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第1部

汚れた顔

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タイルの床の上に身体を投げ出し、力の入らない四肢がこれ以上、目の前にいる男に触れられないように蹲る。
一刻も早く腐敗した感情しか生み出さない、この場所から逃げ出したいのだが、身体が潤滑を失い、鈍く錆び付いたような感覚だけが残る。

痺れの残る指先が自分の頬を汚す男の精液を拭うと、その指にドロリとした感触が伝わる。
宮原は自分の指の隙間から落ちる男の精液を見て酷く喫驚し、少しでもその排泄物を取ろうとタイルの床に指をガリガリと擦り付けた。

「……や、やだ・・・汚、い……
ーーー汚い
汚れる……汚される……」

宮原は自分の指を何度も何度も床に拭い、爪を立てる。
その床にまた別の染みが広がり、それは宮原の両目から落ちてくるものだった。

「ーーーッツ………・・・」

汚い身体で、汚い手で、汚い体液で自分の身体をどんなに汚されたとしても、自分の中にある大切な存在にまで手を掛けられた訳ではない。
自分の身体に、肌に、涙に触れられても、その卑しい感覚さえ忘れてしまえば、あとは何も残らない筈だ。

重く伸し掛かるような身体の痛みを伴ったとしても僅かな時間の経過があれば直ぐに消えてしまうだろう。
例えその場所に深い傷跡が残ってしまっても、同じ場所に自分で更に深い傷跡を残し、別の痛みとして記憶を掏り替えればいい。

でも。
それでも。
ーーー勝手に涙が出るのはなんでだろう。

ただ、この男が発する言葉で『沢海先輩』の名前を形取る事だけは、どうしても許せなかった。

男が『沢海先輩』の名前を呼ぶ度に、自分が『沢海先輩』の事を傷付けているような錯覚をしてしまい、酷く自責の念に駆られてしまう。

自分の中で何よりも大切に、大事にしたい気持ちなのだと感じるのは、その存在そのものが宮原にとって、既に自分の一部でもあるのだと知っているからなのかもしれない。

自分に必要だから守っていきたいのではなく、自分自身の中に『沢海先輩』の存在そのものが浸透している。
その血肉にも、その細胞にも、ひとつひとつの想いの中に全てが溢れている。

全ての中で唯一1人だけしかない宮原の心を占める大きな存在だからこそ、それは簡単に傷付けられてしまう。

ーーー『沢海先輩』を傷付けてしまって、ごめんなさい。

自分がどんなに傷付いたって構わない。でも、その大切な、大事な存在だけは、『沢海先輩』だけは絶対に他人に触れられたくはない。

心の痛みは形を持たないからこそ、長い時間の中で引き摺ってしまう。
自分の目に映らない透明な傷跡は深く、深く突き刺さったまま、消える事はない。

頭の中で考えている事が壊れ、脆く剥がれるように露呈してくると止めどなく涙が溢れ、嗚咽までも漏れてしまいそうになり、宮原は咄嗟に口元に手を当てた。

「ハハっ!
お前、AV女優みてぇ…」

男は宮原の身体を軽々と足で蹴飛ばし、床の上に仰向けに転がす。

宮原は汚れた泣き顔も、堪え切れずに漏れる声も隠す事はせずに肢体を完全に脱力したまま、ぼんやりと何処か一点を見詰めていた。
その先に何も見えない無量無数しか広がらないのだと分かっていても、目を閉じて次に目を開けた瞬間に絶念しか残されていないとしても、勝手に期待をして自分が裏切られるよりは、ずっと良いのだと考える。

自分だけでは『何か』を捨てる事も、『何か』を求める事も、『何か』を欲しがる事も何もかも分からなくなってきている。

精液に塗れる宮原の顔を上から見下すと男は満足そうな笑みを浮かべ、宮原のサポーターを巻かれた右腕を踏み付ける。
男は宮原の身体の動きを拘束すると、男のペニスから未だに垂れてくる残滓を手で擦り、宮原の顔に目掛けて絞り落とした。

宮原の汚れた顔を愛でるように、男は精液の付いた自分の手で宮原の頬のラインをなぞる。

「良い面構えになったなぁ」

涙と精液で滑る宮原の顔の中心にある唇が紅を差したかのように赤く染まり、その色彩に吸い寄せられるように男は身を屈め、宮原の唇に指で触れる。
精液と涎に濡れ、熟れた果実に似た宮原の唇の輪郭を確かめると男は自分の唇を重ねた。

『おい。
勝手に雰囲気出してんじゃねーって。
ーーー出すもん出したら、さっさと来いよ。
強姦魔さん』
「あぁ。今から行く。
ーーーその前に…」

涙と精液に汚れる宮原に極上の笑みを捧げ、男は再度ケータイのカメラを取り、レンズを宮原に向けた。
通話を動画からカメラモードに切り替えると、カシャカシャとシャッター音を鳴らしながら宮原を視姦し、その目の前の無垢な肢体に性的興奮を覚える。

「ほら、こっち向けよ。
……『僕、ザーメン大好きです』ってさぁ。
舌出して、可愛くおねだりしてみろよ」

蒼白な顔色が引き攣る様子を楽しみながら、何度も無機質なシャッター音を鳴らし、その行為を逐一、写真に収めていく。

ーーー男の声が耳障りに感じるーーー

もうこれ以上、何も聞こえなければいいのに。
もうこれ以上、何も見えなければいいのに。
四肢の感覚も、皮膚の感触も失って、もうこれ以上全ての言葉の意味も全部分からなくなってしまえばいいのに。

「…『ソウミセンパイ』は、どうせセックスなんて、してくれねーんだろ?」

男は無理矢理に宮原の顎を上に向かせ、猥雑な笑みを浮かべる。

態と挑発するような言葉を連ね、宮原の意識を男の方向へ向かせるようにすると、案の定、宮原は男を苛辣な目で睨み付けてくる。
その瞬間に直情径行のまま宮原の身体が動き、男の手を振り払った。

ケータイが勢いよく飛び、パキッという乾いた音と共にタイルの床に転がっていく。

「うわっ!
最悪!!」

男は慌てて自分のケータイを床から引き上げるとスマホの画面が放射線状に割れ、無惨な状態と化していた。

嶋津との通話も途中で寸断され、男は静かにそれを拾い、手に取る。

「ーーー信じらんねぇ……
壊しやがった!
クソっ!」

宮原に自分のケータイを壊されてしまった勝手な八つ当たりは男を憤激の状態にし、それを収める事も出来ず、怒気を含ませたまま近くの清掃用具の入っている扉を思い切り蹴り飛ばした。
重い衝撃で施錠されてあった鍵が壊され、個室内に乱雑に入っていた清掃道具が物音を立てて表に崩れてくる。

「…なんか、興醒めしたわ…」

男は足元を塞ぐ清掃用のバケツを手に取ると洗面台で勢いよく水を貯めた。
その間、上辺だけご機嫌を取り繕うように鼻歌を歌い、異様な雰囲気に宮原は身構えた。

男はたっぷりと水の入ったバケツを手に取ると宮原の元へ近付き、目の前で立ち止まる。

宮原は今、この男が一体何を考えているのか頭の中が錯綜してしまうだけで想像も付かず、与えられた表情の色でさえ失っているその男の顔に、宮原は目を逸らす事が出来なかった。

すると男は腕を上げ、突然、宮原の頭からバケツの水を被せた後、そのバケツを宮原の身体に向かって投げ付けた。

ガシャン!とけたたましい物音が校舎内に響き、その物音の激しさと衝撃に宮原は身を竦める。

「ーーーゴホッ……ゴホッーーー」

突然の事に宮原は少量の水を飲んでしまったのか、咳き込んでしまう。

「今日はこれで許してやるよ。
本当だったらブン殴ってやりたいけど、
ーーーあぁ……惚れた弱みか?」

細く息が掠れ、露骨に溜息を吐く宮原を男は別の意味で捉えたらしく、その反骨的な態度を追求される事はなかった。

見下されている視線を感じているが、男の行為に対して何を反応する事もない。
男の言葉に対して何かを考える事もしたくない。
何もかも意味のない、理由のない事に自分自身の考え方を左右されたくもなかった。

宮原はタイルの床に広がる水が排水溝に向かって流れる様子を酷く客観的な視線で窺ってしまう。

その反面、自分の体から男の体液を少しでも削ぎ落とす事が出来て、全身がずぶ濡れになった身体を必死に掻き抱きながらも、安堵する自分がいた。

「証拠隠滅!
ーーーじゃぁな」

男は壊れたケータイを片手に持ち、宮原の前から姿を消した。

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