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第二部 魔獣襲来イベント

Episode36.暗黒竜③

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 高貴な青玉石サファイアをやや細めて、困った笑顔を浮かべる黒羽こくばの男。
 甘いルックスで数々の女性を虜にしてきた兄サヌーンは、「やあ」といつも通りに手を振る。ロサミリスと視線を合わせるように膝を折り曲げ、ポケットから出した白いハンカチでロサミリスの血塗れドレスを拭いていく。

「お兄様、これは──」
「分かっているとも。これはロサが自発的にやったこと。褒めることはあっても、咎めることはしないさ。おおかた、兄ならここに残るだろうから自分もここに残って何か手伝う、とでも言ったんだろう。我が妹ながら、なんと健気なことか」

 おそらくサヌーンは、オルフェンからの連絡を受けて来たのだろう。
 だからといっても、異常に早い。

「どうやって、っていう顔をしているね?」
「当たり前ですわ。お兄様は屋敷から一歩も出られないような日程を組んでいたはずです、なのに」
「未明、シェルアリノ騎士公爵から通信魔導具による報せを受けてね。緊急要請だったよ。忙しいのを理由に断るつもりだったんだけど、その場所がロサが向かった場所と同じだったからね。夜通し早馬を走らせてきたのさ」

 立ち上がったサヌーンの顔は、確かにいつもと比べて疲れている。
 馬に乗って来たということは、一睡もしていないのだろう。

「妹のピンチに駆け付けるのはお兄様の役目だからね」
「……お疲れでしょう」
「一日くらい寝てなくたって平気さ」

 《竜の剣》を手に持ち、サヌーンは「そういえば」と後ろを振り返った。

「ジークフォルテン卿もいるよ。伝えたのは俺。ロサの身に危険が迫っていると聞いた瞬間、誰にも何も言わず仕事先を抜けてきたようだよ。途中で合流したから一緒に来た」

 そこにいたのは、金糸雀カナリアきみ
 無感情で仏頂面と言われている美しい彼の顔には、明らかな安堵の表情が浮かんでいる。深緑の瞳をわずかに細め、ロサミリスの頬に手を添えた。

「何もなかったようで何よりだ」
「ジーク様、どうして」

 あまりの驚きで、それ以上言葉が出なかった。
 仕事の都合でここには来られないはずだった。
 しかもサヌーンとは違い、ジークは仕事先で一泊していて、どれだけ急いでもこんなに早く着ける訳がない。

「転移魔法を使った」
「転移…………」
「おかげで少し疲れたが、仕事先から家には一瞬で戻れた。あとは早馬を走らせればいいだけだ」

 指定の場所に魔法陣を描いておくと、魔法陣の描いた場所に移動できるのが転移魔法だ。緻密な計算と莫大な魔力が消費されるため、理論が確立していても出来る魔導師は数える程度しかいない。
 
 それを「少し疲れた」という感想だけで済ませられるジークが、いかに魔導師として天才であるか。それを分かっているからこそ、サヌーンは面白がるように目を細め、ジークを見ていた。

「ロサ? 大丈夫か?」
「……い、え、心配いりませんわ。ご心配おかけいたしまして、申し訳ございません」

 顔面蒼白のロサミリスに、ジークは心配げな表情を寄こす。
 すべてが予想外だ。
 転移魔法を使えるくらい魔力があることも、ここにジークがいるということも。

「ジーク、様…………こ、ここにいては危険です。早く、早く、安全な場所に!」
「ロサ……?」

 ロサミリスの脳内には、前世の記憶が蘇っていた。
 前世の婚約者シリウスは、魔獣に襲われて生死の境をさ迷う。
 その事実を手紙で知っただけでも恐ろしかったのに、目の前にいる今世の婚約者ジークの身にも起こったら。

 軽いパニック状態になっていた。
 ひどく動揺したロサミリスの様子に、サヌーンとジークは揃って眉根を寄せる。

「町に魔獣が押し寄せてきている!!」

 飛んできた声に、ロサミリスの肩がびくりと震えた。
 まっさきに反応したのはサヌーンで、前線へと駆けていく。
 ジークはまだ動かなかった。

「ロサ」
「は、い……」
「俺を見ろ」

 吸い込まれそうなほど綺麗な深緑の瞳が、すぐ近くにあって。

「俺は絶対に死なない」

 安心させるかのような声音が、ロサミリスの心に沁みわたっていく。
 
「約束しよう。ロサ、俺は死なないし、大怪我を負うつもりもない。もう二度と、ロサに悲しい思いをさせたりはしない」

 ジークは片膝を立てていた。
 ロサミリスの白い手が取られ、甲にジークの唇が軽く落ちる。
 
「安心してくれ。何も心配はいらない。ロサは、ただ俺の帰りを待っていてくれればいい」
 
 安心させるような微笑を浮かべるジークを見て、ここでようやく、ロサミリスの心は落ち着きを取り戻した。

(今までずっと、ジーク様を死なせないよう死なせないようしてきた……)

 彼が武術に秀でているのも分かっていた。
 でも運命の力は残酷で、自分が彼を守らなければと、ずっと思っていた。
 心のどこかで、彼の強さを信じ切れていなかった。
 運命に負けてしまうのでは。
 それがたまらなく恐ろしくて、今までロサミリスはがむしゃらに頑張ってきた。
 護衛を増やすよう進言したり、オルフェンの協力を得て暗黒シュヴァルツドラゴンを討伐しようと動いたり。
 でも、彼はここに来てしまった。他ならぬ、ロサミリスを守るために。

「サヌーンルディア卿とともに魔獣討伐に参加する。この力で、ロサを守ろう」

 そう言って、ジークはロサミリスの頭に手を置いた
 ひとしきり髪の感触を堪能したところで、ジークは「行ってくる」とだけ残し、サヌーンの後を追った。

「ご武運を、お祈り申し上げます……」

 声が震えるほどの強い気持ちを込めて、ロサミリスは祈りを捧げた。

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