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第9話 シーソーゲーム!(後編)

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 前回のあらすじ。

 魔王サタン率いる圧倒的な悪魔の軍勢に、劣勢となった大天使ガブリエル率いる天使軍は、一時休戦を提案した。
 サタンは余裕の表情を浮かべ、その提案を受諾した。束の間の平和が訪れたように見えるこの世界。だが天使たちは、いまだにこの劣勢を打開するすべを得られずにいた。

「そんな壮大な話じゃないよな……」

 ベランダで独り、サトルは手すりにもたれて夜空を見上げる。
 さっき、モーガンの同点ホームランの時、ミカに抱きつかれた感触が、まだサトルの頭をモヤモヤさせていた。
 前彼女マエカノとは手を繋ぐところまでで終わったから、女性に抱きつかれたのは、もう何年ぶりだろうか。大学生の時以来、そういうことにご無沙汰だったから、免疫が完全に剥がれ落ちているようだ。

 生ぬるい夜風に当たって、少し頭を冷やしていると、ミカがカラカラと戸を開けた。

「サトルくん、大丈夫? 酔っ払っちゃったの?」
「いえ、ちょっと魔王が……じゃなくて、ホームランが続いて興奮し過ぎたみたいなんで、頭を落ち着かせているんです。もう少ししたら戻りますね」
「うん。また塁が埋まってチャンスだから、早く戻ってきてね」

 くっ……。なんて可愛いんだ。またサタンが力を蓄えてしまった。このまま部屋に戻ったら、天使たちは滅んでしまう。

 覚悟を決めるしかないのか。だが、もし拒否されたらどうする? 良いお隣さんでいたかったはずなのに、変態みたいに扱われることにならないだろうか。ミカの心象を悪くすることはけなければならない。

 サトルは、遂に魔王サタンと大天使ガブリエルを、直接対決させることにした。
 サタンは闇の波動を、ガブリエルは光の槍をぶつけ合う。サトルは、ギガントパンサーズのファンであるという自覚をもって、ガブリエルに強大な力を与える。よく考えろ。今サタンに飲み込まれ欲望のままに、これまでの関係をぶち壊すわけにはいかないのだ!

 ガブリエルの放った大きな光の槍は、サタンを包み込んでいく。そして、耐えきれなくなったサタンは、光に溶けて姿を失った。そして悪魔の軍勢は、蜘蛛の子を散らすように、闇の中へ逃げていったのである。

 サトルはベランダの戸を開けて、部屋の中へ戻った。

「ねえ、ツーアウト満塁! ……でも、代打がちょっとね」

 サトルは試合の状況を確認する。ピッチャーのところで、代打が送られたようだ。だが、ギガントパンサーズの代打は、ほとんど凡退で終わる。そもそも2割すら超えていない打者ばかりだから、誰が出てきてもチャンスな気がしない。

「それでも、前に飛ばせば、エラーでも1点は入るんですよね。大抵、前にすら飛ばないですけど」
「こらこら、ちゃんと応援するの。私たちはファンなんだから」

 サトルは、微笑むミカを見て、首をかしげた。

「そんなに熱心なファンでしたっけ。前は結構、冷めた感じだった気がするんですけど」
「だって、サトルくんと応援するの、楽しいから」

 魔王サタンの復活か。頼む大天使ガブリエル、なんとか今日はサタンを抑え込んでくれ。

「ぼ、僕も、ミカさんと試合観るの、楽しいですよ」
「フフ、なーかーまっ!」

 ミカはサトルの手を握って、ブンブンと上下に振る。
 どうやら彼女は、500mlのビール缶1本で酔いが回っているようだ。

 サトルの左耳に、サタンが耳打ちする。

『今なら、いけるぞ。お前は何のために生きている? 人間は動物だ。本能のままに行動していいんだよ』

 右耳からは、ガブリエルの声が聴こえる。

『ダメです。相手の気持ちを考えなさい。あなたを純粋な仲間として見ているのですよ。裏切ってはいけません』

 その時、サトルの気持ちを弾くかのように、打球が3塁線を抜けていく。

『3塁線を破るツーベースヒット! 走者一掃でギガントパンサーズ、さらに3点を追加! この回一挙6点で逆転に成功しましたぁ!』

 ……おおお、なんか強いチームみたいに見えてきた。こんな面白い試合、悪魔と天使を戦わせてる場合ではなかった。しっかりと応援しなければ。

「これはいけますね! ついに満塁病が治ったみたいです!」

 ギガントパンサーズは、とにかく今シーズン、満塁で点が入らなかった。ミカのおばあさんが言っていた通り、得点圏打率の低さの原因でもある。とにかく満塁なのに、どっちが追い込まれているか分からないくらい、打てなかったのだ。

「ねえミカさ……」

 ミカは、ソファーにもたれたまま寝息をたてていた。
 大判のタオルケットをクローゼットから出し、サトルは彼女にそっと掛ける。寝顔は、少し嬉しそうな表情だ。気持ちの良い夢を見ているのかも知れない。

 サトルは残ったカレーとビールで試合観戦を楽しむ。
 3点差のまま、9回裏、敵チームの攻撃。頼りにならない守護神の登場だ。

「頼むぞー。ランナー出さなきゃ、いいピッチング出来るんだからさぁ」

 ひたすら独り言で応援する。そういえば、勝ちの瞬間くらいはミカを起こしてあげたほういのだろうか。寝起きの機嫌が悪いとかいうことはないだろうか。またサトルは悶々とし始める。

 3点差だから、小細工は仕掛けてこない。最初のバッターは、バットを少し短く持って、ヒットで出塁しようとしている様子だ。二番のバッターから始まっているので、最悪なのは、2人が塁に出た状態で相手の四番まで回ることだ。とにかくそれはけて、確実にアウトを取っていって欲しいものだ。

 速球を上手く弾き返され、センターの前にポトリと落ちる。まずい、守護神が壊れる。
 ランナーに、足の速い代走が出された。
 明らかに動揺しているピッチャーは、2回目の牽制で悪送球。ボールが転がる間に、ランナーは2塁へ到達した。

「何やってんだ……。落ち着いてくれよー」

 そして、バッターへの初球、カーブがすっぽ抜けた。もちろんバッターはそれを見逃さない。おそらく変化球のタイミングで待っていたのだろう、素早く体を回転させてバットの芯にボールを当てる。

 綺麗な放物線を描いた打球は、ギガントパンサーズの応援席へと飛んでいった。

『簡単には終わらせない! ツーランで6対5! まだノーアウトです!』
「言われなくっても分かってるっての。やばいなぁ。投手交代かな」

 だが、ピッチングコーチはマウンドに行くも、どうやら守護神が続投するようだ。

「あれ? 追いつかれそうじゃない」

 ミカが目を覚ました。眠そうな目でディスプレイをにらみ、残念そうな声を出す。

「ほんと、このちゃんとクローズできないクローザー、早く別の人に任せないとね」
「もうすぐ2軍から上がって来る投手が、新守護神になるらしいですよ」
「そうなんだ。まあ、とりあえずこの試合は抑えてもらいたいよね」

 少し酔いが覚めたようで、いつものミカの口調に戻っている。今度は、あまり酔わせないようにしなきゃと思うサトルであった。

 相手の四番の打球が高々と上がる。ライトが、フェンスに軽くぶつかりながらキャッチした。これでワンアウト。

「あぶなーい。この人の投げる球、軽く運ばれるよね。打たれそうでハラハラしちゃう」
「同感です。全体的にコースが高めなんですよね。全然安心して観れないです」

 だが、次のバッターはその高めを引っ掛け、ショートフライに倒れた。これでツーアウト。今日はなんとかなりそうな気がしてきた。

 次のバッターへの初球。豪快なスイングで、ホームラン性の当たりに見えたが、ポールのすぐ脇を通過してファウルとなった。

「あぶなっ。どんだけ軽い球なのよ」
「少し右だったらホームランでしたね。でも、運も必要ですから」

 ふたりが固唾を飲んで見守る中、ピッチャーは振りかぶって、渾身のストレートを投げた。待ってましたとばかりに、思い切り振り抜いたバットにボールが当たる。
 ライナー性の当たりは、センターの横に落ちた。窮屈な姿勢で捕球したセンターを見て、ランナーは1塁を蹴って先をうかがう。
 センターは体をひねり、転がるようになりながらも2塁へ返球する。

 一瞬、躊躇ちゅうちょするような素振りを見せた分、ランナーが2塁に到達するのが遅れ、ヘッドスライディングするものの2塁手前でタッチアウトとなった。

 ディスプレイから大きな歓声が再生される。

「やったねサトルくん! やっぱ一緒に観ると勝てるね!」
「そうですね! もうずっと……」

 サトルは、ハッとして言葉を止める。一体、何を言おうというのだサタン。
 ミカが、目を丸くしてく。

「ずっと……何?」
「えっと、その……」

 サトルの全身から汗が噴き出す。やめてくれサタン。助けてガブリエル。
 だが、ミカは笑顔で、両腕を広げて言う。

「とりあえず、ぎゅってしてみない?」

 サトルは、言われるがままに、ゆっくりとミカに体を預ける。彼女は、サトルの背中に腕を回して、抱きしめてくれた。

「今日は、ここまで。続きは、また今度ね」

 サトルの中の魔王サタンが、咆哮ほうこうを上げながら消えていった。ミカの聖なる力の加護を受け、大天使ガブリエルの勝利が確定した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「これでギガントパンサーズも波に乗れるといいけどね」
「ここから例え10連勝しても借金が無くならないって、結構キツイ状況ですけどね」
「まーたネガティブなこと言う。次そういうこと言ったら、一緒に試合観ないからね」

 ミカの言葉にサトルが動揺していると、彼女は悪戯いたずらな笑みを浮かべて、また彼の頬をつねって言う。

「嘘よ。あんな弱いチームだもん。仕方ないよ。だから勝ち試合が余計に嬉しいんだけどね」

 サトルは、頬をつねられたまま笑う。

「じゃあね、おやすみ」

 手を離して、ミカは自分の部屋へ戻って行く。
 部屋の手前で、彼女は振り向いて笑顔を見せた。

「ずっとこうやって一緒に応援できたら、最高だね!」

 それだけ言って、彼女は部屋へ入って行った。
 残されたサトルは、呆然と突っ立ったまま、独り言をつぶやく。

「それ、僕のセリフです……」

 廊下では、調子の悪い蛍光灯が、チカチカと点滅していた。サトルは、うれしそうな表情で、アパートの外、それほど綺麗でもない景色をしばらく眺めていた。
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