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第一章
GLORY DAYS 2
しおりを挟むこんな大勢の人が見ている前で、
この男は恥ずかしくないのだろうか?
そう考えてスグに光正のことを思い出す。顔をそちらへ向けると、困ったように笑う彼は、まるで『こっちにおいで』と言っているかのようにその手を微かに伸ばした。
ごめん、ごめんね。
なぜ私は心の中で謝っているのだろうか?なんだかもう自分でも支離滅裂で、頭の中がゴチャゴチャだ。芳のギュッは意外と長く続き、離してくれそうに無かったので仕方なく自分から離れることにした。
言い訳を、
…この涙の言い訳をしなければ。
「良かったあ、これで祐奈も幸せになれるのね!わっ、私にも彼氏が出来たんだ。ほら、前に話したでしょ?お見合いパーティーで知り合った人。お互い、これから頑張ろうねっ」
怖くて、芳の顔が見れなかった。
もちろん、光正の顔も。
たぶん私は、そう宣言してしまうことで自分の逃げ道を塞いだのだろう。これでもう翔以外の選択肢は無いのだと。後戻り出来なくすることで、全ての未練を断ち切ろうとしたのだ。…ところが。
残念なことに、恋愛は双方の合意がなければ成立しない。
祐奈と健介が想いを確かめあった数日後、私はいつも通り翔と待ち合わせていた。落ち着いた雰囲気で、酒の肴が美味しいと評判の居酒屋。なんとなくいつもの翔とは違うなと感じていたら、言い難そうに彼は話を切り出す。
「あの…さ。俺、雅のことは凄く好きだよ。でも、何て言うのかな…えっと、恋愛対象という感じには見れなくて。もしかして本気で恋愛したいのなら俺といると時間の無駄になるだろうし、友達のままでも構わないのなら、改めてそういうつもりで仕切り直そうよ。ほんとゴメン、もっと早く言うべきだったんだろうけど、もうちょっと長くいれば考えも変わるかもと思って」
神様は、意地悪だ。
何度私を傷つければ気が済むのだろうか。
>雅を恋愛対象として見れない。
それが一番恐れていた言葉なのに、その一番恐れていた言葉をこのタイミングで与えるとは。
翔には『気を遣わないで』と答え、それからすぐに店を出た。失恋…ではない。だって私は翔に恋をしていなかったから。なのに、ただただ哀しくて。この世で私を愛してくれる男性は、誰もいないのか?私を女として見てくれる男性は、1人だけでもいないのか?そんな疑問ばかりが、頭の中を埋め尽くす。
…そして寂しくて堪らなくなった私は、
思わず光正に電話を掛けてしまうのだ。
……
土臭いと思ったら急に雨が降り始め。
閉店後の小さな本屋の軒先で、雨宿りをしながら光正を待つ。傘が無かったし、なんとなくこのまま外の空気を吸っていたいと思ったからだ。握り締めたスマホを見ると21:00ピッタリで、そのキリの良さに思わず微笑んでいると光正が現れる。第一声は『ごめん、待ったかい?』でも『来たよ』でも無く、『…良かった』だった。
キョトンとしている私に向かって彼は言う。
「電話の声が暗かったから。それにこんな時間に俺を呼び出すなんて、余程のことが有ったんだろうと凄く心配してたんだ。でも、いま来てみたら笑ってたからさ、だから“良かった”」
都合のいい時だけこの人を頼っているという自覚は有る。でも、どこをどう詫びていいのか、自分でも分からなかったのだ。そのクセ『早く答えなくちゃ』と気持ちばかりが焦り、口から出たのは少しイヤな感じの謝罪だった。
「こんな時間に呼び出すなんてほんと迷惑な女だよね、私」
言った後でハッとする。違う、そうじゃない。真っ先に伝えたかったのは、私を心配してわざわざ来てくれた優しさに対する感謝の気持ちだったのに。どうして私はいつもこうなのだろうか?なんだか自分が情けなくなって哀しい気持ちで光正を見つめると、ところどころ雨で濡れている。
「傘、持って来なかったの?」
「家を出るときは降って無かったから」
「…ごめん」
「うん、いいよ、分かってる」
謝っている本人ですら何に対する謝罪か分かっていないのに、何故か目の前の人はそれを把握しているらしい。
「何に対する『ごめん』なのか、ちゃんと理解してるの?」
またキツイ口調でそう言うと、光正は穏やかに微笑みながら答える。
「最近、俺には冷たく接していたのに、困った時だけ俺に頼ってると思ってて。しかもこんな遅い時間に呼び出したこと、急に雨が降って濡れさせてしまったこと、きちんと御礼を言おうと思ったのに、ちょっと感じ悪い言い方になったこと。そんなことを全部ひっくるめて、『ごめん』と言ったんだろ?」
その表情があまりにも優しくて、思わず泣きそうになるのを必死で堪えた。
「…雅、とにかくどこか店に入って、じっくり話をしよう」
そっと肩に置かれたその手の温もりがジワジワ全身に広がるような錯覚に陥り、私はようやく素直に頷いた。
光正と2人きりなんて、再会してからは初めてで。それなのに自分でも不思議なほど昔と変わりなく話していることに驚いてしまう。
「以前の職場の先輩がさ、脱サラして父親のバーを継いだんだ。そこでもいい?」
「うん、この近く?」
「ううん、ちょっとだけ歩くけど。雨が降ってるのに、ごめん」
「でも行きたいんでしょ?だったら行こうよ」
滅多に我を通さないこの人が、『行きたい』と言う店なのだ。たぶん、とても好きな先輩だったのだろう。
「かなり小降りになったな。これならタクシーを拾わなくても大丈夫そうだ」
「うん、日頃の行ないだね」
ふふっ…と光正が声を出さずに笑う。
「久々に聞いたな、それ。『日頃の行ない』って、雅の口癖だよな」
「…うん、私の口癖」
小さな思い出が、まるでタイムマシンのように私達を過去へと誘う。時間を遡り、恋人同士だった頃に戻ってしまいそうだ。手を繋いで歩くのが当たり前だったあの頃。今ではその“当たり前”のことがこんなにも難しいだなんて。
「あ、着いたよ。ここだ」
「うわあ。なんか趣のある店構えだねえ」
木製のドアは重厚で使い古されており、長い歴史を感じさせる。光正に続いて中へと入ると、店内は程好い狭さで常連客が数人いるのみだった。
「…お久しぶりです、豊さん」
「えっ、ば、番匠か?!よく来てくれたなあ。まあ座れ!!」
カウンター内にいたその人は笑うと目が糸みたいに細くなり、とても優しそうな感じの男性だ。利発そうな女性のバーテンダーと小声で何か話したかと思うと、まるで私達専属であるかのように正面から動かなくなってしまった。それを見て耳元で光正が詫びる。
「ごめん、雅。これじゃジックリと話が出来ないな」
「ううん、むしろこの方が良かったよ。優しい先輩だね」
…そう、これで良かったのだ。
だってあのままの状態だったら、何を話していただろうか。
『翔から恋愛対象じゃないと言われました』って?
『光正だけは私を女として見てくれますか』って?
『落ち込んでいるので慰めてください』って?
そんなこと、言っちゃダメだ。気持ちを切り替えるために小さな溜め息を吐くと、豊さんが光正にこう質問した。
「なあ、今だから訊くけどさ。お前が刺された時のこと、詳しく教えてくれないか?」
一瞬、聞き違いかと思って両側の髪を耳にかける。どんな言葉も聞き逃さない為にだ。質問を投げたその人はグラスを拭いていた手を止め、私を気にしながら話を続けた。
「番匠が福岡支店へ異動になったのも、たぶんソレが原因なんだろ?当時は随分ゲスな噂が飛び交っていたが、俺にはどれも本当のことには思えなくて。表向きはお前が自殺未遂したということになっている。でも、そんなの絶対に嘘だよな?」
何もかもが初耳で思考が纏まらない。
あの時のは単なる転勤だったんじゃないの?
刺されたって、いったい誰に?
ひたすら目を泳がせていると、女性のバーテンが気を利かせて水の入ったグラスをくれた。それを一気に飲み干した時、ようやく光正が口を開く。
「あの…、豊さん。実は隣りのこの人が当時つき合ってた彼女なんですよ」
「えっ?!ああ、そっか、そうなのか。まだ続いてたのか、良かったな!」
その言葉を聞き、困ったように光正は微笑む。
「いや、残念ながらもう別れていますが。でもどうしてもやり直したくて。その…偶然、勤務先を知ることが出来たので同じ会社に転職したんですよ」
私がいるから、
ウチの会社を選んだ??
「そんなこと、今まで言わなかったじゃないの」
あまりの驚きに、思わず2人の会話に割って入ってしまう。
「うん、ずっと言わないつもりだった。たまたま帰国してた春菜ちゃんに会って、雅の現状を教えて貰えたから迷わず転職を決めた。だってバカみたいに自信が有ったんだ、…雅と俺は必ず結ばれる運命だって。再会すればきっと元通りになれると信じて疑わなかったのに、現実は結構厳しかったな。雅は元カレに夢中で、いや、俺だって元カレなんだけど。
もしかして再会のタイミングが違えば、こっちを選んでくれたんじゃないかとか、そんなことばかり考えてた。もう正直に言うよ。この店につれて来たのも、豊さんなら当時のことを質問してくれる…そう期待したからだ。
卑怯だろ?
そう、俺はそういう男だよ。
でも、お願いだから言い訳をさせてくれ。現状に対する“言い訳”じゃなくて、当時どうして連絡もせずに姿を消したか。その“言い訳”をさせて欲しいんだ。
なあ、雅、頼むよ、お願いだ…」
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