制服エプロン。

みゆみゆ

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6月

第5帖。タケノコとイカの木の芽和え。

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 慧太はふと目が覚めた。携帯を確認する。
 驚くべし、朝9時17分。
 こんな早朝に目が覚めたのはいつ以来だろう。慧太はむくりと起き、トイレに行った。その帰りに水を飲み、再びベッドに転がった。
 昨日のことを思い返す。料理用の日本酒で一杯やっていた記憶はあるが、最後らへんの記憶がない。どうやら泥酔したまま寝落ちしたようだ。
 天井を見上げる。電気は消えている。

 ――酔っていてもちゃんと消してから寝たようだな。

 慧太はほくそ笑んだ。それがけーこのおかげであることなど、つゆ知らず。
 頭がガンガンする。完全に二日酔いである。こういう日は何も出来ない。ただひがな1日、寝転がっていることしか出来ないことを慧太は経験から知っていた。
 
 ――こんな二日酔いのままじゃ休学届の書類を出しに行けないなー。出しに行きたいのになー。

 またしても自分を正当化する市ヶ谷慧太20歳であった。
 そして本当にこの日は1日、何もせずただ家の中にいた。



 二日酔いがやや収まったと思った頃、ベッドから起き、水を飲む。これだけの動作をし終えたとき時計を見る。すでに16時をまわっている。
 今頃けーこは何をしているのだろう。慧太は3年前の、高校時代の時間割を思い返す。6時限目までしかない日なら間もなく学校が終わる。たまにある7時限目までの日ならばもう少し長引く。水曜日がどっちだったかまでは記憶にない。

 ――けーこが帰って来るまでヒマだな。どうしよう。

 休学届を出しに行こうという選択肢は最初からない。だから書類を書いておこうという気もない。意識の改善はまるで見られない。

 ――散歩でもしようかな。

 ただ、ちょっとばかりの進歩は見られるのだった。少し前までの慧太だったら考えもしない、散歩という行動。けーこと出会ってから慧太の心の中に、変化の兆しが生じつつある。



 けーこは帰り道を急いでいる。途中、公園で時計をチラリと見た。16時17分。

「お腹と背中がクッツクぞう。クッツクぞ、ったらクッツクぞう♪」

 オリジナル・ソングを口ずさむ。
 とにかく腹が減っているけーこだった。腹が減った。腹が減った……。道ばたの草さえ口に入れたくなるほどである。公園のハトを焼いたらウマそうに見える。商店街のコロッケ屋の前を通ったときは犯罪的とも言えるにおいに我を失いかけた。危なかった。もう少し気を強く保っていなかったら、また別に世界に行ってしまったかもしれない。とにかくそのくらい衝撃的だった。
 携帯でアプリを起動。今日は朝から慧太にメッセージを何回も送っている。
 なのに返事はない。
 今日の夕餉は何時に食べられるのがいいのか? どんなものが食べたいのか? ちゃんと起きているか? そんな根本的な疑問さえ一向に返事がない。けーこのイラ立ちはすさまじく、怒りの炎は周辺の空気をゆらめかせる。

 そんなけーこは陽炎の中、買い物を済ませ、スーパーからの帰宅路にある。

 料理に手順があるように、買い物にも踏むべき順序がある。まず何を食べたいか。そして冷蔵庫には何があるか。この2つを知らない者に、台所に立つ資格はないとけーこは思っている。
 前者は楽しい食事をするために、そして後者はムダ遣いをせぬために必要である。

「なのにあのばか! 返事もない!」

 けーこは憤怒の鬼となった。コブシを天に突き上げる。

「何が食べたいかくらい返事せい! ったく!」

 川原に向かって叫ぶ。犬の散歩をしていた人が何事かと振り返っている。
 携帯電話のアプリをまた起動する。既読は付いていない。けーこはますますイライラをつのらせた。

 ――ワシの連絡を無視するとは不届き千万。もはや打ち首獄門に処すしかない。

 けーこは急ぎ、ようやく帰宅したのだった。
 自室に入る。閉め切られているからムワッとする。6月とは思えないほど暴力的な熱気だ。
 けーこの部屋の間取りは慧太の家と全く一緒だった。玄関から台所つきの廊下を進み、部屋に入る。家財道具が違い、部屋の隅にベッドと机。反対側に大きな衣裳ケースと本棚、テレビ。パソコンはない。

「あっついなー、ったく」

 とりあえず制服を脱ぐけーこ。上を脱ぐ。スカートを脱ぐ。ブラジャーも取る。下着パンツいっちょで風呂場へおもむき、シャワーを出す。

「ふー。おっと、玄関の鍵をしめないとね」

 一応、年頃の女の子である。
 それから上機嫌に鼻歌を歌いつつ下着も全部脱ぎ、シャワーを浴びる。薄い胸。細い腰。やや膨れたお尻。全体として未熟な体付き。

「むー」

 シャワーを浴びながら、けーこは胸を両端から寄せてみた。姿見かがみに全身を映す。姿見の中でも、全裸の女の子が同じようにムツカシイ顔をしている。
 むむむ、と目を細める。痛くない程度まで胸を寄せ、谷間が出来たとき、狂喜の声を上げた。やっほー!

「また大きくなっとる! さすがナイス・れでぃー!」

 腰を振り振り、オリジナル・ダンスを踊るのだった。
 一転して機嫌が良くなるけーこ。嗚呼女心は秋の空。空の青にも染まずただようのだ。



 ピンポーン。

 今日の夕飯は何だろう。慧太が思ったときだった。チャイムが鳴らされる。応じる。けーこだったので玄関の鍵を開けた。ジャージ姿のけーこが立っている。何だか髪の毛が湿っている気がした。

「お帰り、けーこ」
「ただいまー。そしてお邪魔しまーす」

 すれ違い様、シャンプーのいいにおいがした。シャワーでも浴びたのだろう。こう暑くては、むべなるかな。僕も浴びれば良かったかも知れない、と慧太は思い、言う。

「ランニングでもしてきたのか? 朝だけじゃなくて健康的だなあ」
「むっ」

 すると、怒ったようにけーこはにらんでくる。

「けいた、ちゃんとワシからの連絡を見よ!」
「へっ、連絡?」
「携帯電話を見よ!」
「あ、ああ、はい。……えーと、あ。たくさん来てる。ごめん、マナーモードだったし、気付かなかった」
「ワシがどれだけ連絡を待っておったのか知っとるのか? 昨日あれほど言うたではないか!」
「だからごめんて。忘れてたんだって、マナーモードの解除を」
「反省が見られん。あと風呂に入れ! 床屋に行け!」
「あーもー、口うるさいなー。いいじゃん、別に!」
「良くない! お主は買い物をしたことがないから気楽なのじゃ。少しはワシの身にも立て!」
「学校に行って、帰りにスーパーで食材を買って、ご飯を作る。大変だと思う」
「大変じゃぞ。でもワシはやる。じゃからお主も手伝うのぞ! 携帯電話はちゃんと確認せよ!」
「ご、ごめんて」
「だから反省しておらん!」
「してるって!」
「マッタクもう!」
「きょ、今日は何なの? 何ご飯?」
「ワシの話を聞かんのう……。残り物で何か作るからマンガを読んでおれ」
「はい」
「マッタク……」

 ぶつぶつ言いながらも、けーこは台所に向かうのだった。
 これまで通り、髪を頭の後ろで縛る。エプロンを着る。
 あるオシャレな1品を作ろうと考えている。タケノコとイカの木の芽和え。そのためわざわざ百円均一に寄って、すり鉢とすりこぎを買ってきているけーこだった。

 買ってきたイカ冷凍ロールを電子レンジに入れる。「解凍」のボタンを選択し、スタート。
 その間に米をとぎ、炊飯器にセットする。

「けいた。炊飯器のスイッチを入れておいてくれ」
「はい」

 ちょっと不機嫌そうなけーこである。
 けーこは小鍋に2人分の水を入れる。ダシ汁はとっくに使い切ってしまっている。

 ――マッタク。昆布をつけておいてくれたっていいじゃない。

 そうすればすぐ、味噌汁を作れるのに。
 しかしそこは、サスガけーこ。スーパーでカツオ削りブシを買ってきてある。これを小鍋の水に適量、入れ、火にかける。水はお湯に変わるにつれて色を持ち始め、最後にはカツオブシ色に染まった。けーこは再び、鍋いっぱいのダシ汁を作り上げたのである。即席であるがウマい。
 まとめて作っておき、小出しする。これも料理を作る上でよく使う手法。
 ダシ汁の余りはガラス瓶に詰めて冷蔵庫に保存する。

 生イワシが安かったので買ってしまった。下処理をする。腹を開き内蔵を取り出す。ウロコを取り、背びれを外す。2人分にしては量が多い。4尾もあればいいや、とけーこは残りを冷凍庫に入れる。安いからといって買いすぎるのは問題だが、冷凍することで解決する。

 ピーピーと炊飯器が高い音色を立てる。放っておけばご飯が炊ける装置。中世に生きる者はこんな時代が来ると想像したろうか。
 けーこはしゃもじで炊きたて銀シャリを混ぜる。炊きたてご飯のふっくらとしたにおい。これをお椀に盛って生卵を乗せればさぞかしウマかろう。TKGと俗略される卵かけご飯を以前やったことがある。真っ白のご飯。ほかほかした上に深い黄色の黄身がトロリと乗る。白身がご飯に光沢を与える。そこに醤油をたらり。おお、なんという飯テロだ。けーこの機嫌は急速に回復しつつある。次第に鼻歌なんか口ずさみつつあるのだった。

 慧太はその姿を後ろから見て、安堵する。

 ――良かった。けーこの機嫌が直った。

 イワシの下処理をしているうちに、味噌汁は完成に近付いている。すでに具は湯がかれ、味噌も溶かされている。あとは食べる直前に麩を投入すれば完成だ。

 次いで今日のメインを作る。
 タケノコとイカの木の芽和え。
 タケノコはすでに準備されている。けーこは水で解凍されたイカを短冊切りにした。大きさはタケノコと同じくらいで、食べやすいようなるべく小さめにする。
 小鍋に水を張り、酒を大さじ1入れる。ここにイカを入れ、沸騰の直前の温度でしばし煮る。
 酒がぷんとにおう。イカの生臭みを消してくれる。白いイカの身にほんのわずか、透明さがさした。酒のにおいは幾分弱まっている。イカの1枚1枚がそりくり返っている。わずかに透明だったイカはすべて白一色に変貌している。熱はすっかり通った。けーこはイカたちを金属ふるいにあけた。

 イカの粗熱が取れるまでは百均のすりこぎの出番になる。すり鉢に木の芽の葉っぱの部分だけを投入。すりこぎでする。ゴリゴリ。する。緑色の葉っぱはたちまちすり下ろされ、原型をとどめない。
 ふわ……と、木の芽の香。サンショウの香に近い。ここに白味噌大さじ5、ダシ汁を大さじ3、みりん大さじ1を入れてすりこぎでする。いりゴマではないのだから、すったときに手応えはない。ダシ汁でのばす、という感覚だ。
 すりこぎの頭がすり鉢の壁面をこする音が部屋に響く。
 色が混ざったところで味見をした。

「お、意外とウマい」

 ちょっと甘みが強い気がしたので塩で味を整える。
 ここにタケノコとイカを混ぜ込む。完成である。

「けーこ」
「何?」
「今日のメニューは?」
「ぷいっ」
「え! 何で急に機嫌悪く……」
「冗談じゃ。献立はご飯、麩の味噌汁、タケノコとイカの木の芽和え。それにイワシの焼いたの、それに余った野菜をイタメた。あと初ガツオのづけじゃ。最近野菜を摂っておらんからのう。このないすばでぃーを保つには食物繊維を摂らねばならん。ふんっ」
「ん? そうやって身をひねると体にいいの?」
「うむ、らしいぞ」
「だから動きやすいようにジャージなのか」
「ジャージはさっき着替えただけじゃ。シャワー浴びたのでな。運動とは無関係じゃ。さーて」

 けーこはコタツ机の上に夕飯を配膳している。
 さっき明言した通りのメニューがずらり並ぶ。

「うわあ、何だかすごいことになってる。けーこ、いいことあったのか? メニュー豊富だ」
「残り物をメインに据えて作ったのじゃ」
「へー」 

 慧太はホッとした。なんだ、機嫌が悪くなってもご飯を作っていれば直るんだ。慧太はそう思ってしまった。女の子は単純であると勘違いしてしまった。
 けーこはエプロンを外し、正座する。箸をとり、手を合わす。
 相変わらず慧太よりも早く食べだすのだった。

「イタダキマス」

 まず味噌汁を1口。カツオダシが香る。新ジャガも新タマも柔らか。麩にしみこみ、モチモチした食感。

「相変わらずウマい味噌汁だ」
「お! そうじゃろ? ウマかろう!」

 ハツラツとして答えるけーこ。嬉しさ満点。機嫌はスッカリ上々。 
 慧太はたずねる。

「不思議なんだけどさ。新ジャガも新タマも買ってから約1週間たってるじゃん。なのに初めて食べたときと味は変わらない。腐らないのか。だって冷蔵庫にも入れてないぞ、僕は」
「ジャガイモもタマネギも原則は冷暗所保存じゃ。直射日光の当たらない場所ならどこでも良いのじゃ。けいたの家なら玄関が適しておるの」
「冷暗所保存て冷蔵庫に入れろってことじゃないの?」
「それなら要冷蔵と記されておるはずじゃ」
「へー」
「それにジャガイモもタマネギも生きたままだから腐らぬのじゃ」
「生きたまま? ふうん?」
「あまりピンと来とらんな。例えば魚は買ったら絶対すぐ冷蔵庫行きじゃ。死んだやつを買うのじゃからの。対して、野菜は違う。収穫されてからもしばらく生きておる。じゃから冷蔵庫に入れんで良い」
「なるほど」
「ワシの大好きな卵を例に見て、生卵の状態なら1ヶ月弱はもつ。じゃがのう、湯がいてゆで卵にすると数日で腐る。これは湯がかれて死んでおるからぞ」
「熱を通した方が長持ちするかと思った」
「卵に関しては逆じゃ。分かったか」
「多少。この野菜イタメはウマいぞ。いろんな野菜が楽しめる。ウチにトウモロコシの缶詰なんてあったかな」
「それはワシの家にあったやつじゃ。もらいものじゃて」

 けーこはパクリ、とイワシを1口。脂が乗った青身。背骨もパリパリとスナックのように砕ける。軽くふられた塩気が脂っけと相まって、ご飯を食べさせる意欲をかき立てるのだった。ほんのちょっと焦げ身がある。これも風味立てになっている。

 続き、初ガツオのづけに箸を運ぶ。昨日食べたときよりも色が濃い。
 ヅケの下には、これまた新タマの薄切りが敷いてあるのだった。ヅケと新タマを口に入れる。ヅケ表面は赤ん坊の肌のように滑らかだった。醤油とみりんの味。カツオの生臭みを抑え、しかも味に深みを与える。
 新タマのシャキシャキした触感と一緒に食べれば、普通の刺身とはひと味、異なる。まったく別種の食べ物へと昇華している。
 けーこはしばし瞑目したのち、カッと目を開き、言う。

「ウマい。これがヅケか」

 嘆息をもらすのだった。刺身を初めて食べたときはウマかった。しかしそこから派生したものがこれほどとは。けーこは感激の渦中にあった。

「けいた、食うたか? これはウマい。味が熟成されておる感じじゃ。本当に、醤油とみりんはマホウの調味料じゃ」
「ウマい、確かに! 熟成されてるし、ナマ臭みも消えてる。ヅケにすると別の食べ物みたいだ」

 けーこが連続して箸をつけるのは、色鮮やかな1品。タケノコとイカの木の芽和え。
 タケノコとイカが浅い緑のソースに浸かっている。
 ぱくり。タケノコを1口。カドが立っている。すり降ろされた木の芽のかおり。サンショウに似たかおりとともに、イカのぷりぷりした食感。

「さわやかかつ繊細な味じゃ。これは食べたことがないぞ。こんなにも崩れやすい、なんというか、波打ち際の砂浜に描いた絵のような……。はかない味じゃ」
「たとえは何となく通じる」
「ウマいぞ。けいた、食うておるか」
「もちろんだよ」

 けーこがウマそうに食っている横顔を見ながら、慧太も夕飯をちゃんと食べている。

 たちまち全ての皿はカラになった。

「ゴチソウサマげぷっ」
「けーこ、下品だ。ゲップは口のオナラだ」
「ほいほーい、次から気を付けるぞ」
「デザートにアイスがあるけど食べるか」
「アイス? そう言えばそうじゃ。さっきイワシを冷凍庫に入れたときおかしいと思うたんじゃ。ワシは買ってはおらんのに冷凍庫にアイスが増えておる」
「今日、散歩に出てね。食後のデザートにいいだろうと思って買っといたんだ」
「けいたー」
「え? うわっ、抱きつくな」

 けーこが突然、抱きついてくるのだった。

「さすが我が良人おっとじゃ。ワシのことをよう考えておる」
「うん、あの」
「感謝じゃ、けいた」
「僕も感謝してる。けーこに。いつもご飯を作ってもらって」
「そうか」
「だからそろそろ離れて」
「ツレないのう。じゃがもう少し良いか? このままで」
「……」

 慧太が何も言わないので、けーこはそのまま抱きつき続ける。
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