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恋だった。

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 一応、前田にも人間の血が通っているらしく、罪悪感からかその後は妙に明るく振る舞い出す。

 それはもう挙動不審レベルの明るさだ。


「よ、よおし!今日は俺も料理を手伝うぞ。この玉葱、皮を剥けばいいんだよな?」
「うん、お願いします」

 だいたい、私もおかしい。

 別れ話をする気でいるのなら、なぜ料理の材料を買ってくるのか。その言い訳をさせて頂くと2年間もこの調子でご飯を作っていて、それも週3くらいのペースで作っていて、最早これ半同棲じゃないのって感じだったから、

 …私との時間を覚えていて欲しかったのだ。

 この時間に、たぶん私も救われていたから。だって前田とそうなるまでは、仕事が終わると何もしたく無くなって一日の出来事を反芻しては落ち込み、抜け殻みたいな毎日を送っていた。
 
 お菓子だけで晩御飯を済ませたり、それさえもしなくなって空腹のまま眠ることもよくあったのに、前田に誘われるようになったお陰で生活を変えるしかなかったのである。
 
 というのも他の女性達の手前、まさか2人きりで堂々と外食するワケにもいかず、自炊するしか選択肢が無かっただけなのだが。

 会社帰りに食材を買い、そのまま前田のマンションで料理を作って食べる。最初は時間を掛けたワリに大したものは出来なくて、味もイマイチな仕上がりだったが、前田は残さず全部食べてくれた。それが徐々に上達し、自分でもなかなかの腕前になったと思う。

 『美味しい』とも『不味い』とも感想を言わない前田のために、いつも頑張って作り続けた。週に数回でもそうやって手作りで凝った晩御飯を食べることは活力にも繋がったし、ゾンビみたいにドロドロだった私の状態もシャキッとするようになって結果的に生活が一新したから、前田との関係も悪いことばかりでは無かったのだろう。


 これは確かに恋だった。


 そう、一方的では有ったが、私はこの男に恋をしていたのだ。苦しいことも多かったけれど、そればかりでは無かったと私は知っている。この恋が次にもっと素敵な恋をするためのレッスンだったのだとすれば、こんな風に討ち死にするのも悪くない。

 さあ、最後の晩餐の準備をしよう。
 笑って幕を閉じるのだ。

 そんな決心をした私の隣りで、玉葱を剥きながら前田がボソリと言った。

「あのさ、明日の朝礼で発表するらしいけど、俺、3カ月ほど福岡に出張する」
「…えっ、3カ月も?」

 なるほど、言い逃げするつもりでこのタイミングを狙ったのか。そんな意地悪な推測をしている私に向かって、前田はその仕事内容を説明し出す。

 『事務職は利益をもたらさないから人員削減しろ』という役員からの要請は執拗で、人材開発課から2人減らしても尚、解散を求めて来たのだと。そこで発足人である迫田さんが打開策として、内部だけではなく外部からの仕事も受託することにしたらしい。
 
 試行として契約を結んだのが、とある企業が新設する福岡支社で。3カ月後の開業を目指し、人事や社員育成はもちろん保険や給料絡みの税金等のオフィシャルな面までサポートするのだそうだ。

「迫田さんと俺の2人で行くんだけど多分…いや絶対、死ぬほど忙しくなると思う」
「迫田さんも行っちゃうんだ?」

 鼻に皺を寄せて前田は唇を尖らせる。

「何だよ、俺よりも迫田さんがいなくなる方がショックなのかよ」
「いや、だって、ウチのリーダーだし…」

「だからこその廣瀬さんなんだよ。一応、経営企画部と兼任とか言ってるけどさ、実質は人材開発課専任でやって貰う予定らしいぞ。なんだかんだ言って4人分の穴埋めをするのな、あの人。どんだけ期待されてるんだって感じだよな」
「そっか、異動した2人と迫田さんと前田。合計4人分の仕事をしちゃうんだ…」

 慌ただしくなる予感がしたが、むしろ忙しい方が助かるのかもしれない。そんなことを考えながら私は、こっそり溜め息を吐いた。



「じゃあね、お元気で」
「まだ福岡には行かないって。出発予定は一週間後だから」

 最後の晩餐を恙なく終え、私は急用が出来たと言って前田の元を去ることにする。もちろん『じゃあね』は出張するから言ったのでは無いが、それを敢えて訂正はしない。改めて別れを告げるのは何となく重すぎて、泣いてしまいそうだったからだ。
 

 大丈夫、次はきっと素敵な恋が待っている。
 …そう、最高の恋が。

 
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