◆Woman blues◆

友崎沙咲

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vol.1

破局

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◆◆◆

「だからもうね、指輪は外したの。むなしいでしょ?」

私の話を黙って聞いていた太一は、咳払いをしてから私に訊ねた。

「彼と話し合いはしないんですか?」
「だって怖いもん。絶対婚約解消になって破局で、アラフォーなのに彼氏もいなくて惨めだもん」
「もう、破局してるんじゃ」
「失礼な!」

私はサラリと言った太一を睨んだ。

「そーゆー太一はどーなの?!若く見えるけどもう30歳なんでしょ?結婚してるの?」
「バカですか?」

……段々遠慮がなくなってきたな、コイツは。

「結婚してたら女性を部屋に誘わないでしょう?それに僕はフリーです」
「もったいないなー。なんで?」

太一は少しだけ考えるように左頭上を見て、口を開いた。

「……結婚とか面倒じゃないですか。彼女作るとこの歳だしどうしてもそっちの方向に話が行くし。だから結婚したいと思う女性に出逢うまでは特定の恋人は作らないつもりです」
「……私もそう思ってたよ。そう思って生きてたらこんな歳になってて、結婚したい男と出逢って婚約出来たと思ったら若くてスタイルのいい美女に持っていかれかけてる感じ」
「あはははははははっ」
「笑うなっ」
「すみません」
「…………」
「…………」

太一はまだ瞳に笑いを含んでいたけど叱られると思ったみたいで、俯いて私から顔を隠した。

「……ねえもしかして、キミからしたらこーゆーの大した事じゃないわけ?」

私にしたら婚約したのに心変わりされて、挙げ句にそれを隠されて宙ぶらりんのままほったらかされてるのって、きつい。
それって、大事件じゃない?けど、目の前のイケメンは飄々としていて、たまに笑っていて。あれ、私が変なの?
その時太一がうーんと腕を組んだ。

「僕がそっくりそのまま夢輝さんの立場だったら、悲しいです」

じゃあ笑わないでよ。太一は続けた。

「僕ならすぐに話し合います。ズルズルしたくないから」

そう言って口を閉じた太一は真剣な眼差しで私を見ていて、不謹慎だけど私の心臓はドキンと跳ね上がった。

「足音、聞こえませんでした?」
「え?」
「さよならの足音です。こうなった時に聞こえたでしょう?夢輝さんはもう分かってる。なら、決着をつけるべきです」

心臓に氷を押し付けられた気分だった。麻実にもそんな風な事を言われた。居心地が悪くて、私は太一を見ていられなくなり、テーブルの上に視線を移す。
その時フワリと頭に手が触れた。驚いて見上げると、テーブル越しに手を伸ばした太一が、私の頭をヨシヨシといったように撫でた。

「僕が慰めてあげます、フラれたら。おんなじマンションで行き来が楽だし朝までヤケ酒に付き合います」

そう言って太一はフワリと微笑む。ああ、良いかも。なんだかこの王子様スマイルを見ていると、凄く和む。

「それに」

太一が一旦言葉を切って再び続けた。

「そんな中途半端な気分のまま二十代女子が喜ぶ大人可愛いジュエリー、デザイン出来ないですよ?今の夢輝さんが手掛けるジュエリーより、明るく前向きな夢輝さんが作ったジュエリーの方が絶対いいに決まってる」

そう言うとまたしても太一はフワリと笑った。……ホントだよね。ズルズル秋人とこうしていても、何も始まらない。無意味な時間だけが過ぎていくのに、私ったら。

「分かった。私、振られてくるわ」

太一は私を見て頷いた。

「大丈夫ですよ、夢輝さんがフラれても地球が爆発するわけじゃないし」

分かってるよそんなの。私はあと一口残っていたハイボールを飲み干すと、ゆっくり息を吐き出した。


◆◆◆◆◆◆◆

『話したいことがあるから出来るだけ早く時間作って』

ほんっとに惨めだけど、私は秋人にこうLINEして返事を待った。電話には出てくれないと思ったから。すると意外に早く返信を貰えて、私は少し眉をあげてスマホを見つめた。

『分かった。駅前のSビル10階のバー《alexandrite》で待ってる』

アレキサンドライトは、私と秋人のお気に入りのバーだ。落ち着いた雰囲気で、音楽はいつもブルース。インストゥルメンタルの時もあれば、ヴォーカルインの曲も流れるが、いつもブルースメロディオンリーだ。
オーナーの気まぐれでたまにピアノの生演奏があるが、それもブルース。
店に入るあと一歩のところで深呼吸をして、私は重厚なドアを開けた。

「いらっしゃい」の代わりの、やさしい笑みに会釈して秋人を探す。

秋人は先に来ていた。長い足をもて余すように組み、カウンターに片肘をついてバーボンを呑んでいる。
さあ、泣く準備はもう整えた。今更ジタバタするなんて、アラフォー女がすたる。
私は彼の数歩前から笑顔を作ると柔らかい声を出した。

「秋人」


◆◆◆◆◆◆

一週間後。

「怜奈ちゃん、企画部から上がってきた資料の用意出来てる?」

怜奈ちゃんがしっかりと頷いた。

「はい、人数分コピー済みです。後で配布します」
「ありがと。今日の会議は企画部との合同会議だからね。皆、絶対遅れないでね」

頷いたデザイン一課の面々を確認した後、私は課長のデスクに歩み寄った。

「課長。私、会議後、工場顔出して直帰していいですか?」
「オッケ。そういや遠藤君が試作品上がったからバランス見てほしいって言ってたぞ」
「今日確認する約束になってます」
「じゃあ任せた。あ、鮎川連れていってやれ」
「はい」

私は課長に一礼すると自分のデスクに戻り、今日の業務に備えるためパソコンの電源を立ち上げた。

◆◆◆◆◆◆◆

「どうなったんですか、秋人さんとは」

時間帯のせいか大して混んでいない電車の中で、太一は私の真横からチラリとこちらを見た。

「鮎川君、仕事中。でも一言だけ言うなら、別れた」

私は太一を見上げてそう言うと、電車の窓へと視線を移した。

「次で降りるよ」
「はい」

わが社の最寄りの駅から二駅目にあるジュエリー製造工場には、30人弱のジュエリー職人がいる。

「おい、夢!石のバランス確認しろ!」

工場長で私の同期でもある遠藤隆太が、CAD室に入るなり大声で私を呼んだ。

「隆太、久し振り!」

手を上げた私をチラリと見てから、隆太は私の後ろにいる太一を見つめた。

「見ねぇ顔だな」
「うん、今月から入社した鮎川太一君。同じデザイン一課なの。よろしくね」
「鮎川と申します。よろしくお願いしたします」

そう言って頭を下げた太一に、隆太は小さく頷いた。

「俺は遠藤。よろしく。夢、試作品見ろ」
「ん。……なに?」

隆太が私の手元を凝視している。なに、と聞いてから、しまったと思った。彼は指輪をはずした私の薬指を見つめていたのだ。

「なんも言わなくていいから」

先手を打って私がそう言うと、隆太が短く言った。

「ふーん。じゃあ、飲みに行こうぜ。話聞いてやっからよ」
「いいよ、二人だけじゃまずいでしょ」

私がそう言うと、隆太はさらりと答えた。

「別に構わない。離婚したから」
「えっ?!」

途端に私の頭をパンッ!とはたいて、隆太は嫌そうに私を見た。

「うるせえよ。でけー声出すな」
「な、な、なんで?!いつ?!」

驚きすぎた私の首に腕をグイッと回すと、隆太は後ろの太一をチラリと見た。

「おい、仕事中だぜ?鮎川君が驚いてるみたいだからよ、続きは飲みに行ってからな」

私は隆太の筋肉の張った腕を必死で持ち上げながら、コクコクと頷いた。

◆◆◆◆◆◆◆

三時間後。

「信じられない!!」
「俺も」

小さなテーブルを挟んですぐ目の前の隆太の顔を、私は穴の開くほど見つめた。

「俺も婚約まで進んだのに破局したお前が信じられねーわ」
「若い美人に盗られたわ」
「俺は金持ちのバカ息子に寝盗られたわ」

互いに早口でそう言うと、私達は顔を見合わせてフッと笑った。
それから二人とも黙ってビールをゴクゴクと飲む。先に口を開いたのは隆太だった。

「半年もたなかったよ、実際は。俺は佳菜子の愛情に答えてやれなかった」

隆太の奥さんはとても焼きもちやきだった。結婚してからの隆太は飲みに誘っても断る日が増えて、たまに社内の飲み会に参加してもひっきりなしに奥さんから電話がかかってきていた。
ある日珍しく隆太が二人で飲みに行こうと誘ってくれたから、私は二つ返事でオッケイした。企画部から上がってきたコンセプトを元に私がデザインしたジュエリーの製作を隆太が手掛け、売れ行きがよかったから二人でお祝いしたのだ。
その次の日、隆太は会社を休んだ。
後になって分かったことだが、奥さんと大喧嘩して彼女が手に怪我をしたらしい。私は確信していた。
隆太は女性に手をあげるような人間じゃない。背が高くて大柄だけど、全然怖くない。だって、めちゃくちゃ優しい男だから。きっと暴れた彼女が勝手に怪我をしたのだ、言い方は悪いけれど。
隆太は笑った。

「結局、結婚生活は一年で終わり」
「……残念だったね」
「お前は?あのインテリになんでフラれたの」

隆太には、秋人を紹介した事があった。丁度出会ったイタリア料理店で、お互いに恋人をつれていた時に。

『あんなヤツがいいわけ?!』

翌日そう言った隆太をよく覚えている。

「なんでフラれたのかとゆーと、撮影にたまたま立ち寄ったら若くて綺麗なモデルに声をかけられてその気になっちゃったんだってさ」
「お前と婚約してるのにか?」
「そう!37歳のオバサンより、そりゃ25歳の美人がいいでしょ」

私がそう言ってジョッキを傾けると隆太が、

「ふーん。やっぱつまんねぇ男だな」
「若い子には勝てない」
「ブッ!」
「フフ……あははははっ!」

私達は何故かテーブルの上で手を握りあった。
きっと同期で友達で、同じ痛みを味わったもの同士ということに安らぎを感じたのだ。
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