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第五幕

刀に宿る者

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◇◇◇◇◇◇◇◇

……頬が痛い。

眠ってるのに……宗太郎ったら。

頬の傷に、何かを押し当てている感覚がする。

「痛い……やめてよ宗太郎」

私は眼を開けずに、頬に伸びた宗太郎の手を払いのけた。

「ダメだ。ちゃんと薬を塗らないと傷が残るだろう」

ピリピリと滲みる。

すごく痛い。

「いいからやめて、痛いってば!」

「暴れるな」

「やだ、触んないでっ!滲みる」

宗太郎があまりにもしつこいものだから、私は眼を開けて身を起こすと彼を睨んだ。

「きゃあああっ!」

「うるさい」

目の前に、宗太郎じゃなくて白鷺がいた。

「あれ、あの、なんで?」

白鷺は端正な頬を僅かに傾けて、ムッとしたように私を見た。

しかも私の質問にはまるで答えず、視線を落としてシゲシゲと布団を見つめて口を開いた。

「お前は……こんなに宗太郎に近寄って寝てるのか」

「は?」

だって、この時代の夜って暗いんだもの。

離れていたら怖い。

白鷺は私のリアクションが気に入らなかったのか、ツンと横を向いた。

「…………」

「…………」

確かにここは宗太郎の家なのに、どうして白鷺がいるんだろう。

しかも機嫌悪そうだし。

「あの白鷺、どうしたの?宗太郎は?」

「宗太郎なら外で身体を拭いてる」

「じゃあ、私も」

そう言って立ち上がろうと床に手をついた時、

「いたっ!」

グインと髪を引っ張られて、私は前につんのめった。

何度目だろう、白鷺に髪を引っ張られたのは。

「痛いじゃん」

地肌を擦りながら白鷺を見上げると、私の肩を掴んだ白鷺が身を屈め、至近距離から私を睨んだ。

「俺の話を聞いてなかったのか」

「なに?」

「今、宗太郎が身体を拭いてるんだぞ」

「だから私もついでに」

「アイツに肌を見られて平気なのか」

「見られないよ。手拭いを濡らすだけ。身体はこっちで拭くし」

「アイツの身体を見ることになるだろう」

もう、まるで意味がわからない。

「どういう意味?
宗太郎が女の人なら恥ずかしいかもしれないけど、男なんだから気にしないでしょ」

私の言葉のどこが腹立たしいのか分からないけど、白鷺は更に苛立たしげに眉を寄せた。

「わざと俺を怒らせてるのか」

私は眉を寄せて白鷺を見上げた。

頬が触れそうな距離。

なに考えてんの?

胸が苦しくて、切ない。

だってキスできそうな距離なのに、私には届かない人。

なのにどうしてこんなに近くに来るの?

片想いなんて長年忘れていたけど、なんて苦しくて切ないんだろう。

なのに人の気も知らないで。

白鷺の仏頂面が、逆に私を腹立たせた。

だって私は起きたところで、気づいたら白鷺がいて怒ってて。

「白鷺ってさ、たまに言ってることが意味不明だし鈍いよね。そんなんだと、あの胸のでっかい美女に振られちゃうわよ」

しまった、胸のでっかいは余計だった。

なんか胸が小さいのをひがんでるみたいじゃん!

正直、ひがんでるけどな!

チラリと白鷺を見ると、彼は眼を見開いて私を見ていた。

ああ、気まずい!!

なにか言わなきゃと思い、慌てて言葉を付け加える。

「あの、薬を塗ってくれてありがとう。実は私、今日は忙しくて。あの…えっとその…じゃあね」

私は白鷺に手を振ると部屋を飛び出した。

◇◇◇◇◇◇◇


あのまま宗太郎の家を飛び出し、私は慈慶さんのお寺へと来ていた。

突然の訪問にも関わらず、慈慶さんは温かく私を迎えてくれた。

「その男の方は、うちの寺に無縁仏として眠っておいでです」

昨夜の宗太郎の話は有名らしく、慈慶さんも知っていた。

それで白鷺一翔も名が知れて、以蔵さんがやってきたんだな。

……多分、以蔵さんだけじゃないんだと思う。

慈慶さんは私を見ながら口を開いた。

「お墓に案内いたしましょうか」

「是非お願いします」

良かった。

偶然にもその男の人のお墓が慈慶さんのお寺にあって。

「ここです」

お寺の北側に無縁墓地はあった。

大きな椎の木が沢山あって、夏のわりには涼しかった。

私はひとつの苔むした墓石の前に座ると手を合わせた。

それから慈慶さんを振り返り尋ねた。

「この人は……成仏しているのでしょうか」

慈慶さんは私を見つめて静かな声で答えた。

「私が思うには……まだ刀に宿ったままなのではないかと」

……やっぱり。

「この人の生前の行いは決して良くはなかったと思います。けどもし今、刀に宿っているのだとしたらそれは辛いことではないのですか?」

慈慶さんは頷いた。

「……彼が自ら望んでいるかも知れませんし、望んでないかも知れません。そこのところはなんとも」

今彼は、何を思っているのだろう。

私はそれが知りたかった。

彼の心を知ることが、白鷺を救う道に繋がっていると思うから。

◇◇◇◇◇◇◇

「お前さあ、白鷺の家に戻れよ」

「……やだ」

「なんでだよ」

「だって私、白鷺に嫌われてるもの」

そう言うと、私は宗太郎の注いでくれたお酒に口をつけた。

今日は仕事が休みだという宗太郎に付き合って、私は少しだけお酒を飲んでいたのだった。

まだ日は高いけど、休みだからたまにはいいだろ、と宗太郎は笑った。

「アイツがそう言ったのかよ」

私は首を横に振った。

「私といると白鷺はいつも機嫌が悪そうだもの。今朝だって、起きると白鷺がここに来てて、既に怒ってたし」

私が口を尖らせてそう言うと、宗太郎は眉を寄せた。

「それはお前が」

私は宗太郎の言葉を遮って続けた。

「それに宗太郎だって見たでしょ。白鷺があの綺麗な女の人と抱き合ってたの。恋人がいるのに、やっぱりそういうのは良くないし」

キスをしてしまった懺悔の気持ちから私がぎこちなくそう言うと、

「雅の事か?あれはアレだけの付き合いだろ」

あの人、ミヤビって名前なんだ……。

綺麗なあの人に、とても良く似合ってる。

そ、それにしても……。

「あの、それって……どうして宗太郎に分かるの?」

すると宗太郎は、異様なモノでも見るような眼差しを私に向けた。

「お前……鈍いんじゃねーのか」

「どうして?」

なんなの、どういう意味?

宗太郎はハアーッと盛大なため息をついて天井を見上げた後、何か考えていたようだったけど、やがて私を見てニターッと笑った。

なに、不気味。

「……まあ、いいや。これはこれで俺も退屈しねぇし」

「どういう意味?」

私がポカンとして宗太郎を見ると、彼は笑いを噛み殺すような表情のままで答えた。

「とにかく、送ってやるから白鷺の家へ戻れ」

私は宗太郎を睨んだ。

「人の話、ちゃんと聞いてた?!白鷺は私がいると嫌なのっ!私といるとずーっと怒ってるんだってば。
……宗太郎がここに置いてくれないなら、私、慈慶さんに頼んで住み込みで働かせてもらうわ」

「坊主にお前は毒だろう」

「だったらここに置いてよ」

「お前なあ、俺だって男だぞ。そのうちムラムラして……」

「やらしい顔しないでよっ。宗太郎の変態」

すると何故か宗太郎は、杯を置いて私の方に身を乗り出した。

赤茶の前髪が瞳に影を落として、何だか眼差しが艶っぽい。

「……なあ、俺達もさ、大人なんだし肌を合わせるってのも……」

ニヤリと笑った宗太郎が更に私に迫る。

「な、な、な、何言ってんの宗太郎っ。急に、何?!きゃあっ!」

その時ザザッと土間の土が擦れる音がして、私は背後から腰に腕を回され、誰かに引っ張られた。

瞬間、宗太郎が我慢ならないと言った風に吹き出し、涙目になりながら私を見た。

「ほーら、白鷺様のおなーりー」

ええっ?!

「きゃあああっ!」

私を宗太郎から引き離したのは確かに白鷺だった。

「あー、おもしれぇ!」

ゲラゲラと笑い転げる宗太郎を侮蔑の表情で見下ろすと、次に白鷺は私をギラッと睨んだ。

「帰るぞ」

ビックリしたままの私は更に驚き、壊れそうな程、心臓がバクバクと響いた。

「は、白鷺、どうしたの?」

「いいから帰るぞ!」

「じゃーなー、柚菜」

ニヤニヤしながら宗太郎は私を見つめると、ヒラヒラと手を振った。

私はというと、そのまま白鷺に担がれてしまい、白鷺はズンズンと砂利道を進み始めた。

「白鷺、下ろして」

「ダメだ」

「白鷺ったら」

「黙れ」

ダメだ、メチャクチャ機嫌が悪い。

どうしたものかと焦っていると、白鷺が低い声で言った。

「いつも機嫌が悪くて悪かったな」

げっ。

聞いてたんだ。

まだ昼間だったから戸口を開けっぱなしにしていたし、私はそっちを背にしていたから気付かなかった。

「お前の前でいつも俺は怒っていると思ってるのか」

……なんだこの質問は。

「現に今も怒ってるじゃん」

私がそう言った途端、白鷺が私を地面に下ろした。

腕を掴まれて至近距離から見下ろされ、私はゴクリと喉をならした。

涼やかな眼が私を捉えていて、形のよい唇はしっかりと引き結ばれていた。

「…………」

「…………」

ドキドキする。

怒ってる白鷺を前にして、不謹慎かもしれないけど。

白鷺は私を見つめて何も言わないから、私も何も言わなかった。

……本当なんだろうか。

あの女の人……雅さんと白鷺は、本当に恋人同士じゃないの?

……聞きたい。

だけど、怖い。

聞いたら答えてくれるのだろうか。

でも、私はあの日、現代に帰る直前白鷺に告げた。

『白鷺……大好きだったよ、いつの間にか』


私は白鷺にそう言ったけど、白鷺は何も返事をくれてはいない。

……やっぱり、私の恋に見込みはないのだと思うしかない。

次第にドキドキしていた胸の鼓動が、ギシギシという痛みに変わる。

その時、急に白鷺が私の背中に両腕を回した。

逞しい彼の身体にフワリと包み込まれる。

私はたまらなくなって、白鷺の胸に頬をすりつけた。

温かくて心地よくて、白鷺の香りを思いきり吸い込む。

その時、白鷺が震える声で言った。

「俺は……誰とも愛を交わす気はない」

ギザギザの何かを胸に押し当てられたような痛み。

白鷺は続けた。

「けれど、柚菜の事は大切に思ってる」

……鼻がツンと痛む。

私は必死で涙をこらえた。

この言葉とこの抱擁を、私は忘れまいと思いながら口を開いた。

「うん、ありがとう」

それから改めて胸に誓った。

報われなくても構わない。

白鷺が幸せになるなら、それでいい。

私が白鷺を守る。

絶対に守る。

◇◇◇◇◇◇◇◇

それから私は、毎日慈慶さんのお寺へお邪魔した。

白鷺は私が連日いそいそと出掛けるものだから、やれ何処に行くんだとか、誰と会うんだとかしつこく聞いてきたけど、私は友達が出来たとだけ答えた。

……刀に宿っているのなら、お墓に行っても無駄かもしれないけど、私は毎日お墓参りをして彼の墓前に手を合わせ続けた。

そんな数日が過ぎたある日の夜。

「……女」

低くてかすれた声が耳元で聞こえた。

眠っていた私は、一瞬白鷺に起こされたのかと隣を見たけど、彼はスヤスヤと眠っている。

やだ、怖い……。

悪寒が走ったけど、私の心境を無視して声は続いた。

「俺は西山白鷺から白鷺一翔を買った男だ」

予感はしていた。

私は弾かれたように辺りを見回したけど、行灯の灯りがゆるゆると部屋に揺れるいつもの光景だった。

白鷺を揺り動かして起こしたいのに、何故か身体が硬直してそれが出来ない。

「安心してくれ。危害を加える気はない」

怖いけれど、それを信じるしかなさそうだったから、私は震えそうになるのをこらえながらゆっくりと頷いた。

「名は……弥一」

やいち……。

姿はどこにもなかったけど、私は返事を返した。

「……弥一さん……私は柚菜と申します」

「柚菜、お前は……俺の墓に通ってくれたな。死んでからというもの、あんな風に経を唱えてくれたのはお前だけだ」

私は、首を振りながら前方の空間を見つめた。

「ご存知だったんですか。
あの……刀に宿り続けるのは辛いんじゃないかと思って……」

私がそう言うと弥一さんの深い溜め息が聞こえた。

「優菜……頼む。
話を聞いてくれ。
俺は……もう刀から離れたいのだ」

私は神棚に置いてある白鷺一翔をそっと見上げた。

白鷺一翔は存在も分からないくらい静かに鎮座していて、以前見た青い光は放っていなかった。

「……どういうことですか?」

私は行灯の心許ない明かりに照らされた真正面の空間を見つめてそう訊ねた。

不思議なことに、もう恐怖は消えていた。

「俺は死罪になる予定の罪人を多く斬ってきた、白鷺一翔で。
白鷺一翔の切れ味は素晴らしかったし、死罪になる人間など誰が斬っても同じだと思っていたんだ。
……あの時の俺は知らなかった。
斬り殺した罪人の魂が刀に宿り、それがまた新たな魂を絡めとる事を」

弥一さんはそこまで話すと、やりきれないような長い溜め息をついた。

「いつの間にか、俺は自分が斬り殺してきた罪人の魂に操られていたのだ。だからあの日も」

弥一さんの声が震えた。

「……俺には……剣の腕がなかった。それが長年恥ずかしかった。兄や弟に追い抜かれバカにされ、父上からは見放された。
なのに白鷺一翔は、そんな俺に夢を見せてくれたのだ。
超絶な切れ味は、自分の腕を錯覚するにあまりあるもので、そこへ罪人達の魂が相まって、俺は我を忘れてしまった。道場破りなど……」

彼のしたことは許されない事なのに、私は弥一さんを可哀想に思った。

「悔いているのだ……」

「……弥一さん……」

……劣等感なら、理解できる。

私もそうだったから。


『あなたはどうしてそんななの?』

『なんでお兄ちゃんみたいに出来ないの?』


いつも私は、先生を含めた周りの大人達から兄と比べられていたから。

イケメンで勉強も出来た兄は私の自慢だったけれど、辛くなかったかと言えば嘘になる。


私は暗い空間を見つめたまま、唇を噛み締めた。

……助けてあげたい。

だって彼は亡くなったんだもの。

もう自由になってもいいんじゃないかって思った。

「死して悔いるなど……生前は思ってもみなかった」

「弥一さん」

私は決心して身を正した。

「私、西山白鷺が好きなんです。彼には恋人がいて……叶わない想いですけど」

自分を奮い起たせるように、私は大きく息を吸い込んだ。

「白鷺は、自分の生み出した刀が妖刀になってしまった事に苦しんでいます。
私はそんな白鷺を助けたい。
それはおのずと弥一さんを助けることにも繋がるのだと思います。
……だから安心してください。私があなたを助けます」

私がそう言うと弥一さんは、

「そうか……お前は白鷺を……。
俺にも昔、惚れた女がいた。
……柚菜、気を付けろ。白鷺一翔に宿っているのは俺や俺が斬った罪人の魂だけではない事には気付いただろ?」

弥一さんが言っている意味はすぐに理解出来た。

あの生き霊の事だ。

私は、生き霊の放った懐剣につけられた頬の傷に触れた。

「はい」

「あの女は、西山白鷺に執着している。いつか白鷺一翔で西山を刺し殺すだろう」

私は弾かれたように辺りを見回した。

「……何故ですか?!彼を好きなのに殺すの?!」

「柚菜。好きだからこそなのだ。西山が誰かを愛し、誰かのものになるくらいなら殺して自分だけのものにしたいのだ」

沸々と怒りが込み上げてきて、私は両手を膝で握り締めた。

「……そんなのおかしい。愛してるなら彼の幸せを一番に考えるべきでしょう?!殺すなんて間違ってる!」

声が震えて息が詰まりそうになり、私はハアハアと荒い息を繰り返した。

「柚菜、生き霊になるというのは、狂気なんだ。名の通った祓い屋ですら、生きている人間の生み出す霊には手を焼く」

背筋に汗が流れ落ちた。

怖い。

だけど、私は白鷺を守りたい。

怖さのせいで涙が頬を伝ったけれど、私は必死だった。

「負けないわ、私。白鷺をその生き霊から守ってみせる。弥一さん、あなたの事だって助けるわ。あなたは悔いていると言ったし、もう亡くなってる。私……あなたはもう許されていいと思うんです」

姿は見えないけれど、弥一さんは泣いているようだった。

「柚菜……感謝する……」

そうだ。

弥一さんは生き霊が誰だか知っているのだろうか。

「弥一さん……生き霊が誰か知ってますか?」

「俺には分からない」

私の問いに弥一さんが吐息を漏らした。

「生き霊は凄まじい力で俺達を白鷺一翔に封じている。だが生きている人間だけあって、四六時中刀に宿っているわけではないんだ。一つ言えることは……」

「……なんですか」

弥一さんは震えるような低い声で応えた。

「西山白鷺は……生き霊の正体を知っている筈だ」

背中に氷を押し当てられたようにヒヤリとし、私はビクンと身を反らした。

「……白鷺が……?」

「ああ。恐らく」

そんな……。

白鷺はその正体を知ってて何もしないの?

どうして?!

私はそれがショックで、隣で眠っている白鷺を呆然と見つめるしかなかった。
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