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26.沼にハマる(※sideミリー)
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来ないでと言うのに、その男、…サミュエルは毎朝毎朝屋敷の前にやって来た。
時には草花のような素朴な花束を持って。また時には安っぽい小さなブローチなんか持って。
来るなと言っても「ほんの少しだけ、どうしてもあなたの顔が見たくて」なんてワケの分からない馬鹿みたいな理由をつけては毎日会いに来る。強く断る気にもなれないし、正直に言えば……朝屋敷を出て彼の姿が見えると妙な具合に胸が高鳴るのだった。
(何よ、この感情。…面白がってるのかしら、私ったら)
だけど、もういい加減にマズい。
「あのねぇ、もう来たらダメだってば。前から言っているでしょう?見られた護衛たちには知り合いだから平気ってごまかしてはいるけど、……さすがに不自然だし、そろそろ両親の耳に入っちゃうわよ。私これでも王太子の婚約者なのよ?!両親は私の素行にとても厳しいの。叱られてしまうわ」
「……では……、……もう俺は、あなたと会うことはできないんですか……?」
(だっ、だから……その目はやめてよね……!)
サミュエルは切なく寂しげな瞳で真正面から私のことを見つめる。こうされると私はなぜか心拍数が上がってしまい、冷静でいられないような妙なムズムズした感覚に陥るのだ。
「…………どうしても、また、あ、会いたいって言うのなら……、今度から学園の近くにある公園の奥の林の前辺りにいて」
「……えっ?ど、どこって言いました?学園の……公園?の?……林?」
「だからぁ!王立貴族学園、分からないの?!分かるでしょ?!有名なんだから!そこの東側に大きな公園があるのよ!その奥の林よ!その辺で忠犬みたいにじっと待ってればって言ったの!!」
「っ!そこにいたら……また俺と会ってくれるんですか?ミリーさん」
(き、急に目をキラキラさせちゃって……何そんなに喜んでんだか。馬鹿じゃない)
「……毎日行けるわけじゃないわ。私ねぇ、忙しいのよ。約束もできない。気が向いたら、行ける時は行くかもしれないってだけよ」
胸のドキドキを絶対に悟られたくなくて、私は必要以上につっけんどんにそう答えた。あくまで嫌々ながらといった体で、面倒くさそうに。
だけど。
「っ!!」
「…嬉しいです、ミリーさん。あなたは本当なら、俺なんかが一生関わることのできないような高貴なお嬢様なのに…。俺のために、時間を使ってくれるんですね。…それだけで、俺は…」
「…………っ、」
サミュエルは私の両手を、その大きくて熱い手で大切そうにそっと、そしてしっかりと握りしめたのだ。
男性にこんなこと、されたことない。
「…毎日、行きます。たとえあなたが、来てくれなくても。毎日」
こんな熱い瞳で見つめられたことも。
「…あなたは本当に、天使みたいな人だ。…美しくて、可愛くて、…とても気高くて。……あなたは素敵です、ミリーさん」
……こんな優しい言葉を、かけられたことも。
(こんな馬鹿なことに時間を使ってる場合じゃないのよ、私は!気を抜いてはいられない。いつ誰に出し抜かれるかも分からないんだから。いくら私がフィールズ公爵家の娘で、学園の誰よりも賢いからといって……、今後絶対に王太子の婚約者の座を誰にも奪われないとは限らないのよ)
そう。貴族社会は足の引っ張り合い。皆が皆虎視眈々と他人のミスの隙を突くことを狙っている。
万が一誰かに見られて……私がこんな平民の男と懇意にしているなんて噂でも立ったら、もう一巻の終わりだと思っておいた方がいい。
必死で築き上げてきたものも、一瞬で崩れ去る。
(重々分かっているわ、そんなことぐらい。私は他の連中とは違う。ただの馬鹿じゃない。強く、賢く、自分を律しながら能力を高め、姉を出し抜いて王太子の婚約者の座まで得たのよ。失ってたまるものですか)
それなのに─────
「……どう?新作のクランベリーのパン」
「……うん、すごく美味しいわ!甘くて香ばしくて…。あなたってすごいのね、こんなの作れるなんて。才能あるわ」
私は結局今日も、学園帰りに馬車を待たせたままこの公園の隅にこそこそとやって来た。人目を忍んで、疚しいことをするかのように。
私が褒めると、目の前の彼が本当に嬉しそうに笑う。
「……よかった。ミリーのその顔が見たくて作ったんだ。褒めてくれて嬉しいよ」
「……。……ふふ」
帰り際、いつも思っている。今日で終わり。もう本当に、今日で止めにしようと。誰かに知られる前に。
だってこんなこと、有り得ない。国一番の公爵家の令嬢が、平民の男と外でコソコソと逢い引きのような真似をしているなんて。
「……ふ…」
「?……何よ。何笑ってるの?」
「…可愛いなと思って。……ほら、ここ。パン屑がついてる」
「……っ、」
サミュエルの大きくて無骨な手が、優しくそっと私の口元に触れる。
触れられたところから電流が走ったように、甘く痺れて、動けない。
「……君は本当に、綺麗だ……」
「…………サ……」
そのままジッと見つめられて、ますます身動きがとれなくなる。何なんだろう、この感じ。こんな感覚。
サミュエルの整った顔が徐々に近付いてくるのを、私はただ見ていた。自分の激しい心臓の音以外、何も聞こえない。
「……………………。」
初めて重ねた唇は、柔らかく、そして、とても熱かった。胸の奥が甘く痺れ、彼の唇の熱に全身が包まれて、このまま溶けてしまいそうな気がした。
(……ああ、どうしよう。…抜け出せない───)
時には草花のような素朴な花束を持って。また時には安っぽい小さなブローチなんか持って。
来るなと言っても「ほんの少しだけ、どうしてもあなたの顔が見たくて」なんてワケの分からない馬鹿みたいな理由をつけては毎日会いに来る。強く断る気にもなれないし、正直に言えば……朝屋敷を出て彼の姿が見えると妙な具合に胸が高鳴るのだった。
(何よ、この感情。…面白がってるのかしら、私ったら)
だけど、もういい加減にマズい。
「あのねぇ、もう来たらダメだってば。前から言っているでしょう?見られた護衛たちには知り合いだから平気ってごまかしてはいるけど、……さすがに不自然だし、そろそろ両親の耳に入っちゃうわよ。私これでも王太子の婚約者なのよ?!両親は私の素行にとても厳しいの。叱られてしまうわ」
「……では……、……もう俺は、あなたと会うことはできないんですか……?」
(だっ、だから……その目はやめてよね……!)
サミュエルは切なく寂しげな瞳で真正面から私のことを見つめる。こうされると私はなぜか心拍数が上がってしまい、冷静でいられないような妙なムズムズした感覚に陥るのだ。
「…………どうしても、また、あ、会いたいって言うのなら……、今度から学園の近くにある公園の奥の林の前辺りにいて」
「……えっ?ど、どこって言いました?学園の……公園?の?……林?」
「だからぁ!王立貴族学園、分からないの?!分かるでしょ?!有名なんだから!そこの東側に大きな公園があるのよ!その奥の林よ!その辺で忠犬みたいにじっと待ってればって言ったの!!」
「っ!そこにいたら……また俺と会ってくれるんですか?ミリーさん」
(き、急に目をキラキラさせちゃって……何そんなに喜んでんだか。馬鹿じゃない)
「……毎日行けるわけじゃないわ。私ねぇ、忙しいのよ。約束もできない。気が向いたら、行ける時は行くかもしれないってだけよ」
胸のドキドキを絶対に悟られたくなくて、私は必要以上につっけんどんにそう答えた。あくまで嫌々ながらといった体で、面倒くさそうに。
だけど。
「っ!!」
「…嬉しいです、ミリーさん。あなたは本当なら、俺なんかが一生関わることのできないような高貴なお嬢様なのに…。俺のために、時間を使ってくれるんですね。…それだけで、俺は…」
「…………っ、」
サミュエルは私の両手を、その大きくて熱い手で大切そうにそっと、そしてしっかりと握りしめたのだ。
男性にこんなこと、されたことない。
「…毎日、行きます。たとえあなたが、来てくれなくても。毎日」
こんな熱い瞳で見つめられたことも。
「…あなたは本当に、天使みたいな人だ。…美しくて、可愛くて、…とても気高くて。……あなたは素敵です、ミリーさん」
……こんな優しい言葉を、かけられたことも。
(こんな馬鹿なことに時間を使ってる場合じゃないのよ、私は!気を抜いてはいられない。いつ誰に出し抜かれるかも分からないんだから。いくら私がフィールズ公爵家の娘で、学園の誰よりも賢いからといって……、今後絶対に王太子の婚約者の座を誰にも奪われないとは限らないのよ)
そう。貴族社会は足の引っ張り合い。皆が皆虎視眈々と他人のミスの隙を突くことを狙っている。
万が一誰かに見られて……私がこんな平民の男と懇意にしているなんて噂でも立ったら、もう一巻の終わりだと思っておいた方がいい。
必死で築き上げてきたものも、一瞬で崩れ去る。
(重々分かっているわ、そんなことぐらい。私は他の連中とは違う。ただの馬鹿じゃない。強く、賢く、自分を律しながら能力を高め、姉を出し抜いて王太子の婚約者の座まで得たのよ。失ってたまるものですか)
それなのに─────
「……どう?新作のクランベリーのパン」
「……うん、すごく美味しいわ!甘くて香ばしくて…。あなたってすごいのね、こんなの作れるなんて。才能あるわ」
私は結局今日も、学園帰りに馬車を待たせたままこの公園の隅にこそこそとやって来た。人目を忍んで、疚しいことをするかのように。
私が褒めると、目の前の彼が本当に嬉しそうに笑う。
「……よかった。ミリーのその顔が見たくて作ったんだ。褒めてくれて嬉しいよ」
「……。……ふふ」
帰り際、いつも思っている。今日で終わり。もう本当に、今日で止めにしようと。誰かに知られる前に。
だってこんなこと、有り得ない。国一番の公爵家の令嬢が、平民の男と外でコソコソと逢い引きのような真似をしているなんて。
「……ふ…」
「?……何よ。何笑ってるの?」
「…可愛いなと思って。……ほら、ここ。パン屑がついてる」
「……っ、」
サミュエルの大きくて無骨な手が、優しくそっと私の口元に触れる。
触れられたところから電流が走ったように、甘く痺れて、動けない。
「……君は本当に、綺麗だ……」
「…………サ……」
そのままジッと見つめられて、ますます身動きがとれなくなる。何なんだろう、この感じ。こんな感覚。
サミュエルの整った顔が徐々に近付いてくるのを、私はただ見ていた。自分の激しい心臓の音以外、何も聞こえない。
「……………………。」
初めて重ねた唇は、柔らかく、そして、とても熱かった。胸の奥が甘く痺れ、彼の唇の熱に全身が包まれて、このまま溶けてしまいそうな気がした。
(……ああ、どうしよう。…抜け出せない───)
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