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第1章 UnderWater

第3話 スクラッチ

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 バトル・フラクタルの世界のふちで、私のカーソルが進めなくなる。

「ここがX軸のゼロポイントだな」

 さとしのカーソルが両手を前に突き出すと、行き止まりのところで空間が波打つ。

「向こう側の景色は別チームの管轄?」
「あっちは、確か川島チームの世界だったかな」
「別チームの世界には入れないんだっけ」
「別次元みたいな扱いだな。映像としては繋がってるように見えるけど」

 景色の奥に、バグが発生しているのが見える。

「ありゃ、報告したほうが良いんじゃない」
「AIが伝達してくれてるだろ」

 そのまま眺めていると、3つのカーソルが車に乗ってやってきた。

「何あれ!私も乗ってみたい!」
「いや、大体は任意の場所に移動できるんだから、あんなのいらないよ」
「ユーザー用のアイテムかなぁ」

 車から降りたカーソル達が、蜘蛛に擬態したバグをモデファイ・ガンで始末していく。
 智が焦ったような声を上げる。

「早く原因の方を直さないと。あれじゃバグがあふれるぞ」

 連絡するために、智はいったんカーソルを引き揚げた。

 智が予言した通り、あちら側の世界で、新人君のカーソルが蜘蛛に囲まれて潰されてしまった。

 動きの悪かった残りの2体は、おそらく智からの連絡を受けたのだろう。急に原因のひずみの修正作業を優先し始めた。
 蜘蛛の大群からの執拗な攻撃を避けながら、歪を閉じていく。

「もう大丈夫そうだ。俺達も自分の作業をしないと」

 いつの間にか横に智のカーソルが立っていた。

「まさに対岸の火事って感じだけど、そろそろチーム員の補填はないのかなぁ」

 私の声に、智が明るく即答する。

「ないね。何度も申請してるのに、部長で全部止まってるよ」
「なんでちょっと楽しそうなのよ」

 我が上司、泊智とまりさとし率いる泊チームは、元々私も含め4人組でスタートした。
 このソフトの開発に参加して1ヶ月後にひとり、半年でふたり目が、希望により別部署へ異動した。
 どちらも「激務に耐えられず」という理由だった。

 楽しかったのは最初の数日だけ。
 とにかくチェック項目が多く、作業が地味な上に、バグと戦わなきゃならないわけで、常人には辛い。

 だから私も辛い。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 突然の雨音に気付き、洗濯物を取り込んだ。
 3階建の安アパートの最上階で、広いバルコニーは雨ざらしだ。

「おーい、さやか。どこ行った?」

 ディスプレイの中、会議画面に智の顔がアップで映し出されている。
 今にも画面からはみ出して来そうなホラー感。

「はいはい。ここにいますよ、と」

 私は自室のゲーミングチェアに座り直す。

「バトルシステムの仕様変更があるかもって話だっけ」

 智がわざとらしく難しそうな表情を作って口を開く。

「広瀬チームの解散で、他のチームからバトルがキツイと言う声が上がった」

 私は笑いをこらえながら話す。

「それ、野球が8回くらいまで進んでから、こんなルールで勝敗つけるの嫌だって言ってるようなもんじゃない?」
「例えが分かりづらいな」

 腕組みしてもっと上手い例えを考えていると、智が続ける。

「社長はプログラミングを楽しんで欲しくて、あの仕様にしたらしいからなぁ」
「あの変人は、そうだろうね」
「さやかお前、通話ログのチェックされたら終わりだぞ」
「大丈夫よ。この前、面と向かって文句言ったし」

 智が今度は驚きの表情に変わる。
 気持ちを素直に表現できて羨ましい。

「直接言ったって……。先週の出社日か?」
「そうよ。ついでに、バトルで勝ったら賞金でも出したらどうですかって」
「無敵かよ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 先週の出社日、休憩室で自作の弁当を食べていると、私の隣にモリワキ社長が座った。

「古尾谷さやかさん、最近どうですか」

 この若々しい社長とは2年前の入社面接以来、というよりもそれ以前から、まあ色々あった。
 別に仲が悪いとかじゃないけど、お互いに大きな貸しがあって、いつか清算できるタイミングが来るのを待っている状態だ。

「珍しいですね。社長が下民の居場所に来るなんて」
「相変わらず手厳しい。僕だって休憩したいこともありますよ」
「……忙しいです。すごく」

 私は弁当を食べる手を止め、社長のにやけ面をしっかりと見る。

「いい加減、バトルなんていう変な仕様を組み込んだことは失敗だって、認めたらどうですか」
「あんなに面白いのが失敗、ですか」
「私達の工数を増やすだけのクソシステムが面白いわけない」
「以前もお伝えしましたが」

 社長がひとつ咳払いの後、私から少し目を逸らして続ける。

「ただの使いやすいシステムを作るだけなら、僕達じゃなくてもいいんですよ」
「ってことは、わざと使いにくくしてる認識はあるんですね」
「おや、失言でした」

 軽く笑った後コーヒーを飲み干し、社長はカップを近くのカップ専用ゴミ箱に入れた。
 私は追撃しようと口を開いた。

「だったら……」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 私の話を黙って聞いた後、智が言う。

「お前、社長と深い仲だったりする?」

 顔が怖いぞ。

「変人だってことを知ってるだけ。まあ、エピソードは面倒臭いから教えないけど」
「ふーん。今までそんな話ししなかったじゃないか」

 だから顔が怖いって。

「あ、部長から呼び出された。退出す」

 最後まで聞こえないくらい慌てた様子で、智とのビデオ通話が切られた。

「ナイス部長……!」

 私はひとり、部屋の中でガッツポーズした。

 窓の外の雨が止んで、夕陽の色がカーテンの隙間から差し込む。
 カーテンを開けて外の景色を眺める。
 なぜか社長の妖しいにやけ顔を思い浮かべてしまった。

 私は自分の頬を叩いて、そのイメージを吹き飛ばした。
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