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第一章
去りゆく青春 1
しおりを挟む[~芳side~]
まるで海に潜っているみたいに
何も聞こえないし、
話すことも出来ない。
いつしか光は届かなくなり、
孤独にも慣れてしまった。
死と向き合うのは、そんな感じだ。
希望を持つことに疲れ果て、
諦めることが悪では無いと
自分で自分に言い聞かせ。
早く消えてしまいたいと願ったその時に、
…またキミと出会った。
────
「脳腫瘍…ですか?」
あの頃の俺はまだ若くて、全てに於いて無知だった。激しい頭痛、そして嘔吐。左目がチリチリと痛み、開けることもままならなくなって漸く近所の医院へと向かう。子供の頃からお世話になっていた、ジイちゃん先生。俺からすれば医者は神様みたいな存在で、その人の言うことは絶対だと信じていたから、まさか診断結果が間違っているだなんて疑いもしなかった。
雑談後に目と喉を診て、それから聴診器を胸と背中に当てられてから下された結果は“単なる風邪”。
「芳は若いのに大ゲサだなあ。あまり騒いでご両親を心配させるなよ」
そうトドメを刺され、バツの悪い思いで帰宅する。処方された風邪薬は1週間分。それを飲んでも一向に治る気配は無く、むしろ悪化する一方で。でも、ジイちゃん先生の言葉が脳裏を掠めたせいで騒げなかった。眠れぬ夜が続きフラフラして真っ直ぐ歩けなくなり、これは尋常ではないと母さんに訴えて漸く総合病院へつれて行って貰う。
すぐに本格的な検査をされ、改めて下された結果は“脳腫瘍”。なんだか聞き慣れないその言葉にただただ驚くばかりで。隣りで話を聞いていた母さんが青褪めたことで深刻な状況なのだと悟ったが、それでも現実味は無かった。
「ほら、この画像を見てくれるかな。これが腫瘍なんだけどね、かなり厄介な位置に有るんだよ」
ふうん、画像ってこんな風になってるのか。なんかドラマで見たのと似ているな。
「早速、手術に入りたいけど残念ながら今からだと半年後しか手術室が空いていないんだ」
へえ、そんなに手術が必要な人って多いのか。
…ここまではなんとなく他人事みたいに感じていて。ふわふわしていた俺を母さんの質問が一気に引き摺り下ろす。
「まさか死ぬことはありませんよね?」
40代前半くらいの真面目そうな医師は、一瞬だけ憐れみの表情を浮かべながらも事務的に答える。
「それは断言出来ません。手術してみないと分かりませんが、完全に除去出来ない場合は何度でも再発し、最悪の場合は死に至ることも有ります」
そっか、死ぬかもしれないんだな…。薄っすらボンヤリと忍び寄って来た死の恐怖。この時の俺は、まだその恐ろしさを分かっていなかった。
自分で言うのも何だけど、
たぶん俺は自慢の息子だったはずだ。
そこそこ成績も良かったし運動神経もほどほどで、子供の頃から愛想も良く近所の人たちからも可愛がられていた。そこにいるだけで皆んなを笑顔にしてしまう、…そんな存在だったと思う。特に母さんは俺のことが大好きで、学校から帰ってスグに顔を見せると嬉しそうに口元を緩めていた。親戚のオバちゃん連中に俺の自慢ばかりして、『もう芳くんの話をするのは禁止!』と叱られたことさえ有るのだと言う。
そんな母さんだったからこそ、この現実が受け入れられず真っ先に壊れたのだろう。ボンヤリと考え込むことが増え、夜は俺の名前を叫びながら何度も起きる。父の薦めで病院に行くと、出された結果は自律神経失調症とかで。その診断は1カ月も経たないうちに、鬱へと変わってしまった。
いやいや、おかしいって!
だって病気になったのは母さんじゃなく、この俺なのに。次第に家族全員が母さんを腫物扱いし、気遣えば気遣うほどその症状は悪化していく。寝ない、食べない、とにかく無反応…なクセして俺の顔を見ると号泣する。
「可哀想な芳、そんな体に産んだ母さんを許してね。代われるものなら代わってやりたい、なんでお前が先に死んじゃうの?!」
笑顔に溢れた明るい我が家はすっかり変わってしまい、毎日がまるで葬式状態。俺がいると家族たちが黙り込むので、帰宅するとスグ自室に籠った。
…俺、まだ死んでないんだけど。
ていうか、いつ死ぬとも宣告されてない。
不安よりもモヤモヤした気分で同病の人間を探し始める。ネット検索すると簡単にコミュニティサイトが見つかり、その中の1人と頻繁にやり取りするようになった。8歳上のその人はトモさんという男性で、俺と同じ18歳で発病したのだと。
>トモ:ヨシは彼女とかいる?
>ヨシ:いるよ!すごくラブラブなんだ。
>トモ:そっか…。
>ヨシ:実はさ、彼女にこの病気のこと
>伝えようか迷ってる。
>トモ:絶対に止めておけ。
>ヨシ:なんで??
その後の書込みは物凄い長文で、
まとめるとこんな感じだ。
トモさんにも彼女がいるとかで、俺と同じように発病した時は既に付き合っていたらしい。真っ先に病気のことを伝えたせいで、彼女の選択肢を奪ってしまったのだと。とても真面目で優しい女性だから、いつ死ぬか分からない男を切り捨てることが出来なくて。何度もトモさんの方から別れを告げたが、『最後まで一緒にいる』と言い張り決して首を縦に振らないそうだ。
>ヨシ:愛情深くて素敵な彼女ですね!
…呑気な俺の言葉へのレスは残酷なものだった。いつ死ぬか分からない男との交際を彼女の両親は猛反対し、現在、家族とは絶縁状態。だからと言って、苦労させることを分かっていながら結婚することも出来ず。もしこのまま何年も生きてしまったら、そして突然死んでしまったら、彼女は生涯独身を貫くのかもしれない。一生、哀しい想いをさせるくらいならば、発病した時点で別れておけば良かったと。
>トモ:ヨシは本当に彼女のこと好き?
>ヨシ:うん、もちろん。
>トモ:だったら早く解放してあげなよ。
>ヨシ:解放?
>トモ:オレの失敗を教えただろ?
>ヨシ:……。
>トモ:よく考えるんだ。
>自分のエゴで彼女の人生を奪うな。
>ヨシ:でも家族とはギクシャクしてて、
>彼女といる時間だけが安らぐというか
>心の拠り所って感じなんだけど…。
トモさんは最後にこう締め括った。付き合う時間が長くなれば長くなるほど情が深まり、その死の重みも変わってくる。彼女の幸せを心から願うのならば、早いうちに解放してやれと。
「解放…かあ」
ようやく事の重大さを理解し始めた俺は三日三晩、悩み続け。
…そして雅に別れを告げた。
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