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第三部 お腐れ令嬢
Episode69.敬虔なる信徒《ロドル・ゲマイン》③
しおりを挟む女官と呼ばれた黒衣の女性二人に暗い洞穴の奥に連れて行かれて、ロサミリスは湯に浸かった。おそらく地下水脈からくみ上げて、どこかで湯を沸かしているのだろう。できるだけ時間を稼ぐため、女官の指示にはゆっくり時間をかけて従った。
(消極的すぎたかしら? でも、向こうもソニバーツ卿の命令でわたくしを湯あみさせているのだし、怒られる様子もないし、気にしなくていいわよね)
機械的に体を磨かれ、再び聖堂に戻る。
「お美しいですね」
自らの意志でソニバーツの前に現れたロサミリスは、夜の女神のような幻想的な雰囲気を放っていた。艶やかな黒羽の髪は女官によって見事に編み込まれ、海底の闇を閉じ込めような深い青の瞳は、まっすぐにソニバーツを見据えている。
「私が持ってきた衣装にはお召し替えしてくださらなかったのですね」
「嫌よ。あんなひらっひらですっけすけの衣装。誰が着るものですか」
本気で拒絶した。
彼に対して不信感と嫌悪感を抱いている以上、無駄な恥はさらしたくない。
「儀礼衣なのですがね」
「儀礼衣? ねえ、先ほどの儀礼衣もそうなんだけれど、ソニバーツ卿はわたくしをどうしたいの?」
「象徴になってもらいたいのです」
「象徴?」
「神を信じるには目に見える対象物が必要です。だから貴女にはぜひ、象徴になっていただきたい。信者たちの祈りを一点に受ける聖像に。そして〈祝福〉を宿した貴女を通すことで、ミラと私が繋がれるようにしたいのです」
「本気で言ってるの?」
「本気です」
「わたくしに死ねと?」
「ええ、端的に述べるとそうなりますね」
嘘ではない。
ソニバーツの顔つき、雰囲気、言葉に乗せた感情に至るまで、本気であることが分かる。
(そう…………やっぱりこの人、わたくしではなく呪いを視ているのね)
彼のこの、優しい言葉遣いや視線、気遣いは、すべてロサミリスに対するものではなく、ミラに対する深い敬愛なのだろう。
(歪んでるわ。いま実在する目の前の人間ではなく、目に見えず触れることも声を聞くことも出来ない神に、ここまで陶酔するなんて)
だからこそこの人は、本気で殺すつもりなのだろうと、ロサミリスは思った。
「昔話をしましょう」
彼の話に付き合う道理はない。
けれども、ロサミリスにはできるだけ時間を稼ぐ必要がある。彼が一人語りをしてくれるのなら、たっぷりの時間が稼げる。それはそれで好都合だと思って、遮ることはしなかった。
「今はまだ、帝都もロヴィニッシュという帝国もない時代。あるところに、ヨハネスという少年がいました」
草原には、涼やかな風が流れていた。
神殿作りに疲れた男達が疲れを癒すにはちょうどよい風が吹き、少し目を瞑って眠るだけで疲れがとれる。神殿の建設には石が必要だ。その石は、ぜんぶ人の手で切らないといけない。人手が必要だという理由で、ヨハネスも物心つくときから石切りの仕事を生業にしていた。
父は言う。この国を豊かにするには神のご加護が必要だ。でも国にはまだ神がいない。だから大きな神殿を建てて、偉大な神を迎え入れるのだと。
ヨハネスは神が嫌いだった。表立って言うとシバかれるので言わないが、どうして「神」などというよく分からない存在の為に神殿を作らないといけないのだろう。
母は言う。神がいなければとっくの昔に人間は滅んでいた、と。
そんなに神がすごいのなら、どうして祖父は死んだのだ。全知全能の神ならば、人をもっと長生きにしてほしい。天気はもっと安定してほしいし、友だちよりも身長を伸ばしたいし、意中の女の子とキスだってしてみたい。
それが出来ないのなら、神はちっぽけだ。
『ヨハネス!』
『っうぎゃ!? なんだミラかよ、脅かすなよ』
ヨハネスは「やれやれ」と体を起き上がらせる。ミラはとても美人な女の子。長い銀髪が特徴で、宝石のように綺麗な目を持っている。付き合いが長いため、よく周りからは「顔が全然違う兄妹」だと言われている。
そりゃそうだ。
七つの時に両親を亡くしたヨハネスも、戦争孤児で隣町からやってきたミラも、養ってくれる人が一緒なだけで血は繋がっていない。二人とも子ども好きなローツおじさんに拾われ、今まで育ててもらった。
ちなみに、ヨハネスの好きな女の子というのは、日に日に綺麗になっていくミラのことである。
ついこのあいだも、町一番の権力者の息子から結婚を申し込まれたという。なぜかミラは断ったらしいが、理由を聞いても顔を赤くするだけで答えてくれない。
「毎日毎日石切りをして、家に帰って食事を摂る。笑うと白い歯が見えるローツおじさんとくだらない世間話をして、ミラと美味しい山菜を摂りに行こう約束する」
そんな、ある日のこと。
ミラが神の力を宿せること事が、神殿からやってきた使者によって分かった。
“器”。
文字通り、神と適合する者の意。
神を宿せるのは神聖にして素晴らしい事だと、周りの者は褒め称える。
でも、使者と一緒に神殿に向かうミラの悲しそうな顔を見て、ヨハネスにはどうしてもそれが良い事には思えなかった。
『逃げればいい』
『逃げたら、みんなに迷惑がかかる』
『でも、神を宿すって……! 一生神殿から出られないかもしれなんだぞ! それでもいいのか?』
『いいの。みんなが幸せになるなら、豊かになるのなら』
その後、ミラは自ら神殿にその身を捧げた。
神を宿す儀式を経て、ミラは国母神となった。ミラの力は絶大で、荒れた大地は肥沃になり、毎年何千人も亡くなってしまうような流行り病を瞬く間に沈めた。絶大な力にあやかろうと人々が集い、国は大きく成長した。
当時、ただの石切り少年だったヨハネスは立派に成長し、長年の神殿建設への貢献が認められて、他の場所に神殿を建設する長として認められた。整った容姿のおかげで女性から婚約を申し込まれることもあった。しかしヨハネスは好きな女性がいるからと独身を貫き通し、俗世と性を捨て、ミラの傍仕えになった。
ローツおじさんが老衰で亡くなったタイミングで、戦争が起きた。
国母神がいる国の凄いところは、兵士に加護を与えられることだ。通常の兵士の二倍から十倍ほどの力を発揮できるといわれる国母神の加護。ミラが国母神である限り無敵だと思われた我が国だったが、周辺国はミラに対抗するため、諸外国と連携して二十人もの国母神を用意していた。
人々はミラに願った。
もっと力を、もっと強さを。
ミラは応えた。応え続けた。
国母神として、〈祝福〉を人々に分け与え続けた。
しかし、状況は好転しなかった。圧倒的な戦力差で負け戦になることが分かると、人々はそれまで崇めていたミラを蔑むようになった。同時に、流行り病が襲った。ミラは兵士に加護を施したため、流行り病を沈める力を残していなかった。人々はミラのせいで流行り病が流行ったと思い込み、あれだけ綺麗にしていた神殿に石を投げ込んだ。神殿に仕えていた聖職者は国外に逃げ出し、神殿はどんどん荒れていった。
ミラの傍仕えでありながら、ヨハネスも男だからという理由で兵士として戦争に駆り出されていた。
だから、駆け付けた頃には何もかも手遅れだった。敵国によって包囲された神殿には火があがり、屋根が崩れ落ちていた。
後々、国母神ミラが神殿から連れ出され、敵国の首都で邪神として処刑された。
「大戦が終わり、神は次々と人間のもとから去りました。しかしミラは多くの人間に邪神だとして処刑されてしまったので、他の神にも拒絶されました。人の棲む世界でも神の棲む世界にもいられなくなったミラは、世界の狭間に追いやられました」
「…………」
「そして、ミラが兵士に与えた〈祝福〉は〈呪い〉へと転じました。傍仕えのヨハネスは、きっとミラが世界に裏切られた絶望で〈祝福〉を〈呪い〉に変えたのだろうと推測し、ミラがこれ以上邪神として認知されないように、呪いを浄化する儀式を編み出し、ミラへの想いをこの本にしたためました」
いかがでしたか、と。
昔話を終えたソニバーツは、ロサミリスを見て目を見開く。
ロサミリスは俯き、拳を震わせていた。
悲しみに打ちひしがれているから?
昔話に同情した?
いいや、違う。
ロサミリスは激怒していた。
「あなたって人は、いったい何回わたくしを怒らせれば気が済むのですか!!」
そう言って、ロサミリスはずかずかとソニバーツに近づき、胸倉を掴み上げた。
ふんがっ、と、超強烈な一発をお見舞いする。
「なっ!?」
そう、────頭突きである。
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