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第二章 お飾りの王太子妃、国内にて
110 お飾りの正妃の旅立ち(4)
しおりを挟むクローディアを見送った後、クリスフォードがフィルガルドの愛馬アルタックの手綱を手渡しながら尋ねた。
「お見送りに行くと言われた時も驚きましたが、フィルガルド殿下が、あのように露骨に牽制されるとは……意外でした。どのような意図があったのです?」
クリスフォードは、フィルガルドの交渉術が見事なことを知っている。
だから普段のフィルガルドなら、スカーピリナ国言葉を自在に話せるクリスフォードに通訳を頼み、もっと穏やかな言葉を選んだはずだ。だが、あえて指導係として同行するブラッドにクローディアが『自分の妻だ』と強調した通訳を頼んだ。
先ほどのフィルガルドはクリスフォードから見れば、どう見ても、スカーピリナ国王と、ブラッド二人に対しての露骨な牽制をしているように見えた。フィルガルドはとても温厚なので、とても珍しいことだった。
もしかしてハイマ国の騎士団を同行させないことで、クローディアが貶められたりしないように圧力をかけたのだろうか?
それとも、単純にクローディアがこの国の王族だとあらためて知らしめたのだろうか?
頭脳明晰なフィルガルドのことだ。クリスフォードが思いつきもしないような理由があるのかもしれないので、それを知りたかった。
そんなクリスフォードの問いかけに、フィルガルドは困ったように言った。
「牽制……そんなつもりはない。……私はただ、クローディアに会いたかっただけだ」
「……え?」
――タダ、クローディアニ会イタカッタダケ?
常に国のために公務を優先し、誰に対しても、如何なる時でも公平、平等なフィルガルドが、国の要である研究施設がこんな切羽詰まった状況なのに感情で動いた……?
国益のためではなく、ただの一人の女性に会うために?
しかも意識して牽制したわけではなく、無意識に牽制していたというのか?
伯爵令嬢のエリスとの結婚を決めた時でさえ『国のためには、クローディアを王妃にすることはできない。エリスほど王妃に相応しい人間はいない』と言っていたのに……。
以前、クリスフォードはフィルガルドの様子がおかしいことに気付いていた。
フィルガルドが、クローディアに執着しているように感じていた。だが、それは恋愛感情というよりも、命を狙われるようになってしまった彼女への罪悪感や、庇護欲だと思っていた。
クローディアはこれまで、フィルガルドが散々煮え湯を飲まされてきた相手なのだ。
その相手に対して、特別な感情など持てるはずはない。
「クリスフォード、急ぎ研究所に戻るぞ!!」
「は、はい!!」
フィルガルドは颯爽と、愛馬にまたがると手綱を引いた。そんなフィルガルドを見ながら、クリスフォードも急いで自分の愛馬にまたがった。
クリスフォードは胸に霧がかかるような不安を覚えた。
次期王妃にはフィルガルドが必死で繋ぎ止めたのも頷けるほど、完璧な令嬢であるエリスがいる。彼女ほど相応しい女性はいない。それは間違いない。国王陛下も王妃殿下も、エリスを大変気に入っているのだ。
――これは気の迷いだ。
早く、フィルガルドとエリスが共に過ごせる時間を作る必要がある。
エリスが離宮に入る日までには絶対に、研究所を落ち着かせる。エリスとの時間も持てば、フィルガルドもエリスの素晴らしさにクローディアへの感情を忘れられるはずだ。
クリスフォードはそう決意しながらフィルガルドの後ろを駆けたのだった。
◆
私たちは城を出発して、途中休憩を取りながらも無事に日の昇っているうちに、今日の宿泊地に到着することが出来た。
シーズルス領邸よりも大きな屋敷が見えて来て驚いていると、ブラッドが口を開いた。
「今日はテール侯爵邸に宿泊する予定だ。テール侯爵子息殿は王都で忙しくしているようだが、テール侯爵は領地にいらっしゃるとのことだ」
テール侯爵。円卓会議に出席する4侯爵家の一人。私は会議で会ったテール侯爵を思い浮かべながら言った。
「ああ、あのヒゲの立派な方ね。え~と、テール侯爵家は紙で財を成したのよね?」
私は侯爵にお会いしたときに失礼なことを言わないように、確認するとジーニアスが口を開いた。
「その通りです。領地内に大森林を有しておられるので、紙だけではなく、木材に関するあらゆる産業が盛んです。最近では、樹液を利用した甘味が発見され、社交界の話題になっております」
樹液を利用した甘味とはメイプルシロップなどのことだろうか?
こっちにメイプルシロップがあるのならぜひ食べてみたい。
「知らなかったわ……ジーニアス、いつも教えてくれて、ありがとう」
私がお礼を言うと、ジーニアスが笑顔で口を開いた。
「いえ。また、樹液を利用した甘味ですが、他国からも問い合わせが多く、テール侯爵家は、すでにイゼレル侯爵家と独自で貿易契約をして国外にも輸出しております。テール侯爵家は貿易の均一化を認められてもこれまで通り、貿易の全てをイゼレル侯爵家に任せると宣言しておられ、そのことも社交界で話題になっております。テール侯爵家の宣言を聞いて、自分たちで貿易する力のない領は、イゼレル侯爵家に貿易委託の協定を結べないか打診しているようです。クローディア様のご実家のことですから、ご存知かとかとは思いますが、最近のことですので、一応、ご報告いたします」
テール侯爵家と家が独自に貿易の契約をしていたことは全く知らなかった。
というよりも、私は社交界に疎すぎるような気もする。
ジーニアスやアドラーが教えてくれないと、私は何一つ社交界の話題についていけない!!
「ジーニアス、私は社交界のこと何も知らないから、何かあったら教えてね」
「はい!! お任せください!!」
私は、ジーニアスに話を聞いた後に、ブラッドを見ながら尋ねた。
「そういえば、私って社交界には出なくてもいいの? 全くお誘いがないんだけど……」
「今は、国王陛下がお元気だからな。大抵の夜会は陛下がご出席されれば、王太子殿下の出席までは求められない。それに、つい数日前にシーズルス領にまで行って社交を行ったはずだが?!」
まさか、もう忘れたのか?!
ブラッドのそんな声にならない圧が聞こえる気がした。
「あ……そうね……あれは社交よね……」
確かにエルガルド陛下は、まだまだお若いし、ご婦人にも人気なので呼ばれることも多そうだ。それに社交というのがドレスを着て参加する夜会に限定するものではないと言われると、私は鬼上司の采配なのかどうなのかわからないが、近い遠いにかかわらず出張が多い気がする。もしかして新人王族は、出張担当なのかもしれない。
そんなことを考えていると、ブラッドが恐ろしい一言を放った。
「それに、これから行くテール侯爵邸で、侯爵にあいさつをするのも大切な社交だ」
移動中の宿泊も社交?!
ああ、一気に旅気分が、霧散していく……。
「そうね……あいさつも社交だもんね、大丈夫、知ってた、うん。知ってたよ」
こうして馬車は、テール侯爵邸に到着したのだった。
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