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高橋 かなえ
5 あたしの中の黒い声
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鍵を差そうと玄関とびらに手をのばすと、内側から勢いよく開いてママが部屋から飛び出してきた。
「かなえ。どしたの、早いじゃん」
ダッフルコートの上から保護者カードをかけている。幼稚園に弟をむかえに行くのだ。
「っていうか手ぶら? 冷蔵庫開けといたのに」
「材料は由美ちゃんが持って帰った。どうせあっちの家で作るからって。ところでママ、前髪上げたまま行くの?」
指摘されたママはあとずさり、玄関横の鏡でハデな色のヘアクリップが差してあるのを確認する。
「ぎゃー、危なかったわ。さっきまでミシンしてたからじゃまで……」
クリップを外すと素直に前髪がおりてくる。あたしとちがってママと弟はストレートヘアだ。
くせがない髪っていいな。うらやましい。
「そういうわけでリビング散らかってるから、おやつはテレビの部屋で食べて。ドーナツをカウンターに置いてある」
「わかった。いってらっしゃい」
ママは、あたしの声に応えるように顔の前で子ども乗せ自転車の鍵を振って出て行った。
もうすぐ園のおゆうぎ会か。あたしが杏たちとともに通った園には、今は弟が行っている。
ここでは毎年、クラスごとにおとぎ話の劇をやるのだ。当時はそれが普通だと思っていたから何とも感じていなかったけど、うちの園のおゆうぎ会はものすごく豪華らしい。
小学校で新しくできた友達にふりふりドレスを着たあたし達の写真を見せて「ママが作ったドレスだ」と言うとひどく羨ましがられたものだ。
うちの園では衣装を母親が子どもの体型に合わせて型紙を取って一から作る。
不器用を自覚しているママはこの時期型紙を手に半泣き状態だったらしい。
たった一度しか着る機会のない衣装だけれど、わが子のステージがかかっているとなれば手をぬくわけにはいかない。寝る間も惜しんで必死だったわよ、とママは言った。
テーブルの上のまち針のささった王子様の着るようなキラキラ衣装に目を落とす。
写真館に貸し衣装として置いても問題ないくらいきれいに仕立てられている。
十年前、あたしもママの作ったドレスを着てステージに上がった。
でき上がるまでうんざりするほど試着させられたのをうっすら覚えてる。
あのころは他の子も同じようにしてもらっているし、やってもらって当然だと思っていた。
ありがたいとなんて思わなかった。
むしろ、ちょっとでも形がちがうと半泣きになってもんくをつけていたっけ。
「お姫様なんていまだけよ。いつかはかなえも作ってあげる側になるんだからね」
あまりに偉そうだったからだろう、お遊戯会を見にきてくれたおばあちゃんにそう釘を刺されたのを覚えてる。
ママは「おかあさん、晴れ舞台なのにそんなこと言うのやめてよ」って怒ってくれたけれど。
最近になって、もしもママになったらあたしも将来同じようにすることを当たり前に求められるのかと想像し、とんでもないなって感じるようになった。できっこない。
でもやっぱりステージに上がる子どものことを考えたら、やるしかないって思うんだろうな。どの親もやってるんだしって。
バレンタインと同じだ。みんなそうだしって思って差し出す。差し出すことを求められる。
愛してたら、どんな苦労もなんとも思わないでできちゃうものなのかな。
ママは嫌じゃないのかな。試されているみたいって思わないのかな。
「変なこと思い出しちゃった」
暗い気持ちになりたくなくて、わざと口に出して頬をたたいた。
ドーナツを皿にのせテレビの前のローテーブルに運ぶ。
小さなお姫様になって、頬に手を当ておとめなポーズを決めているおゆうぎ会の写真は、今もテレビの上にかざられている。
あのころは良かったな。かわいい? なんて何度も確認しながらポーズをとって、なんの抵抗もなかった。
親におだてられるがまま、あたしはかわいいって信じてた。
あたしはわが家のお姫様だったのだ。なのに、今はそう思えない。
ふと、由美子のタンポポの花をさかさにしたようなあざやかな色のシフォンスカートが頭に浮かんだ。
凛花がまとっていた上品なもも色のマドラスチェックのロングスカート。
それから杏のハードなデニムのタイトスカートと、ロングブーツ。
花のような女の子たちをいろどるために生まれた、かわいい衣装。
見下ろすあたしの服は、ダボダボのパーカーにみっともないくらいひざの布地がうすくなったブラックデニムのジーンズ。ひどいコーディネートだ。
女の子なのにって親にも言われる。
あんなにかわいいものが好きだったのに、どうしてそんな作業着みたいな服ばっかりえらぶようになったのかしらって。
ダメだ、そんなこと考えちゃいけない。
——もしかして、自分のことかわいいって思ってる? ——
頭の中でひびく声に首をふった。からかうようなふくみ笑いが浮かんで、それだけで心が凍る。
あたしはもう二度とおしゃれなんかしない。かわいくなろうだなんて望まない。
——かんちがいしないほうがいいよ。イタイから——
かつて向けられた心ない言葉がグルグル回り、頭をかかえる。
わかってる、わかってる、わかってるから、もうやめて。
いつまでも引きずってバカみたいだって思うのに、いや思うほど、声はどんどん大きくなった。
「かなえ。どしたの、早いじゃん」
ダッフルコートの上から保護者カードをかけている。幼稚園に弟をむかえに行くのだ。
「っていうか手ぶら? 冷蔵庫開けといたのに」
「材料は由美ちゃんが持って帰った。どうせあっちの家で作るからって。ところでママ、前髪上げたまま行くの?」
指摘されたママはあとずさり、玄関横の鏡でハデな色のヘアクリップが差してあるのを確認する。
「ぎゃー、危なかったわ。さっきまでミシンしてたからじゃまで……」
クリップを外すと素直に前髪がおりてくる。あたしとちがってママと弟はストレートヘアだ。
くせがない髪っていいな。うらやましい。
「そういうわけでリビング散らかってるから、おやつはテレビの部屋で食べて。ドーナツをカウンターに置いてある」
「わかった。いってらっしゃい」
ママは、あたしの声に応えるように顔の前で子ども乗せ自転車の鍵を振って出て行った。
もうすぐ園のおゆうぎ会か。あたしが杏たちとともに通った園には、今は弟が行っている。
ここでは毎年、クラスごとにおとぎ話の劇をやるのだ。当時はそれが普通だと思っていたから何とも感じていなかったけど、うちの園のおゆうぎ会はものすごく豪華らしい。
小学校で新しくできた友達にふりふりドレスを着たあたし達の写真を見せて「ママが作ったドレスだ」と言うとひどく羨ましがられたものだ。
うちの園では衣装を母親が子どもの体型に合わせて型紙を取って一から作る。
不器用を自覚しているママはこの時期型紙を手に半泣き状態だったらしい。
たった一度しか着る機会のない衣装だけれど、わが子のステージがかかっているとなれば手をぬくわけにはいかない。寝る間も惜しんで必死だったわよ、とママは言った。
テーブルの上のまち針のささった王子様の着るようなキラキラ衣装に目を落とす。
写真館に貸し衣装として置いても問題ないくらいきれいに仕立てられている。
十年前、あたしもママの作ったドレスを着てステージに上がった。
でき上がるまでうんざりするほど試着させられたのをうっすら覚えてる。
あのころは他の子も同じようにしてもらっているし、やってもらって当然だと思っていた。
ありがたいとなんて思わなかった。
むしろ、ちょっとでも形がちがうと半泣きになってもんくをつけていたっけ。
「お姫様なんていまだけよ。いつかはかなえも作ってあげる側になるんだからね」
あまりに偉そうだったからだろう、お遊戯会を見にきてくれたおばあちゃんにそう釘を刺されたのを覚えてる。
ママは「おかあさん、晴れ舞台なのにそんなこと言うのやめてよ」って怒ってくれたけれど。
最近になって、もしもママになったらあたしも将来同じようにすることを当たり前に求められるのかと想像し、とんでもないなって感じるようになった。できっこない。
でもやっぱりステージに上がる子どものことを考えたら、やるしかないって思うんだろうな。どの親もやってるんだしって。
バレンタインと同じだ。みんなそうだしって思って差し出す。差し出すことを求められる。
愛してたら、どんな苦労もなんとも思わないでできちゃうものなのかな。
ママは嫌じゃないのかな。試されているみたいって思わないのかな。
「変なこと思い出しちゃった」
暗い気持ちになりたくなくて、わざと口に出して頬をたたいた。
ドーナツを皿にのせテレビの前のローテーブルに運ぶ。
小さなお姫様になって、頬に手を当ておとめなポーズを決めているおゆうぎ会の写真は、今もテレビの上にかざられている。
あのころは良かったな。かわいい? なんて何度も確認しながらポーズをとって、なんの抵抗もなかった。
親におだてられるがまま、あたしはかわいいって信じてた。
あたしはわが家のお姫様だったのだ。なのに、今はそう思えない。
ふと、由美子のタンポポの花をさかさにしたようなあざやかな色のシフォンスカートが頭に浮かんだ。
凛花がまとっていた上品なもも色のマドラスチェックのロングスカート。
それから杏のハードなデニムのタイトスカートと、ロングブーツ。
花のような女の子たちをいろどるために生まれた、かわいい衣装。
見下ろすあたしの服は、ダボダボのパーカーにみっともないくらいひざの布地がうすくなったブラックデニムのジーンズ。ひどいコーディネートだ。
女の子なのにって親にも言われる。
あんなにかわいいものが好きだったのに、どうしてそんな作業着みたいな服ばっかりえらぶようになったのかしらって。
ダメだ、そんなこと考えちゃいけない。
——もしかして、自分のことかわいいって思ってる? ——
頭の中でひびく声に首をふった。からかうようなふくみ笑いが浮かんで、それだけで心が凍る。
あたしはもう二度とおしゃれなんかしない。かわいくなろうだなんて望まない。
——かんちがいしないほうがいいよ。イタイから——
かつて向けられた心ない言葉がグルグル回り、頭をかかえる。
わかってる、わかってる、わかってるから、もうやめて。
いつまでも引きずってバカみたいだって思うのに、いや思うほど、声はどんどん大きくなった。
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