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第3章 いつかの旅
第28話 思惑
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ぐいぐい引っ張られる腕を振り解き、なんでか意外そうな表情の窪田さんへ嘆願する。そう俺はトイレに行きたくてしょうがないのだ。
「まず便所に行かせてください。漏れそうなんです」
「ありゃ、そりはそりは大事件になるとこだったねぇ。どうぞ行きなすって」
やれやれ。窪田さんが進もうとしていた向きの反対側に、トイレはあった。入ってすぐ逃げ道を探してみるも出られそうな窓など無い。諦めて用を足し、しっかり手を洗ったところでハンカチを忘れたことに気付き、これまた諦めてハンドドライヤーの力だけ使い両手を完全に乾かす。
トイレを出ると、窪田さんはスマホに何やら入力していた。クライアントへの報告だろうか。それとも熟女キャバクラの予約でも取っているのか。
「おっ、出て来たね。さァ蕎麦屋へ行こう。ここはボクに奢らせてくれ」
「蕎麦食いながらなら、色々教えてくれるんですか?」
「どうかな。ボクはボクでキミに聞きたいことがあるんだよね。できれば先にそれを解消したいかな」
ハァ。溜息一つ吐いて、俺はバカデカい窓ガラスから外の色を眺める。まだ陽は落ちておらず、昼下がりといった……ってかさっき時間確認してたな。今はまだ14時30分過ぎ、未連絡だけど悠希は仕事中と思われ、ある程度の時間を潰す必要がある。じゃあ窪田さんの聞きたいことってのと俺の疑問も時間と一緒に潰してやろう。
「分かりました。蕎麦屋で話しましょう」
信州蕎麦と銘打たれた看板の下をくぐり、店内へ入る。窪田さんは左手でチョキのポーズをして店の奥ほどにある座敷風のスペースまで歩いていく。靴を脱いで座卓を挟み座布団の上、窪田さんと真正面で対峙する。
「ボクは時々ここで食べるんだ。駅とつながってるから便利だし、それほど高くないのにすごく美味しいんだよ。夜ならお酒も飲んじゃったりしてね、ホラこの日本酒がオススメ……」
「俺は、くるみ蕎麦ってのでいいです。サッサと注文して話をしませんか」
「アラつれない。ちなみにつれないって言葉は万葉集の頃からあって……」
などと関係ない話をペラペラペラペラ。この人の狙いは何なんだ。時間稼ぎなんてする必要ないし、さっき言ってた俺に聞きたいことってのもどこ行っちまったのやら。
「……ということで、早速ボクの質問タイムです」
「はぁ。ところで注文しないんですか」
しまったみたいな顔をして、窪田さんは横を通り過ぎようとしたスタッフへ注文を伝える。実は腹ペコに限りなく近い状態なせいでイライラしてんだよ。一刻も早く注文の品を持ってきてくれないと冷静な受け答えができそうにない。
「よぅしじゃあ、ボクの質問から。いいかなっ?」
俺が軽く頷くと、目の前で彼は口をフニャッと曲げた。笑い顔かしたり顔か分かんないけど嫌な予感でいっぱいだ。俺にダメージを与える言葉を発しようとしてるのでは。
「野月くんさぁ、どうして顧客の金をくすねてたんだい? あんなのすぐにバレるって、バカじゃないんだから分かってたでしょ」
「出来心です。最初に出来心で、貰った現金の一部を懐に入れて帳簿を改竄しました。しばらく経っても何にも言われないから、もしかしてバレてないんじゃないかって思ったんです。そしたらタガが外れて何度もやってしまいました」
「経理はすぐに気付いたんだ。で、ボクに報告が来た。ボクはとある理由でその報告を握り潰した。まさかキミが何度もやらかすとは思わずにね。キミは最終的に会社の奴等だけでなくボクとボクのクライアントの顔に泥を塗った。せっかく紹介予定派遣で入社させて正社員にしてあげたのに、恩を仇で返された気分だよ」
……正社員にしてあげた? クライアントの顔に泥ってのもよく分からない。この人なに言ってんだ。
「そもそも、業務上横領の件はアンタが示談みたいにして片付けたんでしょ。今更どうして蒸し返すんです。何か取引でもしようとしてるんですか」
「取引、なんて胡散臭いことはしないよ。キミに更生の余地があるか見定めなきゃいけなくてサ。もう同じようなことをして人に迷惑かけないと誓えるかい?」
「俺はもうやりません。嘘だってもう……よっぽどのことがなきゃ吐きません。あん時はストレスでおかしくなってたんだ。ちゃんと休養して、気持ち入れ替えて伍香のために頑張るって決めたんだよ」
つい語気を強めてしまった。でも言葉に嘘はない。俺はもっとちゃんとするって決めた。悠希にもそう伝えるつもりなんだ。
「……そっか。それならボクの役目はここまでかな。そういえば実田さんには連絡した? 彼女、今日は早上がりだから夕方の4時には退勤するはずだよ。あの、何てったっけ、ゲームのイベントがある日だから」
「なんで悠希の行動予定まで知ってんすか。マジでアンタ何なんだ。誰だよそのクライアントってのは。あれ? 監視……。俺と、悠希を……。俺が会ったことのないって……」
「バレちゃったかな。キミが今日……」
「お待たせいたしましたぁ。くるみ蕎麦をご注文されたお客様は?」
俺は無言で軽く右手を挙げた。卓にスンゴイ美味そうな蕎麦が……ってそんな場合じゃねぇ。窪田さんの話の続きが気になるぞ。俺の熱い視線に彼は、さっきまでと打って変わって眉を顰め口を横一文字にした真面目な表情へと変貌を遂げた。おろし蕎麦が置かれるのを待って、窪田さんは続ける。
「キミが今日、実田さんとどうなるにせよボクの仕事はここで終わり。でもまだ契約解除されたわけじゃないから、クライアントが誰なのかボクからは言えない。でも今キミの頭の中に浮かんでる人物で間違いないと思う。あ、口には出さないでね。あと、実田さんにも言わないほうがいいよ。絶対に話が拗れるからさ」
「……分かりました。あの、もしかして俺が自分で気付くように仕向けてくれました?」
彼は「さぁ……」とだけ言って少し含み笑いし、箸を持ち上げた。そのあと俺たちは無言で蕎麦を啜った。くるみ蕎麦はやはり美味かった。お互いに無言のまま、それぞれの蕎麦を少し強奪し合いつつ、ゆっくり食事を楽しんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「悠希、仕事場の近くのカフェで待ってるって。行ってきます」
「行ってらっしゃい。でさ、ちょっとお願いがあるんだけど」
陽が傾きかけた駅前で、窪田さんは左側をほんのり橙色に染めながら明らかに笑顔と分かる表情を見せた。
「何ですか。もう無茶なこと言わないでくださいよ」
「無茶だなんて。簡単だよ。これからもさ、知多に遊びに行っていいかな。また一緒に釣りしようよ」
「仕事じゃなくて、俺に会いに来るってことですか。個人的に興味が湧いたとか?」
「うん。キミと友達でいたいと思って。ダメかな?」
いったん視線を切って考える。この人はもう、嘘を吐かないはずだ。これが本心ってなら、別に拒否する必要はない。あとは……。
「今日で本当に、請け負ってた仕事は終わりなんですね。これ以上俺たちの状況を誰かに報せることはないんですよね」
「そうだよ。今日の23時59分をもってこの仕事は終わりだ」
「なら、いいですよ。知多に来る時は事前に教えてください」
窪田さんは、わざとらしくガッツポーズの姿勢を取った。何しても怪しいオッサンだなぁ。けど、まぁ嫌いなタイプでもないし、たまに会うくらいならいいだろ。
「やった! っとっとっと。そうだ、最後に聞かせてほしい。今日、キミの勝算は如何ほどなんだい。正直に言って欲しいな」
「それは、クライアントに報告するためですか」
「うん。そうだよ」
「……そうですねぇ。多分、うーん……。3割くらいの確率で失敗すると思います。例えば悠希が欲しいはずの言葉を、俺が勘違いしてたら終わるんじゃないかって。なんせ俺、こういうのメッチャ苦手ですから」
「それでも7割成功すると思ってるのは、彼女がキミのことを愛してるって信じてるんだね」
「はい。俺、今でも愛されてると思ってます」
そうか、と小さく呟いて、彼は右の拳を差し出してきた。なんか急に男としての友情ゴッコを始めたみたいだ。仕方なく俺は左手を握り、窪田さんの右手にコツンと当ててやった。
「頑張れ。ボクはキミの味方だよ」
「……えっと、ま、一応は言葉そのまま受け取っときますよ」
だんだん面倒くさくなってきたので、そのまま後ろを向いて俺は歩き出す。多分ジッと見られてるだろうから軽く左手を振っておいた。良い時間潰しになったというか、もう悠希んトコへ向かうにあたっての緊張感を失っていた。さっきまでワケの分からない会話をしてたからそれどころじゃなかった。まさかこれも窪田さんの思惑通りなんてこと、ないよな……。
駅前の道路を挟んで反対側の通りには客引きが目立つ。邪魔くさと思いつつ視線が合わぬよう無駄にビルを見回したりなんかして。そうしながら俺は、どんな顔してどんな言葉で話すべきかを考えていた。考えれば考えるだけ泥沼の中、ズブズブ足は重くなる。さっきまで空っぽだった俺の気持ちの中に、ネガティブな未来のイメージが雫のように垂れ落ちてくる。
この街に広がり始めた夕闇は、ひたひたと俺の奥底をも侵食しようとしているらしい。うんざりして見上げればカラスの大群。ビル上の看板に整列してみたり空を乱れ飛んでみたりとせわしない。帰宅する足もみな早く、何をそんなに急いでいるのだろうと思う。ああ、俺も前はこんなだったのかな。いつもと同じ風景の中、いつもと同じ時間にいつもの寝床へ帰るんだから、何はなくとも自然と歩幅が広がっていくのだろう。
線路下の長く続くトンネルを抜けて、あいつが待っているはずのカフェを目指す。どんな顔して待ってんだろう。どんな言葉を期待して、どんな結末を想像して待ってんだろう。どんな、どんな、どんな………。
そのカフェには外と内を隔てる大きなガラス窓があり、窓際の2人掛けテーブルに悠希は座っていた。俺に気付いて、少しだけ頬の力を弱め、軽く手を振ってくる。もちろん俺はここで「待ったぁ~?」なんて言う性質じゃない。無駄に難しい顔して入口へ向かい、自動ドアを開ける。
俺と同じく複雑な表情の悠希に近付いて、極めて慎重に第一声を発する。
「ま、待たせ……」
「待ってないよ。私もさっき来たばっか」
「あ、そう、ですか」
……なんかダメそうな気がしてきた。
「まず便所に行かせてください。漏れそうなんです」
「ありゃ、そりはそりは大事件になるとこだったねぇ。どうぞ行きなすって」
やれやれ。窪田さんが進もうとしていた向きの反対側に、トイレはあった。入ってすぐ逃げ道を探してみるも出られそうな窓など無い。諦めて用を足し、しっかり手を洗ったところでハンカチを忘れたことに気付き、これまた諦めてハンドドライヤーの力だけ使い両手を完全に乾かす。
トイレを出ると、窪田さんはスマホに何やら入力していた。クライアントへの報告だろうか。それとも熟女キャバクラの予約でも取っているのか。
「おっ、出て来たね。さァ蕎麦屋へ行こう。ここはボクに奢らせてくれ」
「蕎麦食いながらなら、色々教えてくれるんですか?」
「どうかな。ボクはボクでキミに聞きたいことがあるんだよね。できれば先にそれを解消したいかな」
ハァ。溜息一つ吐いて、俺はバカデカい窓ガラスから外の色を眺める。まだ陽は落ちておらず、昼下がりといった……ってかさっき時間確認してたな。今はまだ14時30分過ぎ、未連絡だけど悠希は仕事中と思われ、ある程度の時間を潰す必要がある。じゃあ窪田さんの聞きたいことってのと俺の疑問も時間と一緒に潰してやろう。
「分かりました。蕎麦屋で話しましょう」
信州蕎麦と銘打たれた看板の下をくぐり、店内へ入る。窪田さんは左手でチョキのポーズをして店の奥ほどにある座敷風のスペースまで歩いていく。靴を脱いで座卓を挟み座布団の上、窪田さんと真正面で対峙する。
「ボクは時々ここで食べるんだ。駅とつながってるから便利だし、それほど高くないのにすごく美味しいんだよ。夜ならお酒も飲んじゃったりしてね、ホラこの日本酒がオススメ……」
「俺は、くるみ蕎麦ってのでいいです。サッサと注文して話をしませんか」
「アラつれない。ちなみにつれないって言葉は万葉集の頃からあって……」
などと関係ない話をペラペラペラペラ。この人の狙いは何なんだ。時間稼ぎなんてする必要ないし、さっき言ってた俺に聞きたいことってのもどこ行っちまったのやら。
「……ということで、早速ボクの質問タイムです」
「はぁ。ところで注文しないんですか」
しまったみたいな顔をして、窪田さんは横を通り過ぎようとしたスタッフへ注文を伝える。実は腹ペコに限りなく近い状態なせいでイライラしてんだよ。一刻も早く注文の品を持ってきてくれないと冷静な受け答えができそうにない。
「よぅしじゃあ、ボクの質問から。いいかなっ?」
俺が軽く頷くと、目の前で彼は口をフニャッと曲げた。笑い顔かしたり顔か分かんないけど嫌な予感でいっぱいだ。俺にダメージを与える言葉を発しようとしてるのでは。
「野月くんさぁ、どうして顧客の金をくすねてたんだい? あんなのすぐにバレるって、バカじゃないんだから分かってたでしょ」
「出来心です。最初に出来心で、貰った現金の一部を懐に入れて帳簿を改竄しました。しばらく経っても何にも言われないから、もしかしてバレてないんじゃないかって思ったんです。そしたらタガが外れて何度もやってしまいました」
「経理はすぐに気付いたんだ。で、ボクに報告が来た。ボクはとある理由でその報告を握り潰した。まさかキミが何度もやらかすとは思わずにね。キミは最終的に会社の奴等だけでなくボクとボクのクライアントの顔に泥を塗った。せっかく紹介予定派遣で入社させて正社員にしてあげたのに、恩を仇で返された気分だよ」
……正社員にしてあげた? クライアントの顔に泥ってのもよく分からない。この人なに言ってんだ。
「そもそも、業務上横領の件はアンタが示談みたいにして片付けたんでしょ。今更どうして蒸し返すんです。何か取引でもしようとしてるんですか」
「取引、なんて胡散臭いことはしないよ。キミに更生の余地があるか見定めなきゃいけなくてサ。もう同じようなことをして人に迷惑かけないと誓えるかい?」
「俺はもうやりません。嘘だってもう……よっぽどのことがなきゃ吐きません。あん時はストレスでおかしくなってたんだ。ちゃんと休養して、気持ち入れ替えて伍香のために頑張るって決めたんだよ」
つい語気を強めてしまった。でも言葉に嘘はない。俺はもっとちゃんとするって決めた。悠希にもそう伝えるつもりなんだ。
「……そっか。それならボクの役目はここまでかな。そういえば実田さんには連絡した? 彼女、今日は早上がりだから夕方の4時には退勤するはずだよ。あの、何てったっけ、ゲームのイベントがある日だから」
「なんで悠希の行動予定まで知ってんすか。マジでアンタ何なんだ。誰だよそのクライアントってのは。あれ? 監視……。俺と、悠希を……。俺が会ったことのないって……」
「バレちゃったかな。キミが今日……」
「お待たせいたしましたぁ。くるみ蕎麦をご注文されたお客様は?」
俺は無言で軽く右手を挙げた。卓にスンゴイ美味そうな蕎麦が……ってそんな場合じゃねぇ。窪田さんの話の続きが気になるぞ。俺の熱い視線に彼は、さっきまでと打って変わって眉を顰め口を横一文字にした真面目な表情へと変貌を遂げた。おろし蕎麦が置かれるのを待って、窪田さんは続ける。
「キミが今日、実田さんとどうなるにせよボクの仕事はここで終わり。でもまだ契約解除されたわけじゃないから、クライアントが誰なのかボクからは言えない。でも今キミの頭の中に浮かんでる人物で間違いないと思う。あ、口には出さないでね。あと、実田さんにも言わないほうがいいよ。絶対に話が拗れるからさ」
「……分かりました。あの、もしかして俺が自分で気付くように仕向けてくれました?」
彼は「さぁ……」とだけ言って少し含み笑いし、箸を持ち上げた。そのあと俺たちは無言で蕎麦を啜った。くるみ蕎麦はやはり美味かった。お互いに無言のまま、それぞれの蕎麦を少し強奪し合いつつ、ゆっくり食事を楽しんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「悠希、仕事場の近くのカフェで待ってるって。行ってきます」
「行ってらっしゃい。でさ、ちょっとお願いがあるんだけど」
陽が傾きかけた駅前で、窪田さんは左側をほんのり橙色に染めながら明らかに笑顔と分かる表情を見せた。
「何ですか。もう無茶なこと言わないでくださいよ」
「無茶だなんて。簡単だよ。これからもさ、知多に遊びに行っていいかな。また一緒に釣りしようよ」
「仕事じゃなくて、俺に会いに来るってことですか。個人的に興味が湧いたとか?」
「うん。キミと友達でいたいと思って。ダメかな?」
いったん視線を切って考える。この人はもう、嘘を吐かないはずだ。これが本心ってなら、別に拒否する必要はない。あとは……。
「今日で本当に、請け負ってた仕事は終わりなんですね。これ以上俺たちの状況を誰かに報せることはないんですよね」
「そうだよ。今日の23時59分をもってこの仕事は終わりだ」
「なら、いいですよ。知多に来る時は事前に教えてください」
窪田さんは、わざとらしくガッツポーズの姿勢を取った。何しても怪しいオッサンだなぁ。けど、まぁ嫌いなタイプでもないし、たまに会うくらいならいいだろ。
「やった! っとっとっと。そうだ、最後に聞かせてほしい。今日、キミの勝算は如何ほどなんだい。正直に言って欲しいな」
「それは、クライアントに報告するためですか」
「うん。そうだよ」
「……そうですねぇ。多分、うーん……。3割くらいの確率で失敗すると思います。例えば悠希が欲しいはずの言葉を、俺が勘違いしてたら終わるんじゃないかって。なんせ俺、こういうのメッチャ苦手ですから」
「それでも7割成功すると思ってるのは、彼女がキミのことを愛してるって信じてるんだね」
「はい。俺、今でも愛されてると思ってます」
そうか、と小さく呟いて、彼は右の拳を差し出してきた。なんか急に男としての友情ゴッコを始めたみたいだ。仕方なく俺は左手を握り、窪田さんの右手にコツンと当ててやった。
「頑張れ。ボクはキミの味方だよ」
「……えっと、ま、一応は言葉そのまま受け取っときますよ」
だんだん面倒くさくなってきたので、そのまま後ろを向いて俺は歩き出す。多分ジッと見られてるだろうから軽く左手を振っておいた。良い時間潰しになったというか、もう悠希んトコへ向かうにあたっての緊張感を失っていた。さっきまでワケの分からない会話をしてたからそれどころじゃなかった。まさかこれも窪田さんの思惑通りなんてこと、ないよな……。
駅前の道路を挟んで反対側の通りには客引きが目立つ。邪魔くさと思いつつ視線が合わぬよう無駄にビルを見回したりなんかして。そうしながら俺は、どんな顔してどんな言葉で話すべきかを考えていた。考えれば考えるだけ泥沼の中、ズブズブ足は重くなる。さっきまで空っぽだった俺の気持ちの中に、ネガティブな未来のイメージが雫のように垂れ落ちてくる。
この街に広がり始めた夕闇は、ひたひたと俺の奥底をも侵食しようとしているらしい。うんざりして見上げればカラスの大群。ビル上の看板に整列してみたり空を乱れ飛んでみたりとせわしない。帰宅する足もみな早く、何をそんなに急いでいるのだろうと思う。ああ、俺も前はこんなだったのかな。いつもと同じ風景の中、いつもと同じ時間にいつもの寝床へ帰るんだから、何はなくとも自然と歩幅が広がっていくのだろう。
線路下の長く続くトンネルを抜けて、あいつが待っているはずのカフェを目指す。どんな顔して待ってんだろう。どんな言葉を期待して、どんな結末を想像して待ってんだろう。どんな、どんな、どんな………。
そのカフェには外と内を隔てる大きなガラス窓があり、窓際の2人掛けテーブルに悠希は座っていた。俺に気付いて、少しだけ頬の力を弱め、軽く手を振ってくる。もちろん俺はここで「待ったぁ~?」なんて言う性質じゃない。無駄に難しい顔して入口へ向かい、自動ドアを開ける。
俺と同じく複雑な表情の悠希に近付いて、極めて慎重に第一声を発する。
「ま、待たせ……」
「待ってないよ。私もさっき来たばっか」
「あ、そう、ですか」
……なんかダメそうな気がしてきた。
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