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第九章 幸福の足音
80 お披露目式(3)
しおりを挟むノイーズ公爵家の令嬢ビアンカ様の控室に入ると、すぐにソファーに座るように言われた。
ソファーに座った途端に、ビアンカ様が口を開いた。
「時間もないことだし、単刀直入に聞くわ。あなたは、なぜ、ホフマン伯爵家を出たの?」
「え……?」
質問の意味はわかるのに、答えが咄嗟に出てこなかった。
――なぜ、ホフマン伯爵家を出たのか?
答えたいのに、言葉が出て来なくて、どうしようもない。
どうしても口が動かない。
すると、ビアンカ様が、腕を組みながら言った。
「私の調べでは、あなたは、領地の治水工事の費用をホフマン伯爵家に全額負担してもらう代わりに、個人契約でホフマン伯爵家に入ったはずでしょ?
まぁ、表向きにはウェーバー子爵家に籍を置いていたようだけど……。
つまり、幼い時にすでにあなたは、ホフマン伯爵家の人間になっているはず……それをどうして、前ホフマン伯爵が亡くなったタイミングで、あの家を出たの?」
『婚約破棄をしたから』そう言いたかったが、脳裏に、サフィール王子殿下からの提案で『この婚約自体をなかったことにしよう』と言われたことを思い出して、結局私は何も言えなかった。
「……」
ビアンカ様は、冷たい表情で私を見ていた。
質問に答えていない自分に問題があることを忘れて――怖い……とそう思ってしまった。
「ふ~~ん。黙秘か……この私に向かって、いい度胸ね。
……どうしてもわからないのよ。
てっきりあなたが使えないから追い出されたのかと思っていたけ……仕分けの結果を見ると、正直、前ホフマン伯爵以上の手腕だわ。
だとしたら、なぜ、あなたが出て行ったのに、当のホフマン伯爵家は、黙ってそれを受け入れているの?
なぜ、あなたはランゲ侯爵家を後見人につけてまで、あの家を出たの? どうやって、ホフマン伯爵家を黙らせたの? あなたは、何を企んでいるの? ――答えなさい。これは、命令よ」
公爵令嬢ビアンカ様の鋭い氷の刃のような視線に、私は体温を失って行くのを感じた。
早く答えなければ……!
早く……。
全てを話すべきだ。だが、婚約破棄を無かったことにするという言葉が、私の頭を回り言葉が出ない。
「失礼致します。お使い下さい」
「え?」
私の目の前にハンカチが出された。
エイドが、私に優しく微笑みながら言った。
「涙を我慢していては、お話は出来ませんから」
エイドの瞳が『大丈夫』だと、私を勇気づけてくれた。
――そうだ、全てをきちんと話そう。
私は、エイドからハンカチを受け取ると、ビアンカ様を真っすぐに見つめながら言った。
「お話致します。簡単な話です。私が婚約者であるホフマン伯爵子息ハンス殿に、婚約破棄を言い渡されたからです」
すると先程まで、鋭い視線を向けていた、ビアンカ様が驚いた顔をした。
「なんですって? ……婚約破棄?! それ、本気で言ってるの?」
「はい。嘘ではございません」
私は真剣な顔で頷いた。
ビアンカ様は、少し身体を前に乗り出しながら言った。
「……あちらから言い出したですって? こんなに時間をかけて、あなたをここまで育てて、自ら手放したというの????
正気なの? ――Sクラスの主席合格に生徒代表、一級鑑定士の資格を持ち、高位貴族との繋がりも深い、しかも流通管理も完璧な女性を……そこまでにするには、きっとあなたの教育に想像も出来ないほど多額の投資をしていたはず……それを、自らの手で手放したですって?
……信じられないわ。まさか、そんな愚かな家があるだなんて。
あなたが、あの性悪腹黒王子と組んで、何か企んでいると思う方が自然でしょ?」
そこまで言うと、ビアンカ様は、ソファーに深く腰かけて、片手を頭に置いて呆れたように言った。
そんなビアンカ様の姿に、私はエイドに貰ったハンカチを握りしめながら言った。
「私は、生涯……ホフマン伯爵家を出る気は……ありませんでした。……ですが、ホフマン伯爵子息のハンス殿に……別れを告げられてしまいました。
それで、ホフマン伯爵家に居られなくなり……私の家では、宝石を守ることができないため、ランゲ侯爵家でお世話になることになったのです」
ビアンカ様が、探るような視線をで私を見ていた。
私は、胸を張ってビアンカ様を見つめた。
「……嘘……ではなさそうね。
でも……そんな愚かな可能性は考えていなかったわ……。
そう……あなた……婚約者として、ホフマン伯爵家に入ったのね。養子縁組を想定した個人契約ではなかったのね。まぁ、すでに御子息がいるのではあれば、家督はそちらが継ぐことになるし、娘であれば、将来は他に家に行くから、婚約者としての方が自然ではあるわね……。なるほど、納得したわ。
てっきり、あなたが、随分と尽くしてくれていたホフマン伯爵家を平気で裏切るような、悪女かと思っていたのに……。
その婚約破棄した男は、家を潰したいほど憎んでいたのかしら?」
ビアンカ様の言葉を聞いて何も言えなかった。
「……」
「はぁ~でも、随分と女性をバカにした話ね!! その婚約破棄を隠ぺいしたのは、あの性悪腹黒王子でしょ?」
「……あの」
ビアンカ様の言葉に頷いていいものかと考えていると、ビアンカ様が溜息を付いた。
「言わなくていいわ。なるほど、一応、あなたを、面倒な噂から守ったのね。
まぁ、あなたがホフマン伯爵家に入ったのは、幼かったでしょ? そんな時期に他の家に入った子が、まさか婚約者とは誰も思わないわよね……。婚約破棄なんて、女性にとって醜聞でしかないもの。揉み消せるなら、揉み消した方が今度のためね」
ビアンカ様は、納得したように頷いた。
今のビアンカ様は、もう怖いとは思わなかった。
もしかして、私に言えないことがあって、後ろ暗いところがあったから。怖いと感じたのかもしれないと、思えた。
私が、そんなことを考えていると、ビアンカ様が口角を上げながら言った。
「でも……。ふふふ、そんな理由なら私にとっても好都合ね。
ねぇ、お嬢さん。私は次期公爵になる予定なの」
「次期公爵様に……。」
その時のビアンカ様のお顔は、自信を威厳に満ち溢れていて、とても素敵だと思った。
「そう、ずっと反対されて、よりにもよって、ステーア公爵家のハワードと結婚させて、あの男を養子に貰って家督を継がせるなんて、バカな事を言い出すから、頑固なお父様には、少々痛い目に合ってもらったのよ。
そうしたら、ようやく納得してくれたの。
あなたは、今、良くも悪くも、国中の貴族から注目されているわ。いいこと、失態は許さないわ。
能力のない男は、女性が失敗するとすぐに『だから女性は……』って女性を落とそうとするわ。
あなたが失態を犯せば、私まで被害を被る可能性があるの――だから、何かあったら相談しなさい。内容次第では力になるわ」
ビアンカ様の表情が、和らいでとても綺麗だったので、私はつい大きな声を出してしまった。
「どうぞ、ノイーズ様のお力をお貸しください」
「……話をしてみなさい」
「はい」
そして私は、今、私が考えていることをお話したのだった。
☆==☆==
「ふふふ。いいわ。手を貸してあげるわ」
私の話を聞き終わると、ビアンカ様が、妖艶に微笑みながら言った。
「本当ですか?」
「ええ。いつまでもあなたが、弱い立場でいる必要はないわ。それに、あの性悪腹黒王子に、一泡吹かせるのは楽しそうだわ。ふふふ」
断られることも覚悟していたが、ビアンカ様は上機嫌に私に協力することを約束してくださった。
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、ビアンカ様がエイドを見上げながら口を開いた。
「そこの彼に繋ぎを任せるわ」
「……」
咄嗟にエイドを見上げると、エイドは普段と変わらない表情でビアンカ様を見ていた。
すると、ビアンカ様が小さく笑いながら言った。
「彼、女性のことをバカにしているって発言した時、顔色を一切変えなかったわ。
大抵の男は、イヤそうな顔をするのよ。
それに、彼の咄嗟に、主を助けた機転と、忠誠心は……嫌いじゃないわ」
「光栄にございます」
エイドが頭を下げると、ビアンカ様は立ち上がろうとして、もう一度視線を私に向けながら言った。
「そうだ、お嬢さん。最後に……忠告させてもらうわ。――仕分けの報酬割合を変えなさい。
これまで、あなたや、あなたのご家族が、平穏に暮らせていたのは、ウェーバー子爵家に資金が流れていなかったからよ。まぁ、元々子爵家だったホフマン伯爵は、その辺りのことは、わかっていたようだったけど……だから始めに大きな金額を投資して、他から見えないように、あなたに教育という形で還元していたんでしょうね……」
「え……?」
そう言われて思い出した。前ホフマン伯爵は、私の学用品や服などの生活用品だけではなく、いつも大量の本をくれた。本はとても高価で私の家では一冊も買うことが難しい。だが前ホフマン伯爵は、惜しみなく、いつでもたくさんの本をくれた。エイドもエマも貴族学院に通わなくても、勉強することが出来たし、読み終わった本を領に送ることで、領の研究が進んでいた。
牛や馬、作物、宝石、もちろん小切手などの金銭は、報酬として申告しなければならないが――本や学用品は申告の対象にならないのだ。
まさかあれが、私へのホフマン伯爵家からの報酬……?
てっきり、私は将来ホフマン伯爵家に入るので、家業のお手伝いという感覚だったのだが、知らない内に報酬を受け取っていたようだ。
きっと、お父様もそれをわかっていたから、ハンスと婚約破棄した時、規定の慰謝料以外を受け取ることを拒んだのかもしれない。
私がこれまでのことを考えていると、ビアンカ様が口を開いた。
「惜しいと思うかもしれないけれど、ランゲ侯爵家に多くの資金を流しなさい。守る手段もなく、多くの資金が流れるとあなたの家……他の家から潰されるわ。
今ならまだ、ホフマン伯爵家が、始めに大金を投じた時のように、周りは、一時的な物だと思ってくれるでしょうから、手出しはされないわ。
そして、ランゲ侯爵家に恩を売りなさい。それを将来利子を付けて、様々な形で返して貰いなさい。たくさんの領に恩を売っているランゲ侯爵家の発展なら、異議を唱える者はいないわ」
「わかりました……私のせいで、家族が危険に晒されてしまうなんて!」
「ええ、貴族ってなかなか厄介でね。ランゲ侯爵家のような高位貴族ではわからない苦労もあるのよ。
私の母も、子爵家の出身だから……」
「そうだったのですね……ご教授いただき、ありがとうございます」
私にはまだまだ、知らないことがあることを実感した。
ビアンカ様は、私に笑顔を見せると、今度こそソファーから立ち上がった。
「さぁ、聞きたいことも聞いたし、言いたいことも言ったし、私は失礼するわ」
「もうお帰りになるのですか?」
「ええ。てっきり、ステーア公爵がいらっしゃるかと思えば、ハワードが来るっていうじゃない? しかも、サフィール王子殿下もいらっしゃるのでしょ?
私、腹黒い男って好きじゃないの。では、お嬢さん、またね」
「はい。また」
私があいさつをすると、ビアンカ様は、楽しそうに笑いながら控室を出た。
私も、ビアンカ様と一緒に控室を出ると、ゲオルグが窓の近くに立っていた。
ビアンカ様は、口角を上げると、まるで挑発するように、ゲオルグを見上げながら言った。
「あら? ここにも忠犬がいるの?? ふふふ、ますます面白いわ。
ランゲ侯爵子息殿。私は用が済んだので失礼するわ。
ああ、そうだわ。ノイーズ公爵家は、新しい流通管理者を認め、支援しますわ。
それでは、ごきげんよう」
ビアンカ様は、お供の方と一緒に颯爽と歩いて行ってしまった。
私たちは、姿が見えなくなるまで、ビアンカ様の後ろ姿を見つめたのだった。
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