上 下
50 / 607
第一章 冒険者世界アリスト編

第48話 窮鼠

しおりを挟む


スラムと下町の境にある酒場で、一人の男が酒を飲んでいた。

酒を飲む、というより、コップから零れ落ちた酒の中に顔を浮かべていた。

店主も、こういった客には慣れているのか、近くにも寄らない。

男は、高価そうなローブを着いたが、それが泥で汚れていた。

おまけに、異臭がする。 
何日も、入浴していないのかもしれない。

男の顔は、コウモリを思わせた。

いや、もともと肉付きの薄い、その肉がさらに薄くなり、骸骨そのものが浮かび上がっていた。

男の耳に、聞くとはなしに、酒場の噂話が入ってきた。

「本当かい? じゃ、今、お国は大変なことになってるな」

「開戦宣言なんか出したから、罰が当たったんじゃねえのか」

「まあな。  戦争なんて、俺っち下々は苦しむばかりだからな」

「でも、勇者様が帰って来たから、安心かもよ」

「お、帰って来たのか。 どっか行ってたって、話だったからな」

「帰って来たとたん、王が死ぬなんて。 
勇者が、やったんじゃないのか?」

「ばかっ! 滅相もないこと言うなよ。
下手したら、袋叩きに遭うぜ」
「冗談に、決まってるだろ」


酒飲みの支離滅裂が、真相を暴くこともある。

国の裏で働いてきたコウモリには、酒場の噂話が、真相の一端を捉えているような気がしてならなかった。

思えば、勇者がこの町にやって来てから、どこか歯車が狂い始めたのではなかったか。

朦朧とする頭で考えようとするが、二日酔いと、服用してきた薬の副作用で、集めかけた思考が、煙のように消えていく。

思考の断片が絡み合い、はじき出した答えは、全ての元凶が、勇者であるというものであった。

狂気が生んだこの結論が、あながち的を外していないのは、運命のいたずらとしか言いようがなかった。

男は、金額も数えず、硬貨をばらまいて、その店を後にした。


復讐。  この男に、生きる目的が出来た。

-------------------------------------------------------------

舞子は、普段から、あまり寝つきがよい方ではない。


昼間に史郎の言葉を聞いて、いつも以上に眠れなくなっていた。
既に、深夜も近いと思われた。

最近は、この部屋まで来ることがない、聖女付きの女官が、ノックの後、静かに入ってきた。

「聖女様。 なかなか、お休みになれないということでしたが」

メイドたちの報告は、逐一この女のところに集まる。

「お水を、取り換えておきます。 
では、失礼します」

舞子が気を付けて観察すれば、いつもは浮かぬ顔の女官が、目を輝かせ、口元に笑みを浮かべているのに気(き)づけたであろう。

「ありがとう」

女官が出ていくと、ベッドから降り、水差しの水をコップに注ぐ。
水からは、いつもは無い、甘い香りがした。

横になると、あっという間に瞼が重くなり、眠りに落ちる。

しばらくして、再びドアが開いても、目を覚まさなかった。
深く眠っているようだ。

入って来たのは、先ほどの女官だった。
しかし、服装は、なぜかメイドのものである。
洗濯物を回収するための、荷車を押していた。

女官は、思わぬ力で、眠ったままの舞子を抱え上げる。

荷車に載せると、膝を抱えるような格好にさせた。
そして、彼女の上に、シーツを掛ける。

「ふうー」

女官は一つ息をつき、ニヤリと笑うと、荷車を押して部屋から出て行った。


あの男から言われたように、部屋を出る前に、枕元にある指輪を、ポケットに入れるのを忘れなかった。

------------------------------------------------------------------

舞子が目覚めたのは、粗末な狭い小屋の中だった。


いや、体がふわふわ揺れるところをみると、船中かもしれない。

時々、木がこすれるような音がしている。

朝の訪れを告げる大聖堂の鐘の音が、遠くで、かすかに聞こえている。

服装は寝た時のままで、足首と手首が縄で結わえられていた。

彼女は気づかなかったが、指にはなぜか、寝る前に外した多言語理解の指輪があった。

船酔いしたのか、頭が重く、思考に霞が掛かっている。

やがて、意識がはっきりしてくると、史郎との約束を思い出した。

「こ、ここはどこ? 早く帰らなくちゃ」

史郎との約束が頭を過り、それを守れないかもしれないことが心を痛め付けた。

彼との約束の前では、自分がかどわかされたかもしれないことなど、気にもならなかった。

板天井の隙間から、針金のような朝の光が斜めに差し込んでいる。
夜が明けて、あまり時間が立っていないようだ。

突然、壁と思っていたところが、四角く開いて、痩せた男が入って来た。

何かに似ている。 
舞子は、そう思った。

そう、コウモリ。
コウモリに、似ている。

コウモリ男は、こちらを見ると、しわがれた声で話し掛けた。

「目覚めましたかな」

「ここは、どこです。 
私は、人と会う約束があるの。 
すぐに、帰して下さい」

「それは、無理ですな。 
あなたには、いろいろ、やってもらわねばならん」

「時間が無いのです。
すぐに帰して下さい!」

必死な舞子の姿を見ても、コウモリ男は、何も感じないようだった。

「入ってこい」

男が声を掛けると、戸口から、もう一人が入ってきた。

その顔を見て、舞子が驚く。

「あ、あなたは!」

聖女付きの、女官であった。

「この時を、どれほど待ったか。 
すぐに、始めてもらえる?」

「そうしよう」

男が、懐から何かを出し、女官に手渡した。
それは、多言語理解の指輪だった。

女が、それを着ける。

男は、舞子の隣に女を座らせると、二人の指輪が触れるように手を重ねさせた。

「いいか、動くなよ」

男が呪文を唱えだすと、男の周囲に、様々な色の光の粒子が、飛び交うのが見(み)えた。

「魂よ。 
いまこそ交わりて、新しき主に宿らん・・
換魂の術!」

光の粒子が体に触れると、女官の体がパタリと倒れた。

舞子は、これから何が起こるのか分からず、怯えている。

コウモリ男が、舞子には何も起こらないのを見て、焦りだす。

「ど、どうしたんだ! 
なぜ、魂が入れ替わらない!」

多言語理解の指輪に秘められた、最大の禁忌は、魔術によって人の魂を入れ替えるものだった。

「もしやっ!」

男が舞子の手首を握り、持ち上げる。

「痛いっ!」

「お、お前っ! この指輪は、なんだ!」

「ゆ、指輪?」

そういえば、王城で事件があった後、史郎が、この指輪を前の指輪と交換したのだった。
そのとき感じた胸のうずきまで、はっきり覚えている。

「あの指輪じゃない・・」

やっとコウモリ男は、自分の魔術が失敗したことに気付いた。

こうなれば、次善の策を選ぶしかない。

力を失った女官の体にロープを巻き、部屋から外に出る。

船上で予備の錨をそのロープに括り付けると、ためらいなく女官の体ごと、湖に投げ込むのだった。

-----------------------------------------------------------------

女官は、コウモリ男が魔術を唱えた途端、自分の体から意識が抜け出すのを感じた。

その意識は、聖女のすぐ上で、フワフワと浮いている。

これから起こることを考えると、体など無いはずなのに、全身が熱くなるような感覚を覚えた。


驚きに満ちた、コウモリ男の声を聴くまでは。

「ど、どうしたんだ! なぜ、魂が入れ替わらない!」

な、何が起こってるの?

意識だけの存在なので、コウモリ男に問いただすことさえできない。

男が、さっきまで自分の体だったものにロープを巻き付けだすと、意識が冷たくなるような気がした。

この男は、いったい何をしてるの?

しかし、まだ、それで終わりではなかった。

男が自分の体を担いで船室から出るのを見て、危機感を覚えた。

私の体を、どうしようというの?

女官の意識は、男を追いかけようとした。
しかし、ドアの手前までしか動けなかった。
仕方なく、上へ向かって動いた。

意識は、やすやすと木の板を抜け、船上へ出た。

そこにあったのは、目を疑うような光景だった。

錨が括り付けられた自分の体が、今まさに、湖に投げ込まれようとしていたのだ。

やっ、やめてーっ!

意識がとてつもない悲鳴をあげたが、音にはならない。
男の耳に届くはずもなかった。

低い水音とともに、自分の体が、水面下に消えた。



少しの間、感覚を失っていたようだ。

女官は、自分の意識が体を失ってもなお存在し続けていること、なぜか聖女から一定の距離までしか離れられないことを知った。

自分が、成り代わるはずだった聖女。
その聖女が多くの人を癒し、称賛を浴びるのを、間近で見続けなければならない。



それは、彼女にとって、永遠に続く地獄の始まりだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

旦那様、どうやら御子がお出来になられたようですのね ~アラフォー妻はヤンデレ夫から逃げられない⁉

Hinaki
ファンタジー
「初めまして、私あなたの旦那様の子供を身籠りました」  華奢で可憐な若い女性が共もつけずに一人で訪れた。  彼女の名はサブリーナ。  エアルドレッド帝国四公の一角でもある由緒正しいプレイステッド公爵夫人ヴィヴィアンは余りの事に瞠目してしまうのと同時に彼女の心の奥底で何時かは……と覚悟をしていたのだ。  そうヴィヴィアンの愛する夫は艶やかな漆黒の髪に皇族だけが持つ緋色の瞳をした帝国内でも上位に入るイケメンである。  然もである。  公爵は28歳で青年と大人の色香を併せ持つ何とも微妙なお年頃。    一方妻のヴィヴィアンは取り立てて美人でもなく寧ろ家庭的でぽっちゃりさんな12歳年上の姉さん女房。  趣味は社交ではなく高位貴族にはあるまじき的なお料理だったりする。  そして十人が十人共に声を大にして言うだろう。 「まだまだ若き公爵に相応しいのは結婚をして早五年ともなるのに子も授からぬ年増な妻よりも、若くて可憐で華奢な、何より公爵の子を身籠っているサブリーナこそが相応しい」と。  ある夜遅くに帰ってきた夫の――――と言うよりも最近の夫婦だからこそわかる彼を纏う空気の変化と首筋にある赤の刻印に気づいた妻は、暫くして決意の上行動を起こすのだった。  拗らせ妻と+ヤンデレストーカー気質の夫とのあるお話です。    

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

Lunaire
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

処理中です...