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#4
しおりを挟む静かにぐっすりと眠るイズオアルの髪を優しく撫でる。
珍しく先に目が覚めたガルビスは一足先にベッドから出ようとした。だが繋いで離さない手を見てはもう少しだけ横になろうとイズオアルを抱きしめながら髪を撫でて寄り添うばかりだった。
今日は往診の予定が入っていたはずだがどうだったか。
予定の確認がしたくとも手を離してくれなければ身動きとる事すら厳しい。
諦めて今しばらくは寄り添ってあげようと抱きしめて顔を見る。瞼を閉じて子供のようにすやすやと眠る様はさながら大きな子供のように感じる。昨晩見た、返り血を浴びて濡れ殺意を帯びた悍ましいあの形相は脳裏に焼き付いて離れない。
あれも全て、自分を守る為にしてくれたという事は分かっていても二度と見たくないな、と頭の中でそう考えてしまう。それほど、恐怖を覚えたのだが腕の中で眠るこの男が昨晩見た奴と同じとは思えないほど、安心して眠っているのがこれまた不思議である。
「……んん…ガルビス……」
どうやら寝ぼけているのか、寝ているのかハッキリとはしないがごく当たり前のようにボディタッチをしてくる。
衣服と肌の隙間に手を忍ばせ、腰や背中、脇腹や胸にまで手が伸びる。ついには臀部にまで手が伸びて形を確かめるように揉んでくる為、寝ながらにしてセクハラかと頭を擡げるものがあった。
しかし、決してそれらが嫌なわけではない。これでは理性どころか欲が先に出てしまうのではないかという不安はあれどそれが非常に気分が悪いものではなく心地よさを覚える。
外で共に一晩過ごし、顔に触れてきた時と同じだ。この男の触れる手は妙な心地よさを覚えさせ恥じらう心をいとも簡単に解いていく。
気を許してなんでもさせてしまいそうになるがーーーー今は朝だ。リルティマが起こしに来る可能性が高い。
「……おい、イズオアル」
肩を揺さぶって離そうとすれば揺り起こされたイズオアルは眠たい眼を擦りながらズボンから手を引き抜く。
するとヌルッと指先に透明でやや粘り気のある液体が絡みついている事に気付けばイズオアルはガルビスの顔を眠気が少し遠のいた目で見つめる。
「こ、これは……」
「お前が無意識で触ってたから濡れたわけだ。朝っぱらから堂々とセクハラしてくるだなんていい度胸だなぁ?」
「あっ、これはっ、そのっ、違いまして……!すいません!無意識に……!」
やはり欲が勝って無意識に相手の身体を欲したようだ。コイツと一緒に寝ていたら何をされるか分からないという不安が頭を擡げるがそれもこれも全て了承の上で共に寝ている。
だが、直に触られたのはほんのわずか一瞬だというのに身体が期待してしまったのは些か問題である。
謝り続けるイズオアルに「もういいから」と伝えればガルビスはシャワーを浴びる為に部屋を出る。
一階に向かい、シャワールームに入ればササッと身体を洗い流す。すぐに終わって出ると脱衣所でタオルを持って落ち込みながら上がってくるのを待っているイズオアルと出くわす。
「……あの、これ……」
「ああ、ありがとう。リルリルが起きていたら飯を作ってくれと頼んでくれ」
「は、はい!」
人払いするようにバタバタと駆け足で出ていったイズオアル。受け取ったタオルで髪を拭きながら体を拭いていると不意に脱衣所に取り付けられた等身大の鏡に目がいく。
頭から足まで、ガルビスの体に合わせて作られた大きな鏡は歪みなく姿を移す。鏡に映る体は傷こそないが幾人もの男に抱かれてきたせいか、どうしても手垢がついたような見えない醜さを覚える。
(本当に、俺でいいのか……?)
彼が恋い焦がれるのは自分である。
だが、それが時として不安になる。本当に自分でいいのか、彼が知るガルビスとは程遠い人間に違いないというのに。
不安で考えがまとまらず、悩みながら置いてあった服に袖を通しズボンを履いてからある事に気付く。
(ん?煙草を置いてたはずが……)
いつも携帯している、細かい物を見る為の眼鏡と煙草。それらが置いていたはずの棚から消えている事に気付けばあちらこちらと探し、最後に鏡の前に辿り着く。
いったいどこに、と顎に手を添えて考えながら不意に鏡の方に目を向ければーーーー。
照明がついているというのに陰影すらハッキリとしないほどに真っ黒な、人の形をした何かが背後に立っている事に気付く。
ゾワッと全身の毛が身震いし、すぐに振り返って鏡に背を向けるとその得体の知れない何かを目で捉える。
「な、なんだお前はッ!いつから、いったい……!」
いつからそこにいたのかすら分からない。だが揺れ動くソレは確実にガルビスに近寄り、手のような、腕のような何かを伸ばしてくる。
それを避けようとすれば瞬時に視界が黒く染め上げられ、同時にパリンッと背後にある鏡が砕け散るような音が音がした。
ーーーーその一方、イズオアルはガルビスに言われた通りキッチンにいたリルティマに朝食をお願いして上がってくるのを待っていた。
リルティマ曰く、ガルビスは脱衣所でもたもたする癖があるから待ってるといいと言われた為、大人しく待っていたが一向に出てこない。
心配になって脱衣所に向かえば床に散らばった砕け散った鏡の破片と先程までしっかりと点いていたはずの照明が不穏な事を知らせるようにチカチカと点滅を繰り返す。
破片の周辺に散らばるは烏の羽根のように思わせる、漆黒色の大ぶりの羽根。
「ガル、ビス……?」
そこにいたはずのガルビスの姿がない。
残された羽根と共に砕け散った破片を一つ、手に取ると歪みのない綺麗だった鏡がくすんで濁っている事に気付くと嫌な予感が腹の奥底から背筋へと悪寒として流れ込んでくる。
「リルティマちゃんッ!あの、ガルビスは出ていませんか!?」
「ゲコォ?先生は見てないよぉ~、どうしたんですぅ~?」
脱衣所を飛び出してイズオアルはキッチンでご飯を作るリルティマに問いかける。
当然ずっと此処にいた為、ガルビスの姿すら今日は視認していない。呑気に聞かれても焦りが先に出てしまっているイズオアルは「ご飯はいいよ」と雑な返事しか返せなかった。
急いで家を飛び出せば大きな羽根を羽ばたかせてイズオアルは飛び立つ。
港町を飛び出し、上空を飛び風を切りながら飛び抜ける。目指すは遥か彼方にある城壁に囲まれた大都市。
その大都市、オストウェル学園都市の南西に位置する砂の都は常に砂塵によって蜃気楼の如く、都は姿を掻き消している。
無論、都が存在しないわけではない。しかしひとたび入り方を間違えれば延々と砂漠を彷徨うだけになる。
砂の都は王を失くしてから長く、つい最近になって復権したものの荒れ果てた廃墟と荒野がただ広がるだけの都となってしまっていた。そこに隣国である春の都が物資や住民を融通してくれた為、都という形を保てている。
しかし、実態は相変わらず荒れ果てたものだ。王政が復権されたというのに街には活気も人もいないのだから。
城塞のように強固な砦として君臨する城は窓一つない閉塞感を感じさせる、正しく牢獄のような場所だった。
そんな牢獄のような城の地下深くに連れてこられたガルビスはただ激しい頭痛に見舞われて横たわっていた。
(……いったい、何が……)
脱衣所にいた不気味で得体の知れない人のような何か。それに触れられた瞬間、背後にあった鏡へと叩きつけられ、そのまま意識がみるみると失われていった。
気付けばこんな砂埃で咳き込んでしまいそうな地下牢に閉じ込められていた。鏡に叩きつけられて割れる音までは聞いたが特段、怪我をしているという事はないが身体は凄まじい倦怠感で動く事すらできなかった。
割れるように頭が痛くて仕方がないがカツン、カツンと牢の外から足音が聞こえてくるとガルビスは上体を起こして牢の外を見やる。
すると先程の黒々とした影のようにゆらゆら揺らめく得体の知れない人の形をした何かが鍵を開けて手招いている。
(逃げれそうな気はするが……ここがどこだか分からない上に酷く頭が痛い……素直に聞いた方がよさそうだな……)
無駄な抵抗は命取りになる。
そう考えれば素直に従って牢屋から出る。ひとたび薄暗い牢から出ると螺旋階段のように底無しの地下が視界に入る。
柵がない為、うっかり逸れるものなら下へと真っ逆さまに落ちるだろう。壁に手を付けてゆっくりと階段を上れば重たい鉄の扉が出迎え外へと出れる。
外、と言ってもチカチカと点滅する電球がぶら下がった地下牢への入り口に出るだけ。部屋を出て薄暗い廊下をまた歩けばここがどこなのか分からず、ガルビスは考える。
風は吹いていない。窓はないのか外の光が入らない暗い廊下が延々と続く。人はいないようで目の前の得体の知れない生き物とすれ違う事数回。
(……ここが、砂の都……?)
ガルビスは砂の都に出向いた事は一度もない。遠くから砂塵の蜃気楼を眺める事はあれども近寄った事など一度もない。
噂に聞けば活気のある力強い街だと聞いた事はあるが此処がもし砂の都で、その都の中心にある城だとすれば廃墟も同然だろう。
人の気配はおろか、生活していた痕跡もない。あちこちに砂が地面を埋め尽くしており、歩く度に靴の中に砂が入る。
おおよそ、此処が砂の都の中心部にある城だという事が分かる。そして、自分を此処に連れてくるように命じた人の事も誰かが分かる。
(……イズオアル、此処に来れるのか……?)
そういえばイズオアルが一体どのような人で、どのような形で彼が知るガルビスと知り合ったのか全くもって知らなかった。普通ならば気にするのだろうがガルビスにとってそんな事は些細なものであり、今が大事なのだと常に考えているからこそ、問う必要性もなかった。
だが、この城にはいくら翼があって飛べたとしても入る窓も勝手口もないようだ。
助けに来るのだろうか、と考えながらそもそも助けに来てくれるのかさえ分からなくなってしまう。
それはきっと、地面に溢れる細かい砂がこの城が誰の記憶にも留まらず風化していくのだと表しているようで、それが自分の今の気持ちを不安で塗り潰していく。
(アイツの知る、俺ではないんだから)
そんな事を心の中で吐き捨てると進んでいく。
階段を上り、上層へと進んでもなお閉塞感は変わらない。どこにも光を見つける事は出来ず、ただ薄暗い階段を進んでいく。するとある部屋の前に目の前を歩いていた得体の知れない人の形をした何かは立ち止まった。
「おはいりなさい」と言わんばかりに扉を指差している。此処にいるのかと風化した扉を見ると扉は金で出来ているというのに表面に彫られた細やかな模様は砂で埋もれ、四隅から錆びて朽ちかけ始めている。その事から随分と手入れすらされていないのだと分かる。
扉は押したところでビクともしないが黒い手が頭上から伸びていとも簡単に開けられては中に入る。
暗い部屋に足を踏み入れると荒れたロングカーペットの左右を等間隔で置かれた細長い燭台にフッと火が灯される。
それが唯一、この城の灯りなんだろう。ぼんやりとした火に照らされたカーペットを踏みしめて歩けば奥に見える玉座にふんぞり返って座る男の姿が見える。
「……久しいなぁ、アルベルド……いや、今はガルビスと言ったか」
アルベルドーーーー。その名はおよそ二十年ほど前に使われていた、ガルビスの本名だ。
もはや捨て去った過去だがこうして心底忘れたくて蓋をしたはずの記憶を一つ一つ、丁寧に蓋に取り付けられた留め具を外すように、記憶を呼び起こさせる陰湿な手口の男はガルビスはよく知っている。
「その声はナガ・ドランガではないか」
「……よく覚えていたな、ガルビス。二十年ぶりか、元気にしていたか?」
「元気もなにも、それをお前に伝える必要はないだろう」
「つれないなぁ……で、送ったラブレターはどうだったか?気に入ったか?」
「あんなくだらない手紙を送りつけて今更何の用だ」
徹底的に隙を見せないように強固な態度を取る。
本来ならそこまで敵意を剥き出しにする必要性はないのだが目の前で不気味に微笑むこのくすんだブロンド色の短い髪を掻き揚げる男は人の足元をすくうのが得意だ。
少しでも弱みを見せれば付け込まれる。少しでも縋れば骨の髄までしゃぶり尽くされる。
ガルビスは嫌と言うほど、よく知っている。結局、この男のせいで自分の人生は狂わされたのだから。
「ただ単純に会いたかったんだ。今、どんな顔をしているのか、どんな暮らしをしているのか知りたくて……」
「それにしては二十年の年月を経ているのは何故だ?知りたいのならば知る方法はあったのではないか?」
「……ハハッ、どこまでも疑うか、ガルビス」
二十年前、オストウェル学園には魔法研究会を首席で卒業するのではないかと言われていた人物がいた。それがガルビスーーーー当時のアルベルド・ハーバートだ。
皆の期待は高かった。オストウェル学園の中でもきっての切れ者が主席で卒業する、それも最年少で。
恵まれた名家の息子という事も相まって当時のガルビスは花の都、砂の都、雪の都など各地から入ってきた名家や王家の子息たちと交流する事もあった。
その一人が砂の都の王子ナガ・ドランガだった。彼は若くして花の都の花姫ミキ・ハーティと婚姻関係にあったが茶会で知り合ったガルビスと仲良くなるにつれて許嫁を放ってガルビスと共にいる時間が増えた。
当然、許嫁であるミキ・ハーティから反感を買うようになった。年齢も近く同学年同士だというのにいつからか顔を合わせれば喧嘩をするほど、険悪な関係になっていった。
「……お前が、ごく当たり前に接してくれさえいればあんな事にならなかったんだがな」
険悪な関係が行きつく先は殺意だ。気持ちが離れ素っ気なくなる婚約者に姫は耐えれなかったのだろう、恨みが怒りへと、遂には殺意へと変わりガルビスをより一層敵視する。そしてついには校内で婚約者と立ち話をしていた彼を刺し殺そうとした。
しかし、刃物が突き刺さる寸前で飛び込んだ婚約者に刃物が突き刺さった。結果としては婚約者であるナガ・ドランガを突き殺した事により、ミキ・ハーティは耐え切れずその場で自殺した。
当時、医師として志し学んでいたガルビスはすぐに治療に取り掛かったが未熟さゆえに二人を失くしてしまったのだった。
その罪は重い。いくらミキ・ハーティが起こした事件とはいえ、それを目撃していたのは唯一、ガルビスだけだった。彼の言葉は学園には通らず罪人として処分された。
「僕は接していたさ、許嫁にも君にも。好きな人には優しくするものだろう?」
「何言ってんだ、度の過ぎたスキンシップばっかりのくせに許嫁にはほぼ口すら聞いてなかっただろ」
「それは仕方がない、彼女がそう感じていただけで僕は優しくしていたんだけどね」
「どこがだ、馬鹿野郎。それよりもさっさと用件を言え、俺は暇じゃないんだ」
繰り返される悪態と嫌悪を示す態度、一連の過去の出来事からガルビスはナガ・ドランガを激しく憎悪の感情を抱いている。
そんなガルビスの態度、気持ちを知りながら王となってふんぞり返るナガは玉座から立ち上がるとガルビスに一歩、また一歩と少しずつ、ジリジリと近寄っていく。
「ああ、用件か。それは……君に此処に居てほしいというものだ」
「は?」
「君、僕の事が好きだっただろう?二十年、そう二十年という年月はとても長い、だが想いは変わらないはずだ。じゃないとずっと独り身のはずがないだろう?ガルビス」
確かにかつて、ガルビスは彼を好きだった。人として男として、尊敬も恋心も抱いていた。
だが、それは一度たりとも打ち明けた事はない。彼が死ぬ間際も友として救うという建前にしていた。結果として許嫁であるミキ・ハーティを死なせ、彼女の臓器を一部移植する事を試みたが虚しくも叶わず、息を引き取ってしまった。
どのような理由で生きているのか、本当に彼なのか、もしかしたら彼のふりをした誰かなのか分からない。
いずれにせよ、ガルビスはこれ以上再び触れる事も傍にいる事も、そんな気は一切なかった。
「俺が独身なのはただの自分勝手な理由でなっているだけでお前に関係ねぇよ。それよりも、死んだはずのお前がどうして生きている?」
そう問えば、彼は楽し気に微笑む。
ああ、ようやく聞いてくれたねーーそう言わんばかりに。
「死んだあの後ね、僕は三途の川っていうのを見たんだ。大きな川に船があってね、沢山の灯篭が流れる中を船で揺られていたら急に声が聞こえてね。生きたいか……って」
嫌な予感がする。それは直感がそう言っているのだから確かにそうなんだろう。
コイツはただのナガ・ドランガではない。この砂の都の荒れ果てた惨状からしてこの男は……。
「そしたらさ、僕は生き返ったんだ。死んでから十日目にね」
「……辻褄が合わない。遺体は焼かれて遺骨は王家の墓にしまわれたはずだ、どうやって生き返った?」
「そんなの簡単な事だ。僕には弟がいる、腹違いの私生児がいるんだ。おおよそ分かるだろう?」
弟がいるというのは初めて知ったが王族の一人もいない事、得体の知れない生き物が徘徊している事からしてあれは全て、王族かあるいは王家に仕えていた者の成れの果てなのだろう。
だとすれば弟は、本来継承されるはずの王はどこに行った?どこに消えた?
そんなもの、答えを求めなくとも目の前にいる。ナガ・ドランガのように見えるソレはそもそもナガ・ドランガの肉体なのか?という疑念があるが先程の話からして誰かが答えを言わずとも、自ずと出るだろう。
「悪魔に魂を売って行き交った、弟の命と引き換えに魂をそこに宿し、魔人族として生まれ変わって……」
よくよく見ると彼から発する魂の波長は人とは異なる。そう、まるで魔物のように感じ取れる。
おそらく、ガルビスを攫い此処に連れてきたのもガルビスが膨大な魔属性の魔力を有しているからだ。
世界には神に愛されし光の加護を受けた天属性と魔王に愛された闇の加護を受けし魔属性が存在する。地上世界に生きるもの全て、元々は天界に住まう神と魔界に住まう魔王の間に生まれた子達なのだ。
ゆえに人は天属性と魔属性を均等に有しているが稀にどちらか一方に偏って生まれる子がいる。
ガルビスは生まれもって魔属性に偏っており、天属性の力を使って治癒を施す事ができない。だが、魔属性を有する魔人族、魔物であれば無尽蔵に湧き出る魔力を用いて癒す事ができる。
魂を売り魔人族として生まれ変わったとはいえ、人の身に乗り移っているに過ぎない。いずれは魔力が減衰し力尽きるだろう。
それを湧き水の如く無尽蔵に湧き出るガルビスを用いて補うという事だ。
「どこまでも汚い奴だな……そんなお前に一度でも惚れた俺が馬鹿みたいだ」
はぁ、とため息を吐いては項垂れる。
そんなガルビスの顎に手を添えてナガは耳元で甘く、とろけるように囁く。
「なぁ、ガルビス。もう一度ここからやり直そう、僕は君となら上手くやっていけると信じている。どうだろう?ここで暮らすのは……」
そうだった、この男はどこまでも甘く、人を利用する。
許嫁は嫉妬深く束縛が激しいからとガルビスに近付き、仲良くするそぶりを見せて許嫁の殺意をガルビスに向けさせた。
結果としてガルビスは孤立し、首席で卒業するはずが叶わず追放となった。そして二十年の時を経てこうして甘く口説いてくる。
どう考えたって、あの得意げに笑って必死になる男の方がいいじゃないか。
「……もう一度言うが、お前ってやつはどこまでも汚い奴だな。そんなお前に一度でも惚れた俺が馬鹿みたいだ、次惚れる事はもうない。俺には好きな人がいるからな」
「は……ッ?何を言って……!お前に拒否する権利なんかあるわけないだろう!僕は砂都の王にして絶対たる砂漠の王者!貴様如き愚者に否定される覚えなどない!!」
汚い奴だと罵れば案の定、ナガは激昂する。それを見て単純な奴だとフッと鼻で笑ってしまう、思っている以上にナガ・ドランガは感情的すぎた。
次の行動は読める。ここまで感情的で自尊心が高いとなれば自らの拳で否定するべく殴りかかってくるだろう。
それをひらりと交わせばガルビスは間合いを開ける。
「おのれぇぇぇぇッ!傷心には沁みるだろうと思ったが乗らぬどころか愚弄までしおって……!」
「随分と性格が悪そうだな。そこまでとは思ってなかったぞ」
怒りに震え、滅茶苦茶に腕を振るう。掠りもしていないというのに怒りに任せて。
そもそも、目の前にいるこの男はナガ・ドランガなのだろうか。魂こそ似ているがやはり似て異なるものであるように見受けられる。
魂を売った時点でもはやナガ・ドランガの皮を被った魔物なのかもしれない。
ならば優しくする必要性はない。
徹底的に交戦するべしーーーーとは考えても生憎、ガルビスにその拳を跳ね返せる魔法も力も持ち合わせていない。
極端に偏りすぎた魔属性は彼に鉄壁の守りしか与えなかったのだ。
触れられそうになれば目の前に黒々とした漆黒の障壁を生み出して攻撃を受け流す。それを延々と繰り返していくだけでただ無駄に体力と時間が過ぎてゆくだけ。
「ぐ、ぅ……っ!」
何度も魔力を放出して障壁を作り続けていると魔力がすり減り、身体も限界へと近付いていく。
湧き水の如く無尽蔵に体力があるのだろうか、あるいは回復しているのだろうか。血走った眼で何度も殴りつけてくる目の前の男は息を切らし始めるガルビスに容赦なく襲い掛かる。
「死ねェッ!!愚弄する輩には裁きをォ!」
「う、ぐ……ぐ、ぐ……ぐあッ!」
幾重にも張り巡らせた障壁がビキッビキッと軋む音を響かせてひび割れていく。そして目の前で粉々に砕け散っていくと拳が顔面に直撃する。
頭が強く揺さぶられ視界がグルッと大きく回転したような感覚を覚える。そのまま倒れると目の前がグルグルと回る感覚がする、まるで脳震盪になっているような感覚だ。
頭を抑えて上体を起こす事がやっとで身動きを取るのがなかなかにして厳しい。
「僕をッ、僕を愚弄した貴様を殺すッ、殺してやるッ!」
殺意帯びた唸るような声でそう叫ばれ、髪を引きずるように掴まれる。
酷く視界が歪んで仕方がないというのに容赦がない。考えなくとも拳を力強く引き絞って作ればそれで殴ろうとしているのが見える。
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