上 下
46 / 59

46. エルシーへの疑惑(※sideアンドリュー)

しおりを挟む
「エルシーの様子は?もう帰ってる?」
「はい、早くにお戻りでございました」
「そう。勉強は?」
「それが……、先ほど激しい癇癪を起こされて、教師に向かって罵詈雑言を吐いた後、教科書を投げつけたのです。教師が怪我を」
「っ!何だって?傷は深いのかい?」
「いえ……。瞼を教科書の角で切ってしまいましたが、幸い目に異常はないようです。ただ、教師はひどく憤慨し本日の講義はもう終わりにすると。彼女もずっとエルシー様の態度に耐えてきていたものですから……」

 気まずそうにそう報告してくる侍女や教師を責めるつもりは毛頭ない。僕は深くため息をつくと、エルシーの部屋に向かった。また今日の口論の開始だ。



 部屋の扉を開けると、あろうことか、エルシーはベッドに寝そべったまま本を読んでいた。近くまで歩み寄り、確認する。……やはり教科書ではなく、娯楽小説のようだ。

「……何をしているんだ、エルシー」
「……。チッ」

 こちらに顔を向けることもなく舌打ちをするエルシー。……僕は本当に愚かだった。この性悪な女の子のことを、健気でか弱く愛らしい子だと思い込んでいたのだから。

「何をしているんだと聞いている」
「見て分からない?!本読んでるのよ!うるさいわねぇ毎日毎日!」
「……明日必ず、教師に謝るんだ。怪我をさせただろう」

 僕が静かにそう言うと、エルシーはようやく顔だけをこちらに向けた。ギロリと睨みつけてくるその顔には、かつての優しく愛らしい笑顔の片鱗さえ見当たらない。死にもの狂いで勉強を頑張りますからと言っていた時の、素直で真摯な眼差しはない。
 エルシーは気怠げに体を起こすとベッドサイドに腰かけ、足を組みながら僕を馬鹿にするように笑った。

「王太子の婚約者である私に、高慢な口のきき方をしたの。だから叱った。それだけのことよ。……何なの?あなた最近。随分と態度が変わったじゃない。前はベソベソおどおどして、気持ち悪いくらいだったくせに。今は別の意味で不気味だわ」
「……。それは叱ったとは言わない。君は勉強が嫌で、ただ不満をぶつけただけだ。そうだろう?言葉を知らない子どものように物を投げつけ相手を黙らせるなど、あまりに稚拙だ。王太子の婚約者である立場を振りかざすならば、まずその立場に相応しい人物になるんだ。謙虚になってくれ、エルシー」

 バシッ!

 何の前触れもなく、彼女の手に握られていた娯楽小説が僕の顔面に投げつけられた。

「……うるさいわ。役立たずの名ばかり王太子のくせに」
「…………。」

 腸が煮えくり返る。だけどここでこの子と同じように感情をぶつけてしまっては駄目だ。それじゃ何一つ進展しない。僕はぐっと歯を食いしばった。

「殿下……っ」
「いい。下がっていてくれ」

 殺気立った護衛たちを下がらせ、僕は一旦話題を変えた。

「……最近、随分とヘイディ公爵令嬢にすり寄っていっているようだが、一体何を企んでいるんだ?エルシー」
「……嫌な言い方ねぇ。ただご挨拶してるだけよ。何が悪いの?」

 まるで宿敵でも見るような目で僕を睨みあげながらエルシーが言う。こんな僕らが、数年後には王太子夫妻となり共に公務に励むことになるのか……。この国や国民たちを守っていくために、同じ方向を向いて共に働くのか……?

(……無理に決まってる)

 半ば諦める気持ちもあるが、まだ投げ出すわけにはいかない。だってここで投げ出して逃げてしまったら、僕の存在意義って一体何なんだ。

「何故急にヘイディ公爵令嬢に対する態度が変わったんだ?」
「何故って言われても!尊敬してるからよー。すごいじゃないの。彼女もこんなに勉強漬けの日々を過ごしてきたわけでしょ?親近感が湧いてきたのよ。だから仲良くなりたいだけ~」

 小馬鹿にしたように間延びする喋り方でそう言うエルシーの顔には、醜い笑みが浮かんでいた。何が親近感だ。君とメレディアは全く違うだろう。彼女は心底努力していた。それももっとずっと幼い頃から。遊ぶ時間など一切なく、寸暇を惜しみ。この国と、僕のために。

 ……ああ、考えれば考えるほど、僕は決して失ってはならない人を手放してしまったんだな。

「……ヘイディ公爵家はこのセレゼラント王国の筆頭公爵家だ」
「…………は?」
「当主のヘイディ公爵は国の重鎮だし、両陛下の信頼も厚い。決して君が怒らせていい相手ではないんだ」
「……何が言いたいわけ?」

 悪魔にしか見えないエルシーの鋭い目をぐっと睨み返しながら、僕はきっぱりと告げた。

「大人しくしておくことだ、エルシー。彼女によからぬことをすれば、多くの人間を敵に回すことになる。そのことを決して忘れるな。余計なことは考えず、君は自分の立場に相応しい人物になることだけを考えてくれ」
「うるさい!!偉そうに!何もできないあんたなんかの言葉、少しも響かないわよ!さっさと出て行って!!」
「……勉強をしてくれ」

 無駄と分かる一言を残して、僕は踵を返した。後ろからまた何か投げつけられたけれど、無視した。



 部屋を出て重い足取りで歩きながら考えた。

(……メレディアと仲が良いトラヴィスにも、一応伝えておこう。学園内では特にメレディアの周りに気を配っていてほしいと)

 こっちも目を光らせておく必要がある。極力エルシーを自由に行動させないこと。学園を一歩外に出れば、常に監視の目をつけておくようにしなければ。

(……ただの考えすぎだったらいいんだけど……)
 




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

【完結】冷遇された翡翠の令嬢は二度と貴方と婚約致しません!

ユユ
恋愛
酷い人生だった。 神様なんていないと思った。 死にゆく中、今まで必死に祈っていた自分が愚かに感じた。 苦しみながら意識を失ったはずが、起きたら婚約前だった。 絶対にあの男とは婚約しないと決めた。 そして未来に起きることに向けて対策をすることにした。 * 完結保証あり。 * 作り話です。 * 巻き戻りの話です。 * 処刑描写あり。 * R18は保険程度。 暇つぶしにどうぞ。

半月後に死ぬと告げられたので、今まで苦しんだ分残りの人生は幸せになります!

八代奏多
恋愛
 侯爵令嬢のレティシアは恵まれていなかった。  両親には忌み子と言われ冷遇され、婚約者は浮気相手に夢中。  そしてトドメに、夢の中で「半月後に死ぬ」と余命宣告に等しい天啓を受けてしまう。  そんな状況でも、せめて最後くらいは幸せでいようと、レティシアは努力を辞めなかった。  すると不思議なことに、状況も運命も変わっていく。  そしてある時、冷徹と有名だけど優しい王子様に甘い言葉を囁かれるようになっていた。  それを知った両親が慌てて今までの扱いを謝るも、レティシアは許す気がなくて……。  恵まれない令嬢が運命を変え、幸せになるお話。 ※「小説家になろう」「カクヨム」でも公開しております。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~

Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。 そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。 「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」 ※ご都合主義、ふんわり設定です ※小説家になろう様にも掲載しています

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

処理中です...