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第一部 婚約破棄イベント
Episode05.今世の略奪者
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ビアンカ・ルゥ・ロゼリーヌ改め、ビアンカ・ファルベ・ラティアーノは養女として来てからというもの、鬱憤がたまり続けていた。
思い描いていたのは華やかな伯爵令嬢生活。優秀で従順な侍女たちに囲まれ、たくさんの宝石があしらわれた首飾りをかけ、可愛いフリルのドレスを着て。
夜会では格下の貴族令嬢から羨望の眼差しを、紳士からは熱っぽい視線を浴びるのだ。
「なのに、どうして! 頭に本なんて乗せられてるんですの!?」
「体が震えていますよビアンカ様」
「わ、私はロゼリーヌ家の娘、本など乗せられなくとも歩き方の基本くらい心得てますわっ!」
と叫んではみるものの、ビアンカの体は左右にふらふら。
基礎はあるはず。なにせ貴族令嬢なのだから、淑女の所作は家庭教師からみっちり教え込まれた。幼少期のころには基本をマスターし、天才だと褒められたものだ。
「軸がぶれぶれです」
ぐさっ。
「プロポーションも崩れてますし、辛いレッスンを放り出してあまーいお菓子でも食べ過ぎたのでしょうか?」
ぐさぐさっ。
「よくもまぁ、そんな状態でジークフォルテン様の婚約者の座を狙おうとされましたよね。たとえわたくしに紅茶をかけて火傷を負わせても、一時間のレッスンも耐えられない伯爵令嬢なんて、お父様やお兄様は恥ずかしくて舞踏会に出してくれませんよ?」
ぐさぐさぐさぐさっ!
「このような方を一瞬でも恋敵だと思ってしまったと考えると、昔のわたくしを殴りたくなりますわね」
「む、むきぃいい! い、言わせておけば調子に乗り過ぎですわよロサミリス様!」
「とんでもございません。これもビアンカお・姉・様のためですわ」
ビアンカの苛立ちの原因はすべてロサミリスという女のせい。
そう……あれは、ロサミリスの顔に紅茶をかけるという嫌がらせをした翌日のこと。
いきなりロサミリスが「仕返ししに来ました。これよりビアンカ様浄化計画を始めます」と馬術用の鞭を持ってビアンカの部屋にやって来たのだ。
まさか直接殴り込んでくるとは思わなくて、目が点になったのは言うまでもない。殺されると思って悲鳴をあげようものなら、彼女は「大丈夫ですよ。痛くしないので」と笑うのだ。
(その笑顔が怖いんですのよ、お分かりっ!?)
それで始まったのが、なぜかビアンカの所作を正すレッスン。殴られたら一目散に母に泣きついてやろうと思っていたのに、期待外れも良いところ。
年下のロサミリスにレッスンされるなんて、自尊心の高いビアンカなら断っていた。それこそ嘲笑っていただろう。
昨日の嫌がらせがジークフォルテンに伝わっているだろうから、逆らえば公爵家の報復を受けるかもと思うと、従わざるを得なかった。
(ただちょっと痛い目みさせて、ビアンカという女がどれだけ恐ろしいか思い知らせるつもりだったのに。伯爵家のお姉様面したかっただけなのにっ!)
ロサミリスとジークフォルテンの茶会に同行することができなかったビアンカは、せめてもの腹いせにお茶会をぶち壊してやろうと思ったのだ。火傷の一つでもして重症になれば、舞踏会を休まざるを得なくなる。自動的にビアンカが繰り上げ出場すれば、晴れて念願の公爵家ご子息様とお近づきになれるわけだ。
ジークフォルテンは婚約者ロサミリスと不仲である。
そんな噂を社交界で又聞きし、もしや伯爵家の養女となれば婚約者になれるかもしれないと思ったのが始まりだ。眉目秀麗の才女であるロサミリスだけれども、濡れた黒羽のような髪に嫌悪を抱く者もいる。きっとジークフォルテンも親の言いつけで無理やり婚約させられているのだから、自分のような愛らしい令嬢なら心を射止められると思っていた。
『金糸雀の君』と呼ばれるほど美しい顔をもつ彼に、ビアンカも心を奪われた令嬢の一人。不仲であるなら自分から婚約破棄をさせるよう仕向ければいいと目論んでいた。
(ジークフォルテン様とあの女が冷え切ってるなんて、とんだデマ情報を掴まされたものだわ)
でなければ、あのように身を挺して守らないだろう。
あのとき魔法を使って侍女を転ばせたのは木の陰に隠れていたビアンカだったが、ジークフォルテンから氷のようなおぞましい殺気を感じた。
二度と近寄るな、次こんなことをすればただでは済まさない。
人を殺しそうな目で睨んできた相手に、これからどう近づけばいいのか。
「レッスン中に考え事とはこれまたずいぶんと余裕ですわねビアンカ様」
頭に重たい本が一気に三つも!
「ひぃいい! あなた本当に十三歳のご令嬢ですの!? ちょっとサバ読んでいるのではなくてっ!?」
「ほお。その着眼点は素晴らしいですね。ご褒美に、このあとのダンスのレッスンをもう一時間プラスしてさしあげますわ」
「き、鬼畜……っ!!」
「鬼畜で結構」
(ど、どどどどどうしてこの私が、二つも年下の方に悪寒を感じねばなりませんの!?)
笑顔を浮かべているが実は目が笑っていない。
たいていの令嬢は、高身長なビアンカを見て体を小さく尻込みしてしまう。
なのに目の前の黒髪令嬢はどうだ。
ビアンカがこっそり部屋を抜け出そうとすれば、どこでそんな俊足を身に着けたのか、あっという間に出口を塞がれ「お戻りください」と笑顔で諭される。
子どもか。子ども相手か。
「…………は、はあ。も、もう一歩も動けませんわ」
息も絶え絶えしく地面に座り込むビアンカに、ロサミリスは涼し気な表情。
おかしい。
さっきまで一時間以上舞踏会用の曲を踊っていたはずなのに。
「ビアンカ様が先に湯あみをなさってください」
「あ、あなたは……どうするのよ」
「わたくしは屋敷の周りを走ってまいります。汗もかくでしょうからその後に」
「な……っこんな辛い事をした後にまだやるおつもりなの?」
伯爵家令嬢。両親からの愛情にも美貌の婚約者にも恵まれた幸せな女。
両親が不仲な上に貧乏な子爵家出自のビアンカとは大違い。
「生まれた瞬間から幸せが決まってるのに、どうしてそこまで……」
少しだけ、ビアンカは言った言葉を後悔した。
困った子どもを見るように、ロサミリスが悲し気に眉根をひそめたから。
「幸せに生きるためですよ。では、また後で」
「あ……ちょっと……」
「あと言い忘れていましたが、ビアンカ様は今日から舞踏会が始まるまでお茶会は禁止です。お菓子をいっぱい食べるから、コルセットがしまらなくて困るのですよ?」
……。
…………後悔したことを撤回しよう。
「やっぱりあの女むかつくぅううう!!」
むきぃい! という特徴的な声は、ロサミリスが外に出ても聞こえるほど大きなものだった。
思い描いていたのは華やかな伯爵令嬢生活。優秀で従順な侍女たちに囲まれ、たくさんの宝石があしらわれた首飾りをかけ、可愛いフリルのドレスを着て。
夜会では格下の貴族令嬢から羨望の眼差しを、紳士からは熱っぽい視線を浴びるのだ。
「なのに、どうして! 頭に本なんて乗せられてるんですの!?」
「体が震えていますよビアンカ様」
「わ、私はロゼリーヌ家の娘、本など乗せられなくとも歩き方の基本くらい心得てますわっ!」
と叫んではみるものの、ビアンカの体は左右にふらふら。
基礎はあるはず。なにせ貴族令嬢なのだから、淑女の所作は家庭教師からみっちり教え込まれた。幼少期のころには基本をマスターし、天才だと褒められたものだ。
「軸がぶれぶれです」
ぐさっ。
「プロポーションも崩れてますし、辛いレッスンを放り出してあまーいお菓子でも食べ過ぎたのでしょうか?」
ぐさぐさっ。
「よくもまぁ、そんな状態でジークフォルテン様の婚約者の座を狙おうとされましたよね。たとえわたくしに紅茶をかけて火傷を負わせても、一時間のレッスンも耐えられない伯爵令嬢なんて、お父様やお兄様は恥ずかしくて舞踏会に出してくれませんよ?」
ぐさぐさぐさぐさっ!
「このような方を一瞬でも恋敵だと思ってしまったと考えると、昔のわたくしを殴りたくなりますわね」
「む、むきぃいい! い、言わせておけば調子に乗り過ぎですわよロサミリス様!」
「とんでもございません。これもビアンカお・姉・様のためですわ」
ビアンカの苛立ちの原因はすべてロサミリスという女のせい。
そう……あれは、ロサミリスの顔に紅茶をかけるという嫌がらせをした翌日のこと。
いきなりロサミリスが「仕返ししに来ました。これよりビアンカ様浄化計画を始めます」と馬術用の鞭を持ってビアンカの部屋にやって来たのだ。
まさか直接殴り込んでくるとは思わなくて、目が点になったのは言うまでもない。殺されると思って悲鳴をあげようものなら、彼女は「大丈夫ですよ。痛くしないので」と笑うのだ。
(その笑顔が怖いんですのよ、お分かりっ!?)
それで始まったのが、なぜかビアンカの所作を正すレッスン。殴られたら一目散に母に泣きついてやろうと思っていたのに、期待外れも良いところ。
年下のロサミリスにレッスンされるなんて、自尊心の高いビアンカなら断っていた。それこそ嘲笑っていただろう。
昨日の嫌がらせがジークフォルテンに伝わっているだろうから、逆らえば公爵家の報復を受けるかもと思うと、従わざるを得なかった。
(ただちょっと痛い目みさせて、ビアンカという女がどれだけ恐ろしいか思い知らせるつもりだったのに。伯爵家のお姉様面したかっただけなのにっ!)
ロサミリスとジークフォルテンの茶会に同行することができなかったビアンカは、せめてもの腹いせにお茶会をぶち壊してやろうと思ったのだ。火傷の一つでもして重症になれば、舞踏会を休まざるを得なくなる。自動的にビアンカが繰り上げ出場すれば、晴れて念願の公爵家ご子息様とお近づきになれるわけだ。
ジークフォルテンは婚約者ロサミリスと不仲である。
そんな噂を社交界で又聞きし、もしや伯爵家の養女となれば婚約者になれるかもしれないと思ったのが始まりだ。眉目秀麗の才女であるロサミリスだけれども、濡れた黒羽のような髪に嫌悪を抱く者もいる。きっとジークフォルテンも親の言いつけで無理やり婚約させられているのだから、自分のような愛らしい令嬢なら心を射止められると思っていた。
『金糸雀の君』と呼ばれるほど美しい顔をもつ彼に、ビアンカも心を奪われた令嬢の一人。不仲であるなら自分から婚約破棄をさせるよう仕向ければいいと目論んでいた。
(ジークフォルテン様とあの女が冷え切ってるなんて、とんだデマ情報を掴まされたものだわ)
でなければ、あのように身を挺して守らないだろう。
あのとき魔法を使って侍女を転ばせたのは木の陰に隠れていたビアンカだったが、ジークフォルテンから氷のようなおぞましい殺気を感じた。
二度と近寄るな、次こんなことをすればただでは済まさない。
人を殺しそうな目で睨んできた相手に、これからどう近づけばいいのか。
「レッスン中に考え事とはこれまたずいぶんと余裕ですわねビアンカ様」
頭に重たい本が一気に三つも!
「ひぃいい! あなた本当に十三歳のご令嬢ですの!? ちょっとサバ読んでいるのではなくてっ!?」
「ほお。その着眼点は素晴らしいですね。ご褒美に、このあとのダンスのレッスンをもう一時間プラスしてさしあげますわ」
「き、鬼畜……っ!!」
「鬼畜で結構」
(ど、どどどどどうしてこの私が、二つも年下の方に悪寒を感じねばなりませんの!?)
笑顔を浮かべているが実は目が笑っていない。
たいていの令嬢は、高身長なビアンカを見て体を小さく尻込みしてしまう。
なのに目の前の黒髪令嬢はどうだ。
ビアンカがこっそり部屋を抜け出そうとすれば、どこでそんな俊足を身に着けたのか、あっという間に出口を塞がれ「お戻りください」と笑顔で諭される。
子どもか。子ども相手か。
「…………は、はあ。も、もう一歩も動けませんわ」
息も絶え絶えしく地面に座り込むビアンカに、ロサミリスは涼し気な表情。
おかしい。
さっきまで一時間以上舞踏会用の曲を踊っていたはずなのに。
「ビアンカ様が先に湯あみをなさってください」
「あ、あなたは……どうするのよ」
「わたくしは屋敷の周りを走ってまいります。汗もかくでしょうからその後に」
「な……っこんな辛い事をした後にまだやるおつもりなの?」
伯爵家令嬢。両親からの愛情にも美貌の婚約者にも恵まれた幸せな女。
両親が不仲な上に貧乏な子爵家出自のビアンカとは大違い。
「生まれた瞬間から幸せが決まってるのに、どうしてそこまで……」
少しだけ、ビアンカは言った言葉を後悔した。
困った子どもを見るように、ロサミリスが悲し気に眉根をひそめたから。
「幸せに生きるためですよ。では、また後で」
「あ……ちょっと……」
「あと言い忘れていましたが、ビアンカ様は今日から舞踏会が始まるまでお茶会は禁止です。お菓子をいっぱい食べるから、コルセットがしまらなくて困るのですよ?」
……。
…………後悔したことを撤回しよう。
「やっぱりあの女むかつくぅううう!!」
むきぃい! という特徴的な声は、ロサミリスが外に出ても聞こえるほど大きなものだった。
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