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女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』その(32)龍太の初恋?

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その日、昼前に天海瞳はシルヴィア滝田に連れられジムにやってきた。
二人はジムの会長やトレーナーに挨拶すると龍太のもとへやってきて、シルヴィアが笑顔で龍太と握手を交わそうと手を延ばしてくる。

「今日は無理言ってごめんね。瞳がどうしてもKG会空手の人と手合わせしたいって言うから、、私とはよくスパーリングするんだけど、違うタイプの人とやって瞳に経験を積ませたい。龍太君と瞳は同じ中学生で歳が近いからいいスパーリングになると思う」

龍太と天海瞳の視線が合った。

「堂島龍太さん、今日は宜しくお願いします。思いっ切っていきます!」

こうして見ると天海瞳はやはり年下の女の子だなと思った。NOZOMIのような美人タイプというより可愛い女の子といった感じだ。それにしても、男子キックボクサー、丸岡聡との試合から一ヶ月も経っていないのに傷一つなく疲れもないように見える。
それに、クリクリっとした瞳(目)がいかにも快活という感じで気が強そうだというのが印象だ。

スパーリングは一時間後にこのジムのリングで、ヘッドギア装着、12オンスグローブにて、3分2ラウンドで行われる。ムエタイ流肘、膝もOKなキック、ムエタイ混合ルールで行われる。天海瞳にとっては丸岡聡とエキシビションマッチで戦った時と同じルール。

天海瞳はスパーリング用の衣装に着替えるとストレッチから、スパーリング前のミット打ちをシルヴィア相手に始めた。そのキレのいいパンチ、キックをミットに叩き込むと心地良い音がジム内に鳴り響いた。
ジムの練習生、否、各トレーナーまでその瞳のシャープな打撃と動きに目を見張った。これが、あの男子キックボクサーを倒した14才少女なのだ。

龍太は瞳のミット打ちを見て、これは想像以上に手強いかもしれないと思った。異常なほどパンチやキックを繰り出すスピードが速く連打しても中々バテないスタミナ。フットワークも縦横無尽で速く運動神経がかなり発達しているのがよく分かる。
それよりも、あの身体付きは一見細いように見えるが、鋭角的で特に肘と膝は鋭利な尖った刃物のようで危険だと感じる。彼女はNOZOMIの遺伝子といわれるがまさに同類の肘と膝。瞳はムエタイに特化した身体構造なのだ。

スパーリングが始まる。

どこから聞いてきたのか?妹の麻美がやってきて兄と天海瞳のスパーリングを真剣な顔で見つめていた。

向かい合ってみると、173cmちょっとで64kg程ある龍太に比べ、瞳は165弱で53kgもなく体格差は歴然。

(こんな小さい年下の女の子にパンチやキックを叩き込んでいいものか?あくまでスパーリングなので、受けていればいいのだろうか? 今井さんは甘く見ていると大変なことになる、と言ってたけど本当にやりにくい...)

しかし、スパーリングが始まると龍太は瞳のスピードと手数に圧倒された。
遠慮がちの龍太の懐に入ってくると、瞳は猛然とパンチ、キックの雨あられを降らせ隙を突かれた龍太をコーナーの隅に追い詰めた。

スパーリングのレフェリーを買って出た今井トレーナーは、この中学生男女ふたりの攻防を驚きの目で見ていた。
今井は日頃から龍太を指導しており、その実力を高く評価していた。彼の身上はその類まれなスピードにある。将来父源太郎を継いでキックボクサーになることがあれば、きっと、ダン嶋原のような天才肌のキックボクサーになると期待もしている。

しかし、そんな龍太が年下の女の子である天海瞳のスピードに翻弄されている。反撃の隙さえ与えられず、その波状攻撃に為す術もない。もし、ヘッドギアを着けていなければダウンしていてもおかしくないだろう。

(この女の子はとんでもない天才だな。
まさにムエタイの申し子...)

今井は天海瞳の才能に鳥肌が立った。



龍太はスタートから一分半も波状攻撃を受け、反撃どころかそれに耐え切るのに精一杯だった。
それでもそれを凌ぎ切ると、反撃の態勢になった。既に龍太は口元に血が滲んでおり、蹴られた下腿部は赤くなっている。もう、単なるスパーリングだなんて考えず倒しに行かないとまずいことになる。

後半になっても瞳のスピードは衰えない。手数で龍太を圧倒するも徐々に両者の体格差が出てきた。体重を乗せた龍太のパンチとキックが瞳を後退させる。すると、今度は龍太が瞳をコーナーに追い詰めた。龍太は瞳のボディに狙いを定める。ヘッドギアの上から打撃で倒すのは難しいからだ。

1ラウンド、残り時間30秒。

接近戦から瞳のボディーにパンチを叩き込み、このスパを終わらせようと前傾姿勢になった時である。

瞳が飛び上がった!

瞳の膝が龍太のヘッドギアに守られた顎に突き刺さる。飛び膝蹴りである。

恐るべきバネ、跳躍力。

龍太は信じられないといった顔付きで後方に尻餅、ダウンである。

龍太はカウント8でどうにか立ち上がるとそこで第一ラウンド終了。

強烈な膝だった。
もし、ヘッドギアなければ顎を砕かれ病院送りになっていたかもしれない。


1ラウンドを終えコーナーに戻った龍太は茫然自失状態だった。

彼は空手道場でも何度か倒されたことはあるが、それは自分より大きな成人男子相手であり、一回り以上軽い相手に倒された記憶はない。
自分よりずっと小さい年下の女の子の打撃を受けて、ダウンしたのは屈辱的でありショックだった...。

(もし、ヘッドギアなしの正式な試合だったなら? 自分は顎を砕かれKO負けになっていただろう)

虚脱状態の龍太の元へ今井トレーナーがやってきて言った。

「恐ろしい女の子だな...」

「・・・・・・」

「次のラウンドは、、分かったな?」

今井トレーナーはそう言って意味ありげにニヤッと笑った。


両者がリング中央に呼ばれ、第2ラウンド開始の合図がなされた。

龍太は渡瀬耕作とNOZOMIの試合を思い出していた。開始早々NOZOMIに先制攻撃を許した渡瀬は、1ラウンドの5分間ずっとNOZOMIに痛めつけられ反撃の暇さえ与えられなかった。
今の自分はあの時の渡瀬と同じではないのか? 否、決して女の子だからと甘く見ていたわけではないが、どこかで胸を貸してやろうという気持ちがあったのは確かなのだ。この女の子はそんな甘い相手ではなかった。

2ラウンドになっても瞳のスピードは衰えない。龍太は慎重にジリジリ詰め寄っていく。もう様子を見たり受ける気はさらさらない。倒しに行くのだ。

体格差を利して龍太は瞳に詰め寄りパンチやキックを放つが、瞳は前後左右のフットワークが速く巧みで中々ヒットしない。逆に瞳のジャブ、パンチ、ローキックが龍太の肉体を面白いようにとらえ手数で圧倒してくる。
それでも両者の体格差は歴然で、前に出てくる龍太に瞳が後退するシーンが多くなってきた。

瞳も速ければ、龍太の身上もスピードなのだ。身体も温まり慣れてきた龍太は瞳をコーナーに追い込んだ。

バキッ!

龍太の重いフックが瞳の顔面を襲う。
ヘッドギアの上からでも瞳はグラッとするが持ちこたえる。
それを見た龍太は、一瞬、自分よりずっと小さい年下の女の子にこんなことをしていいのか? という気持ちになったが、そんな気持ちを振り切り非情のアッパーを浴びせた。

尻もちをついた瞳は、定まらぬ目で龍太を見上げている。

龍太は “もう終わったな” と思ったが、
それでも瞳は必死にカウント9で立ち上がるとファイティングポーズをとった。しかし足元は覚束ない。

龍太は心の中で “もう十分だろう?” と思ったが、よろけながらも瞳は、足を止め猛然と龍太の顔面に向けパンチを放ってきた。

ズドッ!

龍太のストレートが真っ直ぐ瞳の顔面をとらえると、瞳は後方に吹っ飛びロープに倒れかけた。

普通なら終わりだ。

それでも瞳は起き上がろうと必死にロープを掴み立ち上がると、ファイティングポーズをとろうとする。

(どうして立つんだ? 寝ていろ!)

龍太は瞳の根性に、否、その闘争心にゾッとして震える程だった。

スパーリング残り時間はまだ1分以上も残っている。龍太はレフェリーを務める今井に向かって “ストップしてほしい” という目を送った。
これ以上彼女を殴り蹴り続けるのはツラい。しかし、今井は龍太の意味ありげな視線を無視すると、「ファイ!」と、スパーリング再開を促した。

視線を瞳に戻すと...。

ドクン! 龍太の心臓が動いた。

もう、意識朦朧であるはずの瞳の目が全然死んでいないのだ。
その目はキッと龍太を睨み、ヘッドギアの中の顔は鼻血を出している。

悔しいのか? 目に涙をためて鼻血を出しながら必死に龍太に向かってくる。

これじゃ、今井さんもストップできないよな、、龍太は天海瞳のファイティングスピリットに感動していた。
もう、彼女と殴り合うのはやめて抱きしめてやりたい。しかし、それでは彼女の思いに対して失礼だろう。

(3度ダウンさせれば終わりだ。ここで決めてしまおう...)

ビシッ! 

龍太のローキックが決まった。

瞳は泣き叫びながらも倒れず、足を引きずり龍太に向かってきた。

決着の一撃を龍太が加えようとする。

黙って見ていたシルヴィアがタオルを投げると二人の間に入ってきた。そして瞳の身体を抱きしめた。
泣き崩れる瞳にシルヴィアが何か耳元に囁くと瞳はその場に崩れ落ちた。

龍太のTKO勝ちである。

龍太は感動に打ち震えていた。

瞳の元に行くと龍太は握手を求め手を差し伸べた。言葉はいらない。
瞳はそんな龍太に目を向けると立ち上がりその胸に抱きついてきた。
嗚咽しながら「本気になってくれてありがとうございました」と言った。

(こんな細く小さな女の子が、本気で僕に勝とうとしていたんだね? その闘争心に感動したよ。僕だって口の中が切れていたし下腿部も赤くなっている。途中、負けてしまうかもと弱気になりそうだった。世の中は広い。こんな一途で強い女の子がいたんだね)

これが恋に疎い、堂島龍太の初恋だったのかもしれない。


そんな二人の抱擁を麻美は黙ってジッと見ていた。麻美も二人のスパーリングを見て、自分ももっと強くならなければと思うのだった。




月日が流れ、いよいよ年末の格闘技戦のカードが発表された。

メインはNOZOMIとの挑戦券を賭けた試合でダン嶋原を下した村椿和樹が、
NOZOMIに挑むもの。

世間ではキックルールで行われるものと思われていたが、村椿和樹の希望でMMA総合ルールで行われることになった。村椿は一年前から総合の練習も積んでいるとのことだ。

「キックルールでも自分が勝てる保証はないし、たとえ勝っても何の意味もありません。総合ルールで自分が彼女に勝てる可能性は限りなくゼロに近いのは分かっていますが、男は負けると分かっている戦いにも挑まなければならない時がある。敗者の美学をお見せする覚悟です」

そして、大晦日を迎えた。

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