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第十一章 ポータルズ列伝
マスケドニア国王編(6) 理解
しおりを挟む香ばしい匂いと、何かがぱちぱち爆ぜる音で目が覚める。
横たわる余の前には焚火があり、小石を組んで作られたかまどがあった。
かまどに乗せられた枝には、魚が刺してあり、その脂が焚火に滴っていた。
「陛下!
お加減はいかがです?」
ヒロコが心配そうな顔で余を覗きこんでいる。
一体、なぜ彼女の機嫌が直ったのだろうか?
「ヒロコ!
そちこそ、無事だったか?」
余の言葉に、なぜかヒロコは顔を背けた。
「私は大丈夫。
陛下は、三日間も寝ていらっしゃったのですよ」
「なんと、三日もか!?」
そういえば、背中に負っていたはずの傷からくる痛みがない。
左手や左腰、左足にあった痛みも消えていた。
「ヒロコ、そなた、余を治療してくれたのか?」
「……ええ、まあ」
彼女は、胸に抱いた白い魔獣を撫でている。
「それは、あの『飛びウサギ』か?」
「ええ」
ヒロコが手に持つ草を魔獣の口に近づける。
魔獣は目を細め、それを食べている。
「水に流されたのに、よく無事だったな」
「服の中に入っていたようです」
彼女が襟元を少し広げたので、その白い肌が目に飛びこんでくる。
心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
余は、まだ体調が万全ではないのかもしれない。
「それより、あの魚はどうしたのだ。
魚を獲る道具など、無かったはずだが」
「ああ、魚は手づかみで獲りました」
「なんと!
手づかみで魚が獲れるものなのか?」
「ええ、幼い頃、故郷の川でよくそうしていましたから」
「ヒロコの故郷は、シロー殿と同じであったな」
「はい、そうです。
史郎君は、弟の幼馴染です」
「勇者と英雄が幼馴染とはな。
それより、ヒロコも聖女なのか?」
「黙ってましたが、私は聖騎士だそうです」
「なんと!
聖騎士だったか。
治癒魔術は聖女殿に習ったのか?」
「いえ、この子を助けようとしたとき、初めて使う事ができました」
「なんと、習ったわけではないのか!
それは凄いことだぞ」
「この子を助けようと必死でしたから」
キュキュぅ
ヒロコに撫でられたウサギが、嬉しそうな鳴き声を立てた。
「なぜ、そこまでして魔獣を助けるのだ?」
余の言葉で、ヒロコの顔が強ばった。
「陛下こそ、どうして森で幸せに生きている動物を狩るのですか?」
「ど、どういうことだ?」
「魔獣の気持ちになったことがありますか?」
「い、いや、それは無いが――」
「一度、自分が魔獣だったらと考えてみたらどうです?」
彼女はそう言うと、ウサギを抱えたまま、岩室から出ていった。
◇
まだふらつく足で洞窟の外に出ると、荒れ狂っていた川は嘘のように元の小川に戻っていた。
少し離れたところに、座って川を覗きこむヒロコの姿があった。
洞窟の入り口は川床から少し上にあるので、そこから降りるのに苦労した。
余がこのような体の使い方をしたのは、幼い時以来なのだ。
川床に降りたところで、しばらく息を整えてから、ヒロコに近づく。
「ヒロコ」
余が呼びかけても、彼女は振りむかなかった。
「ヒロコ、どうしたのだ?」
「あっちに行って!」
思いもしない、鋭い声が返ってくる。
ヒロコの右隣りに腰を下ろす。
なぜか、彼女は余から顔を背けた。
キキュっ
彼女の膝に抱かれた小さな魔獣が鋭い声を出す。
そのつぶらな黒い目は、鋭くこちらを見ており、警戒心からか耳が大きくなっていた。
「この子を怖がらせないでっ!」
きっとこちらを見たヒロコの目は、涙で濡れていた。
余は初めてヒロコの涙を見た。
「向こうへ行って!」
よろよろと立ちあがり、ヒロコから一歩、二歩と遠ざかる。
後ろ向きに下がっていた余は、無様にも転んでしまった。
彼女は一瞬こちらを見たが、再び顔を背けた。
どうしてだ?
なぜヒロコは怒って……いや、悲しんでおる?
彼女が、そういった感情を抱くきっかけが何だったか。
崖上の草原で倒れた魔獣にかがみこんでいた彼女。
「魔獣の気持ちになったことがありますか?」
そう強い口調で言った彼女。
そしてたった今、魔獣から余を遠ざけようとした彼女。
そのとき、彼女と同じ世界の出身である、英雄シローが白く小さな魔獣を家族のように扱っているのを思いだした。
もし、「家族のように」ではなく、「家族として」魔獣を遇しているのなら……。
愛馬ラターンの事を思いうかべた。
誰かがラターンを脅かすようなことがあれば、余はどうするであろうか。
異世界人であるヒロコには、魔獣も動物も違いはないのだろう。
余はやっと彼女の気持ちに気づいた。
国の政を動かす自信はあるのに、側にいる愛しい女性の心に気づけぬとは……。
情けなさに、立ちあがることも忘れ、空を見上げる。
谷底から見あげる空には、ウサギに似た丸い雲が浮かんでいた。
「陛下ー!!」
ショーカの叫び声と、騎士たちの鎧が立てるカチャカチャという音が谷間に響いた。
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