39 / 74
38. ヘイワード公爵夫妻の帰宅
しおりを挟む
それからカトリーナと三人で準備された昼食を食べた後、もうしばらくその辺りを一緒に散策し、帰路についた。
とても楽しい一日になったけれど、その日を境に私のアルバート様に対する気持ちが、何だか今までとは変わってしまった。もちろん、大好きなことに変わりはないんだけど……。
(……アルバート様はずっと昔から、変わらず優しい。けれど、“お兄様”だった頃と今とでは、何だか別人みたいな気がするわ……)
後日、私はあの時のことをぼんやりと思い出していた。
つい先日まで、そんなことを意識したことさえなかったのに。
あの湖でのひとときから、私の中でアルバート様の存在が急に大きくなった気がした。
ドキドキして、落ち着かなくて、けれど決して不快ではない。あの青い瞳にジッと見つめられるとなぜだかいたたまれなくて、逃げ出したいような気持ちにさえなる。それなのに、やっぱりアルバート様には会いたいし、そばにいられると嬉しい。
「……。はぁ……」
自室で一人甘いため息を零しながら、私はそれ以上深く考えるのを止めたのだった。
今は他に、考えなくてはいけないことがある。
そんな中、ある日ヘイワード公爵本邸に、一通の手紙が届いた。それはラウル様の父君であるヘイワード公爵からで、来週この本邸に一度ご夫婦で戻ってくること、そしてその時に、私の家族であるオールディス侯爵一家を招いて夕食会を開くつもりでいること、もうすでにオールディス侯爵家には招待状を送付済みであることなどが書かれていた。
(……嘘でしょう……)
このタイミングで?
ある日帰宅したラウル様からその手紙を見せられた私は、内心げんなりした。
「……記載してある日にちに合わせて、邸の準備を整えておいてくれ」
「……承知いたしました」
私から目を逸らしながら必要最低限の言葉をかけてくるラウル様に、私も最低限の返事を返した。この機会にもっと会話をしようだとか、ラウル様に見直してもらえるように準備を頑張ろうとか、そんな感情は一切湧いてこなかった。
妻を微塵も信じることなくよその女性に心を奪われ、爛れた関係を持っている夫のことなんて、誰が大切に思えるだろうか。
そして翌週、予定通りその日の午前中に、ヘイワード公爵夫妻は本邸に姿を現した。
「まぁ、久しぶりねティファナさん。相変わらず美しいこと。……あら、素敵なお花だわ。ありがとう、準備は万端ね」
「うむ。どうだね、結婚生活は順調か」
「ご無沙汰しております、お義父様、お義母様。はい、おかげさまで、つつがなく」
仕事があるから出かけるが、夕方までには戻ると言って早朝から逃げるように出て行ってしまったラウル様に代わって、私は一人で公爵夫妻を出迎えた。明るくて美しい義母、厳しい表情を崩さない、貫禄のある義父。この二人はまさか、息子夫婦の仲がここまで冷え切り決裂してしまっているとは夢にも思っていないだろう。
久しぶりに戻った本邸の中をチェックするように義母が見て回った後、二人は居間で紅茶を飲みながらくつろいだ。
「どう? ティファナさん。ここでの生活にも随分慣れてきたのではなくて? 何か困っていることなどはない?」
優雅にティーカップを傾けていたヘイワード公爵夫人が美しい笑みを浮かべ、私にそう尋ねてきた。
困ったことしかございません。あなたの息子さんは職場の女性に簡単に丸め込まれて私を悪人だと決めつけ、離縁の段取りを考えはじめたようですよ。どうやらその女性とは愛人関係にあるようですし、じきに嫁が代わるかもしれませんわね。
そんなことを言えるはずもなく、私は公爵夫人と同じように優雅に微笑んでみせた。
「いえ、お義母様。おかげさまで何不自由ない生活を送っており、感謝いたしております。お忙しいラウル様に代わって公爵領の仕事を少しでも多くお手伝いできるよう、日々勉強に励んでおりますわ」
「ま、頼もしいこと。ね? あなた」
「うむ」
ニコニコと嬉しそうな公爵夫人、相変わらず気難しい表情を崩さず重々しく頷く公爵。
このお二人と同じ席に、今夜はあのサリアや義母を交えて一緒に夕食をとるのだ。
(無事に終わるといいのだけど……)
もうすぐここにやってくるであろう義妹の無作法が気にかかって仕方ない私だった。
とても楽しい一日になったけれど、その日を境に私のアルバート様に対する気持ちが、何だか今までとは変わってしまった。もちろん、大好きなことに変わりはないんだけど……。
(……アルバート様はずっと昔から、変わらず優しい。けれど、“お兄様”だった頃と今とでは、何だか別人みたいな気がするわ……)
後日、私はあの時のことをぼんやりと思い出していた。
つい先日まで、そんなことを意識したことさえなかったのに。
あの湖でのひとときから、私の中でアルバート様の存在が急に大きくなった気がした。
ドキドキして、落ち着かなくて、けれど決して不快ではない。あの青い瞳にジッと見つめられるとなぜだかいたたまれなくて、逃げ出したいような気持ちにさえなる。それなのに、やっぱりアルバート様には会いたいし、そばにいられると嬉しい。
「……。はぁ……」
自室で一人甘いため息を零しながら、私はそれ以上深く考えるのを止めたのだった。
今は他に、考えなくてはいけないことがある。
そんな中、ある日ヘイワード公爵本邸に、一通の手紙が届いた。それはラウル様の父君であるヘイワード公爵からで、来週この本邸に一度ご夫婦で戻ってくること、そしてその時に、私の家族であるオールディス侯爵一家を招いて夕食会を開くつもりでいること、もうすでにオールディス侯爵家には招待状を送付済みであることなどが書かれていた。
(……嘘でしょう……)
このタイミングで?
ある日帰宅したラウル様からその手紙を見せられた私は、内心げんなりした。
「……記載してある日にちに合わせて、邸の準備を整えておいてくれ」
「……承知いたしました」
私から目を逸らしながら必要最低限の言葉をかけてくるラウル様に、私も最低限の返事を返した。この機会にもっと会話をしようだとか、ラウル様に見直してもらえるように準備を頑張ろうとか、そんな感情は一切湧いてこなかった。
妻を微塵も信じることなくよその女性に心を奪われ、爛れた関係を持っている夫のことなんて、誰が大切に思えるだろうか。
そして翌週、予定通りその日の午前中に、ヘイワード公爵夫妻は本邸に姿を現した。
「まぁ、久しぶりねティファナさん。相変わらず美しいこと。……あら、素敵なお花だわ。ありがとう、準備は万端ね」
「うむ。どうだね、結婚生活は順調か」
「ご無沙汰しております、お義父様、お義母様。はい、おかげさまで、つつがなく」
仕事があるから出かけるが、夕方までには戻ると言って早朝から逃げるように出て行ってしまったラウル様に代わって、私は一人で公爵夫妻を出迎えた。明るくて美しい義母、厳しい表情を崩さない、貫禄のある義父。この二人はまさか、息子夫婦の仲がここまで冷え切り決裂してしまっているとは夢にも思っていないだろう。
久しぶりに戻った本邸の中をチェックするように義母が見て回った後、二人は居間で紅茶を飲みながらくつろいだ。
「どう? ティファナさん。ここでの生活にも随分慣れてきたのではなくて? 何か困っていることなどはない?」
優雅にティーカップを傾けていたヘイワード公爵夫人が美しい笑みを浮かべ、私にそう尋ねてきた。
困ったことしかございません。あなたの息子さんは職場の女性に簡単に丸め込まれて私を悪人だと決めつけ、離縁の段取りを考えはじめたようですよ。どうやらその女性とは愛人関係にあるようですし、じきに嫁が代わるかもしれませんわね。
そんなことを言えるはずもなく、私は公爵夫人と同じように優雅に微笑んでみせた。
「いえ、お義母様。おかげさまで何不自由ない生活を送っており、感謝いたしております。お忙しいラウル様に代わって公爵領の仕事を少しでも多くお手伝いできるよう、日々勉強に励んでおりますわ」
「ま、頼もしいこと。ね? あなた」
「うむ」
ニコニコと嬉しそうな公爵夫人、相変わらず気難しい表情を崩さず重々しく頷く公爵。
このお二人と同じ席に、今夜はあのサリアや義母を交えて一緒に夕食をとるのだ。
(無事に終わるといいのだけど……)
もうすぐここにやってくるであろう義妹の無作法が気にかかって仕方ない私だった。
718
お気に入りに追加
1,896
あなたにおすすめの小説
さよなら、英雄になった旦那様~ただ祈るだけの役立たずの妻のはずでしたが…~
遠雷
恋愛
【本編完結】戦地から戻り、聖剣を得て聖騎士として英雄になった夫エリオットから、帰還早々に妻であるフローラに突き付けられた離縁状。
戦場で傍に寄り添い、その活躍により周囲から聖女と呼ばれるようになった女性エミリーを、彼は愛してしまったのだと告げる。安全な王都に暮らし日々祈るばかりだったフローラは、居場所を失くしてしまった。
反論も無く粛々と離縁を受け入れ、フローラは王都から姿を消した。
その日を境に、エリオットの周囲では異変が起こり始める。
一方でフローラは旅路で一風変わった人々と出会い、祝福を知る。
――――――――――――――――――――
※2025.1.5追記 11月に本編完結した際に、完結の設定をし忘れておりまして、
今ごろなのですが完結に変更しました。すみません…!
近々後日談の更新を開始予定なので、その際にはまた解除となりますが、
本日付けで一端完結で登録させていただいております
※ファンタジー要素強め、やや群像劇寄り
たくさんの感想をありがとうございます。全てに返信は出来ておりませんが、大切に読ませていただいております!
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです
gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。
愛してしまって、ごめんなさい
oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」
初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。
けれど私は赦されない人間です。
最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。
※全9話。
毎朝7時に更新致します。
貴方に私は相応しくない【完結】
迷い人
恋愛
私との将来を求める公爵令息エドウィン・フォスター。
彼は初恋の人で学園入学をきっかけに再会を果たした。
天使のような無邪気な笑みで愛を語り。
彼は私の心を踏みにじる。
私は貴方の都合の良い子にはなれません。
私は貴方に相応しい女にはなれません。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら
みおな
恋愛
子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。
公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。
クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。
クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。
「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」
「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」
「ファンティーヌが」
「ファンティーヌが」
だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。
「私のことはお気になさらず」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる