シオンズアイズ

友崎沙咲

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第六章

殺意と欲心

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「やだ、自分でするから触らないでっ!」

カイルの部屋に、シオンの悲鳴のような声が響いた。
朝の光が部屋に差し込み、それと共に穏やかな風を感じたが、二人ともそれどころではなかった。

「自分でなんか無理だろ。諦めろ」
「自分でやる方が、加減が出来るもん」

シリウスに刺されたシオンの傷の状態を見て、カイルが抜糸しようとしたのをきっかけに、二人の攻防が展開された。

「カイル、痛いのは嫌なの、怖い」

足首に伸びてきたカイルの手をギュッと掴んで、シオンは眉を寄せた。
七色の瞳が真っ直ぐにカイルを見つめる。
カイルがクスッと笑った。

「痛くしないから」
「…………」
「なんだよ、その顔」
「だって…………」
「我慢したら、何かひとつだけ希望を聞いて上げるよ」

……願いを聞いてくれるってこと?
シオンはカイルを見つめたまま、考えを巡らせた。

「……じゃあ、乗馬を教えて」
「なぜ?」

素早く切り返して問うカイルに、シオンは思わず怯みそうになったが、必死で耐えた。

「だって、風を感じたいもの」
「僕と乗ればいい」
「自分だけで乗れるようになりたいの」

カイルは唇を引き結んでシオンを見つめた。
……馬に乗れるようになったら、黄金族人間……ファルのもとへ帰る気なんじゃないのか?
そんなの許さない。

「ダメだ」
「どうしてっ!?」

カイルは冷たく光る瞳でシオンを一瞥したが、彼女に言葉を返さなかった。
……カイルは私を信用してないんだ。
だから乗馬を教えてはくれないんだ。
……信用されなければならない。
ファルと香に再び会うために!

シオンはカイルに気付かれないように深呼吸をしてから、フワリと微笑んだ。

「分かった。……わがまま言ってごめん」

カイルは眼を見張った。
笑ったシオンを見た途端、胸が高鳴る。

ああ、シオン!
カイルは、ベッドに座っているシオンを思わず引き寄せて胸に抱いた。

甘い香りが鼻孔をくすぐり、柔らかな身体を感じて目眩がする。
ああ、シオンを自分のものにしたい!
だがあまり強引な行動に出て、拒絶されたくはない。

「……カイル、苦しい」

シオンの声に思わず我に返る。

「ああ、ごめん。……足、出して。大丈夫、すぐに終わるから」

コクンと頷いたシオンの額に優しく口付け、カイルは彼女の足の甲にそっと触れた。

「ん、見た通り、もう抜糸して大丈夫だ」
「ねえ、カイル」
「ん?」

シオンは、かねてからの疑問を思い切って尋ねた。

「この傷が治っても……また、私は刺されるの?刺されて、また動けなくされるの?」

怯えた瞳に固い声。
カイルはグッと眉を寄せた。

「そんなこと、させない」

心の底から、カイルはそう思った。
誰にもシオンを傷付けさせない!誰にも渡さない!
カイルは我慢できずにシオンを引き寄せると、唇に口付けた。

「……っ!」

シオンは、ビクッとしてカイルから逃れようとした。
けれどすぐに耐えた。
ダメだ、嫌がればまた疑われる。
シオンはゆっくりと眼を閉じた。

カイルのキスは以前と違った。
なんなの、どうして?
とても優しくて、全然強引じゃなくて。
訳がわからない。

カイルはそっと唇を離し、シオンを恐る恐る見つめた。
互いの視線が絡み、暫く見つめあった後、カイルは囁くように尋ねた。

「……嫌だった?」

カイルの真っ青な瞳は、何かに怯えているように不安げに揺れている。
シオンはそんなカイルを見て眉を寄せた。

「…………」

シオンが首を横に振ると、カイルは僅かに小さく息をもらした。

「……足、出して」

カイルはそれ以上、シオンの顔を見ようとしなかった。


◇◇◇

数日後。

「庭園の中だけなら、独りで散歩してもいいよ」

カイルにそう言われ、シオンは部屋を出た。
……上手く歩けない。
あまりの痛さに脂汗が額に滲んだが、シオンは諦めなかった。

指は動く。けど痛い。
シオンは歯を食いしばった。
……負けない。負けないから!

その時である。

「……っ!」

背の高い、幹の太い樹木の側を通りすぎようとしたシオンの腕を、誰かが掴んだ。
心臓が止まりそうになりながらその手の主を振り仰ぎ、シオンは思わず眼を見開いた。

アイーダ!

途端にエリルの森で首に噛み付かれた恐怖を思い出す。
声すら出せないシオンを見て、アイーダはニタッと笑った。
殺してやる!

自分を差し置いてシオンとファルが結ばれなどしたら、業火に焼かれるより辛く狂おしい。
七色の瞳の乙女を殺し、ファルに絶望を味わわせれば、この気持ちもきっと楽になる。
この思いを遂げれば、たとえ死んでも悔いはない。

「……殺しに来たぞ」

コロシニキタゾ

高々と振り上げられたアイーダの右手の短剣が、沈み行く太陽を反射してキラリと光った。
殺される……!!
今まさに自分に突き立てられそうな短剣を目の当たりにした時、シオンは思った。
死にたくない!死んでたまるもんですか!

「きゃあああっ!」

シオンは声の限り叫んだ。
助けて!とか、誰かの名を呼ぶ余裕はなかった。
ただただ、誰かに気付いてほしかった。

「シオン!?」

カイルはシオンのけたたましい叫び声を聞いて、ビクッと背中を反らせた。

「シオン!?シオン!!」

カイルは部屋にいたが無意識に弓矢を掴むと、窓から中庭へ飛び出した。

「いやあぁぁーっ!」

……あそこだ!

悲鳴のした方向を見て眼を凝らすと、揉み合う二人の人間が太い樹木の向こうに見えた。

間に合えっ!

カイルは素早く弓を構えると、矢を放った。
矢はなんの迷いもなく一直線に空を切り、カイルの思い通りに飛んだ。

「っ!!!」

声にならない息のような悲鳴が短く聞こえ、絡まるようにしてシオンともうひとりの女が倒れた。

「シオン!」

走り寄って見下ろすと、カイルは思わず息を飲んだ。
この女は……!見覚えがある。いつか保護した女だ。
素早くシオンの腕を掴んで立たせると、彼女の腰に片腕を回して支え、カイルはアイーダを睨み付けた。

「女!何のつもりだ!?」

アイーダは、カイルの蒼白になった顔と口内に広がる血の味に絶望した。
そっと手で辿ると、胸に棒が突き刺さっている。

……射られた。
急激に力が失われ、左腕にはめたユグドラシルの腕輪に触れることが出来ない。
いや、たとえ触れてももう、この命は絶えるだろう。

一瞬眼を閉じたが、アイーダは再びカイルの青い眼を見つめた。
顔を見た瞬間、すぐにわかった。
この男もまた、シオンを愛しているのだと。
アイーダはニヤリと笑った。

「無駄だ。お前は愛されない」

カイルが眼を見開く。

「お前は私と同じだ。愛されはしない」

その時、シオンの腰に回していたカイルの腕に生暖かい何かが這った。

「っ!」

見ればシオンの肩から血が流れ、それが何本もの赤い線を描いてカイルの腕に滴った後、地に染み込まれていった。

「どんなにシオンを愛しても、お前のそれが報われることはない」
「死ね」

カイルは独り言のように呟くと、腰の長剣を引き抜いてアイーダの首をかき切った。
やだ、嘘……っ!

「や、めて、カイル。殺さないで」

もう遅かった。
血しぶきが辺りに飛び、アイーダは言葉を発することなく絶命した。

生命力をなくした持ち主を察したように、ユグドラシルの腕輪がみるみる灰色になり、粉々に砕けた。

アイーダの瞳は、たちまちのうちにくすんだガラスのように光を失い、シオンは全身の力が抜けてカイルに寄りかかった。

「シオン、手当てをしよう。おいで」

シオンは、心配そうにこっちを見つめるカイルの海のような瞳を睨み付けた。
強い光を放つように、シオンの瞳の色が目まぐるしく変化する。

「どうして……どうして、殺したの」

自分に避難の眼差しを向けたシオンを見て、カイルは小刻みに頭を振った。

「君を殺そうとしたから」
「離してっ」

ああここは、なんという世界なんだろう。
命が軽過ぎる。
どうして!?どうして!
シオンはカイルの腕を振り払うと、倒れるように地面にしゃがみ、アイーダを覗き込んだ。

「アイーダ」

確かにアイーダには酷い目にあわされた。
たった今だって殺されかけた。
けれど見たくなかった。
私は彼女の死など、望んでないのに!!

「アイーダ」

シオンは泣きながらアイーダの喉に触れた。
ポロポロとこぼれる涙を拭いもせず、シオンはアイーダの上に涙をこぼした。

カイルは、シオンの軽蔑の眼差しと、拒絶の態度に胸を突かれてただ突っ立ていたが、目の前で起きた信じがたい光景に息を飲んだ。

……なんだ……?!
嘘だろ。
シオンの触れた、アイーダの喉……今しがた自分が切り裂いたアイーダの喉の傷がみるみる塞がっていったのだ。

騒ぎで駆けつけて来た番兵達が、眼を見開いてシオンとアイーダを交互に見つめた。

間近で見てはいたが、カイルにはシオンが傷に触れたからなのか、彼女の涙がその上に落ちたからなのかは分からなかった。

けれど、これは明らかにシオンによってなされた事であった。
一方シオンは、確かにあったアイーダの喉の傷が、ゆっくりと塞がるのを見て大きく息を飲んだ。

傷が……!
思わずアイーダの喉の血を服の袖で拭う。
嘘っ!!!
傷が……なくなってる!

これって、これって、私が『七色の瞳の乙女』だから?!これが、『七色の瞳の乙女』の力なの?!
だとしたら。

咄嗟に立ち上がると、シオンはアイーダの胸に刺さった矢を両手でしっかりと持ち、歯を食いしばった。
必死だった。
不思議と、怖いとか気持ち悪いなどとは思わなかった。

もしかしたら生き返るかもと思い、シオンは無我夢中であった。
アイーダ!
シオンはゆっくりと矢を引き抜くと、それを投げ捨て抜いたばかりの傷口に触れた。

手は血にまみれていたがその手で自分の顔を拭い、手についた涙を傷に押し当てた。

「アイーダ!」

射られた矢の傷は、ゆっくりと閉じた。

「アイーダ、アイーダ!!」

傷は全て塞がったが、アイーダが意識を取り戻すことはなかった。
やはり遅かったのだ。

「アイーダ!」

アイーダを好きな訳じゃない。
けど、人が目の前で死ぬなんて、見たくない。
ましてや、殺されるなんて!
虚ろなアイーダの瞳が悲しくて、シオンはその場に泣き崩れた。

◇◇◇◇

「カイル、その後はどうだ?『七色の瞳の乙女』をその気にさせたか?」

時は深夜。
場所はシリウスの部屋である。
シリウスの問いに、カイルはグッと言葉を詰まらせた。

壁に据え付けられた燭台の蝋燭が長い炎をゆらゆらと揺らすのとは対照的に、シリウスの寝台の脇のランプはまるで乱れず、時が止まったような錯覚を作り出している。

「夕方の騒ぎを見たが、あれはシオンの力で間違いない」

カイルはわずかに息を飲んだ。
シリウスはそんなカイルを尻目に、淡々と言葉を重ねた。

「……カイル。お前がシオンを骨抜きに出来ないのなら、他の人間に頼むまでだ。……その前に……シオンの涙を集めておくのも悪くない。いずれ黄金族人間は攻めてくる。兵達の怪我を治す薬が必要だ」

カイルは蒼白な顔をシリウスに向け、必死で動揺を隠すように口を開いた。

「シオンが僕に落ちるのは時間の問題です。他の男の力を借りるまでもありません」

「ほう。それは心強い。アーテス帝国内でお前ほど女を虜にする術を持つ男はいないからな」

カイルは、向けられた誉め言葉に感謝の意を表し瞳を伏せた。

「……では……あまり痛め付けて白金族人間に対する印象を悪くするのは得策じゃないな。 涙を搾取する件は保留にしようか」

カイルは、背中に伝う冷や汗を不快に思いながら頷いた。
シリウスの表情が気になり、恐る恐る視線を上げると、思いの外自分を凝視している彼の眼差しに、ギクリと驚く。

そんなカイルを、シリウスは射抜くように見据えている。
それからやけに静かな声で言った。

「カイル」
「……はい」
「抱くなよ」
「……っ!」

カイルが大きく眼を見開く。

「いいか。シオンを抱くな。抱けば『七色の瞳の乙女』の力は失われる。ただ、シオンの心を手に入れるんだ」

カイルは、胸に何かが詰まったような感覚に戸惑いながら、必死で口を開いた。

「……はい」

◇◇◇

カイルはそのまま隣の自室に帰ることが出来なかった。
部屋とは反対側に歩いて中庭へと向かうと、松明の灯りが草木を赤く照らしている。
カイルはそんな赤い枝葉を見つめながら立ち止まった。

『抱くなよ』

シリウスの言葉に、頭を殴打されたようなダメージを覚え、吐き気がした。
俺はシオンと結ばれないのか。
肌を重ねることが出来ないのか!

カイルは拳を握りしめ、唇を噛んだ。
カイルはアーテス帝国を愛していた。

国王シリウスを偉大な指導者として慕い尊敬しているし、孤児であった自分を拾ってくれた彼に、限りない恩を感じている。

シリウス様を裏切るわけにはいかない。
けれど、シオンを愛している。
愛してしまったんだ!!

押し殺すには大きくなりすぎてしまった恋心に、カイルは成す術を見つけられずに立ち尽くした。

◇◇◇

夜明け前。

眠れずに寝台の上で毛布を被り、丸くなっていたシオンの耳に衣擦れの音が聞こえた。
……カイルが帰ってきたんだわ。
シオンは反射的に身を固くして息を殺した。

『死ね』

冷たく冴えた、何も写していないカイルの青い瞳と、容赦ない剣さばきを思い出してシオンは体が震えた。
一方カイルは頭から毛布を被り寝台で丸くなっているシオンを見て、胸が軋んだ。
アイーダからシオンを守りたかった。

『どんなにシオンを愛しても、お前のそれが報われることはない』

アイーダの侮蔑の笑みと共に屈辱にまみれた言葉を思い出して、カイルは胸の痛みに顔を歪めた。

「シオン……」

カイルが小さな声でシオンの名を呼んだ。
シオンは返事を返さない。
眠っていると思われたかった。
カイルは続けた。

「君を殺そうとした女を許すことなんて出来ない。
僕は自分の選択に後悔してない。
君を守るためなら、なんだってする」

震えるようなカイルの声。
シオンはドクンと跳ねた心臓に驚き、毛布の中で眼を見開いた。

『君を守るためなら、なんだってする』

……もしかしてカイルは私の事を……いや、まさかそんなわけない。
以前逃げようとして失敗し、カイルに思いきり背中を踏みつけられた記憶が甦った。

その後、抱き締められキスされた先日の出来事が脳裏をよぎる。
分からない。

早鐘のような心臓の音が耳元にまで響き、シオンはその煩さにギュッと眼を閉じた。

◇◇◇◇

「シリウス様が、近々アーテス帝国に帰還される」

なんの前置きもなく、カイルはシオンにこう告げた。
朝を喜ぶ小鳥のさえずりに耳を傾けていたシオンだったが、カイルのその話にわずかに息を飲んだ。

丁度、アイーダともみ合った際に短剣がかすった肩の傷を、カイルに手当てされていた最中であった。

「僕はこのケシアに留まらなきゃならない」

シオンは寝台に腰掛け、窓の外の中庭を見つめながら思考を巡らせた。
……シリウスはアーテス帝国国王だ。
自国をあまり留守には出来ないのかも。

そして、カイルがケシアに留まるのは……きっとケシア奪還に燃える黄金族人間を迎え討つ為だ。
私は?私はどうなるんだろう。

シリウスが治めるアーテス帝国へ連れて行かれてしまうのだろうか。

カイルはシオンの横顔を見つめた。
様々に多色化しながら輝く瞳がなんとも美しい。

このところのシオンの瞳は頻繁に七色に輝いていて、カイルはいつも夢中でシオンを見つめた。

「シオン」

柔らかく名を呼ばれ、シオンは一瞬息を止めた。

「なに?」

カイルの顔を見ることなく、シオンは短く返事をした。
そんなシオンの態度を寂しく思いながら、カイルはもう一度彼女の名を呼んだ。

「シオン、僕を見て」

そう願われて拒否など出来ない。
シオンは窓から視線をはずし、左側のカイルを見上げた。

「……」

二人の視線が絡んだのはほんの一瞬で、カイルは苦しそうに眉を寄せると俯いた。

「なに?」

カイルは瞳を伏せたまま口を開いた。

「僕といたいと、言って欲しい」
「え?」

カイルは続けた。

「シリウス様にアーテス帝国に来いと命令されたら、僕と一緒にいたいと言って欲しい」

シオンは返事を返さず、その意味を必死で考えた。
考えている最中に、シリウスに刺された足の甲が疼く。
カイルは顔を上げると、塞がったばかりの足の傷に視線を落としているシオンを見た。

「シリウス様は容赦がない。僕と離れると君は危ない」
「私、殺されるの?」

カイルは首を横に振った。

「殺されるより辛いめに遭わされるかも知れない。シリウス様は君の力を使いたいんだ。国のために」

……それは……刺されたあの日、本人から言われた。
それに、いつもいつも香に言われている。
七色の瞳の乙女には凄い力がある。あらゆる者がその力を手に入れたがるって。

現に、リーリアス帝国国王……つまりファルの父親もそうだし、アイーダもそうだ。
シリウスだって例外じゃない。
けど、殺されるより辛いって……。

シオンは、長剣を引き抜きなんの迷いもなく自分を刺したシリウスの銀色の瞳を思い返した。

「僕が守るから」

え……?
ドキンとして、シオンはそっとカイルを見た。
青い瞳が切なげに揺れる。
再びカイルが口を開いた。

「僕が、君を守るから」

……そんな眼で見てほしくない。
だって、私は……。
胸が痛くて苦しくて、シオンは思わず眉を寄せた。

「……分かった」

呟くのが精一杯であった。

◇◇◇

程無くしてその日はやって来た。

「シオン」

シリウスに呼ばれ、シオンは弾かれたように部屋の入り口を見た。

「……そんな顔しないでよ」

歩を進め、部屋の中央にいたシオンの真正面に立つと、参ったと言うようにシリウスは苦笑した。

カイルは留守だ。

「思いきり俺が嫌いだって顔に書いてある」
「刺した相手を好きにはなれない」

真っ直ぐシリウスを見つめて呟くようにシオンが言うと、シリウスは笑顔のままで問いかけた。

「じゃあ、カイルは?」

は?

「カイルの事はどう思ってる?」

カイルの事……。
『僕といたいと、言って欲しい』
カイルが言った言葉が脳裏を過り、シオンは躊躇した。

とにかく、カイルと離れたくないと言わなきゃダメなのよね。
けどこの場合、シリウスのこの問いに対して、

『イイ人だと思います』とか、『カッコイイと思います』とか、そういうんじゃないのはわかる。

分かるけど、分かるけど!
顔をあげると、こちらを凝視しているシリウスと視線が絡んだ。

思いの外、彼は真剣にシオンを見つめている。
ええい!欺くためだわっ!

「好き。カイルが」

シリウスがわずかに眼を見開く。
シオンはシリウスに強い眼差しを向けて、再びこう告げた。

「私はカイルを愛してる。片時も離れたくない」
「本当に?」

シリウスが少し眉を上げた。

「本当にカイルを愛してる」

その時、カタンと音がした。
シリウスが体を斜めにして入り口を振り返ると、シオンは彼の体の脇から、突っ立っているカイルの姿を見つけた。

シオン……。
カイルは、息を飲んでシリウスの向こう側のシオンを見つめた。
やだ、聞かれた……!

『カイルといたい』ならまだしも、『カイルを愛してる』を聞かれるなんて……!
シオンは顔を赤くして俯いた。

そのシオンの姿に真実味を感じ、シリウスはフッと笑うと意味ありげにカイルに眼をやった。

「愛してるんだって、カイルを」

それから肩を揺すった。

「……じゃあ……帰ろうか、アーテス帝国に」

カイルは瞳を伏せると頭を垂れた。

「では、僕はケシアで待機します」
「その必要はない」

カイルは弾かれたように顔を上げた。
その顔をシリウスが面白そうに見つめた。

「だってそうだろ?もうケシアから引き上げてもいい。たった今そうなったよ」

カイルの喉が僅かに動いた。
まさか………シリウス様は……いや、分からない。
カイルは、カラカラに乾いた喉を必死で押し開いた。

「しかし、シリウス様」
「これは決定だ。いいね、カイル」

柔らかく、それでいて強く光る眼差しを向け、シリウスはカイルを制した。

「……分かりました」

カイルは暫くシリウスを見つめたが、やがて
瞳を伏せた。

「俺は一足先に立つから、お前は後から来い」

言い終わらないうちにシリウスは歩き出し、部屋を後にした。
部屋を出て隣の部屋へと歩を進めながら、シリウスはほくそ笑んだ。
シオンがカイルを。

シリウスは、リーリアス帝国国王ダクダの顔を思い浮かべた。
威厳と自信に満ち溢れ、恐れを知らぬ黄金族人間の王、ダグダ。
シリウスの心の中で、憎悪が頭をもたげた。

荒れ狂う波のように、瞬く間にそれがシリウスを支配し、その憎しみの激しさに彼の体は小刻みに震えた。
シリウスはそれを止めようと歯を食いしばったが、到底無理であった。

……許さない。
今に見ておけ、黄金族人間よ。
完膚なきまでに、我ら白金族人間がお前達を滅ぼしてやる!

シリウスはニヤリと笑うと震える手でデキャンタを煽った。
口から溢れ、ダラダラと喉に流れ出た酒を、心地よいと感じながら。


◇◇◇◇

二週間後。

「ダメだ、無理に体をねじるな」
「きゃあっ」

シオンは馬上で体勢が崩れ、落馬しそうになったところを、飛んできたカイルに抱き止められた。

「ド下手」
「ごめん……」

眼を細めて刺すような眼差しを向けたカイルに、シオンは小さな声で謝罪した。

「自分だけが向きを変えようとしてもダメなんだ」
「はい」
「もう一度」

落ち込んだように俯いたシオンが可愛くて、カイルは気付かれないように微笑んだ。
本人に言う気はないが、シオンは筋が良い。

初めて独りで馬の背に乗った時は、顔面蒼白で怯えていたが、それも初日だけであった。
一方シオンは、額の汗をぬぐいながら自分を抱き止めてくれたカイルを見つめた。

◇◇◇◇

十日前。

「無事のご帰還をお祈り申し上げます」

カイルは、アーテス帝国へと戻ろうとしているシリウスに恭しく頭を垂れた。

「お前も後に続いて帝国へ帰るんだ」
「はい。引き続きシオンに馬の乗り方を教えた後、すぐに後を追います。」

シリウスは、呆れてカイルを見つめた。

「いつまでかかるんだ。1日2日じゃ無理だろ」

カイルは笑った。

「毎日みっちりやれば、20日の後には形になるかと」

シリウスは大きく息をついた。

「ダメだ。せめて10日以内にケシアを立て。黄金族人間は必ず攻めてくる。奴等はアーテス帝国で迎え討つ」
「承知いたしました」

カイルは手綱をさばいて背を向けたシリウスを見つめながら、唇を噛み締めた。

◇◇◇

少しでもシリウス様からシオンを遠ざけておきたい。
今となれば、いずれシリウスから身を守る術となるなら馬術でも剣術でも、何でも教えてやりたいとカイルは思った。

シリウスがケシアを立って今日で10日目であったが、カイルはシオンの乗馬が上達するまで帝国に帰る気はなかった。

◇◇◇

……好みって訳じゃないが……。なかなかの上玉だぜ。
北側守衛兵のリーディックは、馬宿の小窓から馬上のシオンを見つめてニヤッと笑った。

炊事場で女に乱暴しようとしたところを逆に襲われてから、リーディックは女を抱けずにいた。
炊事場での事件をシリウスに報告されてしまったからだ。

けれどなぜか、逆にリーディックを襲った女の存在は明かされず、リーディック本人もそれが知れて職を解かれるのを恐れ、好都合とばかりに黙っていた。

当分はおとなしくしているしかなかったが、先日シリウスがアーテス帝国へと帰還したのを見届けると、ムクムクと押し殺していた欲求が頭をもたげた。
かといって、屋敷にいた炊事係の女達は皆、シリウスと共にアーテス帝国へと帰ってしまった。

ケシア郊外には逃げ遅れた黄金族人間がいた筈だが、結局戦いの最中、手際のよい敵の誘導で民達は素早く避難してしまっていた。

今屋敷の周辺には、カイルの兵達の半数がいるだけとなったのである。
……捕虜となった女もいない。
ちきしょう。

リーディックがあれやこれやと考えを巡らせ、馬宿に隠した酒で勤務までの数時間をやり過ごしていたところに、シオンは現れた。
リーディックは、間近で見る神秘的な女に目を見張った。

それからすぐに、この女がリーリアス帝国のエリルの森から連れてこられた『七色の瞳の乙女』だと分かった。
噂には聞いていたが……異国の香りがしてそそられる。

しかし、黄金族人間も間抜けだぜ。
話に聞くと、七色の瞳の乙女は黄金族人間の王子と一緒だったとか。
そこをかっさらわれるとはな。

まあ、ケシア陥落で国境は混乱しているしな。
商人に扮した賞金稼ぎが国を越えるのは容易いだろう。
何故ならどの国も商人には寛大で、いくつかの質問と許可証があれば大抵は問題がなかったからだ。

リーディックは馬を貸してほしいと来たシオンを見て、頷きながら手綱を渡した。

「コイツはおとなしいヤツだし、乗りやすいからすぐに上達するぜ」

シオンは少し笑って礼を言うと、馬を連れて出ていった。
リーディックは均整のとれたシオンの後ろ姿を見つめながら想像した。

あの、絞り上げたような腰を掴んで激しく攻め上げたい。
フワリとした栗色の髪をこの手に絡ませて思う存分弄んでやりたい。

カイルは邪魔だがシリウス様がいない今、七色の瞳の乙女ばかりに構っていられないだろう。

近々楽しませてもらうとしよう。
リーディックは想像しながら眼を細め、声を出して笑った。
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