上 下
6 / 18
【第二章 政権掌握】第一節 盧蘇・王受の乱

改土帰流の決定

しおりを挟む
 嘉靖六(一五二七)年二月。両広総督姚鏌は田州府の処置を定めた。
 改土帰流である。
 すなわち姚鏌は岑氏による田州府土官の世襲を停止し流官(中央政府から派遣される官吏)による統治に改めると決めた。
 そのような決定がくだされることはある程度予想されていたとはいえ、明初以来百五十年以上にわたる田州の自治が剥奪されるのである。田州の土舎、土目にとっては天地が転覆するほどの大問題であった。
 岑栄とともに盧蘇が花蓮に面会を求めた。
 盧蘇に会うのは久しぶりだが、盧蘇はほとんど前置きもなく、いった。
「土目衆はみなこの決定に不満であり、叛旗を翻すべきとの意見が大勢です」
「それは穏やかではないわね。あなたはどうなの。総管も蜂起に賛成なの」
「はい。もはやそれしかないと思っています」
「驚いたわ。いつでも冷静な総管がそんなことをいうなんて」花蓮は岑栄の方を向き、「あなたはどうなの。蜂起に賛成しているの」
 岑栄は冴えがない口調で、
「私は決めかねています。花蓮さまのご意見を聞いたうえで判断しようかと」
「とても勝算があるとは思えないわ」
 盧蘇は穏やかながらも決意の強さを感じさせる口調で、
「土目衆は、流官に改められるくらいならば、わずかな可能性に賭けてでも戦う道を選ぶ、と声を揃えております」
 岑栄が
「わずかな可能性もあるとは思えない」
というと、盧蘇は岑栄に向かっていった。
思恩しおんの土目にともに蜂起するよう促すのだ。思恩は岑濬しんしゅんの乱のあとに改土帰流の処置を受け、土目たちは大きな不満を抱いている。思恩土目は常々流官廃止の機会を窺っており、おそらくはわれらの誘いに乗る。さすれば、かなり大規模な叛乱となる」
「田州府城内にはいま一万の明軍がいる。とても追い出せる数ではない」
 田州府城内には戦後処理と治安維持のために岑猛討伐軍の五将のひとりの張經ちょうけいの軍一万人がそのまま駐留している。
「城外で既におよそ一万人を集め終えている。その一万でそとから攻め城内で呼応すれば府城を奪還できよう。そして城に籠り、勝たずとも負けない戦いをし、一方で京師に外交工作をおこなうのだ」
「お屋形さまが守れなかった田州を土目が寄り集まって守れると思うのか」
「お屋形さまは早々に府城を捨てられ籠城戦はされなかった。中華一といわれる田州兵が守るこの城を官軍がそう簡単に落とせるはずがない」
 岑栄は首を振り、
「田州兵が中華で最強なのは士気がどこの兵よりも高いからだ。しかし、その兵を育てたお屋形さまはもういない。指揮台にお屋形さまの姿がなければ兵の士気は上がらない。外交のためのときを稼ぐつもりでも、ひと月ももたずに落城するのではどうにもなるまい」
 盧蘇は花蓮に向き直り、いった。
「だからこそ力をお貸しいただきたいのです。お屋形さまも邦彦さまもおられないいま、ふたりの代わりを担うことができるのは花蓮さまだけです。指揮台の上に悲しみの底にありながらもお屋形さまの遺志を継いで立つあなたの姿があれば、兵たちも、そして、われわれ土目も、大いに士気を上げることでしょう」
「どうかしらね。去年の秋に政廳に出たとき、ずいぶんと冷たい目でみられたわよ」
「土目たちはお屋形さまを失った悲しみの大きさのためにあのような態度をとってしまったのです。裏切ったのは岑璋。花蓮さまは娘といえども心は田州とともにあること、みな心のなかではわかっているのです。兵たちのあいだで花蓮さまの人気は昔もいまも大きい。花蓮さまに旗頭となっていただければ土舎、土目、兵がひとつになって戦うことができます」
 岑栄が盧蘇にいった。
「『ひとつになって戦う』というが、芝さまと邦相さまのどちらを後継に立てるか未だに一致をみていないではないか。私は芝さまを推し、多くの土目は邦相さまを推している。総管は未だに立場をはっきりしておられぬ。この状態では土舎、土目の気持ちはひとつになり得ない。兵たちも、誰を次の土官とするために戦っているのかがわからなければ力を出し切ることはできないだろう」
 盧蘇は声をやや小さくしていった。
「いまは田州が一丸とならなければならないとき。土目のほとんどが邦相さまを推している。邦相さまには問題もあるが、邦相さまを立てることとせざるを得ないと私は思う」
 岑栄は対照的に声を大きくして、
「これまでなんどもいったではないか。邦相擁立には反対だ。花蓮さまも心のなかでは芝さまが良いと思っているのだ。花蓮さまに指揮台に立っていただきたいのなら、芝さまを擁立することとせよ」
 岑栄は花蓮の顔をちらりとみた。花蓮の気持ちを代弁するつもりでそういったのだが、花蓮は黙ったままでいる。
 盧蘇がいった。
「芝さまを立てれば朝廷に流官に改める理由を与えるようなものだ。われわれが芝さまを土官にと推そうものなら朝廷はすかさず田州には政務を司るにふさわしい者がいない、ゆえに土官継続を認めることはできないというだろう」
「後見を立てればよいのだ。誰かが芝さまを後見し執政となればいい」
 盧蘇は岑栄のいう「誰か」が花蓮をさすことはわかっているが、
「同じことだ。朝廷は、執政を立てなくてはならないのならば土官継続は認められないというだろう」
 盧蘇の口調は弱い。盧蘇も邦相の資質を疑っており、できるのならば芝に土官を継がせ花蓮を摂政とするのがいいと思っているのだ。
 岑栄は納得しない。
「邦相さまでは絶対にだめだ。愚昧な主君を戴いてもこの難局を乗り越えることはできない。結局は破滅に至ることになる」
 ふたりの会話を黙って聞いていた花蓮が口を開いた。
「蜂起に反対はしないわ」
 盧蘇は、
「ではさっそく政廳へお越しください。みなも喜ぶでしょう」
と嬉しそうな顔をしたが、花蓮は、
「いえ、叛乱に参加はしないわ。私はこの蜂起から距離を置くことにする」
と落ち着いていった。
「なぜですか」と、盧蘇は慌てた声でいった「去年の秋の土目たちの態度を怒っておられるのですか。いまは田州の危機ですぞ。みなが一丸となってことに当たらねばなりません」
「田州のことを考えれば、一丸となるべきではないと思うのよ」
「どういうことでしょう」
と、盧蘇が眉に皺を寄せた。
「朝廷にとっての別の選択肢をつくるのよ」
 岑栄も意味がわからず首を傾げた。
「朝廷は、叛乱によって要求が通ったという前例をつくることはできないと考えるわ。でも財政が苦しいから、叛乱の主導者の要求は撥ね付けながらも田州が鎮まる方法があるのであれば、それに飛びつくかもしれない。土目が主導し邦相をかついで起こした叛乱なのであれば、叛乱に参加していない者が推す芝に土官を継がせることを許してことを収めようとするかもしれない」
「なるほど。確かにそうですね」と岑栄はうなずいたが、「しかし、もし朝廷が叛乱軍の要望を容れた場合、邦相が土官に任じられることになります」
「そうなるでしょうね」
「邦相さまが土官となれば、その気性を考えると、将来自分の地位を脅かす恐れのある者を排除しようとするかもしれません。芝さまと、その庇護者である花蓮さまの命を狙うこともあり得るかと。そこまでひどいことにはならないとしても――」岑栄は語尾を伸ばして続けることばを探し、「花蓮さまのお立場が危ういものとなるのではないかと」
 岑栄は「居場所がなくなる」といいたかったのだ。夫が死に、子もない。実子同然だった邦彦も死んだ。邦彦の子の芝が政権の座にあれば、岑猛と邦彦の暗黙の遺志で芝のまつりごとを助ける者として田州にいる意義がある。邦相が土官となれば花蓮が田州にいる理由がなくなる。かといって、夫を謀殺した父を許せず実家に戻るという選択肢もない。この天の下でどこにも居場所がなくなってしまうのだ。
 しかし花蓮は、
「しょうがないわ。土官の世襲が認められるのならば、それでよしとするしかないわ」
と、あっさりといった。岑猛が死んでからずっと、今後の自分はどうすればいいのかということについてどうにも考える気になれないのだ。自暴自棄とまではいわないが、投げやりな気持ちが続いているといっていい。
 盧蘇がいった。
「私が今日ここに参ったのは花蓮さまに叛乱の旗頭になっていただきたいからです。花蓮さまのお姿が指揮台にないことで士気が上がらず叛乱軍が早々に敗れることになれば朝廷は有無をいわさず改土帰流を断行してしまうでしょう」
「旗頭なら、私よりずっといいひとがいるわ」
「花蓮さま以上の人物などおりません」
「いるわよ」
「花蓮さま以上の人物はお屋形さまだけです。しかし、お屋形さまは既に――」盧蘇はいいかけて、花蓮のことばの意味に気づいた。「お屋形さまですか。なるほど。お屋形さまですね」
 先に述べたように、岑猛の死後、両広総督府にふたつの首が届いたことなどから岑猛は実は死んではいないという噂が広まった。それを利用しようというのである。
 花蓮はうなずき、
「みんなが噂しているあいだになにが本当なのかわからなくなってきている。いま有力な土舎か土目が『お屋形さまは南安で生きている』といえば、噂は真実として語られるようになるわ」
 盧蘇は腕組みをしてしばらく考えていたが、
「おっしゃるとおりかもしれませんな。妙案かもしれません」
「わたしなんかより猛哥もうにいの方がずっといいわよ」
 そういった花蓮の頬に微かに赤みが戻った。岑猛が叛乱の旗頭となれば、岑猛が復活し、再び会えるような、そんな感覚を抱いたのだ。
 盧蘇がいった。
「しかしながら、花蓮さまが叛乱に参加しないと聞いた人々は、『やはり田州のことを考えていない』と口々にいうでしょう。その覚悟をしていただかなくてはなりませんが」
「もとより覚悟の上よ。それよりあなたこそ覚悟はいいかしら。朝廷が改土帰流の決定を覆すことになったとしても、叛乱の首謀者を罰することが条件とされるでしょう。罰せられるのはあなたよ」
「むろんわかっております。田州のためとなるのであれば、罰せられ命を落とすことになろうとも構いません」
 盧蘇は真剣な顔でいった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おとか伝説「戦国石田三成異聞」

水渕成分
歴史・時代
関東北部のある市に伝わる伝説を基に創作しました。 前半はその市に伝わる「おとか伝説」をですます調で、 後半は「小田原征伐」に参加した石田三成と「おとか伝説」の衝突について、 断定調で著述しています。 小説家になろうでは「おとか外伝『戦国石田三成異聞』」の題名で掲載されています。 完結済です。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

忍びの星 ~落ちこぼれ甲賀忍者の無謀な挑戦~

武智城太郎
歴史・時代
 善吉は、幼い頃より超一流のスター忍びになることを夢見る甲賀忍者の卵。里の忍術教室で長年にわたり修業を積むも、痩せっぽちで気弱な彼は、留年?をくりかえす落ちこぼれであった。師匠からは叱責され、家族からは疎まれ、女子からはバカにされる惨めな日々……。  今回もまた忍びデビューのチャンスを後輩に奪われた善吉は、さすがに心が折れかける。 「世界は広い! 里で忍びになれぬなら他国で仕官すればよい。それも一国一城の大大名に仕えるんじゃ!」    善吉の幼馴染で、タイプは正反対ながら、やはり落ちこぼれであるデブで無神経な太郎太が吠える。  それは恋あり友情あり、そして天下を揺るがす暗殺作戦ありという、想像を超えたいきあたりばったりの冒険のはじまりだった───。    本作は戦国時代が舞台ですが、歴史的背景はきわめて希薄です。〈甲賀の里〉以外の国や人物などはすべて架空のものです。半ファンタジーの青春コメディー忍者アクションとしてお楽しみください。

番太と浪人のヲカシ話

井田いづ
歴史・時代
木戸番の小太郎と浪人者の昌良は暇人である。二人があれやこれやと暇つぶしに精を出すだけの平和な日常系短編集。 (レーティングは「本屋」のお題向け、念のため程度) ※決まった「お題」に沿って777文字で各話完結しています。 ※カクヨムに掲載したものです。 ※字数カウント調整のため、一部修正しております。

暗闇から抜け出す日

みるく
歴史・時代
甲斐国躑躅ヶ崎に、春日源五郎という者がいた。彼はもともと百姓の身であり武田信玄に才を買われて近習として仕えた。最終的には上杉の抑えとして海津城の城代となる。異例の大出世を遂げたが、近習時代は苦しい日々だったという。 そんな彼の近習時代を中心に書いてみました。 ※いつも通り創作戦国です。武将のキャラ設定は主観です。基本的に主人公視点で物語は進みます。 内容もあくまで筆者の想像にすぎません。

信長は生きてました。

ヨルノ チアサ
歴史・時代
 本能寺の変で、死んだと思われていた織田信長。  殺されたのは 影武者であった。    試しに書いてみたのですが、意外に好評だったので続編を不定期で書こうと思っています。  史実と私の妄想を合わせて書いてるので、真の信長ファンには申し訳ない事になっています。  好きだからこそ書いてみたかったと言う私の気持ちを汲んで頂けるとありがたいです。  内容や文字変換等、おかしな所があれば御指導お願い致します。

戦国の子供たち

くしき 妙
歴史・時代
戦国時代武田10勇士の一人穴山梅雪に繋がる縁戚の子供がいた。 真田軍に入った子の初めての任務のお話 母の遺稿を投稿させていただいてます。

鍛冶屋の時次郎、捕物帳

ぬまちゃん
歴史・時代
鍛冶屋の時次郎には不思議な力がある。それは打ち直したした刃物の記憶を読み出す事が出来る力だ。 その力を使って、八丁堀の旦那に協力し、お江戸の不思議な事件を解決していく、ちょっと変わった捕物帳。長屋のお隣さんには、イケイケ髪結いのお姉さん。色っぽいけど義理堅い、ちょっと不思議系なお姉さん。主人公の時次郎に色々ちょっかいを出してくる、実は気があるお姉さん。時次郎と髪結いのお姉さんの関係がどうなっていくなもお楽しみ。 ※ノベルアッププラスで連載している小説の抜粋・修正版です。

処理中です...