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76. この人だけを

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 その後、ジェラルド国王は磔にされ数日間民衆の前に晒された後、斬首された。刑が執行されるまでの間、彼は何度も私の名を呼び、私に謝罪したい、会わせてほしいと懇願していたらしい。幾度かその報告を受けていたけれど、私は毛頭会う気もなかったので無視した。
 離宮に隠居していた王太后は、国王が捕われ幽閉されたことを聞いた時点で自ら毒杯を飲み、命を断ったという。
 もう一人の諸悪の根源である宰相のザーディン・アドラムもまた、国王に次いで処刑されることとなった。断頭台に上がる彼の足は自分の力で立っていられないほどにガクガクと震え、顔面は蒼白であったいう。両脇を兵士たちに抱えられながらギロチンの下に運ばれた彼は、最後の最後まで無様な命乞いを続けていたそうだ。
 アドラム公爵家は当然、彼の代で潰えることとなった。
 その息子カイル・アドラムは、自ら平民に下ることを願い出た。私は彼を手元に置いて今後の治世を手助けしてほしかったけれど、彼自身がそれを受け入れなかった。父親や愚王に言われるがまま従い、過ちを犯してきたこれまでの償いをしなければ気が済まないという。彼は全てを手放して身一つで人生をやり直そうとしていた。

「……以前から、平民たちの間にも大きな貧富の差があることが気にかかっておりました。この経済状況の悪化で、元々貧困に喘いでいた者たちはますます苦しい生活を強いられております。私は彼らの目線に立ち、その生活を助けるために自分にできることをやろうと思います」

 そんなカイルに、私は領主を失ったとある男爵領を運営することを命じた。

「気候にあまり恵まれないあの男爵領は、元々領内の治安も景気もよくないと聞きます。それこそ立て直しには根気と才覚が必要でしょう。ですが、あなたならきっとやり遂げてくれると信じています。領内に住まう人々の生活を向上させ、貧しさに苦しむ民たちを助けてあげてください。…互いに別の場所で、この大国の再建に力を尽くしましょう。そして…、あなたにはいつか必ず、この王宮に戻ってきてもらうわ」
「……ありがたいお言葉、感謝いたします」

 カイルは噛み締めるようにそう答えると、深々と礼をした。






「近隣諸国の指導者たちは皆、アリアがこの国の君主として留まることに賛同し、強く支持している。これまでのお前の功績が実を結んでいるのだろう」

 その日。兄のルゼリエは緊急で開かれた国際会議の後で私にそう言った。旧ラドレイヴン王国は当面の間カナルヴァーラの保護国として、これまでの国土を保ち国民の暮らしの立て直しを最優先事項とすることとなった。
 私はその新しい国の王として、全責任をこの手に引き受ける立場となる。今この王宮の謁見の間には兄が訪れていて、今後の国政について相談に乗ってくれていた。
 私の後ろには、当然のようにエルドたち護衛騎士が控えてくれている。

「ありがたいことです。皆様の期待に応えなくては」
「お前の下でなら力を振るうこともやぶさかでないと言う者たちがいるはずだ。カナルヴァーラへ逃れてきた有力者たちに、俺からも打診してみよう」

 兄は穏やかに微笑むと、優雅な仕草で紅茶を口に運んでから一息ついて言った。

「アリアをそばで支えてくれる伴侶も選ばなければな。お前と共に再建を目指して国を治めることのできる確かな実力を持ち、また権威もある家柄の、立派な男を。……もうあのような大馬鹿者は懲り懲りだ」
「……っ、」

 伴侶。
 その言葉に体が強張った。

「……お兄様、私は……、もう結婚は考えられません」

 おそるおそるそう口にすると、兄はほんの一瞬怪訝な顔をした。しかしすぐに頷くと、

「……まぁ、そうだろうな。あの愚か者に嫁いできたがために酷い扱いを受けたんだ。今は次の伴侶のことなど考えたくもないか。悪かった。早急過ぎたな。しかし、お前がいつまでも独り身というわけにはいくまい。いずれは…、」
「お兄様、違います。前国王との結婚で傷付いたから二度と結婚をしたくないとか、そういう理由ではないのです。ただ、もう……、私は自分の気持ちにそぐわない殿方と連れ添うことは嫌なのですわ」

 後ろめたい恋心を、ずっと隠して過ごしてきた。
 たとえ一方通行の叶わぬ想いであったとしても、もうこの気持ちを道ならぬもの、不道徳なあさましいものにしたくはない。
 ただエルドのことだけを、大切に想っていたい……。

「……誰か、想いを寄せる男でもいるのか?」
「……えっ?!い、いえ、その…」

 私の心の中を覗き見たような兄の鋭い質問に驚き、思わず声が裏返る。どうしよう。こんなこと、エルドの前で話したくない。
 背後に立っているはずの彼の存在を意識して、一瞬視線が泳ぐ。

「……そ、そういうわけでは、ありません、けど……。世継ぎのことは、たしかに今後の課題の一つですわね。ですが別に私の産んだ子にこだわる必要はありませんわ」

 無理矢理話を逸らしてみるけれど、兄はただジーッと私の顔を見ている。……穴が空くほど見ている。

「……まぁいい。その件は追々考えるとしよう」
「……ええ」

 それからしばらくの間今後の様々な課題について二人で話し合い、意見を交わした。

「疲れたろう、アリア。今日は一旦ここまでにしよう」
「ええ。お兄様、後でご一緒に夕食を…」
「ああ」

 そんな会話を交わしながら立ち上がり部屋を出ようとした時、エルドがそっと声をかけてきた。

「アリア様、こちらを…」
「…あ、」

 気付かぬうちに扇を落としていたらしい。エルドが少し屈みながら、私に視線を合わせるようにしてそれを差し出してくれていた。

「…ありがとう、エルド」
「いえ」

 ドキドキしながら彼の手から扇を受け取る。ほんの少しだけ、指先が触れた。

(…やだな。たったこれだけのことで、こんなに胸が…)

 エルドがそばにいるだけで、体中が喜びの声を上げる。心臓がトントンと音を立てて騒ぎ出し、声が震え、頬が熱を帯びる。
 こんなにも好きでたまらない。
 この人だけを、こうしてずっと想っていたい。
 他の人との結婚なんて、もう考えられるはずもなかった。

 チラリとその翠色の瞳を見上げると、エルドが優しく微笑んでくれる。
 それだけで心がじんわりと満たされる。



 少し離れたところで、私たちのその束の間のやり取りを兄がじっと見つめていたことなど、私は全く気付かずにいた。



 

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