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好きな人の恋人

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トヨカの副社長秘書を務める「シン」は今年の新入社員の中に、とんでもない人物がいることを知った…


……
シンが尊敬してやまない、それがトヨカでは“若きカリスマ“と名高い副社長の獅子人だ。
シンは公私にわたり副社長を支え秘書として信頼されているという自負がある。

我らトヨカの副社長『豊川 獅子人(シシト)』
若くてイケメンな副社長の事を社内では皆親しみを込めて「獅子人副社長」と呼んでいる。

父親が社長であり、副社長に就任したばかりの年若い獅子人だが、二世という立場に胡座をかくことがない誰もが実力と才能を認めるアグレッシブな副社長である。
イケメンだけあって若い女性からも絶大な人気を誇る、そんな副社長の最愛の恋人が海外戦略室長の「マリス」さんである。
完璧主義と言われる獅子人副社長の唯一の弱点が恋人の存在で、絶賛社内恋愛中。
同性の恋愛相手だけにあえて公にはしていないが、副社長はマリスさんと恋人同士だと早く世間に公表したいと考えている。
シンは副社長の恋を長い間応援してきた。
年が近いこともありプライベートな相談にも乗っているし、マリスさんへ色々と「橋渡し」して副社長の恋愛に一役買っている功労者だ。

その副社長最愛のマリスさんを以前事故で怪我をさせた加害者の学生がなんとこのトヨカに入社していたのだ。

マリスさんが怪我をしたと連絡が入った時、副社長は仕事を後回しにして一番に病院に駆けつけた。
シンはあの時の副社長の動転ぶりが忘れられない。
あの時ばかりは我を忘れて加害者の若い学生に対して怒りを露わにし、怪我をしたマリスさん本人よりも副社長を落ち着かせるのが大変だった。

それにしても全く信じ難い事だ。
わざわざ自分の起こした事故の被害者のいる会社を就職先に選ぶだろうか?
普通なら絶対に避けるはず。
マリスさんを傷つけた奴が何を思って同じ会社に入ったのか、、、
トヨカ社は簡単に入れる企業ではないし就活には相当な努力も必要のはずだ。
シンには「なぜ?」の答えはわかっている。
マリスさんを追いかけてきたのだ。
マリスさんと親しく関われば理解してしまう。
マリスを知ればマリス沼に引き摺り込まれて、いまだに溺れて浮上できない者も多数いる。
とにかくマリスの美しい容姿に次々と心を奪われ撃ち落とされていく。我が副社長はその筆頭だ。
しかし今回の奴はイカれているにもほどがある。
マリスに恋をすると皆見境が無くなる。
常識なんてどうでもよくなるのか?…

マリスさんは本人は自覚していない「魔性の男」に違いない。
シンはそれを肌で感じてきたから。

きっとこの件を報告すれば獅子人副社長は怒り狂うに違いない。
今回はどう対処するべきか?悩むところだ。

シンは意を決して獅子人副社長にマリスの事故の加害者の男が入社している事を報告した。
製造部所属の新入社員の優のことだ。

シンは驚いた。
獅子人副社長はこの報告を聞くと怒り狂うと思っていたのに、いたく冷静だったからだ。

予想外だった…

ただ副社長は憂に満ちた顔で大きなため息をついていた。


獅子人自身、マリスに出会って彼の全てに魅了された。
好きになったのは奇しくも自分と優は同じ歳だった。
周りが見えないほど彼を好きになって、同性に恋愛感情を持つのは初めてで自身のマイノリティに戸惑い悩んだりもした。
自身を振り返れば優の気持ちは手に取るようにわかる。自分も長い間マリスを諦められなかった。

新入社員ごときに今のマリスをどうにかできるはずもない事は分かっている。相手にもされないだろう。
ただ、怪我をさせたという特殊な経験はただの一目惚れとは違って厄介な気がする。
昔の自分を思い出した獅子人は久しぶりに不毛だと思っていたあの頃の辛かった思いがこみ上げてきて少しばかり胸が痛んだ。今の幸せは何があっても手離せない。

シンから見ても副社長のマリスに対する愛情は尋常ではない。
自分の事より何よりマリスのことが最優先。
骨抜きにされるとはまさしく副社長のこと。
マリスさんは、類い稀な美貌を持つどことなく浮世離れした人だ。
ただそのクールビューティーな見た目と違い熱いところがあったり、時々見せる茶目っ気さがキュートで、実は天然なところがなんともギャップ萌えの塊で、男性なのに性別を超越した美しさがある人だった。
出会う人をことごとく狂わせていく姿をシンは近くで見てきた。
マリスさんに出会うとなぜか特別なスイッチが入ってしまう人が多い。
すると好きにならずにはいられなくなる。
実際今は恋人である副社長も一目惚れからスタートして何年も片思いをした。
シンはマリスには恋愛感情は無いものの、大好きな人だ。二人をフォローする事にやりがいを持っている。

叶うはずのない恋は若さゆえ暴走する事もあるかもしれない。
間違いを起こす前に手を打たなければならない。
この件は副社長を激怒させると思っていたのに、この報告に押し黙った獅子人副社長。
新入社員などいつでも捻り潰せる副社長は、とりあえずはマリスを信じて静観してみる様だ。
ただシンは違った見方をしていた。このケースはほっておくとストーカーと化してしまう。
今回は同じ会社に入社までした事を考えるとその可能性は高い。
シンは副社長には報告せず単独で優にアポを取った…


……
一方優はマリスに再会して言葉を交わして以降、胸がいっぱいで毎日が充実していた。
初めて出会った時の衝撃とときめきがいつも蘇る。
再会を果たした時、マリスは気遣いある言葉をかけてくれた。
優にとっては叶う事のない恋だと分かっていても諦められなくなった。
近くにいれるだけでもいいと思って同じ会社に入ったはずなのに今はそれでは収まらなくなった。
すっかり欲が出てアプローチするチャンスをうかがっている。

優は職種が違い地位もあるマリスに会う機会に恵まれない。
午後に良く現れるという社内のコーヒーラウンジに行ってみたり、本社の玄関に立ち寄ってみたり試行錯誤しても会える事はなかった。
優は時間の許す日に、さりげなくを装って本社ビルの近くに行くようになった。
ある時優は、本社ビルの受付の女性から声をかけられる。

「良くこのあたりでお見かけしますねっ」

満面の笑みを女性に向けられ優は困ってしまった。
今の自分の行為はストーカーの様で少し行き過ぎていると自覚していたからだ。

「お疲れ様です。製造部の新入社員の池上優といいます」

「私、本社の受付業務を担当しているサチです。よろしくね、入社3年目よ」

サチは本社ビルの玄関先に良く現れる優の事を前から気になっていた。
(サチは自分に気があっていつも様子をうかがっているのでは?)と思わずにはいられない。
爽やかで真面目そうな優の雰囲気に好感を持っていた。

「僕本社勤務を希望していて、いつかここで勤務したくてつい憧れの本社ビルを見上げてしまうんですよね」

そう言って優は笑って何とかごまかした。
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