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 ここまでが11月末頃の話。


 きっと啓太くんのことだからすぐ謝ってくると思ったのに、いつまで経っても音沙汰は無くて、私達が両想いだとは知らない母からその近況を聞かされる始末。いや、でも、付き合って初めてのクリスマスイブくらいは…と期待したけど、それも会えずに終わってしまった。

 ああ、きっと面倒臭くなったんだろうな。幼くて我儘で堂々と付き合えない女なんて、私がもし啓太くんの立場だったら願い下げだ。

 結局、例年通り家族でイブを過ごし、クリスマスは女友達と食事会をした。そして会えないまま年を越し、正月明けの初出勤から戻った母がバタバタと慌てていたのでどうしたのかと訊ねてみたところ…。

「ん~、なんか森嶋くんがねえ、風邪を拗らせて肺炎になっちゃったらしいのよ。それでいま入院3日目なんだけど、病院に電話して聞いたらお見舞いOKだって言うからさ。あの人、地元が九州で近くに頼れる親族もいないし、ウチで面倒見てあげるしかないでしょ?って言うかさ、正月の間ずっとご飯も食べずに寝込んでたって、そりゃあ肺炎にもなるわよ。まったく、どうしてその段階で電話して来ないかな。…あ、唯も一緒に病院行く?」

 千切れそうなほど頭を上下に振り、その1時間後にはまるで小さな子供のように母の背中に隠れながら病室に入った。点滴を打たれ、青白い顔をしている啓太くんの姿と亡き父の姿が重なり、自分がとんでもないことをしてしまった気がする。

 そう、私は試そうとしたのだ。

 私に対する愛情を、
 私に対する情熱を。

 何やってたんだ、私。
 そんなもの、どうでも良かったのに。

 だって、絶対に私の方が啓太くんのことをたくさん好きで。だから対等になろうとする必要なんか全然無くて。愛すべき対象が存在することに、その事実に感謝しなければいけなかったのに。

「ん…?誰…」

 私達の気配で目を覚ました啓太くんが、寝ぼけた様子で呟く。

「わあっ、唯だあ」

 それを聞いた母が口を尖らせながら、どこからか丸椅子を1つ持って来た。

「あらあら、唯しか見えないの?私もいるんですけどねッ」

 そして私は母に懇願する。『実は啓太くんと喧嘩中なので、仲直りをさせてください』と。『少しだけ2人にさせてくれませんか』と。すると母はまるで何もかも知っているかのように答えるのだ。

「いいよ、唯。仕方ないよね、こればっかりは。だって、お前は母さんの子だから、ちょっとやそっとじゃ諦めないんだよね」

 スライド式のドアが静かに閉まり、母の足音が小さくなっていく。たまたま空いていたのが特別室しか無かったそうだが、小さな病院だからか見た目は普通の個室と大差無い。改めて2人きりになると妙に照れ臭くて、ひたすらモゴモゴしていると啓太くんの方から話し始めてくれた。

「…マスク」
「え?あ、うん。院内感染を防ぐ為にって受付でムリヤリ購入させられるんだよ。1枚50円とか絶対にぼったくりだし。息苦しいからマスクって大嫌いなのにな」

「…ごめん」
「な、なんで?謝る必要無いよ。啓太くんは別に悪くないんだから」

 ああ、もう、本当に情けない男だな。

「いや、だって正月に入院するとかさ。それも地元にいる兄貴から電話が掛かってきて、普通に話してたつもりだったんだけど、なんか支離滅裂だったみたいでさ。『とにかく病院に行け』とか言われて、タクシー呼んだ後の記憶が無いんだ。後で聞いたら、運転手さんが玄関先でグッタリしてた俺を発見して病院に運んでくれたとかって、なんかもうイイ大人が…恥ずかしいよ」

 まったく何やってんだか。

「あのさ、俺、唯にも謝らないと」
「え?何を」

「ほら、唯が言ってただろ?『面倒事を避けてる』って、あれ、図星。だって俺、絶対に番匠さんと雅さんから唯との交際を反対される自信、有るもん」
「そんなの、啓太くんじゃなくても…。世の中の父親は相手がどんな男でも反対する生き物らしいよ」

 もうすぐ40になるのに、何なのこの男。

「それとさ、唯に手を出さなかったのは幻滅されたくなかったからで…。だってきっと唯の元カレは、若くて引き締まった体をしてたよな?あのさ、俺、脱いだらブヨブヨだから。でも、し、仕方ないんだよ!この年齢になるとそれほど運動することも無くなるのに晩酌の量は変わらずでさ、酒ばっかガバガバ飲んでるからか腹とかなんかもう信楽焼のタヌキ状態だからッ。見たらきっと唯は悲鳴上げるぞ?!

 それに華麗な女性遍歴のせいでテクニシャンだと思われてるみたいだけど、そっちも本当はサッパリなんだよッ。元嫁が離婚後に俺との夜の営みを『お粗末だった』と言いふらすくらいなんだからな。ああ、分かってる、自覚してたよ!俺という男は見掛け倒しなんだとね!きっと唯も俺にガッカリして去って行く、そう思ったらどうにもこうにも動けなかった。…なあ、唯、動けなくなったんだよ」

 ポカンと開いた口が塞がらない。“唖然”とは正にこういう状態を表すのだろう。そしてようやく私は言葉を発する。

「…最初から期待なんてしてないし」
「えっ?」

「私、啓太くんのことをカッコイイとか思ったことないんだけど」
「そ、そう…か?」

「傷ついた顔しないでよ。あのね、私は啓太くんが人生経験豊富で頼れる年上の男性だとかこれっぽっちも思ってないよ」
「ああ…うん…」

「私の口癖を覚えてないの?…まったく、啓太くんはダメな人だな」
「あーっ、それ、久々に聞いた!」

 そっと手を伸ばし、その頬を想いを込めて何度も撫でる。

「年齢なんて関係無い。啓太くんは1人じゃ生きていけないから、だから、私が面倒を見てあげたいの」
「…ゆ、唯~」

「ていうか、面倒を見させて?あのね、啓太くんの体型がダルダルとかそんなの脱がなくても分かるよ、夏はシャツ1枚でゴロゴロしてたんだし。そういうのもひっくるめて、好きだから。だから遠慮せず私に手を出して?いつか啓太くんの赤ちゃんを産んで、賑やかな家族を作ってあげる。寂しいなんて言えなくなるくらい、ずっと傍にいてあげる」

 …啓太くんの真一文字に結ばれた口が、絞り出すように『ありがとう』と呟く。それを聞きながら私は尚も続ける。

「世の中の女子が皆んな、ヒーローを好きになるワケじゃないよ。私はね、その逆で危なっかしくて放っておけないダメ男が好き。んもう、初めて会った時から変わらずにダメダメだなんて、啓太くんってほんと卑怯だよね」
「ぎゃっ!」

 えっと…。私を抱き締めようとしたところ点滴に邪魔されて腕を伸ばせず、針だけが深く刺さってしまったが故の悲鳴らしい。

 一瞬だけ気まずい沈黙が流れる。

「そ、そういうとこ!まったく、どうしてこの大事な場面でそういう凡ミスをするのよ~」
「ご、ごめん唯!ワザとじゃないんだ」

「そういうことをするから、好きなんだってば~」
「いや別にこういうのは狙ってやってるワケじゃなくて、むしろ…ああ、もう、どうでもイイか。俺も唯が好きだ!!素直じゃなくてツンツンしてるクセに、本当は誰よりも優しいとかさ、しかも中身だけじゃなくて外見も死ぬほど可愛いって、こんなの世界中の男が惚れるだろ?!いや、でも、一番愛してるのは俺なんだけど」

 パタンという音がして、気付いた時にはもう母が室内にいた。そして顔色ひとつ変えないまま、啓太くんに向かって言うのだ。

「へえ…。愛とか語っちゃうんだ?」
「なっ、や、みやぶ、み、ヤッ、」

 啓太くん、慌て過ぎ。

「ウフフ、啓太くん、私もだぁい好き」
「って、雅さん?!唯の声を真似しないでくださいよッ」

 お母さん、こんな時にまでアナタは…。







 …………
 このまま交際は許されるかと思ったが、現実はそう上手くいかない。

 啓太くんは退院したその足で我が家を訪問し、新年になってからは初顔合わせということでお父さんに挨拶したのだが。


「あけましておめでとうございます!お、お嬢さんを僕にくださいッ」
「えっ?」

 正直、私が一番驚いた。

 だって、一週間も入浴していなくて髪はボッサボサだし、髭は剃ってあるけど着ているのは平服だ。本来ならば散髪したてのスーツ姿で挑むべき重大な儀式のはずなのに、きっと啓太くんのことだからガーッと感情が高ぶってしまい、その勢いで言ってしまったのだろう。

 ほんとツメが甘いよね~。
 さすがのお父さんも怒るってもんよ。

「森嶋くん、念のため確認するね。『お嬢さん』とは唯のことかな?」
「はいっ、そうです!唯さんを僕にッ」

 どんな時でも姿勢正しいお父さんは、背中を丸めている啓太くんに向かって微笑みながら即答した。

「あはは、ダメだよ~」
「反対されることは覚悟していました。でも、これだけは諦めたくないんです」

「どうして今?唯はまだ大学生だよ。卒業を待てないのかい?…まさかもう妊娠しているんじゃないだろうね?」
「いえ!唯さんには指一本触れてません。その…先日、唯さんの昔の交際相手から僕らのことを誹謗中傷されまして。今までは看過されていたはずなのに、これからは周囲がそういう目で見るので、堂々と一緒にいるには結婚しかないかなと…」

 勝手な妄想かもしれないが、こういう場面での父親はもっと威圧的に怒鳴りつけたりするものだと思ったのに、お父さんはふわふわと軽く拒否する。それが掴みどころが無いというか、あまりにも淡々とし過ぎていて逆に怖い。いや、もっと怖いのは母だ。先程から無言でニコニコ笑っているが、その真意が分からないので余計に不気味だ。

「森嶋くん、まずね、その服装。せめてそれっぽい格好して来よっか。病院から直行して来たんだろ?思いつくままに行動するのは感心しないな。そんな直情的な男に大事な娘はやれない。いつでも最善の策を練る男じゃないと、可愛い唯はあげられないよ。ごめんね、気分を害したから、まともな格好で改めて出直してくれないかな」

 『はい、分かりました』と言って、啓太くんはスゴスゴと帰って行き。それから毎日のように我が家に来た。そしてお父さんは必ず1日に1つ質問を投げかける。

 >20も年下の若い娘と結婚して、
 >先に自分が死んだ後のことを
 >真剣に考えているのかい?

 >前の結婚生活での問題点と、
 >今後その反省をどう活かすつもりかな。

 本当によくそんなに質問が有るなあ…というくらい、しつこくしつこく訊いて。そして3カ月ほど過ぎた頃、お父さんはいつもの笑顔を消して真顔で言うのだ。

「絶対に唯を幸せにしてくれるかい?」
「はい、勿論!」

 啓太くんがそう即答すると、お父さんはニッコリ笑って続ける。

「じゃあ、いいよ」
「…?!」

「あのさ、娘を持った親なら必ず抱く“理想のムコ像”ってのがあるんだぞ」
「は、は…あ…」

「外見なんてどうでもいい。いや、むしろちょっと不細工な方が浮気とかで揉め事を起こさないから尚いいな。地味でも構わないんだ。とにかく真面目で、誠実で、仕事は当然、家庭も大切にする男がいい」

 どうやら自覚は有るらしく、啓太くんの背中がどんどん丸くなっていく。

「えと…、あの…、すみません、ご期待に添えなくて…」
「まったくだな。唯と同世代の若者で想定していたのに、むしろ自分との方が近い年齢だなんて。結婚生活の先輩として色々と語ったりもしたかったのに、森嶋くんに於いてはそれすらも既に経験済みときたもんだよ」

 ぷぷっ。

 ここでお母さんが吹き出した。それも、堪え切れないという感じで愉快そうに。

「もうそのくらいにしておかないと、唯に嫌われちゃうわよ、お父さん。森嶋くん、長々と付き合わせて悪いわね、実は最初からこの結婚は許す気でいたの。何ていうか、『お嬢さんをください』と言われて如何に勿体ぶるかで娘の価値が決まるみたいなところが有るでしょう?こんなに大事に大事に思っている娘を、そう簡単にお前ごときに渡せるか!と渋れば渋るほど価値が高まるみたいな」

 この人はいったい何を言い出すのか。微かに首を傾げる私をチラリと見て、母は小さな溜め息を吐く。

「でもね、残念ながら森嶋くんはそんなことをしなくても知ってるのよね。…私達がどんなに唯を大事に育てたかを。知っているからこそ、不幸にするはずが無いと分かっているの。そして私達も知っているんだわ。唯はいつでも周囲に気を遣い、心を擦り減らしている子だと。それがたった1人、森嶋くんの前でだけ気を許せるって分かってるから、だから、しょうがないねって言ってたの。だって人生の中でそういう相手に何人も出逢えるワケじゃないでしょ?…ねえ、森嶋くん」

 お母さんの問い掛けに啓太くんはピンッと背筋を伸ばして返事する。

「はい、何でしょうか?!」
「しつこく訊くけど、本当に唯を幸せにしてくれるのよね?」

「はい、勿論!俺の人生の残り全部を、唯に捧げますっ」
「あまり気合いを入れ過ぎると、後で息切れするから、ほどほどにね。まあ他の夫婦より介護が早いだろうけど、唯は亡くなった実父の姿を見ているから、多少は心構えが出来ているのかもしれないわね」

「そ、そうですね!」
「それに森嶋くんが先に死んだら、もっと素敵な男性と再婚するかもだし」

「そ、それはちょっと悲しいなあ…」
「あらやだ、今のは冗談よ」

 あはははっと笑いが起きて。そしてお父さんが啓太くんに手を伸ばし、軽く握手しながらこう言った。

「安心しろ森嶋くん、俺達にはまだ菜摘がいるから!!理想のムコはそっちに期待するよ」

 本気か冗談かは分からないその言葉に、再び笑いが起きた。





 
 …………
「あぶぶぶぶぅ、んばあ~」
「ほらほら、いい加減にしてよ啓太くん。茜の独り占め、禁止!」

 あんなに大騒ぎして結婚した私達も、いつしか普通の毎日を過ごしている。若い頃、女性を泣かせまくった男には娘が授かるという俗説は本当らしく、啓太くんも父親になって初めて過去の自分を悔いたらしい。

「…なあ、唯。ふと思ったんだけど俺なんかに騙された女のコ達ってさ、皆んなどこか投げやりだったと言うか。自分を大切にしていない感じがしたな。どこか冷めてる…いや、諦めてたのかも。他人を信じ切れないようなそんな自分に自信を持てないコばかりで。あのさ、なんだかんだ言ってやっぱり愛されて育った人間は最強なんだよ。だって自分が誰かの宝物だって分かってるから、だから自分を大切にして安売りしない。実はそれが何よりも最大の防御なんじゃないかな?

 こんなことを言える立場じゃないけど、でも、敢えて言わせてくれ。俺たちの娘を…茜を守るには、メチャクチャ愛してやろう!!過保護になり過ぎないように、唯と俺とで役割分担したりして、悩みながら時には叱り、慰め、褒めて。とにかく愛してるんだぞって、俺は死ぬまで伝え続けたい…んだ」

 ああもう、泣いてるし。
 大の男がメソメソ泣いてるし。

「うっ、ひっ、ぐす…」
「すん、すん、ずずっ…」

 それ見て私まで泣いてるしッ。

 小さな小さな手をそっと握りながら
 啓太くんが呟いた。

「茜、大きくなってもお父さんみたいな男に騙されるなよ」
「ちょっと、私はどうなるのよ?!」

「俺、唯のことは騙してない」
「それは知ってるけど」

「むしろ唯の前だと素になるから、カッコつけられなくて困る」
「それも知ってるけど、でも…」

「『でも』…何?」
「わざわざカッコなんかつけなくても、啓太くんが世界で一番素敵に見えるよ」

「うっ!」
「きゃっ」




 窓の外には青空が広がっていて。


 柔らかな日差しに目を細めながら私は、
 この幸せがいつまでも続きますようにと

 そっとそっと願った。





 --END--
 
 
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