真冬のカランコエ

ももくり

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第一章

dear 3

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 …………
「はい、では以上で今月の売上報告を終えます。他に周知事項のある方はいらっしゃいませんか?」

 終礼の司会当番である瞳さんの言葉で滝沢主任が挙手をして前へと進み、芳がその後に続く。マイクを渡された主任は軽く咳払いをしながらいきなり本題に入る。

「えー、誠に残念なお知らせが有ります。定例会の会費4万9千円が盗まれました。すなわち14名分ですね。最後に入金したのは斉藤さんで、午後2時に外出予定でした。その前に誰かへ手渡したかったけれども、残念ながらそこにいた全員が入金済みで、仕方なく自席の鍵付きの引出しに入れて予定通り客先へと向かったそうです。

 一部の人間は知っていたかと思われますが、斉藤さんは引出しの鍵をペン立ての下に置いている。犯人はそれを知っていたのでしょう。わざわざ中のお金を出して、空っぽの集金袋を高橋さんの机に置いた。…まんまとこちらの罠に引っ掛かってくれたワケです」

 ザワザワと部署内が騒がしくなり、『えっ?!どういう意味??』『細工がしてあったってこと??』そんな疑問の声があちこちから上がる。ここで主任が再び咳払いをすると一瞬で静けさが戻って来て、再び説明が続けられた。

「これも一部の方はご存知でしょうが、高橋さんが最近嫌がらせを受けています。その内容は伝言メモを捨てられたり、俺が彼女に依頼した郵送物がシュレッダーにかけられていたりと実際、業務にも支障が出ています。それで何人かに依頼し、さり気なく周囲を監視して貰いました。

 えー、それでですね。結論から言うと犯人の目処は既に付いておりますが、これ以上時間を掛けるのは面倒なので、今回の罠を仕掛けることになりまして。集金袋の中身が実は、見える部分だけ本物の千円札で真ん中は単なる紙です。しかも大量の香水を振っておきました。斉藤さんが外出してから、高橋さんが空っぽの集金袋に気づくまでわずか1時間程度。中身に触れたのは犯人だけですし、その手にまだ匂いが残っているでしょう。

 今から各自の手の匂いを、2人1組になって嗅ぎ合ってください。それっぽい匂いがした方は、挙手して貰えればこの芳が確認します。犯人扱いするようで誠に心苦しいですが、むしろ潔白を示す為にも協力していただけると有り難いです」

 …で、でも。ハンドソープで洗ったりしていたら?それにいくらキツイ匂いの香水でも、そんな持続力が有るとは思えない。半信半疑の表情を浮かべる私に、そっと背後から光正が囁いた。

「雅、大丈夫なんだよ。ここにいる全員が『匂わない』と言う段取りになってるからさ」

 2人1組ということなので私は光正とペアになり、その手をスンスンと嗅いでみる。当然だがそれらしき匂いはしない。今度は逆に光正に嗅がれる為に自分の手を差し出すと、優しく微笑みながら彼は説明を続けた。

「俺たちが今しているのは、犯人を糾弾することじゃなくて、犯人を牽制することなんだよ」
「えっ?それってどういう…」

「ここにいる全員…犯人を除くけどね、とにかく皆んなには、もし匂いがしてもそれを報告しないで黙っていてくださいと伝えてあるんだ」
「嘘、それじゃこんなことしても無駄…」

「無駄じゃないよ。これで営業部全体に雅が部署内の誰かに嫌がらせを受けていると知らしめられた」
「あ、そっか…」

「きっと皆んなこれから、雅の周辺を気にして監視してくれるよね。今後、犯人は全員を敵に回す覚悟で嫌がらせするというリスクを負う」
「そ、それでも仕掛けてきたら??」

「大丈夫、最後の仕上げを井崎君がしてくれる予定だから。多分、もう嫌がらせは止まるはずだ」
「芳が…?」

 ここで主任がマイクを使って問い掛けてくる。

「えー、どうでしたか?それらしき匂いがした方はいませんか?」

 シーンとオフィス全体が静まり返っている。その静寂を破るかの如く、再び主任が声を張り上げた。

「大勢の前で報告するのは忍びない…そう思っているのかもしれませんね。では、取り敢えず一旦解散することにしますので、該当者がいれば後ほどコッソリ教えてください。お疲れの中、時間を取らせて申し訳ない。ご協力に感謝致します」

 途端にザワザワと騒がしくなり、その喧噪に便乗して私も光正に問う。

「ねえ、じゃあ、光正。私が嫌がらせを受けていますって主任が終礼で言った時、皆んな『ええっ?!』とか驚いてたよね」
「ああ、そうだな」

「事前に打ち合わせ済だったってことは、もしかしてあれ全部、演技なの??」
「もちろん」

 ふと、何かが引っ掛かった。

 犯人以外には全て周知済。
 芳が最後の仕上げをする。
 匂いがしても報告不要。

 もしかしてソレって、こっち側の人間から匂いがするワケ無いってことなんじゃ…。こっち側…すなわち、主任と芳に向かって立っている全員。そう、あちら側にいるのは主任と芳だけでは無く司会役の瞳さんがニコニコと微笑んでいる。

「光正、まさか…と思う…けど」
「え、何?」

 そこから目が離せなくなり、食い入るように見つめていると芳が彼女の耳元で何かを囁く。途端にその笑みは消えて顔色が真っ青になった。

「犯人って、ひ…とみさん??」

 最後に瞳さんと言葉を交わしたのは…そう、確か先週の夕方。私がサンプルとしてケース発注した紙パックのワインが物流部に届き、それを取りに行った帰りで。予想外に重くて、台車を持って行かなかったことを激しく後悔していたら助けてくれたっけ。

「手伝おうか?雅ちゃん。そんなの運んでたら身長が縮んじゃうよ」
「先輩にそんなことさせられません」

 そう言って断ると問答無用で荷物を半分奪われ、ワザとへっぴり腰ふうに歩いて私を笑わせてくれた。美人で優しくて思いやりがあって、本当に素敵な女性なのに。あの瞳さんが、そんなことをするはず…

「うん、実はそうなんだ」
「えっ」

 自分で訊いておきながら光正の返事に激しく動揺してしまう。もう既に周囲の人々は姿を消しており、私の傍で光正が声を潜めて話し続ける。

「彼女が、雅を苦しめた張本人だよ」
「だっ、だって…」

 混乱し過ぎて頭の中がメチャクチャだ。考えが纏まらないせいで、何をどう質問すれば良いのかすらも判断出来なくなっていた。

「ここじゃマズイ。俺たち以外に犯人が誰かということは知らないし、場所を変えて話さないか?」
「で、でも」

 恐ろしいほど冷静に、光正は私を非常階段へと連れて行き。

 ぎゅっ。

 なぜかそこでゆっくりと私を抱き締めた。

「えっ、ちょっ、光正?何してるの?」
「落ち着け…という意味のハグ」

 そのまま背中を優しくポンポンと叩いている。

「お、落ち着いているよ、私ッ」
「嘘吐け。人間というのは幾つになっても、どんな時でも、悪意には不慣れな生き物なんだよ」

「悪意に不慣れ…」
「雅みたいに、誰からも好かれるタイプの人間は特にな。いきなり向けられた憎悪に、どう対応すればいいか戸惑ってるだろ?」

 ああ、その通りだなと思った。そうか、数々の修羅場を乗り越えて光正は逞しく成長したのだ。こんな風に、他人の気持ちを思いやれるほどに。あの弱々しかった男がここまで強くなったということに軽く感動していた。いや、もしかしてこれはある種の現実逃避なのかもしれない。だって知りたくなかったのだ、あの優しい瞳さんが…私のことをとても憎んでいるだなんて。

「人間なんてさ、言葉でしか本心は測れないのにその言葉ですらも簡単に偽れる」

 一瞬、ドキリとした。

 瞳さんのことを話しているはずなのに、自分のことを指摘されているようで。違う、そんなはずは無い。だって私は偽っていないのだから。そう、私は光正のことを誰よりも大切に思っている。だからこの人を傷つけたりするものか…その決意は何故か義務感のように私の心を戒めた。

「彼女、今まで男性と付き合ったことが無いんだってさ」
「えっ、あんなに綺麗なのに?だってもうすぐ30歳だよ??」

「男性と付き合ったことが無いのに、結婚詐欺には遭っているんだよな」
「け、結婚詐欺??」

「お見合いパーティーで知り合った男性に、開業資金として300万を騙し取られてる。付き合ってもいない相手にそんな大金をポンと渡しちゃったんだってさ」
「うわっ」

「それだけじゃない。傷心の彼女に近寄ってきた男がいた」
「男?」

「優しく慰めてくれたから、一夜を共にしたらその姿を盗撮され、つい最近までその男に強請られていたんだ」
「もしかして、その男って…」

「そう、最初の詐欺師とグルだってさ。『簡単に落とせる女』として、情報共有されてしまったんだろうな」
「うっ、最悪…」

 接待後に2人で飲み直した際、光正は瞳さんからその話を打ち明けられ。嫌がる彼女を説得して警察へと被害届を出すよう促し、いろいろと親身になってあげたらしい。恋愛経験に乏しい彼女は、これほど自分に尽くしてくれるのは特別な感情を抱いているからだと勝手に思い込み、瞳さんの中では既に光正と付き合っていることになっていたのかも…と。

「そんな時だったんだよ、滝沢主任が俺の付き合っている相手を瞳さんだと誤解して噂を広めたのは。彼女にしてみれば“事実”だから、日に日に俺に対する態度が馴れ馴れしくなってきて。でも本当に些末な変化だったから、俺はそれを放置した。

 正直に言うと雅が嫌がらせを受けたと聞いて、真っ先に彼女の名前が浮かばないほど影響の無い存在だったんだよ。…ごめん、雅。全部俺のせいだ。結局は井崎君が彼女に違和感を持ち、その行動を気にするようになって幾つか現場を抑えたらしい。雅を守ると決心したのに、本当に俺…」

 そう話していた光正の背後でドアが開き、突然、芳と瞳さんが現れた。その姿を見て息が止まりそうになったが、それは私だけでは無かったようだ。

「雅、それに番匠さんもいたのか」

 驚きの余りに声も出せず、視線を芳に残したままで深く頷く。怖くて瞳さんを見ることが出来ない私を嘲笑うかのように、彼女は口を開いた。

 
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