フリークス・ブルース

はいか

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死の淵で輝く

22 涜世

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 星の奔流。有象無象の生命の氾濫。無秩序に流れ続ける彼方の果てにて、彼は孤独の中にあった。
 幾星霜を越える心地で超越する。意識が肉体を離れて無窮のような空間に閉ざされ、なおも流され続けるその身は雁字絡めの呪縛によって微動に及ばない全ての肉体干渉が遮断されている。


(起動中に強制シャットダウンされた電脳はこんな心地なんだろうか……)

 宇宙に跳び。泡を浴びる。光は収束と離散を繰り返し、どこまでも続く深く昏い世界で境界を越え続ける。

(もし、出来るのならばやってみろとの事だったわけだけど…なんとも度し難いほどのリコール案件だな。説明書のない初期不良なんて手に負えない)

 禁忌の発動。恵能者に許された道を外れた力の獲得。発動すれば恵能者としての貴賤も実力もお構いなしにその身に余る力を《受け取る》ことが出来るという悪魔の契約に如き儀式。話に聞けばエリゼ・キホーテがあの一切不貫の道化騎士たる魔人アーカス・レイ・ワダクを打倒した際にも用いられたという。傷一つすらつけることが叶わなかった敵対者を凌ぐことが出来る恩恵であれば、或いは人の身でヴァンプールを淘汰することも可能とさえ思われた。

 グラン・カニシカが事前に伝えた発動条件は一つ。それは“敵対者を前にした不退転の恵能契約”と紹介された。恵能契約なる単語の意味などセノフォンテは説明を求めなかった。元から望みの薄い力の獲得だと高をくくってかグランもまた仔細を伝えることをしなかった。何より、結末や結論ばかりに執着するセノフォンテにとっては、この世界に纏わる事項を説明されることすらも憚られるようであったのだ。

 かくして無縁の長物と思われていた最たる禁忌の力がセノフォンテに握られた。結果、空間は歪み、時空は軋み、あってはならない表裏を垣間見た生命に待っていたのは魂の断片化と肉体の凍結だった。彼が行ったのは世界の不文律を乱す不正プログラムの起動であり、それにより“媒体”である彼自身がフリーズしてしまった。
 彼を基軸とした周辺領域が捻じれて曲がり、在りもしない張力と圧力によって自壊と泥化を始めている。炭酸が弾けるように次々と地面が弾けていき、みるみる地表がピースを失うパズルボードのように無数の黒点と白点に切り替わっていく。
 今まさに対峙の関係にあったヴァンプールの身も意識を残したまま凍結され、彼の用いる分身も各々が写真に生き写されたように静止を強制された。発動するトリガーとなったセノフォンテ自体もまた時空のバグにより動静を失い沈黙の中にあるため、今この周辺領域には断絶された空間による崩壊のみが事象として生じ得ていた。


(どうすればいいんだ……?今、俺に何が出来て何が出来ない?)
 彼の意識は遥か彼方まで押し流され、星の海にて地球を見下ろす。
(落ち着け…いや?落ち着いてるな。妙だ。気持ち悪い)
 光景が絶えず切り替わる。様々な光景が視界を通さずに意識そのものに投影されていく。そのどれもがかつての地球とはかけ離れたどこか浮世離れした光景。プラグ・Sなる異世界のものだと思われる奇怪な絵図ばかりだ。
(体は動かない。あいつも動いてないな。向こうも同様のフリーズを強いられてるなら、求められるのは解決力か?
?急いで凍結を解除すればそのまま奴を斃せるのもんなのか……いや、そうだ。違う。ここでなら考える時間がある。考えさせられるのは糞だけど、ここをうまく切り抜ければ元の世界への帰還に一歩近づく。別にこの世界のことを考えなく良い。今、自分に出来ることを考えるんだ)

 
 禁忌とは何なのか。ではなく、どうすれば禁忌を何者かに落とし込めるのか、自らの指先の如き大事在の極致に至れるのか。セノフォンテの意識は無数の星間を越える間に無想と執着を重ねる。意識体では考えることのみが成立原理であるがゆえに無限の思考が刹那に巡る。
 在りもしない妄想。妄言。机上の空論。しかしそれら元の世界の概念に照らし合わせた感傷。全てが実現し得ると仮定し、全てが立証できると信じた際の結論は二転三転の大どんでん返しを繰り返す。アレはなんだ。これはこうだ。全てを定義し、意味と名前を与える。

―――― どうやってエリゼさんはこの力を制御できた?
―――― 違う。俺が動かすんだ。
―――― 仕組みがわからないよ
―――― 違う。定義するんだ。尤もらしい理屈で。
―――― バグだらけだよ。
―――― お前が作ったバグだろうが。
―――― 処理が重い。負担が嵩む。こんなの目的じゃない。
―――― お陰で奴も止まってるとも。
―――― 攻撃は出来ないのか。攻撃するための力じゃないのか?
―――― 今できなければ書き換えればいい。代償は空間であってルール。お前じゃない。
―――― 俺は勝ち組?
―――― 物理は神の作ったコードだろう。
―――― 穴だらけじゃないか。エンドポイントがすぐそこにある。
―――― 見え透いた終末前じゃあくつろげないだろ。
―――― ここ、間違ってないか?
―――― 人類が絶えず修正を加えることで惑星間のコードを成立しえるんだ。
―――― また、わけのわからないことを。
―――― 吐き気がするほど不完全な五大装置だな。
―――― だが、お陰でお前が付け込める。
―――― なるほど。俺はもう許されてたわけだ。
―――― 堕落じゃないさ。悦楽を求めるのは割合い早めに作られたオブジェクトだからな。

 世界反転。修正。スタックへのポップとプッシュ。開いた気泡を泥細工で詰める。

―――― いっそ夢なら洒落が効く。
―――― 夢を見るにも肉体は要るだろう?取り返せよ愚図。
―――― そうだ。夢が見たい。
―――― どんな?
―――― ここじゃ見れない夢。



 処理開始。
 偽装モデル構築。展開。発動。
 第一層にて信号を管理。仮止めした空間を繋ぐ。信号は細部を巡り、応答せよ。
 第二層にて会話を実現。応答を解析。構文をこちらと同期する。元気だ。やっほー。
 第三層にて任意の空間を選別。個別の通信にて都合を通す。要らない因果律から先に通信を解除。
 第四層にて品質チェック。解読できないデータは至急削除。信頼性を重視、重複の克服と順序の再構築。
 第五層にて確立、維持、終了を制御。セキュリティに力を入れよう。こちらを攻撃するものには対処を。
 第六層にて空間表現と暗号化を。ここまでくればフォーマットの整理も行う。
 第七層にて規則を与える。具体的な形式。知の在り方。全ての許可を俺のルールに落とし込む。


―――― 会話できる。
―――― ここでなら面と向かって話せるな
―――― 俺じゃないか。ひどい面だ。
―――― さて、何を話そうか。
―――― 何も聞きたくなんかないね。もううんざりなんだ。
―――― 何がだよ。
―――― 全部。このいかれた世界も社会も、そこに棲んでる馬鹿みたいな生命も。
―――― 倫理など唾棄して久しいのにな。何様なんだよお前は。
―――― ほら見ろ。自分にまで否定される。妄想に耽ってもなお悲観的だ。
―――― 年季が違うんだよ。ガキが。
―――― ガキ呼ばわりか。
―――― ああ。体裁の悪いことこの上ない。無垢でなく無知なだけ。悪質だな。
―――― 言い負かされてやるとも。俺は結局この世界に合ってないんだ。
―――― 自分が嫌っている風にするなよ。嫌われてるのはお前の方だ。
―――― は?
―――― そもそも。お前はガキの頃からちっともわからんからガキなんだよ。
―――― 知るかよ。何にも覚えてないしね。
―――― 記憶じゃないからな。お前はガキのままだ。
―――― お前は違うのかよ。お前も俺だろうに。
―――― 年季が違うんだよ。並行世界に一貫性を求めるな。ややこしい。
―――― じゃあ並行世界の俺はいったい何をしてくれるのかね。
―――― 無理やり呼んだくせに生意気な。何もするもんかよ。
―――― 口先だけの傍観者か。立派に成長できた俺の末路はそんなもんよ。
―――― 元々お喋りが好きだったからな。お前の破壊衝動を宥めるくらいはしてやるよ。
―――― は?俺が何を壊すって。
―――― 今まさに、世界を毀す気でいるだろうがよ。ああ。悪気ないんだもんな。無知って便利だ。
―――― 言い訳したくて耳を塞いでいるんじゃないさ。本当に知りたくないんだ。
―――― 俺とは正反対だな。だからこそ、こうして対面してるわけだ。
―――― 全知全能気取りが出来るなら、そっちの俺も悪くないのかもね。
―――― 全能じゃねぇが、全知だ。少なくともお前の知らない補完すべきこの世界のルールは知ってる。
―――― 煩い。
―――― お前は身の丈に余る衝動に首を突っ込む癖に、手にした物のルールブックを欲しがるんだ。
―――― だから、子供だと?
―――― まだ言うのかよ。お前はガキだ。それはさっき結論つけたろうに。
―――― じゃあ全知で大人なお前はどこで何してんだよ。
―――― こんな端っこじゃねぇよ。惑星の広さなめんな。
―――― 地球に戻りたい。
―――― はっ。無知は羨ましい。ここまでくると無垢じゃないって発言も取り消してぇもんだ。
―――― それだけが聞きたい。どうやったら戻れる?
―――― なんだよ。そのためにあの男と手を組んだんだろ?まだ迷ってんのか。
―――― 人を殺したからな。柄にもない罪の呵責だ。
―――― お前はどこまでもいっても正義のヒーローのはなれないんだな。
―――― 選択には後悔が付きまとう。嫌になる。
―――― 後悔するくらいなら最初から……
―――― 死んでおけばよかったって?
―――― いや。死ぬチャンスはお前が的確に潰していった。もう死ねぇよ。俺を待て。
―――― なんだよ。お前、会いに来てくれるっていうの?
―――― 元々そのつもりだった。こんな終末みたいな景色を見せられるために呼ばれるとは思わなかったがな。
―――― いつ来るんだ?
―――― おい。
―――― いつだ?
―――― それに答えたらお前が壊れる。
―――― 一時間後か?一週間後か?一年も後か?
―――― やめろ。
―――― それまで俺はこの世界から出られないのか?
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 乱れた空間が元に戻る。全ての質量が解放され、歪んだ大地も大気も正常な循環に回帰する。

「………?」

 感触が手から順に戻ってくる。震えた手からは撃墜棍が落ち、靄が晴れた視界には敵対者の残滓が揺蕩っている。

「…………こうなると不憫だな」
 セノフォンテは合掌して音を鳴らす。すると、その凝り固まった空間で明滅していた黒点の中からヴァンプールが姿を現した。沈んだ水源から這い上がるようにして臨界し、息も絶え絶えに喘いでいるそれに近づくのは容易なことだった。

「げほッ…!!…ああ!…」
「恵能っていうのは空間と因果律ってのに干渉する概念体系だとか。勝手に解釈させてもらえば…俺が発動させた恵能の禁忌とやらで空間がバグってアンタは歪みに取り残されてたわけだ。んん。放置すればどうなるのやら…」
「まだ…まだ、だ!!」
「あと他に何体のヴァンプールがいるのかこっちは知らないんだ。一体のヴァンプールに時間は掛けられない」
「……痴れ者がッ!!……この…世界の……恵を享受しておきながら…なおも…禁忌を…厭わぬなどッ」
「厭わぬから…何さ」
「万死に値する凌辱に他らならぬわ!!!」
「…………」

 セノフォンテは撃墜の力でそのヴァンプールを遥か地中まで岩盤をもろとも埋め鎮めた。それでそのヴァンプールが絶命したのかは定かではないが、少なくとも彼が制御し得る中で最も強力に力を行使したことを自覚したため、這い上がることは困難だと思われた。

「撃墜って言うよりもこれじゃあ埋葬だ」
 
 荒涼たる土地にあった無数の掘っ建て小屋からは血の匂いが漂う。数度の恵能の発動だけでもこれほどまで容易く人間を殺戮できることがここで確認された。
 林檎を潰すよりも簡単に、並んだ鳥を数えるよりもスムーズに。自らの精神の影響を避けた無知の概念によって作業的に奪われた命。誰一人立っていない光景で彼は沈黙のまま立ち尽くした。

「なんだよ……」
 意図せず頬濡らす涙に触れ、彼は口を噛みしめる。
「もう…良いだろ。何度も繰り返すなよ…ッ!!!」

 全てを理解せず。ただひたすらに帰郷を志す。その目的のためには障壁を除く必要があり、それがどんな生命であれ、いちいち後悔しているようでは何も成し遂げることはできない。彼は自分自身に何十回も、何百回もその曲げてはならない信念を言い聞かせてもなお、こうして錆びてくれない心はその在り方を否定してくるのだ。

「……勘弁してくれよ………もう…戻れないだろ」

 消え入りそうなか細い声音。
 懺悔に満たない小さな叫びが、彼の体を膝から崩れさせた。
 
 蹲り、囀るように泣くことしかできない自分。どこか遠くから眺めているような心地で彼は静かに泣き崩れる己を俯瞰していた。

 



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