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第一章 大晦日の出会い
05 となえことば
しおりを挟む朝凪神社の階段は、一段一段の幅が広く作られているわりに、均されているわけではない。見た目からわりとがたがたしていて、実際に上ってみるとかなり足腰が鍛えられる。
左右に植えられた大きな杉の木たちが作る木陰は、いまのような冬場は雪を凍らせる恐ろしいものだが、夏場だとランニング中の避暑地としては最適の場所だった。
長い階段を上る途中、ゆきと我妻が参拝の目的を告げたことで、松井田と岡埜谷も本当に俺がゆきに連行されただけだということをやっと言葉通りに受け止めてくれたようだった。
「あれ。じゃあ、男の厄年っていつだったっけ?」
「んーと? 確か二十歳すぎだったと思うんだけど……ええと、スマホスマホ」
それから厄年の話に移り変わったことで、現在、松井田とゆきが揃って首を傾げている。神社のことに詳しい方であるゆきも、流石に異性の厄年までは頭の中にきっちり入っていたわけではないらしい。
雪の積もった階段の途中だというのに、すぐにスマートフォンを取り出そうとしたゆきに、思わず俺が制止の声をあげそうになった瞬間、俺の隣から我妻が声をかけた。
「男の本厄は数え年で二十五歳だよ。でも前厄もあるから……そうだな、二十三歳になる歳からって認識でいいと思う」
俺は何も発することのなかった口を閉じた。代わりに、最後尾の岡埜谷が感心したように我妻を見上げ、松井田は指を折りながら残り年数を数え始めた。
「詳しいじゃん、我妻」
「――二十二、二十三、と。じゃあ、あとオレら男は五年くらい? 意外と先なんだなー」
鳥居をくぐりぬけて、俺は俯いたままだった顔をあげた。開けた視界で見渡せば、やはり大晦日という暦のせいか、思っていたよりも境内は人でごった返していた。
鳥居からまっすぐに続く石畳を目で追う。雪が払われたその道を辿って、まず目に入ったのは大きな茅の輪だった。俺や、俺よりも背の高い岡埜谷も悠々と潜れそうな程大きい。
その輪の向こう側には人の列が厚く長く伸びている。先頭からはチャリンと小銭が投げ込まれる音と、からからんと鈴緒を大きく揺らす音が、参拝の順番待ちをする人たちの、ざわざわとした原型のない会話とまじりあって聞こえてくる。
パッと、まるで水たまりをわざと踏みにいくみたいな、どこか跳ねた足取りで俺たちより一歩前に出たゆきが、くるっと振り返るなりやけに真面目な顔でピシッと敬礼した。
「それでは、私は茅の輪をくぐってきます!」
「ん。行ってこい」
俺が応じると、ゆきがにいっと笑う。そのまま茅の輪に向かって歩き出した彼女をの背中をみて、我妻がぐっとストレッチのように腕を上に伸ばしながら言った。
「じゃあ、僕も行ってこようかな」
「シンヤもやんの? じゃあオレもやろーかな。楽しそうだし」
「松井田、茅の輪くぐりのやり方わかるの?」
岡埜谷が尋ねれば、松井田は傍から見ていて気持ちが良いほどに即答した。
「ううん、全っ然わかんね! シンヤ、教えて!」
「いいよ。じゃあ一緒にやろっか」
先に茅の輪くぐりを始めたゆきの元へ、我妻と松井田が足を踏み出す。それを見送りながら、俺は隣から一歩も動く気のなさそうな岡埜谷に視線をやった。
「岡埜谷。お前はやらなくていいのか?」
「うん。おれはあいつらの眺めてるだけでいーかなって」
そう言いながらも岡埜谷の視線は手元の液晶画面に釘付けだ。本当に友人たちの茅の輪くぐりを眺める気があるのかこいつは。
相変わらずのマイペースさに呆れて、でもそれをわざわざ口に出すのも面倒で、俺は再び神社の境内をぐるりと見渡した。
最初に目に入ったのは社務所の窓口だ。本殿にも負けない立派な屋根の下、ここにもずらりと列ができていた。あれは確か御朱印帳、だったか。社務所の端では、分厚い手帳のようなものを持ったひとたちが窓口に並んで順番待ちをしている。
そのすぐ隣では、お守りを買おうとしてか上部に並べられたお守りの見本を前に長考する人、実際に手に取ってまじまじと見つめているひと、それからおみくじを引くために六角形の筒をカラカラと振っている人で大盛況だった。カウンターの向こう側で目を引く紅白の衣装をまとった巫女さんたちも、くるくると踊る様に動き回って忙しそうだ。
ゆきが、巫女のアルバイトはいつかやってみたいって言ってたっけか。そんなことを思い出しながら、一通り境内に目を通した俺の視線は、最後には茅の輪の方へと戻ってきた。
茅の輪くぐりというものは、茅で編まれた大きな輪を、ただ潜り抜ければいいという訳じゃないらしい。これもゆきの受け売りなのだが、あれは、神拝詞という呪文のような、祝詞のようなものを声に出さずに唱えながら、八の字を描くように三回潜り抜けるのが作法であるという。
その神拝詞も、俺は昔、ゆきから教わった。
祓い給へ。清め給へ。守り給へ。幸え給へ。
毎年行っているゆきは楽しそうに。どういうわけか神社に詳しい部類である我妻も慣れたように。そして初心者の松井田はやりかたを教わるや否や勢いよく。そびえ立つ茅の輪の口に何度も丸呑みされていた。
彼らは作法に則って、その詞を実際に口にしてはいない。そのはずなのに、それを見ている俺にはその詞がどういうわけだか聴こえてきている。いいや、違うな。くぐりぬけているゆきたちの姿に、俺の脳みそが、映像にアフレコするかのようにその詞を重ねて再生しているだけだ。俺の意思とは関係なく落とされていたレコードの針が、ずっと記憶の溝をじりじりとなぞっている。
祓い給へ。清め給へ。守り給へ。幸え給へ。
無意識に下唇を噛んでいた俺に、岡埜谷が話しかけてきた。
「広瀬は? 広瀬こそ、あれ、くぐってこなくていーの?」
俺が岡埜谷をみれば、岡埜谷は相変わらず手元のスマートフォンに視線を落としたままだった。いつの間にかスマートフォンが横向きになっている。もしかしなくてもソシャゲしてたな、お前。
はあ、と俺はため息をついた。口元からぶわっと白い息が漏れて、くらげのようにふわりふわりと上を目指していく。冬空の大海へ放たれたそれを目で追いながら、俺は迷わずにはっきりと言った。
「俺はいい」
きっといま、俺の口から新たに生まれて悠々と空に泳いでいったくらげには毒がある。そんな確信が俺にはあった。
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