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第四幕
白鷺の元へ
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◇◇◇◇◇◇◇
どれくらい眠っていたのかは分からないけど、私が目覚めると以蔵さんはいなかった。
夜が明けているみたいで、チュンチュンとスズメが騒がしかった。
「起きたかい」
店のご主人が私に優しく声をかけた。
「あの、私と一緒にいたお侍さんは」
「あの浪人なら、あんたを一晩泊めてやってくれと言ってね。金を置いて出ていったよ」
……やっぱり……以蔵さんは行ってしまったのだ。
俯く私に、店のご主人が続けた。
「あんた、播磨へ帰らなきゃならないそうだね。もうすぐ俺の知り合いが、姫路の着物屋に組紐を卸しに行くんだ。積み荷と一緒に乗せてもらえるように手紙を書いてやるから、持っていきな」
私は弾かれたように顔をあげるとご主人を見つめた。
「いいんですか?」
「礼なら昨夜の浪人に言いな」
ご主人が優しく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「刀、忘れるんじゃないよ」
その声に慌てて振り返ると、枕元に白鷺一翔が置いてあった。
途端に以蔵さんの姿が脳裏に蘇る。
ああ、本当にもうお別れなんだ。
彼は自分の道へと突き進んでいってしまったのだ。
私は白鷺一翔を手に取ると、そっと鞘を撫でて眼を閉じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いいよ、乗っていきな!その代わり荷台は揺れるから組紐を見ておいてくれ。大事な商品だからな!それと今回は太助に頼まれている味噌漬けなんかも運ぶからよろしくな!」
威勢の良い若いお兄さんは、私を見て大きく頷くと、ハキハキとした口調でそう言った。
「夕方までにゃ城下町の武家屋敷の北の着物屋に着くからよ」
「はい、お世話になります」
◇◇◇◇
予定より大分早く、私は姫路に到達した。
「柚菜ちゃん、助かったぜ。あんたが乗ってくれたお陰で馬の速度を上げることが出来た。ありがとな。これで城下で一杯やれる」
組紐以外にも反物が多数あり、その他にも食品を積んでいたために、砂埃や、風による乾燥に注意せねばならず、私が常に様子を見ていたのが幸いして、度々止まらずに済んだのが良かったらしい。
「お役に立てて嬉しいです。正太さん、こちらこそありがとう!」
「早く着いた礼だ。目的地まで乗せていってやるよ」
「本当ですか?!凄く助かります!」
私は意気揚々と白鷺の家を告げた。
すると意外なことに正太さんは、
「西山の白鷺さんの家じゃないか。有名な刀匠だからな、俺も知ってるよ。組紐を切る小刀を注文したこともあるんだ。
しかもな、ちょっといわくありげな話もあるんだ。
……何でもその昔、井戸に放り込まれたお菊さんは白鷺流の刀で斬られたそうな」
嘘でしょ?!
……お菊さんの話は、播磨の地では有名だ。
無実の罪を着せられて斬り殺され、城内の井戸に惨たらしく投げ込まれた話は『播州皿屋敷』として有名な怪談話だ。
城内の『お菊井戸』は有名で、絶対に外せない観光スポットでもある。
私が息を飲んで固まっていると、正太さんは大きく笑って続けた。
「まあただの怪談話だけどよ。それくらい播磨の地で白鷺流の刀は、昔から有名だということだな」
「そうですか……」
私は曖昧に笑って白鷺一翔をギュッと握った。
「じゃあな!」
「お世話になりました」
正太さんに白鷺の家に続く坂道の手前まで送ってもらい、丁寧にお礼を言うと手を振って彼と別れた。
それから、懐かしい坂道を見上げる。
……白鷺は……白鷺はいるだろうか。
もしもあの、爆乳美女といたら……泣くかも。
それでも、一目会いたい。
白鷺の顔が見たい。
私は白鷺一翔を胸に抱くと懐かしい砂利道を歩き始めた。
白鷺の家に近づくにつれ、次第に胸が高鳴る。
最後のカーブを曲がり終えた時、懐かしい姿が眼に飛び込み、私は思わず立ち止まった。
……白鷺だった。
白鷺は私に気づくことなく、庭の前の小さな川に手拭いを浸し、絞って身体を拭いていた。
腰まで着物を脱ぎ、夕陽を身体に浴びて白鷺は立っている。
ああ、白鷺。
この僅かな距離が我慢できない。
胸が高鳴り、涙が出そうになる。
私は思いきり彼を呼んだ。
「白鷺っ!」
弾かれたように白鷺がこちらを見た。
「白鷺!」
駆け出した私に、白鷺も駆け寄る。
「柚菜っ」
瞬く間に私の元に走りよった白鷺は、信じられないと言ったように首を振った。
「これは、夢か?!お前はあの夜、月と剣の銀色の光に包まれて……」
「白鷺、私ね、帰ってきたんだ。白鷺一翔を以蔵さんに返してもらわなきゃならなかったし」
白鷺は私の頬を両手で包み込むと、苦しげに眉を寄せた。
「夢でもかまわない。一目柚菜に会えるのなら」
その言葉に、胸がキュッと鳴った。
「白鷺、夢じゃないよ、私」
「柚菜、柚菜」
白鷺の熱い裸の胸に頬が密着した。
堰を切ったように白鷺に名を呼ばれて抱き締められ、私は死ぬほどの幸せを噛み締めた。
「白鷺に会いたくて……戻ってきちゃった」
私がそう言うと、白鷺は身体を離して私の瞳を覗き込んだ。
彼の唇が僅かに動いた。
けれど何かを言いかけて、白鷺は唇を噛んだ。
言葉を飲み込み、彼の涼やかな眼が一瞬苦痛に歪んだように見えて、私は思わずくじけそうになり、息を飲んだ。
……分かってる。
白鷺にはあの人がいるから。
だから、迷惑はかけたくない。
「白鷺、以蔵さんが返してくれたの」
そう言って白鷺一翔を差し出すと、彼は刀に視線を落とし、再び私を見つめた。
その時、
「柚菜、柚菜じゃねえか!」
「宗太郎!!」
宗太郎が砂利道を走る音が響き、私と白鷺に距離が生まれた。
「柚菜、会いたかったぜ!」
宗太郎が私をきつく抱き締めてブンブンと振り回すように揺するから、私は慌てて口を開いた。
「宗太郎、苦しいよ」
「さあ来いよ、飯にしよう!」
宗太郎は私の手を握ると砂利道を戻り始め、私は慌てて白鷺を見上げた。
白鷺は腰に落としたままだった着物の袖を掴んで腕を通すと、静かな声で私に言った。
「帰るぞ、柚菜」
「うん」
嬉しくて、切なくて、胸が一杯で、この一言が私の精一杯だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私は白鷺と宗太郎に、今まで自分の身に起きた数々の出来事の全てを詳しく話した。
「じゃあお前は、本当に未来から来たってのか」
「うん……証明出来るものは何もないけど」
宗太郎は続けた。
「俺は信じるぜ。なあ、未来はどんな感じだ?!」
私は少し笑った。
未来を話すのはよくない気がする。
だから私は当たり障りのない話をと思い、少し考えてから口を開いた。
「お城がね、平成の大修理を終えてとても綺麗に生まれ変わったの」
そう、正に両翼を広げた白鷺のように。
「天守閣も修理を終えて漸く一年が経ったところ。今のお城より優雅で白く輝いていてとても美しいの。私はよくお城へ遊びに行ってたんだ。三の丸広場の桜は凄く綺麗だし、千姫が暮らしていた化粧櫓は」
私がそこまで言った時、宗太郎が眼を丸くして私を見た。
「お前の時代は誰でも城に入れるのかよ?!」
私は笑いながら頷いた。
「お城の中はね、入場料を払うと中を見学出来るの」
「へえー!」
宗太郎は感嘆の溜め息を漏らした。
私は城の話をして、ふと正太さんから聞いた話を思い出した。
……本当なのだろうか。
播州皿屋敷のお菊が斬られた刀が、白鷺流の刀だって……。
「柚菜、どうした」
涼やかな白鷺の眼が私を心配そうに見つめていて、私は反射的に神棚に置かれた白鷺一翔を見上げた。
「白鷺一翔で、以蔵さんが人を斬ったの」
私の言葉に二人が息を飲んだ。
「以蔵さんとの潜伏先に、男の人が二人乗り込んできて……」
白鷺が気遣うように私を見つめた。
「怪我はなかったのか」
「うん……でも、以蔵さんが斬った男の人達が」
白鷺が何も言わず瞳を伏せた。
その表情はやりきれない思いを抱えているようで、私は苦しかった。
暫くの後、
「知ってる。俺が作った刀だから」
私はそう言った白鷺を窺うように見つめて、遠慮がちに問いかけた。
「白鷺……。白鷺一翔は、どうして妖刀になってしまったの?」
白鷺は一瞬押し黙った。
それから私を見ずに言った。
「お前は知らなくていい」
またしても拒絶され、胸がズキッと痛む。
「……知りたいよ白鷺。私、知りたい」
「おい柚菜、箸が止まってるぞ。どんどん食え。で、飲め」
宗太郎が私を気遣うように明るく声をかけてくれたけど、私はどうしても諦められなかった。
どれくらい眠っていたのかは分からないけど、私が目覚めると以蔵さんはいなかった。
夜が明けているみたいで、チュンチュンとスズメが騒がしかった。
「起きたかい」
店のご主人が私に優しく声をかけた。
「あの、私と一緒にいたお侍さんは」
「あの浪人なら、あんたを一晩泊めてやってくれと言ってね。金を置いて出ていったよ」
……やっぱり……以蔵さんは行ってしまったのだ。
俯く私に、店のご主人が続けた。
「あんた、播磨へ帰らなきゃならないそうだね。もうすぐ俺の知り合いが、姫路の着物屋に組紐を卸しに行くんだ。積み荷と一緒に乗せてもらえるように手紙を書いてやるから、持っていきな」
私は弾かれたように顔をあげるとご主人を見つめた。
「いいんですか?」
「礼なら昨夜の浪人に言いな」
ご主人が優しく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「刀、忘れるんじゃないよ」
その声に慌てて振り返ると、枕元に白鷺一翔が置いてあった。
途端に以蔵さんの姿が脳裏に蘇る。
ああ、本当にもうお別れなんだ。
彼は自分の道へと突き進んでいってしまったのだ。
私は白鷺一翔を手に取ると、そっと鞘を撫でて眼を閉じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いいよ、乗っていきな!その代わり荷台は揺れるから組紐を見ておいてくれ。大事な商品だからな!それと今回は太助に頼まれている味噌漬けなんかも運ぶからよろしくな!」
威勢の良い若いお兄さんは、私を見て大きく頷くと、ハキハキとした口調でそう言った。
「夕方までにゃ城下町の武家屋敷の北の着物屋に着くからよ」
「はい、お世話になります」
◇◇◇◇
予定より大分早く、私は姫路に到達した。
「柚菜ちゃん、助かったぜ。あんたが乗ってくれたお陰で馬の速度を上げることが出来た。ありがとな。これで城下で一杯やれる」
組紐以外にも反物が多数あり、その他にも食品を積んでいたために、砂埃や、風による乾燥に注意せねばならず、私が常に様子を見ていたのが幸いして、度々止まらずに済んだのが良かったらしい。
「お役に立てて嬉しいです。正太さん、こちらこそありがとう!」
「早く着いた礼だ。目的地まで乗せていってやるよ」
「本当ですか?!凄く助かります!」
私は意気揚々と白鷺の家を告げた。
すると意外なことに正太さんは、
「西山の白鷺さんの家じゃないか。有名な刀匠だからな、俺も知ってるよ。組紐を切る小刀を注文したこともあるんだ。
しかもな、ちょっといわくありげな話もあるんだ。
……何でもその昔、井戸に放り込まれたお菊さんは白鷺流の刀で斬られたそうな」
嘘でしょ?!
……お菊さんの話は、播磨の地では有名だ。
無実の罪を着せられて斬り殺され、城内の井戸に惨たらしく投げ込まれた話は『播州皿屋敷』として有名な怪談話だ。
城内の『お菊井戸』は有名で、絶対に外せない観光スポットでもある。
私が息を飲んで固まっていると、正太さんは大きく笑って続けた。
「まあただの怪談話だけどよ。それくらい播磨の地で白鷺流の刀は、昔から有名だということだな」
「そうですか……」
私は曖昧に笑って白鷺一翔をギュッと握った。
「じゃあな!」
「お世話になりました」
正太さんに白鷺の家に続く坂道の手前まで送ってもらい、丁寧にお礼を言うと手を振って彼と別れた。
それから、懐かしい坂道を見上げる。
……白鷺は……白鷺はいるだろうか。
もしもあの、爆乳美女といたら……泣くかも。
それでも、一目会いたい。
白鷺の顔が見たい。
私は白鷺一翔を胸に抱くと懐かしい砂利道を歩き始めた。
白鷺の家に近づくにつれ、次第に胸が高鳴る。
最後のカーブを曲がり終えた時、懐かしい姿が眼に飛び込み、私は思わず立ち止まった。
……白鷺だった。
白鷺は私に気づくことなく、庭の前の小さな川に手拭いを浸し、絞って身体を拭いていた。
腰まで着物を脱ぎ、夕陽を身体に浴びて白鷺は立っている。
ああ、白鷺。
この僅かな距離が我慢できない。
胸が高鳴り、涙が出そうになる。
私は思いきり彼を呼んだ。
「白鷺っ!」
弾かれたように白鷺がこちらを見た。
「白鷺!」
駆け出した私に、白鷺も駆け寄る。
「柚菜っ」
瞬く間に私の元に走りよった白鷺は、信じられないと言ったように首を振った。
「これは、夢か?!お前はあの夜、月と剣の銀色の光に包まれて……」
「白鷺、私ね、帰ってきたんだ。白鷺一翔を以蔵さんに返してもらわなきゃならなかったし」
白鷺は私の頬を両手で包み込むと、苦しげに眉を寄せた。
「夢でもかまわない。一目柚菜に会えるのなら」
その言葉に、胸がキュッと鳴った。
「白鷺、夢じゃないよ、私」
「柚菜、柚菜」
白鷺の熱い裸の胸に頬が密着した。
堰を切ったように白鷺に名を呼ばれて抱き締められ、私は死ぬほどの幸せを噛み締めた。
「白鷺に会いたくて……戻ってきちゃった」
私がそう言うと、白鷺は身体を離して私の瞳を覗き込んだ。
彼の唇が僅かに動いた。
けれど何かを言いかけて、白鷺は唇を噛んだ。
言葉を飲み込み、彼の涼やかな眼が一瞬苦痛に歪んだように見えて、私は思わずくじけそうになり、息を飲んだ。
……分かってる。
白鷺にはあの人がいるから。
だから、迷惑はかけたくない。
「白鷺、以蔵さんが返してくれたの」
そう言って白鷺一翔を差し出すと、彼は刀に視線を落とし、再び私を見つめた。
その時、
「柚菜、柚菜じゃねえか!」
「宗太郎!!」
宗太郎が砂利道を走る音が響き、私と白鷺に距離が生まれた。
「柚菜、会いたかったぜ!」
宗太郎が私をきつく抱き締めてブンブンと振り回すように揺するから、私は慌てて口を開いた。
「宗太郎、苦しいよ」
「さあ来いよ、飯にしよう!」
宗太郎は私の手を握ると砂利道を戻り始め、私は慌てて白鷺を見上げた。
白鷺は腰に落としたままだった着物の袖を掴んで腕を通すと、静かな声で私に言った。
「帰るぞ、柚菜」
「うん」
嬉しくて、切なくて、胸が一杯で、この一言が私の精一杯だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私は白鷺と宗太郎に、今まで自分の身に起きた数々の出来事の全てを詳しく話した。
「じゃあお前は、本当に未来から来たってのか」
「うん……証明出来るものは何もないけど」
宗太郎は続けた。
「俺は信じるぜ。なあ、未来はどんな感じだ?!」
私は少し笑った。
未来を話すのはよくない気がする。
だから私は当たり障りのない話をと思い、少し考えてから口を開いた。
「お城がね、平成の大修理を終えてとても綺麗に生まれ変わったの」
そう、正に両翼を広げた白鷺のように。
「天守閣も修理を終えて漸く一年が経ったところ。今のお城より優雅で白く輝いていてとても美しいの。私はよくお城へ遊びに行ってたんだ。三の丸広場の桜は凄く綺麗だし、千姫が暮らしていた化粧櫓は」
私がそこまで言った時、宗太郎が眼を丸くして私を見た。
「お前の時代は誰でも城に入れるのかよ?!」
私は笑いながら頷いた。
「お城の中はね、入場料を払うと中を見学出来るの」
「へえー!」
宗太郎は感嘆の溜め息を漏らした。
私は城の話をして、ふと正太さんから聞いた話を思い出した。
……本当なのだろうか。
播州皿屋敷のお菊が斬られた刀が、白鷺流の刀だって……。
「柚菜、どうした」
涼やかな白鷺の眼が私を心配そうに見つめていて、私は反射的に神棚に置かれた白鷺一翔を見上げた。
「白鷺一翔で、以蔵さんが人を斬ったの」
私の言葉に二人が息を飲んだ。
「以蔵さんとの潜伏先に、男の人が二人乗り込んできて……」
白鷺が気遣うように私を見つめた。
「怪我はなかったのか」
「うん……でも、以蔵さんが斬った男の人達が」
白鷺が何も言わず瞳を伏せた。
その表情はやりきれない思いを抱えているようで、私は苦しかった。
暫くの後、
「知ってる。俺が作った刀だから」
私はそう言った白鷺を窺うように見つめて、遠慮がちに問いかけた。
「白鷺……。白鷺一翔は、どうして妖刀になってしまったの?」
白鷺は一瞬押し黙った。
それから私を見ずに言った。
「お前は知らなくていい」
またしても拒絶され、胸がズキッと痛む。
「……知りたいよ白鷺。私、知りたい」
「おい柚菜、箸が止まってるぞ。どんどん食え。で、飲め」
宗太郎が私を気遣うように明るく声をかけてくれたけど、私はどうしても諦められなかった。
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