シオンズアイズ

友崎沙咲

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第七章

揺れる思い

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「こらお前達、もう出ていけ」
「子供じゃないのか?」
「顔が幼いだけだろ。さっき見たけど、胸も腰も……イイ身身体してるぜ」

「香!アルゴとマーカスをつまみ出せ」
「そんなの自分でやりなさいよっ!」

……ん……?香の声がする。
それにファル……?
シオンはゆっくりと眼を開けた。

「ほらほら二人とも!ファルがシオンと二人っきりになりたいみたいよ。早く出ましょ」
「けどよお、自己紹介……」

「眠っているのに自己紹介が出来るわけないだろう!」
「アルゴ、諦めろ。行くぞ」

……たしか、リーディックと別れてそれから……。
どうやら、気を失っていたみたいだ。
温かい。多分香が濡れた服を着替えさせてくれたんだ。

寝台に寝かされていたシオンは、ゆっくりと起き上がると小さな声で香を呼んだ。
その声に香が振り返る。

「シオン……!大丈夫?!」
「おお!目覚めたか!!俺はアルゴだ」

アルゴが大きな声でそう言うと、寝台に近づいた。
シオンはアルゴを見上げてペコリと頭を下げた。

「シオン、こっちはマーカスよ」

香が示した方向を見ると、そこには壁に身を預けて腕を組んでいる青年がいた。

「初めまして」

マーカスは僅かに頷くと、アルゴと香に眼をやった。

「後はファルに任そう。行くぞ」

香はシオンの手を取ると、ギュッと握り締めた。

「話したいことはいっぱいあるけど……後でね」
「ん、香」

三人が部屋を出ると途端にファルと眼が合い、シオンはドキッとした。
どうしていいか分からず俯くと、ファルがゆっくりと寝台に近づいた。

フワリと空気が動き、ファルの香りがシオンを包む。
ギシッと寝台が軋んだ。
ファルは寝台に腰かけた自分を見ようとせず、固い表情のまま瞳を伏せたシオンを見つめた。

一方シオンは、カイルと激しく剣を交え、止めを刺そうとしたファルを思い返して身が震えた。
……怖い。

会いたかったけど……会いたかったけど、ファルが怖い。
シオンは固く握り締めた両手を見つめた。

「シオン」

低くて優しいファルの声。この声が好き。
シオンはそっとファルを見た。
この黄金色の眼が好き。精悍な頬も口元も。

なのに、なのにこの人が怖い。
カイルの息の根を止めようとしたファルが怖い。

硬直したシオンを見てファルは思った。
……エリルの森で連れ去られ、白金族人間と生活を共にし、シオンは俺を忘れたのか。
同じ部屋で暮らすうちに、カイルを愛したのか?

ファルは、カイルに止めを刺そうとした時、血相を変えて阻止しようとしがみついてきたシオンを思い返した。

あれは、カイルが好きだからか?
俺を選んだのは、香と再会するためで……。
けれど先程、シオンは確かにこう言った。
凄く会いたかったと。

「シオン」

ファルはたまらず手を伸ばし、シオンの頬に触れようとした。

「っ……!!」

瞬間、ビクッと身を震わせ、シオンがファルを避けた。
ファルは眼を見開き、シオンは苦痛に頬を歪めた。

「あ……!」

後悔と恐怖が入り交じったシオンの顔を、ファルはそれ以上見ることが出来なかった。
寝台から立ち上がると身を翻してシオンに背を向け、窓辺へと歩む。

シオンはマントを翻して背を向けたファルを見て、苦しかった。
どうして何も言ってくれないの?

ファルは、シオンに触れようとした指をギュッと握った。
……俺に触れられたくないのか。
カイルを殺そうとしたからなのか。
俺を、愛してないのか!!

シオンはファルの後ろ姿を見つめた。
ファルが好きだ。でも、怖いのだ。
歯を食い縛り、剣を握るファルが怖い。
シオンはハラハラと泣いた。

……無理だ。好きでも無理だ。
映画じゃないんだ。
これは現実。この世界の現実。

ファルに会うのを夢に見ていた。
だって、好きだから。
けれど今は辛い。
気持ちを整理できない。
この部屋に二人きりで居るのが辛い。

いや、怖い。
シオンは泣きながら寝台を降りた。
意に反して足がもつれるのをなんとか抑え、出口へと向かう。

一方ファルは、ガタンという音で振り向いた。
涙に濡れた頬を拭いながら、シオンが部屋を出ようとしていた。

……俺といたくないのか。

「待て」

何も考えられなかった。
ファルは咄嗟に身を翻し、シオンを抱き締めて止めた。

「……行くな」

ドキンと鼓動が跳ねたが、それが更にシオンを苦しめる。

「ファル、離して」

ファルは、シオンの髪に顔を伏せて囁くように言った。

「嫌だ、離さない」
「……っ、」

肩を震わせて泣くシオンを、ファルは夢中で抱き締めた。

「愛している。お前が好きだ」
「嫌いになったら?もし、愛が冷めたら?!」
「シオン」

シオンはファルの腕を振りほどくと、彼に向き直った。

「嫌いになったら、邪魔になったら、私も殺すのっ!?」
「そんなわけないだろう!俺は殺人鬼じゃない!」

シオンはビクッとした。

「でも、殺そうと」
「ああ、そうだ!」

ファルは怒鳴った。

「俺は人を数えきれないほど殺してきた!だが殺さなきゃ殺されてた!
国を、民を守るのが俺の勤めなんだ。攻めてくる相手を迎え討たなければ、俺たちに未来はない!」

真っ直ぐで曇りのない黄金色の瞳は、自分の使命を理解し、これからもその信念を曲げる気はないと語っている。

「……分かってるよ!ほんとは、分かってる!だけど、怖い、怖いの……!」

怖いのに、なのに、愛しい。
シオンはそう言いながらファルに抱き付いた。
自分の胸に頬を寄せるシオンの背に腕を回し、ファルはきつく抱き締めた。

「シオン……」
「ファル、あなたが好き。離れてから一日だって忘れた日はないわ。でもどうしていいか分からないの」
「分かってくれ、シオン」

「分かってるの。国を守るためには仕方がないって。私が生きていた時代にも戦争はあったから。でも怖い。あなたが殺されるのも嫌だし、あなたが誰かを殺すのも、怖いの」
「…………!」

互いに抱き合い、愛していると囁いているのに、目に見えぬ距離を埋めようがなく、二人はこれ以上なす術がなかった。

◇◇◇

「……おい、どうなってる」
「知らないわよ」
「なんだよこの空気は?何かあったのか?」
「あったらもっと和やかなんじゃないのか。なかったからこんな、ギスギス」
「マーカス」

黄金色の瞳が不愉快そうにマーカスを見据える。

「三人の胸の内を代表して声に出したまでだ」

シラーッとマーカスがそう言い、何もない石の壁を見つめた。

「話を元に戻せ」

◇◇◇

豪雨の翌朝、嘘のように晴れ渡ったケシアの都には、一人として白金族人間はいなかった。
カイルの軍は、昨夜の黄金族人間の奇襲攻撃にあっさりと逃げ出し、ケシアを明け渡したのである。

「なんだよ、拍子抜けだぜ」

アルゴは舌打ちし、マーカスは眉をひそめた。

「苦労して奪取したケシアを、簡単に手放すなどありえない」
「そうよ、あり得ない。シリウスの作戦よ」

香は皆を見回した。

「どういう事だ」

ファルの問いに、香は窓の外に見えるシオンを見つめた。
つられるように皆が、池のほとりに佇むシオンに眼を止める。

「ケシアを侵略した時は、『七色の瞳の乙女』はこの世界に存在しなかった。
だから彼らは犠牲を払いながら自力でケシアを奪い取った。
そしてシリウスは、突如として現れたシオンを拉致した。
その後、ケシアを手放した。
この意味、分かる?」

「わからん」
「脳味噌、腐ってんじゃないの?」

おい、いくら俺でも好きな女に……傷つくぜ。
アルゴはソッと香を見たが、彼女はアルゴを一瞥するとツンと横を向いた。

「シオンを神に捧げるつもりだったのよ、きっと。神に捧げてこの世界を統一しようと目論んでるんだわ。
だから無駄な戦いなどせずに自分はアーテス帝国へ帰った。
ケシアに残っていた白金族人間も僅かだったしね。現に昨日の奇襲で、応戦すらしないで逃げ帰ったでしょ」

マーカスが腕を組みながら、続けて口を開いた。

「けど本人の意思がないと無理なんだろ?」
「そう。本人自ら神に身を捧げる決意をするのって、どんな時?」

「女が身を犠牲にする決意をするのは……誰かの為か」
「シオンと最後までいた人物は?」
「カイル」

たまらずファルが立ち上がった。
一同がファルを見上げる。

「……俺が部屋を見た時カイルは……シオンを抱こうとしていた」

苦し気に眉を寄せたファルをわざと見ずに香が頷いた。

「それは倒れてた白金族人間の兵士……リーディックと話した時に想定してた事よ。間に合って良かったわ」

香は続けた。

「多分シリウスは、カイルに指示してたのよ。シオンを虜にしろってね。彼、カッコいいし。それでシオンに、カイルの為に神に身を捧げさそうとしたのよ」

アルゴが思わず香を見た。

「お前はあんな青白い男がいいのか!?」

すかさずマーカスが口を挟む。

「自分以外の男は全員青白く見えるのか、お前は」

香はさらりと二人を無視して、ファルを見上げた。

「私の予想だけど、結局カイルは虜にする筈のシオンに逆に虜になり、リーディックに嫉妬した挙げ句、シリウスの命令に背いて無理矢理シオンを抱こうとしましたって話だと思うわよ」

香は付け加えた。

「良かったわね、カイルに盗られなくて。てゆーかさ、ボケッと突っ立ってないでシオンのところにでも行けば?」

ファルは、眉を寄せて顔を背けた。

「俺は話すことはない。伝令隊長の所へ行ってくる」
「……あっそ」

香は、身を翻して部屋から出ていったファルの足音を聞きながら思った。
こっちのが、好都合だわ。
……だって白金族人間も黄金族人間も、どちらも言わば同じ。

ただシオンがファルと愛し合ってしまっただけで、『七色の瞳の乙女』の力を当てにしているのは、どちらの王も同じなのだ。
結局はシオンを拘束し、その身を神に捧げたいだけ。
私欲のために。

リーリアス帝国についたとて、ダクダがシオンの、ファルへの恋心を利用し、彼女に神に身を捧げるように仕向けるかもしれない。

神に身を捧げ、この世界の統一を目論んでいるのだとすると、ここにいるのは危険でしかない。
ダクダは確かにシオンを求めているのだから。
香は静かに立ち上がった。

「シオンの様子を見てくるわ」

部屋を出ていこうとする香の横顔を、マーカスは静かに見つめた。
……こんな話の後に、これだけの無表情を作るとは。

マーカスは、思わずフッと笑った。
なかなか素質のある女だとは思うが……完璧を求めすぎてボロを出すタイプか。
マーカスは思った。一度二人で話したいものだ。

「なんだよ」

でかくて黒くて面倒な奴が、邪魔だが……。
真正面に座る無邪気なアルゴを見て、マーカスは溜め息をついた。

◇◇◇

「逃げるなら今よ」

いつの間にか近づいてきた香が、小さな声でシオンに言った。

「どうする?」

シオンはキラキラと光る池の水面を見つめながら、呟くように言った。

「分かんない」
「……ファルといたい?」

「好きだけど……彼は好きじゃないのかも。私が『七色の瞳の乙女』だから、国に必要だから、そう見せかけてるだけかも知れないし。それに」
「それに?」

シオンは体ごと香に向き直った。

「ねえ、香は平気なの?この世界の人って、剣や弓で平気で人を殺してる。もし香なら、そういう人と恋人同士になれる?」
「なれるけど」

即答した香を、シオンは呆気に取られて見つめた。

「どうして?!」

香は小さく息をついた。

「私は大抵、そういう時代に生きてきた。生まれ変わりながら、ずっと、ずっと。
ついでに言うと『七色の瞳の乙女』は、前世を覚えていられないみたい。つまり、あんただってそういう世界に生きてたわけ。忘れてるだけで」

一旦言葉を切ったが、香はすぐに続けた。

「私は、誰も死なずに平和を手に入れるのは無理だと諦めているから。
……人は争う。自国の為に。
人は憎しみ合う。人種が違うから。
人種が違うと文化が違い、宗教が異なる。宗教が違うと崇める神が異なり、それもまた争いの原因になる」

シオンは眉を寄せた。

「分かってるの。分かってるの……でも、ファルに殺して欲しくない。ファルが殺されるのも、嫌」
「私だって自分の男が人殺しだなんて嫌よ。でもこの世界はこういう世界だと、腹をくくらなきゃ仕方がないの」

シオンは頷いた。

「分かってるの」
「ひとつ言っとくけど」

香が大きく息を吸い込むと、ハッキリとした口調でシオンに告げた。

「『殺し合いなんてやめて』なんて言うんじゃないわよ?
……突然平和な国からやってきて、この世界の事をなんにも知らないクセに、無責任に自分の理想を押し付けるものじゃないわ。確かに殺し合うのは悲しいことだけどね」

シオンは息をのみ、答えられずに黙り込んだ。
香は続けた。

「だってそうでしょ?意味分かるわよね?」

……香の言っている事は理解できる。

「あ、そうそう『七色の瞳の乙女』ってさ、処女じゃなくなると力が無くなるのよね」
「え、そうなの?」

「愛してないなら……国の為に利用するだけなら、肌を重ねようとはしないはず。……試してみれば?」
「なっ」

何をさらりと……。

「あのね、子供じゃないんだからさ。ファルが好きならそれでいいじゃん。王子様だし。愛があればあとはどうにでもなるわよ。でもどうしても戦いが嫌、殺し合いが嫌なら、私達が去るしかないのよ」

「……若干、面倒臭そうなんだけど」
「とにかくどうすんの?!あと一時間以内に決めなさいよね」

早口でそう言うと香は踵を返した。
その姿を見送りながらシオンは思った。
……じゃあ、カイルは……。


『僕が……俺が、どんなに君を好きか、君は全然分かってない』

『シオン、君を愛してる。君を誰にも渡さない!リーディックにも、黄金族人間の王子にも』


きっとシリウスに言われていた筈だ。
国の為に『七色の瞳の乙女』を利用するから抱くなと。
なのに、カイルは……。

カイルの青い瞳を思い出しながら、シオンは思った。
カイルが、早く私を忘れて幸せになればいい。

「伝令係から連絡が入った」

各部隊の隊長が集まったダグダの屋敷の大広間に、ファルの低い声が響いた。
心なしか人の輪が密になる。
ファルは瞳に力を込めて、皆をグルリと見回した。

「ニア帝国で待機している父上の軍は十分に休息を取り、状態もいいらしい。俺達も直ちにロー帝国へ向かおう。ガイザ帝国を突っ切って進むぞ」

アルゴが驚いて声をあげた。

「おい待て。ガイザ帝国は中立国だし、他国をまたぐとすぐ敵に情報が漏れるぜ?!」

マーカスが鼻で笑った。

「通らせるだけで黄金が手に入るんだ。貰うからにはそれなりの代価を払うべきだろう。それに」

一旦言葉を切ったが、マーカスは不敵な笑みを浮かべると再び続けた。

「ガイザ帝国を通るという事がどういうことか……奴等にちょっとした恐怖を味わってもらうのも悪くないだろ」

確かに黄金族人間だけなら、ケシアから北上すればいい話だ。
それをわざわざ、ガイザ帝国を通過するということは。

ガイザ帝国の北側にはロー帝国があり、彼らはメルの都をアーテス帝国に奪われ、憎しみに燃えている。
香は呆れたように唇だけで笑った。

「悪党がいるわよ」

マーカスが香に微笑んだ。

「いや、善人だと言ってもらいたいな。アーテス帝国に、敵は我らリーリアス帝国だけじゃないと、わざわざ教えてやるんだからな」

「奇襲作戦が無駄になるわよ?」
「十分に奇襲だろ?我が王、ダグダ軍は西の山脈沿いからニア帝国に入ってるんだ。白金族人間に知られることなく内密に」

漸く香が意味を理解し、フワリと笑った。
香とマーカスの視線が、意味ありげに絡む。

父王ダグダの軍は敵国の西側から、一方ファルの軍は東側から攻め込むのだ。
それも、二国の援軍を率いて一気に。
この上なく恐ろしい奇襲攻撃である。

「やっぱ、悪党」

マーカスが甘く笑った。
ファルが再び口を開く。

「皆、出立の準備だ。用意がととのい次第ケシアを出る」

勇ましい声が上がり、隊長達が足早に広間を後にした。

◇◇◇◇

「あっ」
「……っ」

二人はギクリとして立ち止まった。

広間を出て、ジュードと騎兵隊の待機場所へと足を進めていたファルは、屋敷の東側の通路でシオンと鉢合わせしたのである。

ファルの後ろを歩いていたジュードが、一瞬の間を置いた後、二人を追い抜かしながら短く言った。

「先に行ってる」
「ああ」

ジュードが去り、二人は向かい合う形で立ち止まったまま黙り込んだ。
シオンは次第に胸が痛くなり、眉を寄せて俯いた。

「……身体は平気か?」

暫く会わぬうちに、シオンの身体には傷が増えていた。
最初に出逢った時の小さな傷。
アイーダに咬まれた首。
シリウスに刺された足。
肩の傷。

これら全てが自分のせいに思えて、ファルは苦しかった。
シオンは固い声で答えた。

「……大丈夫。ありがとう」

本当は見つめたい。その綺麗な瞳を。その端正で男らしい顔を。
でも。

その時風が動いて爽やかな果実の香りがし、シオンは咄嗟に顔を上げた。
あ………。
徐々に遠くなるファルの背を見て、全身が急激に冷える。
シオンはそっと指を上げ、遠くなったファルの背に重ねた。
届かないと分かっていながら。

「王子が好きなのか?」

急に背後から声がして、シオンは振り返った。

「マーカス……」

シオンはコクンと頷いた。
榛色の瞳は何となく優しかった。
マーカスはシオンを見つめた。

「あいつもお前に惚れてる、心から」
「…………」

正直、マーカスにしたら『七色の瞳の乙女』にも『守護する者』にも興味はない。
だが、ただの人間としての香には興味があるし、ファルにとってシオンは愛する女だ。

どちらもここで別れるには、名残惜しい存在である。
マーカスは、ふたりに去られてファルの精神状態を乱したくないのだ。
……引き留めねばならない。

七色の瞳の乙女を欲しているのは、我が国王であるダグダだ。
だがダグダ自身、もう既に諦めているだろう。
何故ならファルが、シオンを愛してしまったからだ。

ダグダは大きな男である。
息子の恋人を奪い取ってまで、神に捧げようとはすまい。

しかし、それを香とシオンに証明出来ない。
引き留めるには非常に心許ない内容である。
ならば、ここはひとつ。

「知ってるか?」
「何を?」

シオンは背の高いマーカスを見上げた。

「香の話だ」

訝しげに眉を寄せたシオンを見つめたまま、マーカスはゆっくりと口を開いた。

◇◇◇◇

ファル一行は出立し、休憩のためにガイザ帝国との国境の手前で兵を止めた。
兵達の列は長く、最後尾がここに到達するにはまだ時間が掛かりそうである。

香は爽やかな風を感じながら、岩場に腰掛けてシオンを見上げた。

「本当によかったの?後悔してない?」

香の問いに、シオンはしっかりと頷いた。

「うん、してない。やっぱりファルが心配だし離れたくないから」

それに、香のことも。
マーカスの言葉が胸にのし掛かる。

「そのわりにはマーカスと馬に乗ったりするから、イライラしてるわよ、王子様は」
「私、ひとりで乗るって言ってるのに、マーカスが」

シオンは少し先でマーカスとジュード、それにアルゴと話すファルを見つめた。

『俺の馬に乗れ。ファルに焼きもちを焼かせてやるから』

ファルの目の前でシオンの耳にこう囁くと、マーカスは彼女の腰を持って馬の背へと抱き上げたのだ。

ファルはその様子に一瞬眼を見開いたが、マーカスと眼が合うとグッと唇を引き結んで踵を返し、自分の馬に乗ると颯爽と駆けていってしまった。

「まあマーカスも、焼きもちでも焼かせてあんた達の仲を取り持とうとしてる訳だ」
「ズバリなんだけど」

「分かりやすいわ」
「て事は、ファルにもバレてるんじゃないかな」

香は、数メートル先にいるファルを見ながら即答した。

「気づいてなさげ。ファルって女心に超鈍そうだし。
おっと、マーカスがこっちに来るわよ。作戦続行みたいね」

そう言うや否や、香はスッと立ち上がると輪から外れたアルゴへと駆け寄って行ってしまった。

「効果覿面だろ?」

シオンに歩み寄りながら、マーカスは爽やかに笑った。

「分かんないよ」

マーカスは眉を上げて白い歯を見せた。

「分からない?お前、鈍いんだな。言っておくがファルも相当鈍いぞ。アイツは色恋に疎い」
「マーカスは女心に詳しいの?恋人はいる?」

一心にこちらを見上げるシオンを可愛らしく思い、マーカスはフッと笑って口を開いた。

「昔はいた。今はいない」
「ねえ、マーカス」

シオンがここまで言いかけた時である。

「きゃあっ!」

ザザッと砂利を鳴らして近づいてきたファルが、突然シオンを抱き上げた。

「マーカス、シオンを借りるぞ」

言うなりマントを翻して彼に背を向ける。
マーカスは、吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

「どうぞお心のままに」

……なんだ、その言い回しは!
ファルはマーカスの口調に眉を寄せながら大股で歩いた。

「ファル、なに?!おろして」
「いいから掴まってろ」

その様子を見ていた兵達がニヤニヤしだす。

「王子、まだ明るいですが」

ギロッと睨むと兵達が笑った。
逆効果じゃん、恥ずかしい!

「ねえ、ファルってば」

ファルはチラリとシオンを見た。
大きく形のよい眼は潤んで艶っぽく、わずかに染まった頬が何とも愛らしい。

「ねえってばっ」

しまった、見とれていた。
ファルは慌てて眼をそらした。
暫く無言で歩くと、やがてファルはそっとシオンを下ろした。

よろけそうになるシオンを腕一本で支え、ファルは辺りを見渡しながら口を開いた。

「好きな花を選べ」
「……え?」
「二度も言わせるな」

それって、もしかして。

「もしかして、ピアスを?」

ファルは景色を眺めていて答えない。
こっちを見ないなら、好都合だ。
だってファルをじっくり見たい。

シオンは遠くを見つめるファルを見上げた。
背が高い。
精悍な頬や綺麗な口元が好きだ。
男らしい澄んだ瞳も。
自分の腰に絡まる、逞しい腕が嬉しい。

照れ屋だけど優しくて潔く、俺様だけど友を大切にするファル。
やっぱり、私はこの人が好きだ。
ファルの腕に身を預け、顔を見上げていると不意に彼がこちらを向いた。

「……っ!」
「……」

うわっ、バレたっ。
ファルは狼狽えるシオンを不思議そうに見つめたが、直ぐにフッと笑った。
それから低くて柔らかい声で言う。

「早く選べ」

シオンは赤くなった。

「だって、ファルが」

……俺がなんだ?
意味が分からず首を傾げたがそれはほんの一瞬で、ファルはすぐに自分が、シオンの身体に腕を絡めたままなのに気がついた。

「あ……」

思わず動揺し、咳払いで誤魔化す。
シオンは解かれた腕に寂しさを覚えたが、気を取り直すと辺りを見渡した。

「……っ」

可愛い、この花……。
シオンはいくつかの花を見た後、花びらの多い薄ピンクの花を手に取った。

「これがいいのか?」

ファルがシオンのそばに膝をついた。

「うん」

花を受け取るとクッと瞳に力を込めて、ファルは花を黄金に変えた。
暫くそれはファルの両手で見えなかったが、やがて、

「手をかせ」

やだ、うそ。

ファルの長く男らしい指が、自分の指に触れる。

「…………」
「…………」

それは指輪だった。
可憐な花びらはそのまま黄金と化し、茎が絡まるように薬指にはまった。

「どうだ?痛くないか?」
「うん」
「そうか」

ふたりは向かい合い、互いを見つめた。

「ピアス、なくしちゃって……ごめんなさい」

ファルは掌で、そっとシオンの首に触れた。
それから眉を寄せて、苦しげにシオンを見つめる。

「あの時は……守ってやれなくてすまなかった」

シオンがサラリと髪を揺らした。

「ううん。彼女はあの時、人間じゃなかったし……もう亡くなったんだけど」
「死んだのか?」

アイーダがか?
シオンはホッと息をついてから頷いた。

「カイルが殺したの。アイーダが私を殺そうとしたから……」

言いながらシオンは、アイーダの短剣がかすった肩の傷跡を押さえた。
ファルは苦しかった。

アイーダがシオンを殺そうとしたのは、俺のせいだ。
俺がアイーダを拒んだから、あの女の殺意がシオンに向けられたんだ。
シオンはファルの辛そうな顔を見ていたが、静かな声で言った。

「そんな顔しないで。私は大丈夫だから」

それから唇だけで笑った。

「素敵な指輪をありがとう。今度は無くさないように大切にす」

そこまでしか言えなかった。
それは、一歩踏み出したファルがシオンを抱き締め、僅かに視線を絡めた後、口付けたからだった。

「っ……」

間近に迫ったファルの顔、柔らかな唇。大きな熱い身体。
僅かに唇を離すと見つめ合い、再び口付ける。
ふたりは夢中でキスをした。
何度も何度も口付けては見つめ合い、抱き締め合った。

「あの、ファル」

一瞬唇が離れた瞬間、シオンは吐息と共にファルの名を呼んだ。

「……ん?」

金色の瞳が甘く光る。

「どうした?」
「私が」

私が、何の力も持たない人間でも好きでいてくれる?
私が、『七色の瞳の乙女』じゃなくても、愛してくれる?

シオンは口をつぐんで首を振った。
……やめよう、そんな質問は。
……だって、それだけじゃないんだもの。
これからもその剣で戦うの?これからも、ずっと。

「ごめん、なんでもない」
「なんだ、言え」

……言えない。
シオンは咄嗟に思い付いた事を口走った。

「あのね、私、ひとりで馬に乗れるようになったのよ。
覚えてる?ファルと一緒に馬に乗ったとき、怖くて怖くて死ぬかと思ったけど」

そこまで言った時、ファルがシオンを至近距離から見つめると不満そうに瞳を光らせた。

「では何故、マーカスと乗ってたんだ」

ギ、ギグッ!
なにこの展開。

「さあー」

何が、さあー、だ。
ファルがムッとしながらシオンに絡めた腕に力を込める。

「ファル、苦しい」
「俺をイラつかせた罰だ」

イラつかせたのは、マーカスだし!

「もうじき出発だが、今度は俺と乗れ。さもないと」

ファルがシオンを甘く睨んだ。

「口付けだけじゃ、すまない」
「っ……!」

熱い唇に、胸が高鳴る。
それと同時にひとつの罪悪感がシオンの身体を駆け抜けた。

人を斬るファルを受け入れられないと思いながらも、彼を求める自分はなんと薄弱なのだろう。

その時のシオンの心は、吹き荒れる風に翻弄される枝葉のようであり、彼女はその風から逃れられずにいた。
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