上 下
54 / 285
第二章 お飾りの王太子妃、国内にて

85 海辺の街との別れ(1)

しおりを挟む



 『クイーンイザベラ号』のお披露目式から一夜明けた早朝。空にはまだ星が輝いている日の出前。
 フィルガルドとクリスフォードは、今日の午後に王都で公務が入っているので、まだ早い時間にシーズルス領邸を出る必要があった。

 フィルガルドは静かに自分の泊まった部屋の扉を閉めると、まだ寝ているであろうクローディアの部屋を見つめた。いつもは、クローディアとは部屋が離れているので、隣の部屋で寝るのは新鮮だった。

 ――会いたい。

 フィルガルドはそう思ったが、これほど早くに起こすことは出来ないので、後ろ髪を引かれながら部屋を後にした。
 その後、フィルガルドはエントランスで信じられない光景を見ることになる。





 早朝のまだ空も暗い時間に、私はラウルとアドラー、リリアと共にエントランスでフィルガルド殿下を待っていた。昨日も午前中の公務の後にここに駆けつけて、今日も午後から公務があるので早く出発する、という多忙なフィルガルド殿下を、せめて見送りたかったのだ。

「クローディア?!」

 階段付近でフィルガルド殿下の声が聞こえて見上げると、フィルガルド殿下が私に気付いて声を上げ、階段を走って降りてきた。

「殿下、お気をつけて!」

 私はフィルガルド殿下が心配で思わず声を上げた。
 だが殿下は流れるように階段を走って降り、すぐに目の前まで来たと思った瞬間に、私はフィルガルド殿下の大きくてあたたかな腕の中にいた。そして耳元で殿下の嬉しそうな声が聞こえた。

「クローディア!! 待っていてくれたのですか? こんな早い時間に?」

 私はフィルガルド殿下に抱きしめられたまま答えた。

「はい。どうか、お気をつけて……フィルガルド殿下」

 フィルガルド殿下は抱きしめたまま私の耳元で囁くように言った。

「ありがとうございます。クローディア、あなたも無事で」
「はい」

 フィルガルド殿下の体温は、まるで麻薬のように私の思考を溶かしそうになる。いつまでもここに居たいとは思う。だが、この場所は舞台に上がっている時だけの限られた場所。焦がれても手に入らない場所。落ちてしまったら――破滅が待っているのだ。
 私は、フィルガルド殿下の胸に両手をつけて離れて、フィルガルド殿下を見上げながら言った。

「お引止めして申し訳ございません」

 するとフィルガルド殿下が私の頭にキスをしたかと思うと、今度はおでこにキスをして、そして、鼻と頬にキスをした後に顔を離した。

「クローディア。見送りありがとうございます」

 そして、まるでとろけそうな笑顔を向けてくれたのだ。

 私は殿下の笑顔に引き込まれてしまいそうで、急いで顔を逸らした。すると、フィルガルド殿下は私の手を取った。私は馬車までは見送ろうとフィルガルド殿下のエスコートで馬車の用意してある場所まで行くことにした。
 執事がシーズルス領邸の玄関の扉を開けると、海が水平線に沿って明るくなっているのが見えた。

「ああ、朝日が昇って来るのですね」

 フィルガルド殿下が目を細めながら言った。

「……ええ」

 空にはまだ星が見えているのに、一筋の明るい光。海から見える光の帯はとても幻想的だった。フィルガルド殿下が、乗せていただけだった私の手を少し力を入れて握った。
 そういえば、昨日のパーティーの時からフィルガルド殿下は私の手を離そうとはしない。フィルガルド殿下の行動を不思議に思ったが、言葉に出すと、これまで保っていた糸が切れて、何かが壊れてしまいそうだったので、私は何も言わなかった。

 私は、フィルガルド殿下と手を繋いで段々と明るくなっていく海を見た。朝日はゆっくりと昇りながら世界を照らしていく。真っ暗だった空にはやがて紫色の帯が見え、そしてオレンジ色が見えて、琥珀色、そして黄金色。本当に世界を鮮やかな色に染めて行く。

「クローディア。この色はまるであなたの瞳の色のようですね」

 フィルガルド殿下が私を見ながら目を細めた。私はそんなフィルガルド殿下に向かって言った。

「ふふふ、私には殿下の髪の色のように輝いているように見えます」
「クローディアのそのような笑顔は久しぶりに見ました。クローディア、また一緒にこのような美しい風景を見ましょう」

 フィルガルド殿下はそう言いながら、殿下だってこれまで見たことがないほど無邪気で嬉しそうな顔をしていた。

 いまさらそんな顔をするのは……やめてほしい……。

 私は、そう思うのにフィルガルド殿下から目が離せなかった。すると、フィルガルド殿下の顔が近付いているように感じた。

「殿下、そろそろお時間です」

 その時、クリスフォードの声が聞こえた。
 ふと周りを見ると、フィルガルド殿下のお見送りに来ていた侍女の皆様や執事が目を逸らしていた。
 私が恥ずかしいことをしてしまったと頭を抱えていると、フィルガルド殿下が最後に私の口のすぐ横にキスをした。そして、フィルガルド殿下は嬉しそうに言った。

「クローディア、それでは私は先に城で待っています」

 そして殿下は私の髪を撫でた後に、もう一度頭にキスをして馬車に乗りこんだ。
 私は走り去る馬車を手を振って見送ったのだった。

 フィルガルド殿下の馬車が見えなくなると、すぐにラウルが右隣に、アドラーが左隣にやってきた。
 そしてラウルが穏やかな口調で言った。

「クローディア様。ここからの眺めはいかがですか?」

 私はラウルを見上げながら言った。

「……本当にここはいいところね。夜景も美しいと思ったけど、朝日に照らされる街も美しいわ」
「クローディア様のおかげです」
「え?」

 顔を上げてラウルを見つめると、ラウルはとても穏やかな顔をしながらも、熱の籠った様子で言った。

「今日も無事にこの朝日に染まる街並み見ることができるのは……あなたのおかげです。あなたがこの地を訪れて下さったことを、私は神に感謝いたします。我がシーズルス領を救って頂き、ありがとうございました」

 そう言って、ラウルが私の手にキスをして目を細めた。ラウルにキスをされて驚いていると、今後は、アドラーが私のラウルに握られている反対の手を取った。

「どうしたの? アドラー」

 アドラーに尋ねると、アドラーも私に手にキスをした。

「え?!」
「アドラー?!」

 驚いていたのは私だけではなく、ラウルもだった。アドラーは私の手を持ち上げたまま言った。

「あなたにお仕え出来ることを光栄に思います」

 一体何が起こったというのだろうか?

 私が不思議に思っているとリリアが私の前に回って言った。

「私も、クローディア様にお仕えできて幸せです!!」

 リリアや、ラウルやアドラーが朝日に照らされながら笑っていた。
 朝日が真っすぐにここに光を運んでくれていたからだろうか、私はみんなの笑顔が眩しくて思わず目を細めてしまったのだった。




しおりを挟む
感想 809

あなたにおすすめの小説

【短編】復讐すればいいのに〜婚約破棄のその後のお話〜

真辺わ人
恋愛
平民の女性との間に真実の愛を見つけた王太子は、公爵令嬢に婚約破棄を告げる。 しかし、公爵家と国王の不興を買い、彼は廃太子とされてしまった。 これはその後の彼(元王太子)と彼女(平民少女)のお話です。 数年後に彼女が語る真実とは……? 前中後編の三部構成です。 ❇︎ざまぁはありません。 ❇︎設定は緩いですので、頭のネジを緩めながらお読みください。

婚約を破棄したら

豆狸
恋愛
「ロセッティ伯爵令嬢アリーチェ、僕は君との婚約を破棄する」 婚約者のエルネスト様、モレッティ公爵令息に言われた途端、前世の記憶が蘇りました。 両目から涙が溢れて止まりません。 なろう様でも公開中です。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【 完結 】「平民上がりの庶子」と言っただなんて誰が言ったんですか?悪い冗談はやめて下さい!

しずもり
恋愛
 ここはチェン王国の貴族子息子女が通う王立学園の食堂だ。確かにこの時期は夜会や学園行事など無い。でもだからってこの国の第二王子が側近候補たちと男爵令嬢を右腕にぶら下げていきなり婚約破棄を宣言しちゃいますか。そうですか。 お昼休憩って案外と短いのですけど、私、まだお昼食べていませんのよ?  突然、婚約破棄を宣言されたのはチェン王国第二王子ヴィンセントの婚約者マリア・べルージュ公爵令嬢だ。彼女はいつも一緒に行動をしているカミラ・ワトソン伯爵令嬢、グレイシー・テネート子爵令嬢、エリザベス・トルーヤ伯爵令嬢たちと昼食を取る為食堂の席に座った所だった。 そこへ現れたのが側近候補と男爵令嬢を連れた第二王子ヴィンセントでマリアを見つけるなり書類のような物をテーブルに叩きつけたのだった。 よくある婚約破棄モノになりますが「ざまぁ」は微ざまぁ程度です。 *なんちゃって異世界モノの緩い設定です。 *登場人物の言葉遣い等(特に心の中での言葉)は現代風になっている事が多いです。 *ざまぁ、は微ざまぁ、になるかなぁ?ぐらいの要素しかありません。

婚約破棄にも寝過ごした

シアノ
恋愛
 悪役令嬢なんて面倒くさい。  とにかくひたすら寝ていたい。  三度の飯より睡眠が好きな私、エルミーヌ・バタンテールはある朝不意に、この世界が前世にあったドキラブ夢なんちゃらという乙女ゲームによく似ているなーと気が付いたのだった。  そして私は、悪役令嬢と呼ばれるライバルポジションで、最終的に断罪されて塔に幽閉されて一生を送ることになるらしい。  それって──最高じゃない?  ひたすら寝て過ごすためなら努力も惜しまない!まずは寝るけど!おやすみなさい! 10/25 続きました。3はライオール視点、4はエルミーヌ視点です。 これで完結となります。ありがとうございました!

いくら何でも、遅過ぎません?

碧水 遥
恋愛
「本当にキミと結婚してもいいのか、よく考えたいんだ」  ある日突然、婚約者はそう仰いました。  ……え?あと3ヶ月で結婚式ですけど⁉︎もう諸々の手配も終わってるんですけど⁉︎  何故、今になってーっ!!  わたくしたち、6歳の頃から9年間、婚約してましたよね⁉︎

隣国へ留学中だった婚約者が真実の愛の君を連れて帰ってきました

れもん・檸檬・レモン?
恋愛
隣国へ留学中だった王太子殿下が帰ってきた 留学中に出会った『真実の愛』で結ばれた恋人を連れて なんでも隣国の王太子に婚約破棄された可哀想な公爵令嬢なんだそうだ

公爵令嬢の白銀の指輪

夜桜
恋愛
 公爵令嬢エリザは幸せな日々を送っていたはずだった。  婚約者の伯爵ヘイズは婚約指輪をエリザに渡した。けれど、その指輪には猛毒が塗布されていたのだ。  違和感を感じたエリザ。  彼女には貴金属の目利きスキルがあった。  直ちに猛毒のことを訴えると、伯爵は全てを失うことになった。しかし、これは始まりに過ぎなかった……。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。