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十三歳、淡い初恋、片想い
回想:出会ったその日に恋をした2
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その後でワゴンの中から消毒液の小瓶とピンセットと綿の入ったガラス瓶を取り出した。
「君がするの?」
道具をワゴンの上に並べている最中、ルークが声をかけてきた。
「そうよ。私、慣れているんだから」
やれ弟が転んだだの母の手荒れだの、治療の機会は少なくなかった。誰かの手当てをするというのは案外おもしろくて、エマは夢中になっていた。包帯やガーゼでの保護などうまくできると満足できたし、相手からも感謝される喜びがある。
けれどエマの私設ナースの患者は身内に限られていた。さすがに客、しかも初めてやってきた子ども相手には荷が重いと考えたのだろう、父にやんわりと止められた。
「ここからは私が変わるよ。エマ、用意ありがとう」
「えー……」
すっかり自分が治療する気でいたエマは肩を落とす。
「初めて来た患者さんだからね、念のためしっかり見させてもらいたいんだ」
「……わかった」
諭されて治療台から離れようとした時、アシュクロフト氏が告げる。
「いや、良かったら治療はぜひエマに頼みたい」
「え、いいんですか」
「ああ。見たところエマはしっかりしているし、安心して任せられるでしょう。ルーク、いいかな」
「……うん」
本人からも保護者からも許可を得ることができて、堂々と治療に入る。まん丸な頬を上気させ、エマは鼻息も荒くピンセットを手に取った。
「ごめんね、ちょっと冷たいからね」
綿球を挟み、消毒液に浸してから細心の注意を払って優しく傷をなぞると、ルークはわずかに眉を寄せた。それでも大人しく座ってくれている。
人によっては泣きわめいたり暴れたり、そうでなくとも痛みでつい動いてしまったりするものだ。
「あなた、我慢強いのね。さあ、ほっぺたと、口のところと……目は染みるかもしれないからやめておくね」
一々声をかけるのは、その方が安心できるのではと思うからだ。自分自身に置き換えてみればわかるが、断りもなく勝手に触れられることは恐怖を煽る。
「はい、じゃあ新しい綿で膝をやるね。ここは傷が大きいからさっきよりつんとするかもしれないけどすぐに終わるから」
痛いとは絶対に口にしない。いくら平気そうにしていても、脅すようなことを言うのは逆効果だと知っている。
広範囲に擦りむき血のにじんだ患部の外側から拭っていくと、ルークが小さく息を呑んだのがわかった。
かわいそうだけれど、砂粒などのごみを取り除き清潔にしておかなければ後で膿んでもっとひどいことになる。
心を鬼にして、手を動かした。
最後に傷をガーゼで覆い、テープで止めると治療は終了だ。治療台の前についた膝を離し立ち上がる。
「はい、終わり。よくがんばったね」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
幼い二人のやり取りをすぐ近くで見守っていた父親二人は微笑ましげに目配せをし合っていた。
使った道具を元あった場所にしまい、エマは座ったままのルークと目を合わせる。
「お風呂に入った後で消毒してガーゼを替えてね。じゅくじゅくしたのはそのままでいいからあんまり触らないこと」
「うん」
「かさぶたができても剥がしちゃだめだからね」
「わかった」
あれこれ口うるさく世話を焼くエマと素直に聞くルークを見て、大人たちは笑いを噛み殺す。
このくらいの年齢では、女の子の方が圧倒的に口が立つのだ。
「アシュクロフトさん、消毒液とガーゼは常備していますか?」
「あるとは思うが、留守にしていた間どうなっているか……せっかくですから必要なだけ買っていこうと思います」
「それじゃ、すぐに用意しましょう」
父親同士が話す間、ルークは診察室をきょろきょろと眺め回す。
「気になるなら、案内しようか?」
「うん」
エマの誘いに頷いて、彼は治療台から下りた。
薬箱の中身や干したハーブの効能、壁にかかった人体図のことを一つずつ説明する間、ルークは静かに、けれど興味深そうに聞いていた。
そのうちに父親たちが世間話を始めたので、狭い治療室から出て、店舗に移動する。
ちょうど店内は他に訪れる客もおらず、聞こえてくるのは外を通った馬車の車輪が歩道を踏む音だけだった。
「それでその怪我、どうしたの?」
二人きりになったのをいいことに、エマは気になっていたことを尋ねる。
「転んだ」
ルークの答えを聞き、エマはもどかしいような気持ちになった。
彼の怪我の仕方から見て、単に転んだだけとは思えない。
「喧嘩したんじゃない?」
「いや、……」
ルークは今さっきまでの好奇心をあらわにした表情を消し、さっと俯いてしまった。
「誰にも言わないよ」
まっすぐ整えた毛先から覗く色のない耳に囁きかけると、ルークの瞳が迷うように揺れた。
「……絶対?」
「絶対。指切りする?」
顔の前で左の小指を立ててみせると、ルークもおずおずと手を持ち上げた。ふくふくとしたエマの指と細いルークの指が絡む。
「君がするの?」
道具をワゴンの上に並べている最中、ルークが声をかけてきた。
「そうよ。私、慣れているんだから」
やれ弟が転んだだの母の手荒れだの、治療の機会は少なくなかった。誰かの手当てをするというのは案外おもしろくて、エマは夢中になっていた。包帯やガーゼでの保護などうまくできると満足できたし、相手からも感謝される喜びがある。
けれどエマの私設ナースの患者は身内に限られていた。さすがに客、しかも初めてやってきた子ども相手には荷が重いと考えたのだろう、父にやんわりと止められた。
「ここからは私が変わるよ。エマ、用意ありがとう」
「えー……」
すっかり自分が治療する気でいたエマは肩を落とす。
「初めて来た患者さんだからね、念のためしっかり見させてもらいたいんだ」
「……わかった」
諭されて治療台から離れようとした時、アシュクロフト氏が告げる。
「いや、良かったら治療はぜひエマに頼みたい」
「え、いいんですか」
「ああ。見たところエマはしっかりしているし、安心して任せられるでしょう。ルーク、いいかな」
「……うん」
本人からも保護者からも許可を得ることができて、堂々と治療に入る。まん丸な頬を上気させ、エマは鼻息も荒くピンセットを手に取った。
「ごめんね、ちょっと冷たいからね」
綿球を挟み、消毒液に浸してから細心の注意を払って優しく傷をなぞると、ルークはわずかに眉を寄せた。それでも大人しく座ってくれている。
人によっては泣きわめいたり暴れたり、そうでなくとも痛みでつい動いてしまったりするものだ。
「あなた、我慢強いのね。さあ、ほっぺたと、口のところと……目は染みるかもしれないからやめておくね」
一々声をかけるのは、その方が安心できるのではと思うからだ。自分自身に置き換えてみればわかるが、断りもなく勝手に触れられることは恐怖を煽る。
「はい、じゃあ新しい綿で膝をやるね。ここは傷が大きいからさっきよりつんとするかもしれないけどすぐに終わるから」
痛いとは絶対に口にしない。いくら平気そうにしていても、脅すようなことを言うのは逆効果だと知っている。
広範囲に擦りむき血のにじんだ患部の外側から拭っていくと、ルークが小さく息を呑んだのがわかった。
かわいそうだけれど、砂粒などのごみを取り除き清潔にしておかなければ後で膿んでもっとひどいことになる。
心を鬼にして、手を動かした。
最後に傷をガーゼで覆い、テープで止めると治療は終了だ。治療台の前についた膝を離し立ち上がる。
「はい、終わり。よくがんばったね」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
幼い二人のやり取りをすぐ近くで見守っていた父親二人は微笑ましげに目配せをし合っていた。
使った道具を元あった場所にしまい、エマは座ったままのルークと目を合わせる。
「お風呂に入った後で消毒してガーゼを替えてね。じゅくじゅくしたのはそのままでいいからあんまり触らないこと」
「うん」
「かさぶたができても剥がしちゃだめだからね」
「わかった」
あれこれ口うるさく世話を焼くエマと素直に聞くルークを見て、大人たちは笑いを噛み殺す。
このくらいの年齢では、女の子の方が圧倒的に口が立つのだ。
「アシュクロフトさん、消毒液とガーゼは常備していますか?」
「あるとは思うが、留守にしていた間どうなっているか……せっかくですから必要なだけ買っていこうと思います」
「それじゃ、すぐに用意しましょう」
父親同士が話す間、ルークは診察室をきょろきょろと眺め回す。
「気になるなら、案内しようか?」
「うん」
エマの誘いに頷いて、彼は治療台から下りた。
薬箱の中身や干したハーブの効能、壁にかかった人体図のことを一つずつ説明する間、ルークは静かに、けれど興味深そうに聞いていた。
そのうちに父親たちが世間話を始めたので、狭い治療室から出て、店舗に移動する。
ちょうど店内は他に訪れる客もおらず、聞こえてくるのは外を通った馬車の車輪が歩道を踏む音だけだった。
「それでその怪我、どうしたの?」
二人きりになったのをいいことに、エマは気になっていたことを尋ねる。
「転んだ」
ルークの答えを聞き、エマはもどかしいような気持ちになった。
彼の怪我の仕方から見て、単に転んだだけとは思えない。
「喧嘩したんじゃない?」
「いや、……」
ルークは今さっきまでの好奇心をあらわにした表情を消し、さっと俯いてしまった。
「誰にも言わないよ」
まっすぐ整えた毛先から覗く色のない耳に囁きかけると、ルークの瞳が迷うように揺れた。
「……絶対?」
「絶対。指切りする?」
顔の前で左の小指を立ててみせると、ルークもおずおずと手を持ち上げた。ふくふくとしたエマの指と細いルークの指が絡む。
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