花屋のラジオ

みなと劉

文字の大きさ
上 下
5 / 88
第一章:ラジオの声

第5話:静かな告白

しおりを挟む
雨はなかなか止む気配を見せない。千代は店内の花を整えながら、光彦の存在を横目で気にしていた。彼は入り口近くの椅子に腰を下ろし、黙ったまま雨音とラジオに耳を傾けている。ラジオから流れるのは、淡い哀愁を帯びた昭和歌謡だった。

「こういう歌、好き?」
千代が軽く声をかけると、光彦は少し考えるようにして答えた。
「……聞いたことはあります。でも、あまり詳しくは。」
「ふふ、若い人にはそうかもしれないわね。私たちの時代には、どこでもこんな歌が流れていたのよ。」

千代はそう言いながら、昔の商店街の活気や、夫と一緒に店を始めた頃のことを思い出していた。あの頃は、歌がどこかしらで聞こえてきて、町全体が明るく思えたものだ。しかし今は、商店街も少しずつ変わりつつあり、昔ながらの風景は減ってきている。

ふと、光彦が小さく口を開いた。
「母が……こういう歌が好きでした。」
彼の声は控えめで、どこか申し訳なさそうだった。千代は作業の手を止め、彼を見つめた。
「お母さんは、お元気なの?」
「今は地方にいます。一人で……僕がここで働くようになってから、なかなか会えていません。でも、すずらんの香りが好きだったので、せめて花だけでも届けたいと思って……。」

光彦の言葉はつかえながらも、どこか強い意志を感じさせた。千代は彼の姿に自分の娘のことを重ねていた。遠くに嫁いだ娘もまた、どこかで同じように誰かを思いながら日々を送っているのだろう。

「そう。すずらんの香りで、きっとお母さんも元気をもらってるわね。」
そう言う千代の声はどこか優しく、光彦も安心したように微かに微笑んだ。それは千代にとって、初めて見る彼の穏やかな表情だった。

外の雨音は少し弱まり、雲間から淡い光が差し込み始めた。光彦は立ち上がり、静かに言った。
「そろそろ、帰ります。ありがとうございました。」
「またおいで。次はお母さんの話でも聞かせてちょうだい。」

光彦は一瞬だけ振り返り、小さく頷くと店を後にした。その背中を見送りながら、千代はすずらんが持つ「幸せ」の意味を改めて感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー 庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。 そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。 しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

処理中です...