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第3話 球場へ行こう!(前編)
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綺麗に染めた茶髪を後ろで纏めて、ベージュのスウェットにモスグリーンのワンピースのアカネは、群衆の中にサトルの姿を探す。
「あっ、いた。センパーイ!」
彼女は大きく手を挙げて、サトルを呼ぶ。
サトルはギガントパンサーズの四番、伊月選手のレプリカユニフォームを着て現れた。
「よーっす。彼氏にフラれたんだっけ?」
「違いますー。今日は残念ながら来られなくなっただけですー」
アカネはギガントパンサーズの本拠地のスタジアムのバックネット裏のプレミアム席を取った。普通のプラスチックの席よりもちょっとだけ広くて柔らかい座り心地の座席だ。だが一緒に観戦予定だった彼氏の残業のせいで、席がひとつ空いてしまった。
仕方なく、暇そうなサトルを誘ったわけである。
「独り言、聞こえてるよ。仕方なくても、僕はありがたいけどね」
「はうっ! 仕方なく暇そうな先輩を誘ったって言ってましたか?」
「うん。まあ、バックネット裏で見られるなら全然OKだけど」
アカネはついつい思っていることを口に出してしまう。
……ま、所詮は先輩だし、いっか。
「全部聞こえてるんだよなぁ……。定時であがれるように頑張って来たんだから、勝てるといいけど」
「この前の奇跡の1勝の後、また3連敗中ですからね。統計的には今日あたり勝ちますよっ」
「なんの統計か分かんないけど、僕たちの声援が選手の心に届けば、きっと勝てる! そんな気がするんだ!」
「自分でチケット買ったわけでもないのに、よくそんなこと言えますねぇ」
「アカネの彼の残業も、きっと全部が勝利につながってるんだ。この世界は、すべてが繋がっているのさ!」
なんだか厨二病くさい発言を始めたサトルを置いて、アカネはゲートに進んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「もう試合が始まってるじゃないですか。先輩が遅いから」
「定時上がりで走って電車に乗って最短で来たんだ。まだ1回の表じゃないか……1回? 表?!」
敵チームの攻撃で既に2点を取られて、さらに1アウト満塁のピンチだ。
ふたりはプレミアム席に座り、いきなり固唾を飲んで見守ることとなった。
「3塁は俊足の選手だな。犠牲フライでも1点か。なんとか2点で踏みとどまってくれるといいけど」
「これも、先輩が遅れて来たからですね」
アカネの冷たい視線がサトルに刺さる。
「……逆に考えよう。もっと早く着いてたら、8点くらい入ってたかも知れないぞ」
「もうそれ草野球じゃないですか」
とはいえ、アカネは思う。ここでホームランでも出ようものなら、試合が決まってしまうような場面でもある。なぜ贔屓の満塁は点が入る気がしないのに、敵の攻撃の時はこんなにも絶望的な気分になるのだろうか。
サトルは祈るように手を合わせて目に力を入れる。
……お願いだ。併殺、いや、三振してくれ! ポップフライでもいいが外野までは飛ばすな!
とんでもなく都合の良い神頼みをしながら、まだ1勝もしていないエースの投球動作を見つめる。
満塁だからしっかりと振りかぶって、スローイングの時に大きな声をあげる。その声がここまで届くと同時に、打者のスイングしたバットにボールが当たる。
ボテボテとショートの真正面に転がって行ったボールを、6-4-3のダブルプレー。1回表に大勢が決まってしまうという最悪の試合展開は避けられた。
「ふう、とりあえずまだ、なんとかなりそうな点差だよな。また伊月選手の満塁ホームランがあるかも知れないし」
「そういえば先輩、なんで急に呼んだのに、ユニフォーム着て来れたんですか?」
「もちろん、こんなこともあろうかと、いつも持ち歩いてるからだよ」
……えっ、ちょっと引くんだけど。彼女がいないの、分かるわー。
「だから、独り言全部、丸聞こえだってば。僕はコーヒー買ってくるけど、何か欲しいものある?」
「お腹空いたから、満足ホームラン弁当お願いします」
「ガッツリ食う気か。じゃあ、僕も何か食べるもの探してくるよ」
「お願いします。ちゃんと先輩の分も応援しておくんで」
サトルは、スタジアムの中を歩き、フードショップを眺める。同じタイミングくらいに来たのだろうか、スーツ姿をちらほら見かける。
少し並んで、頼まれた弁当と、自分のホットスナックとコーヒー、後は無難にお茶を買った。ビールが良いと言い出したら、売り子さんから買えるだろう。
両手にビニール袋と飲み物を持って席に戻ろうとすると、場内のモニターに二番打者のソロホームランの様子が映し出された。
「し、しまった。直接見れなかった……」
せっかくスタジアムに観戦に来ているのに、なぜ贔屓の攻撃の時間にこんなことをしているんだという後悔に襲われながら、席に戻った。
「凄かったですよ! 当たった瞬間、ホームランって分かりました!」
「……見たかったなぁ。ホント、間が悪いや」
アカネは、ちっちっちと指を揺らして、サトルに言う。
「先輩が席に座ってたら、ホームランが出なかったかも知れませんよ。ここは素直に喜びましょう」
「なるほど、そういう考え方もあるな。はい、弁当とお茶」
「ありがとうございます。いくらでした?」
「席代の分だと思って、僕の奢りでいいよ」
アカネはにやりと笑いながら、軽く会釈をして弁当を開ける。いきなりメインのハンバーグに手を出して、口一杯に頬張る。
その時、スタジアム内にどよめきが起こった。
ピッチャー返しを避けきれず、投手の右足に思い切り当たったボールが大きく跳ねた。三番打者は内野安打となった。
足を引き摺りながら、敵チームのベンチへと運ばれるピッチャー。
『園原選手の治療のため、しばらくお待ちください』
場内アナウンスが流れた。サトルがアカネの弁当の様子を見ると、既に中身の3分の2が消失していた。
「食うの早くね?」
「彼氏にも言われます。多分、人の3倍の速さで食べてますね」
「太るし、短命で終わりそうだな」
アカネは、サトルをキッと睨む。
「そういうデリカシーのないことを言うから、彼女ができないんですよ」
「できないんじゃなくて、今は野球が楽しいからいいの。だって、ギガントパンサーズのファンの女性なんて……」
サトルはふと、アパートの隣の部屋に住むミカの顔を思い出した。
「少ないけど、いるにはいますよ。私だってそうだし。でも先輩のことは眼中にもないですけどね」
などとつまらぬ会話をしていると、敵チームの監督がピッチャーの交代を告げたようだ。
『ピッチャー、園原に代わりまして、千藤』
場内が騒つく。明日投げる予定だった、今年の開幕投手、つまりはエースが、スライド登板してきたからだ。
「ちょっと先輩、まずいですよ。このピッチャーに前回、準完全試合されてます」
「知ってるよ。あの決め球のスライダー、分かってても皆打てないんだよな。しかも今年のスタメンは左バッターが多いから、左投げに弱いんだ……」
突然の、意外なピッチャーの登場にどよめくスタジアム。1回裏から、ドタバタの展開になっているこの試合の行く末は……。
後編へ続く。
「あっ、いた。センパーイ!」
彼女は大きく手を挙げて、サトルを呼ぶ。
サトルはギガントパンサーズの四番、伊月選手のレプリカユニフォームを着て現れた。
「よーっす。彼氏にフラれたんだっけ?」
「違いますー。今日は残念ながら来られなくなっただけですー」
アカネはギガントパンサーズの本拠地のスタジアムのバックネット裏のプレミアム席を取った。普通のプラスチックの席よりもちょっとだけ広くて柔らかい座り心地の座席だ。だが一緒に観戦予定だった彼氏の残業のせいで、席がひとつ空いてしまった。
仕方なく、暇そうなサトルを誘ったわけである。
「独り言、聞こえてるよ。仕方なくても、僕はありがたいけどね」
「はうっ! 仕方なく暇そうな先輩を誘ったって言ってましたか?」
「うん。まあ、バックネット裏で見られるなら全然OKだけど」
アカネはついつい思っていることを口に出してしまう。
……ま、所詮は先輩だし、いっか。
「全部聞こえてるんだよなぁ……。定時であがれるように頑張って来たんだから、勝てるといいけど」
「この前の奇跡の1勝の後、また3連敗中ですからね。統計的には今日あたり勝ちますよっ」
「なんの統計か分かんないけど、僕たちの声援が選手の心に届けば、きっと勝てる! そんな気がするんだ!」
「自分でチケット買ったわけでもないのに、よくそんなこと言えますねぇ」
「アカネの彼の残業も、きっと全部が勝利につながってるんだ。この世界は、すべてが繋がっているのさ!」
なんだか厨二病くさい発言を始めたサトルを置いて、アカネはゲートに進んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「もう試合が始まってるじゃないですか。先輩が遅いから」
「定時上がりで走って電車に乗って最短で来たんだ。まだ1回の表じゃないか……1回? 表?!」
敵チームの攻撃で既に2点を取られて、さらに1アウト満塁のピンチだ。
ふたりはプレミアム席に座り、いきなり固唾を飲んで見守ることとなった。
「3塁は俊足の選手だな。犠牲フライでも1点か。なんとか2点で踏みとどまってくれるといいけど」
「これも、先輩が遅れて来たからですね」
アカネの冷たい視線がサトルに刺さる。
「……逆に考えよう。もっと早く着いてたら、8点くらい入ってたかも知れないぞ」
「もうそれ草野球じゃないですか」
とはいえ、アカネは思う。ここでホームランでも出ようものなら、試合が決まってしまうような場面でもある。なぜ贔屓の満塁は点が入る気がしないのに、敵の攻撃の時はこんなにも絶望的な気分になるのだろうか。
サトルは祈るように手を合わせて目に力を入れる。
……お願いだ。併殺、いや、三振してくれ! ポップフライでもいいが外野までは飛ばすな!
とんでもなく都合の良い神頼みをしながら、まだ1勝もしていないエースの投球動作を見つめる。
満塁だからしっかりと振りかぶって、スローイングの時に大きな声をあげる。その声がここまで届くと同時に、打者のスイングしたバットにボールが当たる。
ボテボテとショートの真正面に転がって行ったボールを、6-4-3のダブルプレー。1回表に大勢が決まってしまうという最悪の試合展開は避けられた。
「ふう、とりあえずまだ、なんとかなりそうな点差だよな。また伊月選手の満塁ホームランがあるかも知れないし」
「そういえば先輩、なんで急に呼んだのに、ユニフォーム着て来れたんですか?」
「もちろん、こんなこともあろうかと、いつも持ち歩いてるからだよ」
……えっ、ちょっと引くんだけど。彼女がいないの、分かるわー。
「だから、独り言全部、丸聞こえだってば。僕はコーヒー買ってくるけど、何か欲しいものある?」
「お腹空いたから、満足ホームラン弁当お願いします」
「ガッツリ食う気か。じゃあ、僕も何か食べるもの探してくるよ」
「お願いします。ちゃんと先輩の分も応援しておくんで」
サトルは、スタジアムの中を歩き、フードショップを眺める。同じタイミングくらいに来たのだろうか、スーツ姿をちらほら見かける。
少し並んで、頼まれた弁当と、自分のホットスナックとコーヒー、後は無難にお茶を買った。ビールが良いと言い出したら、売り子さんから買えるだろう。
両手にビニール袋と飲み物を持って席に戻ろうとすると、場内のモニターに二番打者のソロホームランの様子が映し出された。
「し、しまった。直接見れなかった……」
せっかくスタジアムに観戦に来ているのに、なぜ贔屓の攻撃の時間にこんなことをしているんだという後悔に襲われながら、席に戻った。
「凄かったですよ! 当たった瞬間、ホームランって分かりました!」
「……見たかったなぁ。ホント、間が悪いや」
アカネは、ちっちっちと指を揺らして、サトルに言う。
「先輩が席に座ってたら、ホームランが出なかったかも知れませんよ。ここは素直に喜びましょう」
「なるほど、そういう考え方もあるな。はい、弁当とお茶」
「ありがとうございます。いくらでした?」
「席代の分だと思って、僕の奢りでいいよ」
アカネはにやりと笑いながら、軽く会釈をして弁当を開ける。いきなりメインのハンバーグに手を出して、口一杯に頬張る。
その時、スタジアム内にどよめきが起こった。
ピッチャー返しを避けきれず、投手の右足に思い切り当たったボールが大きく跳ねた。三番打者は内野安打となった。
足を引き摺りながら、敵チームのベンチへと運ばれるピッチャー。
『園原選手の治療のため、しばらくお待ちください』
場内アナウンスが流れた。サトルがアカネの弁当の様子を見ると、既に中身の3分の2が消失していた。
「食うの早くね?」
「彼氏にも言われます。多分、人の3倍の速さで食べてますね」
「太るし、短命で終わりそうだな」
アカネは、サトルをキッと睨む。
「そういうデリカシーのないことを言うから、彼女ができないんですよ」
「できないんじゃなくて、今は野球が楽しいからいいの。だって、ギガントパンサーズのファンの女性なんて……」
サトルはふと、アパートの隣の部屋に住むミカの顔を思い出した。
「少ないけど、いるにはいますよ。私だってそうだし。でも先輩のことは眼中にもないですけどね」
などとつまらぬ会話をしていると、敵チームの監督がピッチャーの交代を告げたようだ。
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場内が騒つく。明日投げる予定だった、今年の開幕投手、つまりはエースが、スライド登板してきたからだ。
「ちょっと先輩、まずいですよ。このピッチャーに前回、準完全試合されてます」
「知ってるよ。あの決め球のスライダー、分かってても皆打てないんだよな。しかも今年のスタメンは左バッターが多いから、左投げに弱いんだ……」
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