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35. 待ち伏せ

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 それからしばらく経った、ある日の放課後。校舎を出てマーゴット嬢たちとお喋りをしながら歩いていた私は、馬車が見えるところまで来ると皆に挨拶をして別れた。
 タウンハウスに帰るため、門を出て馬車に向かいはじめた、その時。

「メレディア嬢」
「ひゃっ!!」

 門の陰からぬっと飛び出してきた大きな人に突然声をかけられ、驚いた私はヒュッと喉を鳴らした。

「……っ!あ……、あなた……」
「よかったぁ。やっとお会いできたな」

 下がった目尻をククッと歪め笑うその人の泣きぼくろを見た途端、鳥肌が立った。

「……ウィンズレット侯爵令息……。……な、なぜ、ここに……?」

 あり得ない。なんでこの人がここにいるの?
 この人はこの学園の生徒ではない。しかもウィンズレット侯爵邸からここまではかなり距離がある。
 不気味すぎてますます嫌悪感が増す。

「なぜって……。嫌だなぁメレディア嬢。分かっていらっしゃるはずだ。毎日毎日俺の想いの丈を詰め込んだ手紙をお送りしているのに、あなたから色よい返事がもらえないものだから……。寂しくなって、お顔を見に来てしまいましたよ。……ああ、今日もやはりお美しい」
「……っ、」

 胸の中にじわじわと膨れ上がっていく嫌悪感は、このニタリと目を細めた笑顔を見ているうちに少しずつ恐怖心に変わっていく。思わず一歩後ずさりながら、私は軽く咳払いをしてどうにか気持ちを落ち着かせた。

「……困りますわ、ウィンズレット侯爵令息。お手紙にも何度も書いております。日々忙しくしておりまして、あなた様とお茶などする時間の余裕はないのです。それに、妙な誤解を招きたくもございませんの。私は特定の殿方と親しい関係になるつもりはありませんから」
「またそんな、つれないことを。でもあなたのその高潔なところが、俺は大好きだな。あなたのような女性は、きっと良き妻となるのでしょうね。妬ましいなぁ、いずれあなたを得られる男が。せめて俺も……、あなたに少しでも俺という人間を知ってもらうチャンスがほしいんですよ」

 ……本当に、しつこい。

「……私の先のことについては、全て両親に任せてあります。お話は父を通してくださいませ。……では、すみませんが急いでおりますので」

 これまでのしつこさから推測するに簡単には諦めてくれそうもないと判断した私は、強行突破することにした。馬車までほんの十数歩ほど。さっさと行って乗ってしまおう。そう思った私はジェセル様の横をスッと通り抜けた。
 だけど、その瞬間。

「待ってよ、メレディア嬢」
「っ!!」

 あろうことか、ジェセル様は私の左手首をがしっと掴んだのだ。大切なブレスレットが、この男に触れられた。そのことに気付いた途端、嫌悪感よりも怒りの方が勝った。

「離してください!許可もなく女性の体に触れるなど失礼だわ」

 私はジェセル様の顔を鋭く睨みつけ、強い口調でそう言い放った。相手のニヤけた顔が、少し強張る。

「……嫌だなぁメレディア嬢……。そんなに怒らないで。俺はただ、この切ない恋情をあなたに分かってもらいたくて……」
「いいから手を離してください!」

 下校していく生徒たちの何人かが私の声に反応し、何事かとこちらを見ている。だけど私は早くこの男にブレスレットから手を離してほしかった。

「メレディア嬢……」
「離して!」

 馬車のところにいた護衛が私の異変に気付き、こちらに駆け寄ろうとする。
 だけど────

「メレディア嬢からその汚らわしい手を離せ、無礼者が」

 護衛が私のそばに来るより早く、背後からよく通る低い声が聞こえたかと思うと私の左手は自由になった。

(……っ!トラヴィス殿下……っ)

 凍りつくほど冷たい目をしたトラヴィス殿下が、私の手を掴んでいたジェセル様の手首を捻り上げている。

「いっ!いでで……っ!!トッ?!トラヴィス……第二王子殿下……っ!」

 自分の手首をねじ上げる殿下の顔を見たジェセル様から血の気が失せた。真っ白な顔を引きつらせながら、殿下に許しを請うている。

「お、おま、お待ちください殿下……!ご容赦を……、ちょ、いたたたたた……」
「メレディア嬢に謝罪しろ。こんなところまで追いかけ回してきて、あろうことか体に触れるなど、紳士の風上にも置けぬ振る舞いだ」
「もっ……、申し訳、ない、メレディア嬢……っ!」
「二度と彼女に近づくな。もし今後万が一にも彼女が不快に思う行動をとれば、貴殿の両親に全て報告するぞ、ジェセル・ウィンズレット侯爵令息よ」
「っ!!わ……っ、分かりました……っ!いっ!いだい……っ、は、離してくれ……っ」

(……すごい……)

 ジェセル様はたしか20歳くらい。体もがっしりと大きい。対してトラヴィス殿下は私と同じ16歳でスラリとした細身で……。ぱっと見た感じではジェセル様の方が強そうに見えるのに、さっきから必死で抵抗しているけれどトラヴィス殿下の手はジェセル様の手首から離れる気配もない。

(……私を支えたまま馬にも軽々と乗っていたし、案外トラヴィス殿下って逞しいのね……。筋肉とかすごそう)

などと私が場違いなことを考えているうちに、ようやくジェセル様は解放されたらしい。這々の体でこの場から去っていった。

「……大丈夫だったか?メレディア嬢」
「は、はい。……助かりましたわ。ありがとうございます、殿下」
「いや……。あの男に言い寄られていたのか」
「ええ……、その……、最近では毎日のようにお手紙をいただいていたのですが、丁重にお断りしておりました」
「……。そうか。まぁもう懲りただろうからこんな真似はしないとは思うが、一応ご両親には話しておいた方がいい」
「ええ。そうします」
「……明日からは俺が毎日馬車まで送ろう」
「い、いえ。そこまでは……。お気遣いありがとうございます、殿下」
「……。他に君にしつこくしてくる男などはいないか?」

 ……ものすごく心配してくれてる……。

 トラヴィス殿下の真剣な眼差しがなんだかすごくこそばゆくて、思わず頬が緩んでしまいそうになり、私は慌てて顔を伏せた。

(……あ)

「?……どうした?痛むのか?」

 私が自分の手首をそっと擦ったのを見て、殿下はますます心配そうな声を出す。私は微笑んで顔を上げた。

「いえ、ブレスレットが……。殿下からいただいたブレスレット、無事でよかったなって思いまして。ふふ」

 ホッとして笑うと、殿下は少し目を見開いて私のことを見つめた。そして……、

「っ!」
「……ああ。そうだな。よかった」

 そう言って、私の手首を優しく撫でてくれた。




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