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第3章 誰かが死ぬということ

玲士朗の危うさ

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「アンタが行くのは勝手だけど、私達も一緒について行くのが当然だなんて思わないでよね。フィリネさんを助けたい気持ちはみんな同じでも、闇雲に突っ走るアンタの尻ぬぐいで巻き添えを食うのは御免よ」

「ちょっと梢……」

 やんわりと諫めようとする美兎を顧みることなく、梢は怒気に満ちた眼差しで玲士朗を見据えながら捲し立てる。

「アンタが翼咲さんのことを引きずっているのは知ってるし、それをフィリネさんに重ねているのも分かってる。何としても助けたいって気持ちも理解できる。でも、だからって死に急がれるのは迷惑なのよ。アンタの自己満足のために私達を巻き込むのはやめて。
 そんなに翼咲さんの後を追いたいなら、一人で死になさい」

「コズ!」

 苛烈な言葉の数々に、温和な美兎も流石に声を荒げ、咎めた。玲士朗は梢の気勢に委縮し、何も言い返せずに全身を強張らせた。

 玲士朗の内心に怒りは芽生えなかった。梢の言葉が理不尽な罵言ではなく、当を得た叱責なのだと無意識に分かっていたからだ。

 自分でも認知していなかった己の破滅願望。大好きだった近親者の死を通じて、彼岸に魂を引き寄せられていた自分の危うさを梢の言葉によって思い知らされた玲士朗は当惑していた。様々な感情が入り乱れ、心を掻き乱し、玲士朗は正常な思考を失って、ただ茫然と梢の言葉を反芻することしかできなかった。

 静観していた鷹介が険しい表情で梢に近づく。

「……終わりか?」

 梢は非難をかわすように顔を背けた。鷹介が静かな怒りを発露させるのではないかという周囲の懸念を尻目に、梢の頭に優しく手を置く。

「ありがとよ」

 穏やかに発せられた言葉に、一同は驚いた。これだけの暴言を吐いた梢を、どうして鷹介が擁護するのか、俄かには納得しがたい状況に誰もが困惑した。しかし、そんな周囲の反応も意に介することなく、鷹介は飄々とした態度で玲士朗に向き直る。

「玲士朗、少し外に出ようぜ」

 玲士朗を連れ出す鷹介の背中を見送ってから、詩音は苦し気に声を絞り出す。

「梢、何であんなこと言ったのよ」

 詰る響きはない。詩音は、遣る瀬無い気持ちを吐き出さずにはいられなかっただけだ。梢は誰とも視線を合わせようとしなかったが、罪悪感が隠し切れない口調で小さく呟く。

「玲士朗が死にたがっているの、見え見えだったからよ。みんなも前から気付いてたでしょ?」

「そう――なのですか?」

 メーネは思わず問い返していた。彼女は玲士朗に対して、死に心惹かれるような翳を感じてはいなかった。

「お姉さん――翼咲つばささんが亡くなった時から、アイツ変わったわ。昔からお人好しだったけど、最近は自己犠牲に突き動かされているみたいで、危なっかしくなった」

 梢の述懐に詩音も美兎も俯いた。同じ高校に通っていた彼女達には、思い当たる節がいくつもあったのだ。それは、人として生きる上での不自然さ、というものだったかもしれない。

 桜の木の枝から降りられなくなった子猫を助けようとして怪我をしたこともあったし、学校の階段で足を踏み外した女生徒を身を挺して助けたこともあった。野球部のファウルボールが下校中の美兎に向かって飛んできた時、深刻な突き指をしながらも庇ってくれたし、夏期講習を無断欠席してまで失恋をした友人を慰め、教師から叱責を受けていた姿も詩音は偶然見かけていた。

 お人好しだ、人に優しいからだと言えば聞こえはいい。しかし、自己の安全と幸福を度外視した献身が何度も続けば、一転して危うさを感じずにはいられない。

 人間は、進化の過程で他人との親和性を深める本能的欲求を持つに至り、他人のために生きることを喜びとして感じるようになった。だがそうはいっても、人はやはり自分が大切であり、自分を最も優先しなくてはならない。それは『正しい』とか『善い』とかいう価値の問題ではなく、そう志向することが自然なことなのだから。

 玲士朗は、その自然さが欠けてしまった。幼馴染達の彼に対する違和感はそこにある。

「アイツが自分のことを蔑ろにして誰が喜ぶの? 誰も……それこそ翼咲さんだって絶対に喜ばない。他人のために人生投げ出して、それを誰も望んでいないことに気づかないなんて……そんな破綻した生き方を明け透けに批判できるのは、私か鷹介しかいないでしょ。憎まれ役は慣れっこだもの」

 美兎が沈痛な面持ちで梢を見た。その眼差しは、梢の卑屈な言葉を無言で否定していた。

「卑下しているわけじゃないわ。私は、その役目を自分に課しただけよ」

 友達を大切に思うからこそ、という言葉を梢は飲み込んだ。この手の言葉は照れ臭いだけでなく、言葉にすれば途端に嘘くさく感じられてしまうと、梢は心底そう思っているのだが、その言葉足らずな一面が彼女に対する誤解を招く一因でもある。

 相手の懐に踏み込むような歯に衣着せぬ物言いは、ともすれば受け手に言葉の凶器として映る。その切っ先を、婉曲な言葉で何十にも覆うこともできるが、それでは中身の真意がぼやけてしまう。だから梢は剥き出しの切っ先を突き付ける。その見かけに怖れを抱く者もいるし、疎んじる者もいるけれど、梢はそんな連中を端から気にしていない。言葉を尽くさなければ分かり合えない間柄など、表面的で、無意味なのだ。それが彼女の持論だった。

 竹馬ナインの面々が梢の性格も性質も余すところなく理解できているとは言い難い。それでも、彼女が居心地の良さを感じるのは、言葉の鋭利な切っ先に辟易しながらも、分かり合おうと歩み寄り続けてくれるからに他ならない。その得難い友人達を、梢は自分が思う以上に大切に感じていた。

「コズ……ごめん」

「何で謝るのよ。美兎が怒ったのは当然だし、正しいわ。私は言葉を選ばないし、歯止めも利かないから、美兎がちゃんと制止してくれないと困る」

「……うん」

 梢がようやく見せた笑顔に緊張が解け、美兎は瞳を潤ませながら頷き続けた。梢は美兎を宥めながらも、憂いに満ちた視線を涼風に転じる。死者に囚われて自分を見失いかけているもう一人の友人のことを放っておける彼女ではなかった。

 詩音も涼風に視線を投げかけながら、梢の代わりにメーネに問いかけた。

「ねぇ、メーネは知ってるんでしょう? みんながネフェのことを忘れてしまった理由」

 メーネの美しい瞳は驚きを隠し切れない。茫然と、沈鬱な面持ちの詩音を見返すだけだ。

「メーネは『死』って概念も死んだ人のことも理解できているはず。でなきゃそんな表情、できないでしょ? この村の人達に何が起きているのか、教えてくれない?」

 視線を彷徨わせて言い淀むメーネに、涼風も懇願した。

「お願い、メーネ」

 痛切な涼風の表情を見て、メーネはさらに困惑の色を深くしたが、言葉を選ぶように、訥々と話し出した。

「最初は……本当に最初は、彼女の祈りだったんです――」
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