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マダム・ジルダの訪問
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フェリクスとの話を終え、兵士たちを迎えるための手配をすると、ベアトリーチェは自室へ下がった。
すれ違った従僕に、側使えのメイドを呼んでほしい旨伝える。そういえば、もう昼下がりだというのに食事を摂っていない。会合の際に出した軽食はレオンハルトもフェリクスも手を付けなかったから、当然ベアトリーチェもそうした。
朝も彼らを迎える緊張で喉を通らなかったし、昼まで抜いてしまえば体力が持たない。メイドが来たら、残り物で構わないから何か持ってきてくれるように頼もうと考える。
一人になって少し落ち着いた頃、メイドが姿を現した。早速食事を頼もうとするが、何やら報告があるという。
「大臣あてに女性が訪ねてきているようです」
「女性? どういう方なの?」
「それが……いかがわしいと言いますか」
口ごもる彼女を促すと、どうやらやってきた女性というのが娼館の女将らしい。なんでも大臣が幾人かつけを払う期限が過ぎているとかで、会わせろと言ってきかないのだという。
「すぐに行くから、応接室へお通しして」
メイドは何か言いたげな顔をしたものの、ベアトリーチェの意思に従い準備をしに戻っていった。
それから少し時間を置いて、ベアトリーチェは応接室へやってきた。レオンハルトを迎えたのとは別の少し小ぶりな応接室だ。室内に入ると、思いのほか小柄な中年女性が窓辺に仁王立ちしていた。
「お待たせいたしました」
声をかけると、彼女はわずかに目を見開いた。
「……王女様自ら出迎えてくださるとは思わなかったね」
「お探しの者が不在でしたので。よろしければお掛けください」
「どうも」
ローソファに向かい合って座る。
「よろしければお茶かお酒でも?」
「おや、ありがたいことで。王室御用達のお酒をいただけたら、孫の代まで自慢できそうですよ」
ベアトリーチェは背後のメイドに用意を言いつけると、婦人に向き直った。彼女はかつては美人だったのだろうと推察される顔立ちのはっきりした五十がらみの女性で、褪せた金髪を高く結い上げていた。
毛皮の襟巻を細い首に巻き付け、すべての指には本物かどうかはわからないが大きな石のついた指輪をはめている。
「ベアトリーチェです」
「ああ、失礼。私はジルダ。まあ仕事場ではみんな、異国風にマダムと呼びますがね」
「ではマダム・ジルダ。早速ですが……」
聞けば、大臣たちは最初こそ羽振りが良かったものの、姿をくらます前は来月になったら支払うと言ってつけで遊んでいたそうだ。
「行方がわからないのです。執務室を探しましたが、手がかりも何も残っておりませんでした」
「そうでしょうね。ったく、腹の立つ」
マダム・ジルダは口の中でぶつぶつと悪態をつきながら、骨ばった拳を握った。
「ローゼンハイトと休戦がかなったら行方を捜すつもりですから、何かわかり次第お知らせします」
「そうしてもらえると助かりますよ」
話がまとまったところで、マダム・ジルダはテーブルの上の酒を手酌で注ぎ足すとぐいとあおった。そこでベアトリーチェは今しかないと思い、マダムに向かって声をかけた。
「マダム・ジルダ。話は変わるのですが、一つ頼みを聞いてもらえないでしょうか」
ベアトリーチェが切り出すと、マダム・ジルダは眉間に深いしわを刻んだ。
「あたしに頼み事? 王女様が?」
信じられないとでも言いたげな反応だが、娼館の女将だからこそ知りえる知識がある。
「私に男女の機微を教えていただきたいのです」
あっけにとられているマダムに、ベアトリーチェは手短にこれまでの経緯を伝えた。
「つまり、あっちの王様を満足させるための嗜みを知りたいと」
「その通りです」
「あのねえ、あたしが言えた義理じゃないけど、もっと自分を大事にしな」
断られることを予感して、ベアトリーチェは深く頭を下げた。
「私、本気です。もちろん対価はお支払いするので、どうかお願いします」
まだ手元にいくつかの宝飾品が残っている。とりあえず今身につけている真珠の耳飾りを外し、テーブルに置いた。
「他にもあります。後で持ってきますから、どうか。……ヴァレンツァを元通りにしたいんです」
必死で頼み込むと、マダムは根負けしたようにため息をついた。
「……わかったよ。できる限りのことはするから」
それを聞いて、思わず目元に涙がにじむ。
「ありがとうございます」
頭を下げたまま感謝を述べると、マダムが苦笑した。
「なんだか、思ってたのと全然違うじゃないか。噂なんてあてにならないもんだ」
マダムの手ほどきはかなり刺激が強かったが、ベアトリーチェも必死だ。メモを書きつけ時には図もまじえ、教えを頭に叩き込もうとした。
「まあ、基礎の基礎くらいは理解できたんじゃないかい?」
小一時間も経った頃には頭がパンクしそうなくらいだったが、マダムは新人の娘に覚えさせる最低限の知識だという。
支払いは後でもいいと言う彼女の手に真珠の耳飾りを押し付けて、送り出す。
後から必要そうな道具をいくつか届けさせると言い置いて、マダムは帰っていった。
すれ違った従僕に、側使えのメイドを呼んでほしい旨伝える。そういえば、もう昼下がりだというのに食事を摂っていない。会合の際に出した軽食はレオンハルトもフェリクスも手を付けなかったから、当然ベアトリーチェもそうした。
朝も彼らを迎える緊張で喉を通らなかったし、昼まで抜いてしまえば体力が持たない。メイドが来たら、残り物で構わないから何か持ってきてくれるように頼もうと考える。
一人になって少し落ち着いた頃、メイドが姿を現した。早速食事を頼もうとするが、何やら報告があるという。
「大臣あてに女性が訪ねてきているようです」
「女性? どういう方なの?」
「それが……いかがわしいと言いますか」
口ごもる彼女を促すと、どうやらやってきた女性というのが娼館の女将らしい。なんでも大臣が幾人かつけを払う期限が過ぎているとかで、会わせろと言ってきかないのだという。
「すぐに行くから、応接室へお通しして」
メイドは何か言いたげな顔をしたものの、ベアトリーチェの意思に従い準備をしに戻っていった。
それから少し時間を置いて、ベアトリーチェは応接室へやってきた。レオンハルトを迎えたのとは別の少し小ぶりな応接室だ。室内に入ると、思いのほか小柄な中年女性が窓辺に仁王立ちしていた。
「お待たせいたしました」
声をかけると、彼女はわずかに目を見開いた。
「……王女様自ら出迎えてくださるとは思わなかったね」
「お探しの者が不在でしたので。よろしければお掛けください」
「どうも」
ローソファに向かい合って座る。
「よろしければお茶かお酒でも?」
「おや、ありがたいことで。王室御用達のお酒をいただけたら、孫の代まで自慢できそうですよ」
ベアトリーチェは背後のメイドに用意を言いつけると、婦人に向き直った。彼女はかつては美人だったのだろうと推察される顔立ちのはっきりした五十がらみの女性で、褪せた金髪を高く結い上げていた。
毛皮の襟巻を細い首に巻き付け、すべての指には本物かどうかはわからないが大きな石のついた指輪をはめている。
「ベアトリーチェです」
「ああ、失礼。私はジルダ。まあ仕事場ではみんな、異国風にマダムと呼びますがね」
「ではマダム・ジルダ。早速ですが……」
聞けば、大臣たちは最初こそ羽振りが良かったものの、姿をくらます前は来月になったら支払うと言ってつけで遊んでいたそうだ。
「行方がわからないのです。執務室を探しましたが、手がかりも何も残っておりませんでした」
「そうでしょうね。ったく、腹の立つ」
マダム・ジルダは口の中でぶつぶつと悪態をつきながら、骨ばった拳を握った。
「ローゼンハイトと休戦がかなったら行方を捜すつもりですから、何かわかり次第お知らせします」
「そうしてもらえると助かりますよ」
話がまとまったところで、マダム・ジルダはテーブルの上の酒を手酌で注ぎ足すとぐいとあおった。そこでベアトリーチェは今しかないと思い、マダムに向かって声をかけた。
「マダム・ジルダ。話は変わるのですが、一つ頼みを聞いてもらえないでしょうか」
ベアトリーチェが切り出すと、マダム・ジルダは眉間に深いしわを刻んだ。
「あたしに頼み事? 王女様が?」
信じられないとでも言いたげな反応だが、娼館の女将だからこそ知りえる知識がある。
「私に男女の機微を教えていただきたいのです」
あっけにとられているマダムに、ベアトリーチェは手短にこれまでの経緯を伝えた。
「つまり、あっちの王様を満足させるための嗜みを知りたいと」
「その通りです」
「あのねえ、あたしが言えた義理じゃないけど、もっと自分を大事にしな」
断られることを予感して、ベアトリーチェは深く頭を下げた。
「私、本気です。もちろん対価はお支払いするので、どうかお願いします」
まだ手元にいくつかの宝飾品が残っている。とりあえず今身につけている真珠の耳飾りを外し、テーブルに置いた。
「他にもあります。後で持ってきますから、どうか。……ヴァレンツァを元通りにしたいんです」
必死で頼み込むと、マダムは根負けしたようにため息をついた。
「……わかったよ。できる限りのことはするから」
それを聞いて、思わず目元に涙がにじむ。
「ありがとうございます」
頭を下げたまま感謝を述べると、マダムが苦笑した。
「なんだか、思ってたのと全然違うじゃないか。噂なんてあてにならないもんだ」
マダムの手ほどきはかなり刺激が強かったが、ベアトリーチェも必死だ。メモを書きつけ時には図もまじえ、教えを頭に叩き込もうとした。
「まあ、基礎の基礎くらいは理解できたんじゃないかい?」
小一時間も経った頃には頭がパンクしそうなくらいだったが、マダムは新人の娘に覚えさせる最低限の知識だという。
支払いは後でもいいと言う彼女の手に真珠の耳飾りを押し付けて、送り出す。
後から必要そうな道具をいくつか届けさせると言い置いて、マダムは帰っていった。
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