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第一部 婚約破棄イベント
Episode13.舞踏会の始まりですわ④
しおりを挟む演奏が終了し、観客たちがロサミリス嬢の周りに集まり「黒蝶の姫君」と褒め称えている。中には音楽関係の商会や会社の重鎮たちもいた。熱心なスカウトだ。彼女ほどの技術があれば、今すぐにでもコンサートを開き会場を満員にできるだろう。
その様子を、バファノアは苦々しい思いで見つめていた。
(なぜなぜなぜなぜ……!! なぜ、あんな小娘が……!!)
稀代の伴奏者と呼ばれていたバファノアだったが、それはもう四十年も昔の話。
当時まだ少年。
若くしてピアノを弾けるのは称賛された。それなりに才能があって、たまたま運があって「天才」だと持て囃された。
しかし、それは長くは続かなかった。
人々の中に、バファノアに大した才能がないことに気付いたのだ。
事実が露見してしまうのを恐れたバファノアは、それ以来一度もピアノを弾いていない。態度だけは一丁前にふんぞりかえり、かつての栄光にしがみついて高説を垂れた。
昔の事を語れば言えば勝手に崇められ、ピアノの指導を乞おうと人が群がる。
適当な教えでお偉い人から金を巻き上げ、弟子になりたいと言った者は適当な言い訳をつけて退けた。そうやって過ごしている内に、実力が伴わないのに名声だけが積みあがっていった。
努力をしていないくせに、才能ある者を見ると憎しまずにはいられないのがバファノアだった。
(シャルローン夫人の娘をロンディニア公爵家の婚約者に据え置く。そうすれば、リヴァイロスのヴァイオリンがわが物となる予定だったのに……ッ!! あんな小娘の演奏ごときで!!)
正直、ヴァイオリンの価値は分からなかった。
だが、きっと高く売れるはず。富を増やした暁には、名誉貴族として死ぬまで贅沢な暮らしが約束されるだろう。シャルローン夫人と手を組んだのはそのためだ。
(そうだ、あの女……!)
予想通り、シャルローン夫人は呆然自失で地面に座り込んでいた。
かつては美女と謳われた夫人。
昔の美しさは損なわれたが、愛人として遊んでやるにはちょうどいい存在だった。四十手前の人妻というのも中々に美味しい。
夫へのストレスで心身が病んでいた彼女は、バファノアにとって都合のいい操り人形だった。
ある程度の金と少しの自尊心をくすぐってやれば、一つ返事で簡単に動いてくれる。
子爵という特権階級は、偽物の楽器を売りさばいてぼろ儲けするのにうってつけ。
しかし計画が失敗した今、多額の金を無心してきたあの女は目障りでしかない。
これから先も頼られるのは面倒だ。
(あとで始末してやる。でも、今はこの場から去るのが先決……っ!)
なにせロンディニア公爵家は、数週間も前からバファノアに舞踏会でピアノを弾いてくれないかと懇願してきた。それを断り続けていたから、かなり不信感を抱かせているに違いない。
(特にジークフォルテン卿!! あの男はまずい、私が今までやってきた多くの不正に気付いているかもしれん!!)
観客の視線がロサミリス嬢に向いている今、バファノアは人知れず動き始めた。
美しい薔薇園を抜けて、とにかく遠くへ。
あの公爵の緑眼に捕らわれる前に!
「きゃ!!」
余所見をしていたので、どこぞの令嬢を噴水に落としてしまった。
舌打ちして「邪魔だ!」と素通りしようとすると、つま先に強烈な痛みが走る。
「ぐえっ!?」
「伯爵令嬢を夜の冷たい水にさらしておいて無視だなんて、あんまりじゃありませんの?」
(な、なぜここにビアンカ嬢が!!)
姿が見えないと思っていたら、こんなところに。
その隣には見慣れない男もいたが、気にしている場合ではなかった。
(チっ! 元は子爵令嬢の分際で、このワタシの足を踏みよって!! くそ、この女も後で始末してやる!! 女っていうのは、男にぺこぺこ頭を下げる従順な犬であればよいのだっ!!)
そうやって、走り出したバファノアの目の前に──
「お待ちをバファノア様。ロンディニア公爵家次期当主、ジークフォルテンから少々お話がございます」
夜の月夜に照らされて、金糸雀の髪が淡く輝いた。
「ジ、ジークフォルテン卿!! ……いや、なんですかな。ワタシは急に用事を思い出し、家に帰ろうとしたまで」
「せめて舞踏会が終わるまでは黙っておくつもりでした。あの舞踏会には、あなたのピアノを楽しみに待っている方も大勢いらっしゃいましたので」
「な、何の話をしている!! ワタシのピアノは唯一無二だ、安々と人前で披露したりなど……ッ!」
バファノアの目の前に、一枚の紙が出された。
「な、なんだこの紙切れは……」
「貴殿、バファノア・ルートブリス殿への訴状です。今まであなたにお金を騙し取られた金の卵たちが集結し、訴訟を起こすために活動されていました。そのほかにも、あなたに襲われたという女性からの被害届、偽物の楽器類を本物と偽り販売した詐欺罪などなど……」
「こ、こんな紙きれ一枚ごときで!!」
ジークフォルテンから紙を奪い、散り散りに破く。
「今頃、あなたの邸宅には騎士団の強制家宅捜査がはいっているでしょう。まだ出てくるのではありませんか、あなたが今まで犯してきた罪の証拠達が」
「そ、んな…………!」
膝から力が抜け、バファノアは地面に崩れ落ちた。
「ワタシの完璧な人生が……」
「そう、やっぱりあなただったのね」
ビアンカが、濡れた前髪をはらってバファノアをきつく睨んだ。
「お母様の心身が弱っていることをいいことに、使えるだけ使って、そのあと捨てるつもりだったのでしょう!! 私の……私の大事なお母様に手を出した仇を受けるがいいわッ!!」
ロサミリスに仕込まれたダンスの動きで、ビアンカは強烈な蹴りをバファニアの股間にお見舞いした。
バファノアは、もう一歩も動くことは出来なかった。
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