真冬のカランコエ

ももくり

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第一章

きみと生きたい 1

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 ※ここから雅視点に戻ります。
 



 もう迷わない。

 傍にいて欲しいのは、貴方だけ。
 傍にいたいのも、貴方だけ。

 一緒にいよう。
 ずっとずっと一緒に。


 さあ、うんと幸せにしてあげる。





 ────

 私と芳が抱き合っているというのに、光正は何ごとも無かったかのように私達の元へと歩み寄ってきた。

 言わなくちゃ。

 …もうこれ以上、引き延ばせない。芳が強引に私を離そうとしたので、光正を見つめたまま芳の手を握る。

 言わなくちゃ。
 言わなくちゃ。
 言わなくちゃ。

 言葉は出たがっているのに、それを舌が封じ込めていた。

 …これで何もかも変わってしまう。私の人生も大きく変わるに違いない。だけどこの人のいない未来なんて考えられないのだから。言い淀む私の手をそっと押しやって、芳が口を開く。

「雅、もう遅いから番匠さんと帰りな」

 それは時刻のことを言っているはずなのに、何故だか私達のことを指しているようで。遅くない!遅くなんかないんだよ!だって芳はまだ生きているんだから…と思わず焦って私も口を開く。

「光正…ごめん、私…。やっぱり芳が好き」

 光正は哀し気に微笑み、それから小さく頷く。それを見た芳がバチンと私の背中を叩きながらワザと明るくこう言った。

「バカかお前?!トチ狂ってんなよ。俺か?俺なんか好きになっても無駄…」

 その芳を遮るように右手を上げ、光正は私に向かって答える。

「…うん、何となく分かってた。そうなんだろうなって」
「自分でも止められないの、だって芳が私のことを好きだって。だって芳が、芳が…」

 この場で泣くのは卑怯だと思うのに、緩みきった涙腺は簡単に涙を放出する。

「ああ、もう泣くなよ。いいよ…井崎君のところに行きな」
「い、いいの?」

「いいも何も。人の気持ちは変えられないから」
「み、光正のことも好きだけど、なんかもう芳の方は年季が入り過ぎて片想いが実るなんて思ってなかったから、だから、何と言うか…」

「ああ、もうそれ以上言わなくていい。これでも一応、傷ついてるんだからな」
「ご、ごめん。ごめんなさい」

 泣き笑いのまま振り返ると、芳は大きな溜め息を1つ吐いて絞り出すような声で呟いた。

「せっかくだけど、俺、雅とは付き合わないよ」

 絶対、そう言うだろうと思っていた。だからこそ私は芳に問うのだ。

「…どうして?」
「だって、分かるだろ?俺には…先が無い。結婚も出来ないし、子供も作れない。そんな男と付き合っても意味無いよ」

 私は低くしゃがんで芳と目線を合わせながら話し続ける。

「意味は有るよ。芳の人生が残り僅かなら、一分一秒でも長く一緒にいたい」
「バッ、バカ言うなって。終わりが見えているのに、わざわざ苦労を背負うこと無いんだ。俺、雅には絶対幸せになって欲しいから」

 不思議と涙は止まっていて、ハッキリとその姿が見えた。たぶん私は、この時の芳の表情を一生忘れないだろう。

 困っているような、
 それでいて嬉しそうなその表情を。

「分かってるクセに…私の幸せは芳の傍にいることだって。どんな結果になっても絶対に後悔しない、だから私を幸せにしてよ。病気になっても、芳は芳でしょ?芳にだって幸せになる権利は有るんだよ。

 …ねえ、私がうんと幸せにしてあげる。

 死の恐怖なんか忘れるほど、毎日楽しく暮らそう。辛くなったら一緒に泣いてあげる。ひとりになりたかったら、そう言って。私になら何でも言えるでしょ?芳も幸せになっていいんだよ!」

 芳は私の手を強く握り返しながら、繰り返し『ごめん』と呟くだけだ。

 たぶん私が思っている以上に芳の決意は固く、2人の進む先は厳しいのだろう。どんな言葉でなら、この人の凍った心を溶かせるのだろうか。

「同情されるのは御免だし、雅は分かっていないんだ。今はまだいい。もし再発したら楽しくなんて暮らせないんだぞ。俺が痩せ細って苦しむ姿を、お前は笑って見ていられるのか?」

「そんなの無理に決まってるでしょ?ていうかさ、それは芳に限らず誰にでも死のリスクは有るよっ。突然死するかもしれないし、事故死するかもしれない。見えない未来に怯えて生きるよりも、『今日1日、楽しく暮らそうね』って思っちゃダメなの?5年後、10年後のことばかり考えて、今日を暗く過ごすなんて勿体ないよ。先に宣言しておくわ、芳の病気が再発したら号泣します。そんなの当たり前でしょ?生半可な気持ちじゃない、光正を傷つけてでも芳を選ぶと言っているの。

 私の人生を芳にあげます。
 だから芳の人生も私に頂戴。

 もう一度言うよ。

 私が、芳を
 …うんと幸せにしてあげる」



 真っ直ぐ芳を見つめると、耐え切れないと言わんばかりに両手で顔を覆われた。

「頼むよ雅、俺を困らせないでくれ。お前は何も分かっていないんだ。俺達2人だけの問題じゃなく、その家族も巻き込むことになるんだぞ。死に損ないの男に大切な娘を喜んで差し出す親はいない。…あのさ、俺と同病の男性がいて。その人の彼女は交際を反対された為、自分の親と縁を切ったらしいのな。それから勢いで結婚して子供を2人も授かったんだけど、数年で彼の病気が再発してしまうんだ。それがつい最近のことでさ、余命1年だって。

 分かるか?雅。どんな綺麗ごとを言っても、現実はそんなに甘くない。確かに俺はお前のことが好きだ。だからこそ、辛い目に遭わせたく無いんだよ」


 コンコン。

 恐ろしいほど静かな病室に、突然ノックの音が響く。『はい』と芳が返事をすると、年配の看護師さんが申し訳なさそうに顔を覗かせた。

「あの、もう用事は済まされましたか?面会時間は既に終了しているので…その」
「わ、分かりました、本当にすみません」

 いかにも号泣していたのが丸わかりだったのか、看護師さんはワザと明後日の方向を見て独り言のようにしてこう呟いた。

「あと5分」
「えっ?!あの、いてもいいんですか?」

「他の患者さんに迷惑が掛からないよう、小声で話してくれれば、あと5分。就寝時間まで残り10分だから、それ以上は譲れませんよ」
「は、はいっ、有難うございます!本当に感謝します」

 そういえばあの看護師さんにも、芳と同じ年齢の息子さんがいると聞いた。だから他人事では無いのだろう。そんなことを思いながら、私は再び芳の方に向き直す。なんだかもう何を言っても同じ答えが返ってきそうな気がして、次の言葉を考えあぐねていたその時、急に光正が口を開く。

「…じゃあ、こうしようよ。俺はこのまま雅と付き合い続けるんだ。で、暫くの間だけ井崎君に貸してあげる」

 あまりにも突飛なその提案に、私と芳は眉間に皺を寄せた。それを軽く笑い飛ばしながら、光正は続けるのだ。

「だったら安心だろ?不謹慎なことを言うけど、もし井崎君が亡くなったら雅を俺に返して貰う。それが何十年先になっても、俺は平気だから。ねえ井崎君、キミは以前こう言ってたよね?『俺は雅を誰よりも一番好きだから、譲れるんだ』って。…あのさ、俺だって譲れるんだよ」

 『あはは』と芳は泣き笑いの表情で。それにつられて笑っていると、光正が挑発するかのように私の肩を抱き寄せた。

「なあ、井崎君。もっと皆んなに甘えろよ。ひとりで抱え込まないで、病気のことを公表してしまうんだ。キミの母親の話はお姉さんから聞いたよ。それで臆病になっているんだろうけど、全員が同じ反応を示すはずないから。過去には避けた人間もいただろうし、面倒臭そうにする人間もいただろう。でもそれは、その人達も弱かったんだ。雅なら大丈夫!いざとなれば、俺も支えるから。

 滝沢主任に、橋口君や祐奈ちゃんだってきっと力になってくれるはずだよ。今、井崎君の周りのいる人達は皆んなキミのことが大好きなんだ。だから逆に内緒にすることで、彼らを傷つけてしまうかもしれない。キミはずっと1人で頑張ってきたから、もうこれ以上頑張らなくていい。ほら、お待ちかねの雅だぞ、期間限定で貸してやる。出来るだけ早く返して欲しいが、それが嫌だったら長生きするんだな」

 そう言って光正は私の両肩を掴んでグイッと押し出し、芳に抱き着かせた。

 ギュ───ッ。

 私が抱き締める腕に力を込めると、芳は声を上げて泣き始めた…。




「うっ、ひっ、ぐぅ。な…で、そんなに番匠さんは…」

 『優しいのか?』と訊きたいのだろう。柔らかな空気を纏ったまま、光正は自然に頬を緩めて答える。

「俺、8歳の時に母親を亡くしたんだ。それが結構長い闘病生活だったんだけど、まだ幼かったせいか何も知らされなくて。余命宣告を受けていたらしいから母も父も残りの時間を知ってたのに、自分だけが知らなかったんだなあ。まだまだ一緒に過ごせると思っていたら、突然目の前から消えちゃうんだよ。

 あれはキツイ。
 本当に本当にキツイ。

 してあげたかったことがたくさん有ったんだ。短い人生を、もっと楽しませてあげたかった。

 …だからかな。井崎君を自分の母親に重ねているのかもしれない。キミは同病のその男性と奥さんを憐れんでいるようだし、子供も産むべきじゃなかったとそう思っているんだろう?でもね、残された子供の立場として言わせて貰うとそんなの全然関係無いよ。むしろ自分は母がこの世に存在していた証だと思うと、なんだか誇らしい気分になるほどだ。

 苦労なんて平等に与えられるものだし、まだ起きてもいない不幸を嘆くのはもう止めないか?キミの選択肢は1つだよ。さあ、早く雅の手を取るんだ」



 芳は病衣の袖で涙を拭き、真剣な表情で私に言う。

「絶対に苦労させると思うけど、それでも俺についてきてくれるか?」
「うん、はい、もちろん!」

「雅っ、う…あ…てる」
「なになに?もう一回?!」

「も、無理ッ。絶対に言わんっ」
「やだ逆ギレ??変な人ねえ」


 …本当は聞こえていた。でも、もう一度言って貰いたかったのだ。耳まで赤く染めながら小さく小さく呟いた芳の言葉は

 >雅、愛してる。

 それをそっと胸の奥へと仕舞い、光正に促されるようにして病室を出た。


 たぶん私達は傍目から見れば不幸なカップルだろう。…だが、それがどうしたというのだ。全てのことにタイムリミットは有る。そして残念ながら、殆どの人はそれに気づけない。むしろそれに気づき、一分一秒を大切に過ごせる私達の方が、世界イチ幸せなのではないか。

 そんなことを思いながら、夜空を見上げる。薄切りの大根みたいな月がなんとなく応援してくれているようで、私は思わず小さく笑った。

 
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