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第3章 いつかの旅

第23話 親子

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 第一声を何も考えておらず、あぁどうも、なんて口先だけの挨拶をボソッと呟き、俺は四人掛けテーブルに着いた。いち早くメニューとにらめっこして何を注文するか話し合っている伍香いつか美咲みさきさんの相向かいになる。隣の席には半笑いの叶人かなとさん。

「憶えてるならもうたけしさんの紹介は要らないよね。香織かおりさんさぁ、もうすぐ仕事終わりでしょ。どこかで毅さんの話を聞いてあげてくれないかい?」

 香織は叶人さんから俺、そのあと伍香へと視線を移動させていく。仕事用の愛想笑いからは拒否とも歓迎とも判断できかねる。そこに居る香織と大昔の記憶に住む香織を頭の中で重ねているうち、彼女は両手に持ったアルコールスプレーとふきんを胸の前でキュッと合わせ、叶人さんからの提案に反応した。

「車で来たんだっけ。あと30分だから、食べ終わったら駐車場で待ってて」

 そう言い残しさっさと厨房へ戻って行く。その後ろ姿は細身のせいか、なんとなく頼りなげだ。テーブルに意識を戻した時ちょうど、叶人さんと目が合った。

「香織さんはオレと美咲が探偵だってこと知ってるんだよ。最初の調査ん時オレがしくじって、仕方なく全部バラしたのさ。ルイさんからの報酬は減額されるわ美咲にボコボコにされるわ大変だったなー」
「そうなのよコイツ、勝手に娘さんのことまで教えちゃって。まぁおかげで香織さんとはツゥカァの仲になれたんだけどね。終わり良ければすべてヨシの精神は是非とも捨てて欲しいもんだわ」
「美咲さん、あたしコレ」

 伍香と美咲さんが注文を決定後、メニュー表が男性側へ回されてきた。受け取った叶人さんは極めて真剣なまなこでお品書きの一言一句を精読している。

「早く決めなさいよ。次の案件に遅れちゃうでしょうが」
「まぁ待て待て……。おし、これにしよっと。はいよ毅さん」
「俺は、うん、中華そばでいいや。あ、チャーシュー2枚つけたいな」
「え。なら、あたしもチャーシューつけたい」

 ハイ注文決定。香織にそれぞれの希望を伝え、提供を待つこととなった。叶人さんと美咲さんによる比較的トーン低めの罵り合いを聞き流しつつ、俺は香織の働きっぷりをぼんやり眺める。ベテランなのか随分とテキパキした動き。客への声掛けが明るく、店主ともニコやかに話しているところを見ると、想像していたよりも独りの生活を謳歌しているのかも。

「はい、お待ちどおさま。えっと……小皿は要る?」
「ほしいです。ありがとうございます」

 香織から小皿を受け取るとすぐ、伍香は舌なめずりして木箸を指に装着する。そして空腹の限界だったのか、いただきますもせず中華そばの麺をまとめて持ち上げ、一気に小皿へ移してしまうのだった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ごちそうさまでした」

 支払いは、まとめて美咲さんがすると言う。割り勘にしようと提案しかかるも、今現在のお財布状況をふまえ、多分経費で落とすつもりなのだろうと勝手に解釈してお任せすることにした。店を出るといきなり叶人さんが俺の肩に右腕を回しつつ、伍香へ「待テ」のポーズを示す。

「ちょっとパパさんと話すことがあるんで、伍香ちゃんは隅っこ……そっちで待っててくれないかな」
「はい、わかりました」

 聴きわけ良く伍香が駐車場の端へ移動するのをふたりで眺める。支払いを終えて出てきた美咲さんも何かに気付き、こちらへ合流した。何の話をするつもりだろうか。

「オレらはもう行くよ。で、最後にいっこ毅さんにどうしても言っておきたいことがある」
「私も。多分、叶人の言いたいことと同じだと思うけど」
「えっと……、なんか怖いなぁ」

 俺の言葉に、目の前のふたりは一瞬視線を合わせ苦笑した。

「ルイさんからの事前連絡で、毅さんの訪問は予め分かってた。そん時に言われてたのは、オレたちで毅さんが立ち直ったか判断してほしいってことだったんだ」
「立ち直ったって……」
「ごめんなさいね。私たちもルイさんも、毅さんが横領して会社をクビになったこと知ってるの。それでルイさんからの依頼は、毅さんの振る舞いとか言葉で信用できないところがあったら、香織さんの居場所を教えずに追い払ってくれっていうこと。私は叶人にその役目を預けたわ」
「オレの見立てだと、もう毅さんは悪いことしないってね。そうでしょ」
「まぁ、あの時は疲れとかストレスで全部が全部おかしくなってたから、かな。反省してるし、もし伍香と……いや、なんでもない、です」

 叶人さんは絡めていた右腕を俺から離して、今度は真正面から両手を伸ばし肩へ置いてくる。

「伍香ちゃんと、一緒に暮らしてやってほしい。あんなイイ子をもう、悲しませないでやってくれ」
「私からも。伍香ちゃん言ってました。パパは優しいって。優しいから大好きなんだって。長野の恋人さんのこともあるでしょうけど、私も叶人も、あなたと伍香ちゃんのことを知れば知るほど、ふたりは一緒に居るべきなんだって思えてきた。部外者なのは解ってるんだけど、これが私たちの伝えたい気持ちです」

 ひそひそ声でもハッキリと響いてくる。まだ俺は迷ったまま。伍香の気持ちを大事にしたいって思ってるけど、一方で悠希ゆきのことを自分でも意外なほど大切に想っているわけで。加えて、環境が変わることへの恐怖だったり、これまでの自分を否定したくないというエゴイズムに心を乗っ取られていたりもする。

「俺は伍香と……」

 言いかけた時ちょうど、私服の香織が店の裏口を開けて出てきた。

「お待たせ。美咲さんたちも一緒に話をするの?」
「いえ、別の仕事があるので私たちは退散します。行くよ叶人」

 叶人さんは香織に軽く手を振り「またね」と声を掛け、ベコベコの軽バンに乗る。伍香に歩み寄り何やら耳打ちしてから、美咲さんもフロントドアを開けて助手席へ乗り込む。すぐにドアガラスがウィィンと開かれた。美咲さんが窓の外に顔を出し、激しく咳きこむ。ひとしきりいてから、ゆがんだ表情のまま俺たちに向けて左手を振る。

「あ~くっさいわぁ。じゃあ元気でね。伍香ちゃんも、毅さんも香織さんも」

 伍香が俺の横までテテテと走って来て、ブンブン手を振る。そんな大きく振らなくても。

「美咲さんありがとー!」
「オレは? ねぇオレ運転してきたんだけど!」

 運転席でワァワァ言い出した叶人さんの後頭部をはたき、「早よ出せ」と一喝。美咲さんの命令に抗うような舌打ち、そしてもの凄いしかめっ面の叶人さんによる操作で軽バンは駐車場から出て行く。

 すぐ近くの交差点を曲がって小さな車体が消えると、駐車場には久しぶりに会うふたりとチャイルド一匹だけが残った。おそらく俺が来た理由も解ってるんだろうけど、どう切り出すべきか考えているうちに向こうから声が飛んてきた。

「ラ……じゃなくて玲我れいがはタケシくんがここに来てること、知ってるの?」
「いや、知らないはずだ。でも俺が名古屋に出たのは知ってる。そうだよな伍香」
「あたしがパパについてきたのは、レイちゃんが教えてくれたから、です。でもソフトボールの試合があるしそれどころじゃないと思う、ます」

 香織は、伍香のとってつけたような敬語にフッと笑い、口端を上げたまま俺を見た。

「カフェにでも行こうか。チェーン店で良ければ」
「あ、あぁ。話ができればどこでもいいけど」
「パパあたしシェイク飲みたい」
「お前、今日飲み食いのことばっかだな。なんか日頃ひもじい生活させてるみたいじゃねぇか」
「だってぇ。……たのしいから」

 ぷくっと頬を膨らました伍香の肩に手を置き、香織は困り顔で頷いた。

「そうだね。パパと一緒に旅行するの、きっとすごく楽しいよね」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 歩いて5分ほど、全国だいたいどこへ行っても見かける緑の看板の下、自動ドアが開く。3人それぞれの注文を伝え、店員から希望の品を受け取り、外を見渡せる巨大ガラス窓横の四人掛け丸テーブルに着席。俺と香織は向かい合う。その横にちょこんと伍香。

「それじゃあ、まずはタケシくんがここまで来た理由、ちゃんと説明してもらいましょうか」

 香織は右手の指でコーヒーカップの取っ手を摘んでみたりツツっとなぞってみたり。表情こそ穏やかではあるものの、内心の苛立ちを隠しきれていない様子だ。あまり好意的な姿勢でない相手にいきなり本音をぶつけてもどうかと思い、軽くジャブを打ってみる。

「レイ……玲我は、母親の話をしない。祖母のルイさんにも。だけど俺には分かった。あいつは奥深いトコに仕舞い込んでるだけで、本当は母親に会いたがってる。きっと、ずっと寂しがってる。それを誤魔化していつもおちゃらけた態度を取ってるけど、どっか人のいない所で泣いてんじゃないかと思うよ」
「玲我のためにあそこへ戻れってことだよね。無理よ。蒸発した旦那が残した借金の保証人はわたしなの。ほんの少しずつだけど返済し続けてる。そりゃお母さんに肩代わりしてもらえばそれで終わりなんだろうけど、そうすると玲我に渡るはずの遺産が減っちゃう。わたしがいなくても玲我はすくすく育ってるらしいじゃない。ずっと音信不通だった母親と億単位の資産、どっちがあの子にとって役に立つかなんて考えなくても分かるでしょ。ねぇタケシくん、ホントにこんな答え聞くためわざわざここまでやって来たの?」

 ストローでシェイクを吸い上げていた伍香の動きが停まる。右に左にキョロキョロして、まるで逃げ場を探しているようだ。どうやら子供なりにこの現場が只事ではないと感じ取ったんだろう。とりあえず俺は伍香に両手でどぉどぉと、いったん落ち着くよう促した。そして再び香織と向き合う。

「それは手紙を読ませてもらった時に、なんとなく分かってたつもりさ。帰省する前の俺だったら、そんなモンだよなって知らんぷりしてたと思う。だけど、俺も今、自分のこれからについて迷ってるんだ。俺は4年間こいつ……伍香と離れて暮らしてた。妻が突然出て行って、俺も「うつ」になって伍香の面倒を見られなくなった。実家に預けた伍香はすげぇイイ子に育ってくれたし、俺のことなんかもう必要ないんじゃないかって勝手に決めつけてた。でもこいつは、俺のことを必要としてくれた。こんな全部放っぽり出して逃げ回ってるだけの最低クズ野郎のことを、大好きだって言ってくれた。だから思ったんだ。玲我だって本当は香織のことを必要としてるんじゃないかって。会いたくてしょうがないんじゃないかって。1回でいい。会って、話してみてくれないか」
「……タケシくんが勝手に複雑な生き方をしてるだけじゃない? わたしとは事情が違う。あなたは莫大な借金を抱えてないでしょうし、玲我はわたしと話したことも、写真以外でわたしの顔を見たことも無い。あの子はわたしのことを何も知らないの。今更会いに行ったって「何用ですか?」とか言われるのがオチよ。わたしだって人の子なんだから、もしそんな風に言われたら傷付くよ。もうこのままそっとしておいて。余計なことしないでほしい」

 そこまで言って、彼女はコーヒーカップを持ち上げコクリとひと口飲んだ。周りはガヤガヤ騒がしいはずなのに、俺たちのテーブルだけ環境から切り離されたみたいに重く沈んだ空気を纏っている。

「タケシくんの気持ちは嬉しいよ。無駄なこととはいえ、初恋の男性ヒトがわたしにこうして会いに来てくれたんだし、わたしの子供のことすごく大事にしてくれてる。それでも家に戻るなんて有り得ない。わたしの立場なら、あなたも同じようにするはずだわ」
「お金ってそんなにいるんですか?」

 あっけらかんとした表情の伍香から放たれた問いかけで、香織の両手がピクンと一瞬鋭く震えるのを見た。ウチの娘は香織の地雷を踏んだかもしれねぇ。

「要るわよ。子供のうちは分からないだろうし、恵まれた環境にいたらこの先もずっと分からず生きていくことになるかもだけど。お金は、あればあるだけ役に立つの。何かしたい、何か欲しいと思った時に、お金が足りないせいで諦めるって、結構辛いのよ。だから大人はね、働く。嫌々でもお金の為に働く。社会に出たあとは死ぬまでずっと、何をするにもまずお金よ。お金を手に入れるために悪いことしたり、お金を失って死んじゃう人もいるんだから」
「ちょっと待て。こんな子供に小難しいこと言ったって分かるわけねぇだろ」
「パパ、あたしわかるよ。ヒロくんのお使いでお買い物したりするから。でも、そんなにたくさんいるのかなって思っただけ」

 思わず口を出してしまい申し訳なさげに俯いた伍香を、香織はしばらく見つめていた。そしてふっと優しい笑顔を浮かべる。俺が小学生の頃に見ていた、あの笑顔とそっくりだ。

「ごめんなさい、子供相手にムキになっちゃって。えと、イツカ……ちゃんだっけ?」
野月のづき伍香です。小学校5年、趣味はゲームと料理です」
「そこまで聞いてねぇと思うけど」
「あはは。しっかりしてるのね。イツカちゃんはお金より大事なものがあるのかな」

 伍香は顔を上げ、キッと香織に対して目を合わせ、引き結んでいた口を開いた。

「パパです。あたしはパパのことが大好きなんです。今は働いてないし、お金だってそんなに持ってるとは思えないけど、あたしが暗くて怖いところにいたら助けにきてくれました。あたしの大好きなレイちゃんのためにこうして岐阜までくる、そんな優しいパパが、大好きです。あたしはパパと一緒にいたい。ずっと、ずっとずっと一緒にいたいです」
「伍香……」

 香織は黙って、窓の外を見やる。すっかり暗くなった街の中、フロントライトが左右に行き交っている。その光の道筋をしばらくじっと眺め、やがてこちらに向き直ると溜息ひとつ。

「わたし、間違ってたのかなぁ。14年も勘違いして暮らしてたのかな……。お金が一番大事だって、玲我にお金を……、残して、……その……ために……」

 彼女の瞳から生み出されたしずくがテーブルに落ちる。ようやく店内の騒めきが俺たちの空間にまで浸透してきた。彼女が泣き止んだのは、それから30分ほど後のことだった。
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