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[第1話] 漫画家の卵/片岡亮(18歳)

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 僕が高校生の頃、漫画賞に応募した漫画が最終選考に残った。編集の岩戸さんは、画力に光るものがあったと評価してくれた。面白い話を作れれば連載も夢じゃないと言ってくれた。それから1年間、沢山のネームを書き、持って行った。しかし、全部ボツになった。自分で作った話が掲載されることはなかった。その間に、岩戸さんは他の原作者さんが書いた読み切りのネームをいくつか回してくれた。僕は全力でそれを描き上げた。
 今から2か月前のことだ。そのうちの一つ、『あなたと生きた日』が読者から評価を得て、3カ月後に連載が開始することになった。それは願ってもない機会だが、僕はその前に読み切りでもいいから、自分で作った話を掲載して欲しかった。そう思ったのは、僕が自分で作った話が一つも掲載されないまま、作画だけを担当して連載するようになってしまったら、もう二度と自分で話が作れなくなるという直感からだった。

 そして、現在深夜2時。
 いつの間にか、部屋の片隅に積み上げた、ボツになったネームの山を見つめて物思いに耽っていた。机に向き直るとそこには白紙の紙とペンが置いてある。今日中にネームを描き上げなければ、連載前に読み切りを掲載してもらえる機会は無くなるというのに、一向に進んでいなかった。何も思い浮かばない。もう間に合わない。僕には才能がなかった。お腹減ったな……。

 冷蔵庫の中は見事に空っぽ。先月買いだめしたカップ麺や缶詰も切らしている。仕方なく、コンビニへ向かうことにする。秋の冷たい夜風に当たりながら、一人歩いていた。途中、公園の前を通ったところで、女性の透き通った声が僕を引き留めた。
「ねえ、あなた。ちょっといいかしら?」
 声のする方を見ると、黒いセクシーなドレスを着た美女がブランコに座ってこちらを見ていた。
「えっ、僕ですか?」
 戸惑いながら返事をする。
「ええ、あなた。こっちに来てくれないかしら?」
 女性は妖艶な笑みを浮かべ、手招きした。
 僕は操られたかのように女性の元へと歩みを進める。
「あなた、なんだか諦めたような顔をしているわ」
 女性は見透かしたような表情でそういうと、ゆっくり立ち上がった。腰まで伸びた真っ黒な後ろ髪が揺れた。
 身長は僕と同じくらい……つまり、170センチくらいあるだろうか。前髪のすぐ下にある真っ黒な瞳が、僕を飲み込もうとしているように見えた。
「ねえ、私と取引しない?」
「取引?」
「そう、取引。あなたにとって一番大切なものをくれたら、あなたにとって一番必要なものをあげるわ。今のあなたにとって一番必要なものは、そうね……面白い物語を作る能力……といったところかしら」
 と、女性は突拍子もない事を言い出した。
「そんなことができるなら、是非ともお願いしたいよ」
 僕は皮肉を込めて答えた。
「それじゃあ、決まりね」
 女性はそう言うや否や、僕に接近し、彼女の柔らかな唇を、僕の唇に重ねた。
ほんの数秒の出来事だった。
 ふと気づくと、女性は消えてしまっていた。ほんのり甘い香りと唇の感触だけが残った。
「いったい何だったんだ……」

 それから、公園を出て、コンビニへ行き、弁当を買って家に帰った。
 そして、家の玄関を開けたとき、一つのストーリーが思い浮かんだ。すぐに机に向かい、それをネームにした。書きあがったネームに、僕は確かな手応えを感じた。朝一番に編集の岩戸さんに見せに行った。岩戸さんも、これまでにない程絶賛し、この話を原稿にして、掲載を狙おうということになった。しかし、原稿用紙を前にするとモチベーションが上がらず、なかなか進展しなかった。それでも、締め切り当日になんとか完成させ、岩戸さんのところに持って行った。

 原稿を読んでいる最中の岩戸さんは、曇った表情だった。
「作画の時間が少なかったからね。このくらいの出来でも仕方ないのかな。これ、会議に出したいんだよね?」
「はい。お願いします」
「分かった。でも、あまり期待しない方がいいかな」

 後日、僕が1人で描き切った読み切りが初めて掲載された。しかし、読者の反応は芳しくなかった。ストーリーについての評価はある程度得られたが、作画に対する批判のコメントがかなり多かった。岩戸さんは、今回の結果は気にせずに『あなたと生きた日』の連載準備を進めるよう言ってくれた。

 『あなたと生きた日』の作画をしている時も、モチベーションが低かった。それでも、人の作品を託されているのだからと自分を鼓舞し、なんとか描き続けた。半年ほどで連載は終了した。それを最後に僕は筆を折った。今はただ、あの日であった女性のことを考えている。彼女がくれた文才は、僕のモチベーションとの交換だったようだ。彼女は僕のモチベーションをどのように使っているのだろう。もう一度会えたら、返してほしいな……。
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