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十三歳、淡い初恋、片想い

回想:出会ったその日に恋をした1

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揺蕩うようなまどろみの中で、エマは夢を見ていた。
夢の中のエマは父の薬局にいた。カウンターがずいぶん高い。
「エマ、遊びに行ってきてもいいんだよ」
耳になじんだ声は父のものだ。顔を向けるも、父の顔がずいぶん遠い。見上げるようにしてようやく顔が見えた。
最初に気づいたのは、眼鏡の形が違うということだった。
父は普段金属の丸いフレームの眼鏡をかけているが、今見えるのは鼈甲のような加工がされた四角いセルロイドのフレームだ。懐かしさを感じるのは、それがかつて父が使っていたものだと覚えているからだった。
確かエマがグラマースクールに通っていた頃、うっかり暖炉の近くに置いてしまったことでフレームが歪んで変えることになったと記憶していた。
じっと父の顔を見ているうちに、白髪が少ないことにも気がついた。父はこの頃こめかみの部分に白髪が増えたことを気にしているが、今目の前にいる父の髪はくっきりと濃い栗色だ。
それでこれが過去の記憶なのだと理解する。
「私、ここにいたい」
今度は幼い声が耳に届く。直感的に自分が発した声だと考える。
「それならいいけれど、退屈じゃないかい?」
視界が変わり、エマは自分が俯いたのがわかった。カウンターの上に乗せて握った手は、発酵途中のパンのようにむくむくとしている。
「そんなことない。行きたくないの」
幼いエマは切実な声音で訴える。必死な様子から何か理由があるのだろうとうかがい知れる。夢なんてとりとめのないものだから、意味はないのかもしれないが。自分自身のことなのに、どこか他人事のように受け止めていた。
「そうか……エマがいてくれるなら、退屈しないな」
父はそれ以上追及せずに、店の中にいることを許してくれた。
ほっとしていると、ドアベルがカランと鳴り客が訪れたことを知らせる。
入口に目をやると、ちょうど山高帽を被った紳士と少年が入ってくるところだった。
「いらっしゃいませ」
父が愛想良く声をかける。父子らしき二人連れは迷わずカウンターに近づいてきた。子どもに合わせているのだとしても、その歩みはことのほか遅い。
少年の方に注意を向ければ、ズボンの裾から見える骨ばった膝小僧に血が滲んでいた。きゅっと引き結んだ薄い唇も切れているし、頬にも擦りむいたような痕が見える。
エマはこの光景に既視感を覚えていた。
利発そうな切れ長の目を見て、確信する。見間違えるはずもない、幼き日のルークだ。
父に連れられてやって来た彼は口を一文字にして、いかにも不本意そうに見える。
「ヘイウッドさん、傷薬をいただけますか。息子が怪我をしてしまってね」
「ええ、すぐに用意します。良ければこちらで手当てをしますよ」
「助かります」
「顔と、膝かな? 他に痛いところは?」
「……いえ、ありません」
この会話にははっきりと覚えがある。この夢はルークと初めて出会った日の出来事を追想しているのだと直感した。
父が動き出す前に、小さなエマはカウンターの脇にある小部屋の扉に近づいた。
「こっちが治療室よ」
つい今まで外に行きたくないと駄々をこねていたのが嘘のようにハキハキと誘導する。
記憶の中ではこの頃のエマは今にも増して内気だった。家族や仲の良い友人以外と進んで関わることはなかったはずが、この時は違った。傷だらけのルークへの同情が行動に駆り立てたのだと思う。
ルークと出会った頃なら六歳頃だろうか、顔も半袖のエプロンドレスから出ている手も足も丸々としていた自分を見るのは居心地が悪かったが、同時に懐かしさを感じてもいた。
アシュクロフト氏に背を押され、ルークはむっつりとしたまま治療室に入ってくる。
「ここに座って」
簡易ベッドに座らせて、室内に備えられた洗面台で丁寧に手を洗う。
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