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20. 望まぬ婚約と職場の女(※sideラウル)
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お前とオールディス侯爵家のティファナ嬢との婚約が決まった。
父からそう告げられた時、私は内心うんざりした。
よりにもよって、彼女か、と。
ティファナ・オールディス侯爵令嬢は、艷やかなホワイトブロンドの長い髪にアメジストのようなきらめく紫色の瞳を持った、それは美しい令嬢だった。
その美しさは幼い頃から評判で、どんなパーティーや茶会の場で会っても、大人たちは皆彼女の容姿を褒めそやしていた。
「オールディス侯爵夫人、ティファナちゃんは本当に愛らしいですわね」
「ええ。本当に。ご覧になって、あの透き通るような金色の御髪を。あの笑顔を。まるで神の使いのようだわ」
「きっと王太子殿下もティファナちゃんを特別に気に入るはずですわ。ほほほ」
周囲の大人たちから常にこんな言葉をかけられているからか、両親にたっぷりと愛されて育ち、自分の存在意義に自信を持っているからなのか、ティファナは幼い頃から物怖じしない子どもだった。会うたびにいつもそのアメジストの瞳をキラキラと輝かせて、俺ににっこりと微笑みかけてくる。隙あらば話しかけようとしている彼女の空気を敏感に察し、私はいつもわざと不愉快そうな表情をしてみせた。
端的に言えば、苦手なタイプだったのだ。
出来が良く、無自覚に自分に自信を持ち、常に場の中心にいるような、そんな子ども。
皆から慕われ、周りに人が集まり、そしてその集まってきた子どもたちを誰一人見落とすことなく気遣い、さらに慕われる。
自分が正しいことを疑わず、その優しさで周囲の人間をごく自然に取り込む。私はティファナのことをそのようなタイプだと思っていたし、それは私が最も苦手とする種類の人間だった。
小さいうちこそ、どうにか私と打ち解けようとして周りをうろつき、隙あらば声をかけてこようとしていたティファナも、徐々に私のそばには寄ってこなくなった。
私は、物静かでさほど社交的でないタイプの人間と付き合う方が気楽だった。きっと相手がティファナのようなタイプだと、無意識に萎縮し、気負ってしまうからだと思う。
ヘイワード公爵領内で父が運営している学園を卒業すると、私はその父のツテもあり王宮で文官の職を得ることができた。公爵領の仕事を覚える傍ら王宮勤めも始めたわけだが、これが予想外に楽しかった。向いている仕事に就くことができ、父には感謝したものだ。
ティファナと婚約してしばらく経ったころ、同じ部署に一人の女性が採用され、入ってきた。
ロージエ・ブライトという名の、若くてオドオドした娘だった。縮れた赤毛、地味なグレーの瞳に、そばかすだらけの顔。引っ込み思案なのか自分に自信がないのか、いつも人目を気にするような怯えたそぶりを見せ、そして仕事ができなかった。
「ブライト君、また間違ってるじゃないか! いい加減に教えたことをきちんと覚えたまえ!」
「っ! すっ、すっ、……すみません……っ」
意地の悪い上官には特に目をつけられ、よく怒鳴られていた。
「……」
そんな彼女のことが、私は妙に気にかかった。こんなところで働くにはあまりにも愚鈍で場違いなのもその理由のひとつではあったが、何故だか私は、その娘の一挙手一投足が気になり、ある日、無意識に彼女のミスをカバーしてやるような行動をとった。
「……貸しなさい。その書類はこちらで仕上げておくから」
「っ! あ……、ヘ、ヘイワード様……」
上官に怒鳴られ自分の机に戻り、オロオロしながら泣きそうな顔で手元の書類を捲っているロージエ。私は人目のない瞬間を確認すると、彼女の席へ行き、処理しきれていない書類を奪い自分の机に戻った。驚いた様子の彼女からは礼の言葉さえ聞こえなかった。よほど面食らったのだろう。
そんなことが何度かあった、ある日のこと。
私が自分の机に向かい、山積みの書類を次々と捌いていた時だった。気が付くと、ロージエが私の横に静かに立っていた。何事かと思い見上げると、途端に彼女はビクッと肩を揺らし、あ……、あ……、と小さく声をもらした。
「……? どうかしたのか?」
「っ! あ……、こ、これを……」
小さな声でそう言うと、彼女は私に何かをそっと差し出した。その手元を見ると、細い指先がプルプルと小刻みに震えていた。
その手から、私の机の上に小さな袋が置かれた。青いリボンで結んである。
「い、……いつもの、お、お礼です……っ」
それだけ言うと、彼女は慌てた様子で私のそばを離れ、自分の机に戻っていった。……その顔は茹だったように真っ赤に染まっていた。
(……? 一体何だ?)
不審に思いつつその袋のリボンを解き、指で開いて中を確認する。……クッキーのようだ。
私はしばらく無言のままそのクッキーを見つめた。……これが、礼のつもりだと?
(やはり随分変わった子だな……)
いい歳の大人の男に、こんな子どもじみたクッキーの袋を渡すなど。これで私が喜ぶとでも思ったのだろうか。
しかしその日、一人執務室で残業しながら小腹のすいた私は、ふとロージエから貰ったクッキーのことを思い出し、しまっていた引き出しから取り出した。
「……」
私は甘いものが好きではない。普段ならこのような菓子を口にすることなど全くなかった。
しかし、私は気まぐれに袋の中からそのクッキーを取り出すと、まじまじと見つめた。……形が悪く、端の方が茶色くなっている。自分で焼いたのだろうが、お世辞にも上手だとは言えない代物だった。
一口かじってみると、妙に固くて、しかも少し苦みがある。
「……。ふ……、」
何故だか思わず笑ってしまった。
ロージエの、あの自信なさげなオドオドとした姿を思い出しながら、気付けば私は袋の中のクッキーを全部食べてしまっていた。
父からそう告げられた時、私は内心うんざりした。
よりにもよって、彼女か、と。
ティファナ・オールディス侯爵令嬢は、艷やかなホワイトブロンドの長い髪にアメジストのようなきらめく紫色の瞳を持った、それは美しい令嬢だった。
その美しさは幼い頃から評判で、どんなパーティーや茶会の場で会っても、大人たちは皆彼女の容姿を褒めそやしていた。
「オールディス侯爵夫人、ティファナちゃんは本当に愛らしいですわね」
「ええ。本当に。ご覧になって、あの透き通るような金色の御髪を。あの笑顔を。まるで神の使いのようだわ」
「きっと王太子殿下もティファナちゃんを特別に気に入るはずですわ。ほほほ」
周囲の大人たちから常にこんな言葉をかけられているからか、両親にたっぷりと愛されて育ち、自分の存在意義に自信を持っているからなのか、ティファナは幼い頃から物怖じしない子どもだった。会うたびにいつもそのアメジストの瞳をキラキラと輝かせて、俺ににっこりと微笑みかけてくる。隙あらば話しかけようとしている彼女の空気を敏感に察し、私はいつもわざと不愉快そうな表情をしてみせた。
端的に言えば、苦手なタイプだったのだ。
出来が良く、無自覚に自分に自信を持ち、常に場の中心にいるような、そんな子ども。
皆から慕われ、周りに人が集まり、そしてその集まってきた子どもたちを誰一人見落とすことなく気遣い、さらに慕われる。
自分が正しいことを疑わず、その優しさで周囲の人間をごく自然に取り込む。私はティファナのことをそのようなタイプだと思っていたし、それは私が最も苦手とする種類の人間だった。
小さいうちこそ、どうにか私と打ち解けようとして周りをうろつき、隙あらば声をかけてこようとしていたティファナも、徐々に私のそばには寄ってこなくなった。
私は、物静かでさほど社交的でないタイプの人間と付き合う方が気楽だった。きっと相手がティファナのようなタイプだと、無意識に萎縮し、気負ってしまうからだと思う。
ヘイワード公爵領内で父が運営している学園を卒業すると、私はその父のツテもあり王宮で文官の職を得ることができた。公爵領の仕事を覚える傍ら王宮勤めも始めたわけだが、これが予想外に楽しかった。向いている仕事に就くことができ、父には感謝したものだ。
ティファナと婚約してしばらく経ったころ、同じ部署に一人の女性が採用され、入ってきた。
ロージエ・ブライトという名の、若くてオドオドした娘だった。縮れた赤毛、地味なグレーの瞳に、そばかすだらけの顔。引っ込み思案なのか自分に自信がないのか、いつも人目を気にするような怯えたそぶりを見せ、そして仕事ができなかった。
「ブライト君、また間違ってるじゃないか! いい加減に教えたことをきちんと覚えたまえ!」
「っ! すっ、すっ、……すみません……っ」
意地の悪い上官には特に目をつけられ、よく怒鳴られていた。
「……」
そんな彼女のことが、私は妙に気にかかった。こんなところで働くにはあまりにも愚鈍で場違いなのもその理由のひとつではあったが、何故だか私は、その娘の一挙手一投足が気になり、ある日、無意識に彼女のミスをカバーしてやるような行動をとった。
「……貸しなさい。その書類はこちらで仕上げておくから」
「っ! あ……、ヘ、ヘイワード様……」
上官に怒鳴られ自分の机に戻り、オロオロしながら泣きそうな顔で手元の書類を捲っているロージエ。私は人目のない瞬間を確認すると、彼女の席へ行き、処理しきれていない書類を奪い自分の机に戻った。驚いた様子の彼女からは礼の言葉さえ聞こえなかった。よほど面食らったのだろう。
そんなことが何度かあった、ある日のこと。
私が自分の机に向かい、山積みの書類を次々と捌いていた時だった。気が付くと、ロージエが私の横に静かに立っていた。何事かと思い見上げると、途端に彼女はビクッと肩を揺らし、あ……、あ……、と小さく声をもらした。
「……? どうかしたのか?」
「っ! あ……、こ、これを……」
小さな声でそう言うと、彼女は私に何かをそっと差し出した。その手元を見ると、細い指先がプルプルと小刻みに震えていた。
その手から、私の机の上に小さな袋が置かれた。青いリボンで結んである。
「い、……いつもの、お、お礼です……っ」
それだけ言うと、彼女は慌てた様子で私のそばを離れ、自分の机に戻っていった。……その顔は茹だったように真っ赤に染まっていた。
(……? 一体何だ?)
不審に思いつつその袋のリボンを解き、指で開いて中を確認する。……クッキーのようだ。
私はしばらく無言のままそのクッキーを見つめた。……これが、礼のつもりだと?
(やはり随分変わった子だな……)
いい歳の大人の男に、こんな子どもじみたクッキーの袋を渡すなど。これで私が喜ぶとでも思ったのだろうか。
しかしその日、一人執務室で残業しながら小腹のすいた私は、ふとロージエから貰ったクッキーのことを思い出し、しまっていた引き出しから取り出した。
「……」
私は甘いものが好きではない。普段ならこのような菓子を口にすることなど全くなかった。
しかし、私は気まぐれに袋の中からそのクッキーを取り出すと、まじまじと見つめた。……形が悪く、端の方が茶色くなっている。自分で焼いたのだろうが、お世辞にも上手だとは言えない代物だった。
一口かじってみると、妙に固くて、しかも少し苦みがある。
「……。ふ……、」
何故だか思わず笑ってしまった。
ロージエの、あの自信なさげなオドオドとした姿を思い出しながら、気付けば私は袋の中のクッキーを全部食べてしまっていた。
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