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第十一章 ポータルズ列伝

マスケドニア国王編(5) 激流

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 激流にもまれながら、余はヒロコを離さないよう強く抱きしめた。
 二人の頭が水面に出たところで、何とか風の魔術を唱えようとする。

「風の精霊よ、我に――」

 そこで濁流が押しよせ、再び水底へと引きこまれる。
 そして、また水面へ浮上する。
 それを何度かくり返した後で、やっと魔術に成功する。

 ワンドを使わず詠唱したので、風の動きは不安定だ。 
 それでも、余とヒロコを水面に浮かせるくらいの現象は起こせた。
 風が作る球に包まれ、二人の体は水面ぎりぎりに浮いている。
 しかし、このままだと、余の魔力が尽きるのは時間の問題だ。
 
 ヒロコは気を失っているようだ。水の冷たさに、彼女の唇は紫色になっていた。
 なんとかせねばならぬ。
 何があっても彼女を助けねば!

 おお、あれは!
 少し下流、そそり立つ岩肌に洞窟の入り口が見えた。
 問題は、そこまでどうやってたどり着くかだ。

 余は風の球を少し水に近づける。
 防壁の役割を担っている球を下げすぎると、再び濁流に呑みこまれるおそれがある。
 ワンドを使わないで精密な魔術を使うため、魔力が一気に失われていくのを感じる。
 ヒロコと余を守る風の防壁球、その底が流水に触れる。
 その事により、風で作った球が少し下流に動いた。
 しかし、同時に防壁球がぐらりとバランスを崩す。
 必死でそれを立てなおし、球状に張った風の防壁球を洞窟の前までもっていく。
 
 洞窟の前まで来たはいいが、新たな問題が立ちふさがった。
 余が作る風の防御球は、その魔術の特性上、横方向に動かすことができない。
 しかも、洞窟は水面よりやや高い位置に、その口を開けている。
   
 人の背丈ほどの距離が、無限と思えるほど遠くに感じられた。
 すでに魔力切れの兆候である頭痛が始まっている。
 魔力の残量は後わずか。ぐずぐずしている時間はない。
 ヒロコを胸に強く抱きよせ、魔術を唱えた。

「火の精霊よ、我に従え!
 ファイアーボール!」

 伸ばした手の先に握り拳大の火球が生まれる。
 それを背後の足元に投下した。
 風の防壁と濁流の接点にそれが命中する。
 
 ボンっ

 爆発音がし、防壁球の内側がまっ白く染まる。
 背中に衝撃を受け、呼吸が停まる。
 ヒロコを抱えた余の体が、何かに強くぶつかった。
 
「がはっ!」

 左側頭部を強く打ち、溜めていた息が吐きだされる。 
 動こうとすると、背中に激痛が走る。
 ヒロコと余は、岩床に倒れていた。
 無事とは言えぬが、なんとか洞窟内に入れたようだ。
 目と鼻の先で白い濁流が渦巻いていた。

 意識が遠のきかけた私は、首を振り頭をはっきりさせる。
 ここは洞窟の入り口だ。
 水位が上がれば、濁流がここまで来るだろう。
 今、気を失う訳にはいかないのだ。
 
 気を失ったままのヒロコを抱えあげ、やや上に傾斜している洞窟を奥へと進む。
 魔力切れからくるめまいに、もどかしいほど足は動かず、永遠と思えるほどの時間が掛かったが、入り口の光が届かなくなった頃、やっと広い空間に出た。
 自分の足音が反射する響きで、それが分かったのだ。

 ヒロコを足元にそっと降ろし、腰袋に手を伸ばし火起こしの魔道具を出す。
 魔道具は湿っていたが、なんとか火が灯った。
 それを地面に置くと、思ったよりも広い空間が照らしだされた。
 ほぼ円形の岩床はニ十歩で端につくほどの広さである。

 小さな魔術灯では光が届かないほど、洞窟の天井は高かった。
 洞窟は枝分かれし、さらに奥へ続いているようで、岩壁に大小の穴が開いていた。
 空気の流れが感じられるから、いずれかの穴は、外へ通じているのかもしれない。
 以前、ここを訪れた誰かが残しただろう焚火の跡があり、その近くに木切れが散らばっていた。 

 木切れの中で細いものを選んで焚火跡に並べ、火起こしの魔道具を近づける。
 乾いていたのだろう、木切れにはすぐ火が着いた。
 先ほどより太い木切れを継ぎたすと、ヒロコを抱きあげる。

「ぐうっ!」

 背中に激痛が走る。
 身体が上げる悲鳴に逆らい、焚火の横まで運び、そこにそっと彼女を横たえる。
 冷たい水に濡れたままだと、体温が下がり命の危険がある。ショーカから、そう聞いたことがあった。
   
 洞窟へ入る時に負傷した、ずきずき痛む左腕を上にして、ヒロコの側に横たわる。
 焚火の明かりに照らされた彼女の顔は、女神のように美しかった。
 彼女が息をしているのを確かめ、ほっとした瞬間、余の意識はフッと消えた。

 ◇

 頬に湿ったものが触れる。

「キュキュゥ」 
 
 小さな鳴き声を聞き、私は目を開けた。
 薄暗がりの中、目の前に耳の大きなウサギの姿があった。
 私の頬に鼻を押しつけてくる。
 背中を撫でると、目を細めている。

 そこは洞窟の中らしく、周囲は岩壁で囲まれていた。
 比較的平らな岩床には、焚火があったが、それはすでに熾きになっていた。
 
 身体を起こすと、私の横には陛下が横たわっていた。彼はなぜか呼吸が早く、その様子は明らかに普通では無かった。
 
「陛下!
 陛下!」

 彼の身体を揺するが、目を覚ます気配がない。
 その体を起こそうとしたとき、彼の背中側の服が、酷く傷んでいるのに気づいた。
 近くに置いてあった、火起こしの魔道具を点け、陛下の背中を照らす。

「ああっ!」

 私は思わず悲鳴を上げた。
 青い狩り衣には大きな穴が開いており、その周囲が焦げたように黒ずんでいる。
 陛下の背中はその一部が剥きだしで、信じられないほど大きな水膨れができていた。
 恐らく火傷だろう。

「一体、なぜこんなことに……」

 そこでやっと崖から落ちたことや、濁流におし流されたことを思いだした。
 火傷の原因は分からないが、陛下は負傷した身で激流から私の身を守り、ここまで運んでくれたのだろう。
 愛しさと心配がこみ上げる。
 とにかく、今は陛下を治療しなければ。

 私は、陛下の背中に手を近づける。
 心を鎮め、彼の火傷が治っていくイメージを思いうかべる。
 自分の右手が白く光りだし、その光が陛下の背中を包んだ。

 陛下の火傷はかなりひどく、何度も治癒魔術を掛けなおさなければならなかった。
 背中から水膨れが消えると、早かった陛下の呼吸も落ちついてきた。
 汗が浮かぶ陛下の額に手を当てる。
 凄い熱だ。

 彼の服は、その一部がまだ湿っている。このままではいけない。
 アウトドアが趣味の史郎君から聞いていた、このような場合の対処法を思いだした。
 
 陛下の服を全て脱がす。
 二人の服から比較的渇いているものを選び、それを焚火近くの岩床に敷く。
 熾きになっている焚火に、新しく木をくべる。
 火がおこったところで、ためらわず服を脱ぎ、陛下の背中に身を寄せる。その上から、残った服を掛けた。
 発熱で早くなった陛下の鼓動が、裸の背中を通し私の素肌に伝わる。
 
「陛下……」

 陛下への思いが、激流のように体の中を走りぬける。
 私は両腕で陛下の身体にしがみついた。
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