぶりの何もない休日に、私はいつものファミレスで紗希さきと会っていた。
 メッセージアプリで近況報告はしていたけど、実際に会って、最初に言われたのが「少し痩せたね」という言葉だった。確かに、早寝早起きのせいか、ロールケーキ作りが思ったよりも忙しいせいか、体重は減っていた。

「でもね、毎日がすごく楽しいの。ちょっとずつだけど、発見があって、授業で覚えたことも役に立ったりして。色んなことが、私の夢に向かって集まってきてる感じで、これが充実ってヤツなのかな」

 聴いている紗希が、笑顔になる。

「良かった。じゃあ、あたしの夢も一歩前進ね」
「紗希の夢? なんだっけ?」

 テーブルの向かい側から、紗希が身を乗り出す。
 片手を頰に当てて、言葉を紡ぎ出す。

あやと一緒に、ケーキ屋さんを経営するって夢」

 <彩 ゆめのかけら:終>
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

決戦の朝。

自由言論社
現代文学
こんな小説、だれも読んだことがないし書いたことがない。 これは便秘に苦しむひとりの中年男が朝の日課を果たすまでを克明に描いた魂の記録だ。 こんなの小説じゃない? いや、これこそ小説だ。 名付けて脱糞小説。 刮目せよ!

ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生

花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。 女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感! イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡

孤独な戦い(1)

Phlogiston
BL
おしっこを我慢する遊びに耽る少年のお話。

おむつオナニーやりかた

rtokpr
エッセイ・ノンフィクション
おむつオナニーのやりかたです

処理中です...